遠すぎじゃね?
「怒ってない。おやすみなさい。」
突然アトラの語気が強まり、不貞腐れたような態度を取られて布団に潜ってしまいました。
彼女を傷つけるような失言などはなかったはずですが、無意識のうちに失礼を働いてしまったのかも…淑女失格ですわ。
わたくしはロッキングチェアを離れてキャビネットの上に畳んでおいたマントから、遠隔通話が出来る統合端末だけを取り出して、物音を立てないように寝室を出た。
「(出会って間もないのに、下心をまろび出しすぎたのが原因でしょうか…少しは自制しなくては。)」
元々男の子よりも女の子が大好きな性分で、好みの子とすれ違う度に(お尻とか)目で追っておりましたが、アトラほど目も心も惹かれる女性に出会ったのは初めてでした。
冬場の湖面にうっすらと張った薄氷のように無機質かつ儚げな雰囲気を纏いながらも、言葉を交わしてみると、暖かみのある人間性と小動物さながらの愛嬌を感じられる、何とも不思議な存在。
あまりにチープな表現なので好ましくはありませんが、本気で一目惚れしてしまったのです。
もしも今後彼女の障害となるものが現れたら、誰であろうとも撃滅致す所存ですわ。
例えそれがお父様の盟友…スコットだったとしても。
「…」
端末をきつく握り締め、玄関のロックを解除して外へ出る。冬季も終わりに近付き比較的過ごしやすくなってきたものの、頬をすり抜ける夜風はまだまだ冷たいですわね。
冷えは乙女の大敵。手短に用事を済ませてしまいましょう。
統合端末の画面を指先で弄び、連絡先リストからスコットを選択。通信機器に分類されるものであれば、こちらからの一方通行にはなりますが、糸電話ですらも長距離音声通信機と化してしまえる遺物「天網を手繰る目」。
もう深夜も深夜、一般的に連絡を取るのは非常識な時間ですが…ドレステミル近辺と帝国では時差が六時間ほどありますので、あちらは現在朝の八時といったところでしょう。
こちらから発信して一秒足らず、遺物を中継して脳内に懐かしい声が響きました。
『もしもし…イスかい?』
まだ四十代なのに度重なる心労で微かに嗄れた、相反する威厳と情けなさを含んだ声。
「久しいですわねスコット。ざっと三ヶ月ぶりかしら」
一呼吸置いて、肺の底から漏れたような安堵のため息が染み渡る。
『はぁー…元気そうで何よりだ…。帝国を発って一度も報告が無いから、君の身に何かあったんじゃないかと心配で心配で…』
心配性、そして過保護。
騎士団長として群衆に見せている厳格さなどは欠片も感じられない、一握りの者しか知らぬスコットの素顔ですわ。
わたくしが帝国を離れた時から様子が全く変わっていなくて、思わず笑みが溢れてしまいました。
「ふふ、大袈裟ですわねぇ。わたくしの強さを知っているからこそ、あなたはソダム様…か弱いアトラの身請けを任せたのでしょう?」
『その口ぶり…アトラ様と会えたんだね?』
「ええ。身請けも無事済ませて、お昼過ぎにドレステミルから出たところですわ」
『っははは…そうか、そうか、ついに、外へ出られたんだ…。アトラ様、喜んで、くれた、かな?』
いきなり句読点爆増でわかりづらいですわ。
人間歳を取ると涙脆くなるとの俗説がありますが、スコットも例に漏れずその部類のヒトだった模様。
「わたくし達では注視しないような路傍の石や雑木でさえも、無邪気な子供のように目を輝かせて眺めておりましたわ」
『彼女は根っからの学者気質だからね。遺跡・遺物研究学者の君と相性が良さそうだから、今回の任務を託したわけだが…』
スコットの声のトーンが数段落ちて、騎士団長としての風格を帯びてきました。素との落差に背筋を正してしまいます。
『さて、そろそろ本懐を伺おうか。進捗報告のためだけに、すっぽかしていた連絡をわざわざ寄越したわけでは無いだろう?』
声だけでも他人の思考を読む洞察力、そこから得た情報を正しく編む推察力。臆病者だからこそ身に付けた、人々の上に立つ者に相応しい観察能力ですわ。
思考を直接覗くアトラと比較すると、ねちっこい印象を受けるのが珠にキズですわね。
わたくしも回りくどいのは好まないので、単刀直入に伺いましょう。
「率直に聞きますが、アトラ…不滅を街から解放し、手中に納めてどうするつもりですの。あなたが見据えている、真の目的とは?」
スコットは小さく鼻を鳴らして『本来なら早期に連絡を寄越した時に伝えようと思っていたのだが』と苦笑を堪えつつ前置きしました。
『…私が借りたいのは不滅ではなく、アトラ様の知恵だ。街からの解放は…私たちの盟友にしてお前の養父、ラルハールたっての念願でもあった』
「お父様の…」
ラルハール・ラピスマイン。
自らを「盗賊王」と呼称する世界屈指の盗賊であり、北世界各地の遺跡を探索し、無数の遺物を手に入れた偉大なるお方。
貧民区で育ての親を亡くしたわたくしを拾い、育てて下さった…誰よりも強く、優しかったお父様。
…しかしわたくしが11歳を迎えた日に、たったひとつの遺物と「困った時はグローデン騎士団長スコットを頼りな、俺の愛娘。」という内容の書き置きを残して、行方を眩ませてしまった…。
お父様の名が出ると、今でも胸を圧搾されるような痛みが走り、涙が溢れそうになります。
『…ラルハールのことを、思い出していたのかい?』
スコットはわたくしの心境を推し量り、素の状態で優しく語りかけてきました。
…いけませんわね、わたくしったら。
彼は失踪したお父様の代わりを嫌な顔ひとつせず引き受けて下さり、妻のエルミナさんにも会う度に惜しみ無い愛情を注いでいただいているというのに…わたくしの心は、お父様を求めて止まないんですの。
「お父様の安否を気にかけない日など、ございませんわ…」
お父様のライフワークである遺跡と遺物の研究調査を続けていれば、いずれ再開出来ると信じて、世界一有名な人物にまで成り上がったというのに。
まるでお父様の存在が消滅したかのように、以降の痕跡が全く見つからず今日に至ります。
「せめてどこかで無事に生きてさえいて下さるのなら…」
『…あいつはそう簡単に命を落とすような器じゃない、元気に生きてるよ。殺しても死なないとまで謂われた男…君もよく知っているだろう?』
スコットの言う通り、お父様は強くて機転が利くお方…簡単に命を落とすような人物ではありません。
ですがお父様とて人間…今も生きている確証は、どこにもございませんわ。
わたくしは唇を噛み締めて、最悪のビジョンを頭から振り払いました。
「気休めはお止しくださいな。もしもがあったら、わたくし…」
『いや、気休めじゃないよ。ラルハールとは今朝も映像通信で元気にやり取りしたし』
「…はい?」
何を言われたのでしょうか。頭のなかでスコットの言葉が旋回して、なかなか脳に落ちてきません。
「あの…今なんと?」
『遺物による映像通信で、今朝もラルハールと話をしたんだ。彼は変わらず元気だよ』
「確かにお父様が収集していた遺物のなかには、遠隔映像通信が可能なものが一点ありましたが…えっ、スコットはいつからお父様とやり取りを始めたんですの?」
『君に今回の任務を与える二日前かな。彼からいきなり通信が入って、以降は月に三、四回の頻度でかかってくるようになったんだ』
…お父様が無事と聞いて思わず腰が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまいました。
年月を重ねるにつれて不安が肥大化の一途を辿る日々を送ってきたわたくしにとって、心底嬉しくもあり心臓に悪すぎる報せでした。
腰どころか全身から力が抜けていくのを感じながら、わたくしは最も気にしていた話題に切り込みました。
「ご無事で何よりですわ…。それで、お父様の所在は…?」
『それこそが、今回の任務の核となるファクターなんだよ、イス。…君に次なる任務を与えよう』
神妙な口調でスコットが語ったのは、現在お父様の置かれている状況と、わたくしが次に成すべき新たな任務の内容。
そして、スコット主導で発足した私設部隊に新たなメンバーを迎えたこと。…ひとまずお父様が無事だと判明した今、これがわたくしの重大な悩みの種になりそうな予感が致しましたわ。
「…確かにあの子なら本部隊の活動内容に最適…それは認めますわ。しかしよりによって…正気ですの?」
『不安なのはわかるけど、根は悪い子じゃないよ。報酬が保証されるなら…ね』
「取引相手としてはわたくしも信頼しております。が、あの子は気まぐれですし、なによりこの世界で唯一、アトラの天敵たり得る存在なのですわよ。」
新たな不安要素を獲得して、なあなあに話を切り上げられた後、わたくしは冷えた体を暖めるため早々に床に就きました。
…夜が明けたら、忙しくなりますわね。
――――――――――
「…ふかっ」
寝返りをうった際に微かに意識が戻り、嗅ぎ慣れない布団の香りに驚いて目が覚めた。
窓の外はすっかり明るい。この時期の陽射しによって生まれる影の濃淡具合から察すると、午前10時を過ぎた頃かな。
私にしては眠りこけ過ぎた…きっとふかふか布団のせいだ。
「うー…」
重い頭をもたげながらもなんとか起き上がり、特大のあくびを放つ。
昨夜、寝る直前に抱いていたスコット君への疑心はすっかり消えており、晴れやかとまではいかないものの、特段気にならなくなっていた。
これが生来の私の性格なのか、不滅によって変質したものなのか…それすらもどうでもいい。
「うっわ、寒ぅ…」
布団から爪先を出したとたん、刺すような冷気に包まれて足を引っ込めてしまった。
よく見たら窓のひとつが開いていて、暖炉の火も消えてしまっているではないか。
室温を一定に保つ防護魔法がかけられた我が家と違って、このレストハウスは気温の影響をモロに受けてしまうらしい。
座ったまま布団にくるまっていると、窓の外から鎧マント姿のイスがひょっこり顔を覗かせてきた。即座に目が合う。
「あら、お目覚めになられましたのね。ごきげんよう、アトラ」
昨晩の不躾な態度に少しは腹を立てていると思いきや、イスは昨日にも増して眩しい笑顔を向けてきた。
「ごきげんよう…昨夜はごめん、子供っぽい態度取っちゃって」
「ぜーんぜん気にしてませんわ。むしろアトラが疑念を抱いたおかげで、事は大躍進致しましたのよ」
詳しくはわたくしの記憶を見てくださいませ、とブーツを脱いで寝室に入ってきたイスの上機嫌さに若干引きつつ、言われた通りスキルで記憶を覗き見た。
語るより早し、と言わんばかりに流れ込んでくる昨晩のイスの記憶。
イスが旅をしている理由、スコット君が私を求めた理由、そして我々が取るべき次の行動について。
不滅によって安定化した私の脳は、荒波と化して迫る他者の情報を一旦蓄えてから再び流す、整流装置のような役割を持っているので、いかなる情報も理路整然と受け入れられるのだ。
だからこそ、昨晩の自分の浅はかさが浮き彫りになってしまう。
「…スコット君が利己的に私を利用するかも、なんて、早合点が過ぎたわ。あの子は今も昔も友達想いのまま変わってないね」
スコット君とエルミナちゃんの親友でイスの養父、ラルハール君。
彼は7年前のある日、幼いイスを残して収集したほとんどの遺物と共に姿を消し、行方知れずとなっていた。
3ヶ月ほど前から少なくとも前日にかけて無事が確認されたものの、彼はあろうことか隔絶海層の向こう…南側に居て、我々の居住地域である北側に自力で戻れない状況だという。
…ちなみに「隔絶海層」とは、イスの知識によると、この世界「ダムデル」の沖合いに存在する、北と南を隔てる特殊な重力場の壁の事だそうだよ。
いかに頑丈な戦艦を以てしても突破は不可能であり、接近するだけでも物質は粉々に破壊され、海の藻屑となる。
「んで、その隔絶海層とやらの向こう側までラルハール君を助けにいくために、重力場の一部を破壊もしくは無力化する算段を私に立てて欲しい、と」
「はい」
「頼られるのは嬉しいけどさ…まずは重力場を観測して詳細情報を集めないと、算段もクソもないよ」
知識と勘だけで重力場をどうにか出来るほど物理学は甘くない。遺物の力を借りればその限りでもないが…。
「我々の移動手段を小型船と仮定して、万一北側の重力場を抜けられたとしても、南側も同じ力場が働いているとは限らない。ラルハール君を救助して再び北側へ戻るとなると…綿密な観測と精緻な計算が必要不可欠」
「観測と言われましても…隔絶海層が存在するのは、最も近い陸地からでも沖合い約3万km地点ですの。重力場付近は複雑な海流によって大きくうねっており重装甲船でなければ近付けませんし…観測可能な地点に向かうだけでも、ゆうに12ヶ月はかかりますわ」
「…遠すぎじゃね?」
前途多難、どうするアトラ(他人事)。
続く。