大帝(アドュラ・テオト)
眼前の壁に古代語で記された説明書きと、タッチパネルのガイド枠。
何度瞬きしても私の目には確かに映っているのだが、レントライトは一度たりとも首を縦には振らなかった。
「やはり駄目だな。俺には何も書かれていないただの壁にしか見えん」
「なんでなんだろ?視覚に影響する類のスキルは発動してないし、魔力で書かれたものにも見えないし…」
こういう時は実物を写真に収めて、専門家の意見を仰いだ方が手っ取り早い。
私はデバイスのカメラを起動して壁の文字に向けた。
すると。
「…あれ?文字も模様もカメラに写らない」
「なに?」
肉眼ではしっかり見えている文字が、レンズを通すとまるで何も書かれていないように見えた。
デバイスを退けると文言は壁にしっかりと存在している。だがデバイスの画面には一抹も表示されない。
試しに撮影してみたり、動画モードに切り替えたりもした。
しかし結果は変わらなかった。
「おっかしいなぁ。どういう原理で見えてるんだろ」
「…昨夜雑談を交わした際、主は自身を古代人の生き残りと言っていたが…もしかするとその事が関係しているのではないか?」
レントライトの指摘を受け、私はふと思い浮かんだ古い記憶のファイルを紐解いた。
「…そういえば前にも似たようなことがあったっけ。時代が進んでドレステミルの人々が別の人類と営みを重ねるうちに、新しい世代の人々が最古のインクで書かれた古代語を視認出来なくなっていったんだよ」
古代に生息していた生物「レポラストロ」…現代で言う「乳牛」にとてもよく似た動物で、彼らが毎日のように分泌する体液はドギツイ紫色をしていた。通称「レポラインク」。
やや粘性があり、筆に染み込みやすく、紙、岩、木材などあらゆる素材の表面に適応し、伸びが良く、書いた後の乾きも早く、保存も効いたので、私の記憶に存在する最古の時代では日常的に用いられていた。
かく言う私もレポラインクのヘビーユーザーで、今もドレステミルの実家の戸棚にかつて自分で絞った瓶詰めのインクを四本保存している。
…ドレステミルの知り合い、ギルド受付嬢のエマに連絡して実物を確認してもらったほうが早いか。この時間帯は比較的ギルドを訪れる人が少ないから、多少応答するくらいは可能なはずだし。
「ちょっとごめん、知り合いに連絡するね」
「了解した」
私がデバイスを取り出すと、レントライトは剣を抜いて私の背後に回った。今のところ魔物の気配はないが、警戒体制を敷いたようだ。
私は以前登録したエマの連絡先をタップして、顔の右横にデバイスをあてがった。
コールから二秒、三秒…
『はいもしもし、どうしましたアトラさん?』
私からの連絡にもすっかり驚かなくなったエマは、声色から暇そうな空気を滲ませていた。
「突然ごめんねエマ、いま時間大丈夫だった?」
『大丈夫ですよ〜。雑務は終わりましたし、朝のピークも過ぎた後なのでちょうど暇してたところです』
ドレステミルのギルドは基本エマがワンオペで仕切っている。というか一人でも余裕で捌けるくらいの仕事しかあそこにはないのだ。
『今はギルドに立ち寄る冒険者よりも、町を訪れる観光客の方が多いので…主に元老院ファンの方々なんですけど』
「あはは、あいつらすっかりスターだね」
動画サイトで何故か人気の元老院チャンネル、先日見た時は登録者数が百五十万人を超えていた。
すっかり町の観光資源と化した彼らだが、町の執政も真面目に取り組んでいると聞く。住人の意見を取り込んでより住みやすく、町を訪れた観光客のイメージを保ちつつ…なんかまぁ上手くやってるそうだ。
そんな話は置いといて。
「ところで本題なんだけどさぁ、私の家に行って二階の戸棚に置いてある、四本の瓶…丸底フラスコを見て来て欲しいんだけど、今から向かわせられる人員って居るかな?」
『アトラさんのお家にですか?そうですね…たまに臨時で仕事を手伝って頂いてる、マーロットさんに聞いてみます』
マーロットさん…マーロット・レドドラ。どうしても人手が足りない時にエマが臨時でギルドの仕事を頼む幼馴染だ。
エマの家の向かいに住んでいて、ギルド職員の資格を持ちながらも画家として悠々自適の田舎ライフを送っている、エマより少し年上のお姉さん。
真面目で人当たりがいいから、私としても家に上げるなら適任だと思う。
「ごめんね、お願いするよ」
『では少々お待ち下さい。…あ、マーロットさん?実はお願いしたい事があって…』
この後、エマを介した私からの頼みを快く引き受けてくれたマーロットに、自宅のレポラインクを確認して貰ったが…
『確かにあったみたいですよ、透明な液体が入った四本のフラスコ』
結果は予想通りだった。嫌でも目につくド紫色のレポラインクの色を、マーロットは認識出来なかった。
私がドレステミルを発つ前に見た時は昔と変わらない発色をしていたから、やはり現代の人々はレポラインクの色を視認する能力を完全に失っているらしい。
「…そっか。うん、ありがとう」
『いえいえ』
私はエマとマーロットに謝辞を述べ、通信を終えた。
再びレントライトとの会話に戻る。
「あなたのヒント通り、この壁の文字は古代人でなければ判別出来ない塗料で書かれてるみたい」
「…そうか」
レントライトはしばらく警戒を続けて、やがて剣を下ろした。
「恐らく上の階に書かれていた文字は、誰かが現代人でも視認出来る塗料で後から書き直したんだと思う」
…しかし上階の文字はヒトの手書きにしては機械的過ぎたし、書き直されたといえど相当古いものだった。
もしかするとミアちゃんが引き連れていったっていう遺跡の統合管理ユニット、ディゾネイターが時代に合わせて遺跡の文字を書き直してたのかな。遺跡を直せる機械なんだから、レポラインクの識別も可能だろうし。
でないと私と同じくらい古代から存在するレポラインクの文字を、現代の考古学者たちが読み解けるはずがないもの。
「…上から書いて後から消した痕跡もないし、ここだけ単純に書き直されていないだけなのかな」
「理由はわからんが、ここより先へ進めるようなら警戒しながらでも進むべきだと俺は思うぞ」
レントライトの言う通り、突破口は既に見つかっている。
何かしらの罠である可能性を常に選択肢に入れつつ、私は「そうだね」と彼女に返してから、壁のタッチ枠に左手のひらを押し付けた。
それから程なくして。
『生体認証完了。ようこそ、リズナリム・アーガスフィア様』
洗濯機構同様、この肉体情報でのアクセスは容易に承認された。
行き止まりかと思われた突き当りの石壁が左右に開いて、永らく閉ざされていたと思しきフロア…「コントロールルーム」が姿を現した。
部屋は遺跡のフロアでよく見るタイプの円形。高さは通路よりやや低めの三メートル程度で、広さは直径五メートルくらい。
かなり小ぢんまりした簡素な空間だが、部屋の中央には見慣れた質感の青白い金属板が屹立していた。
金属板の高さはおよそ一.二メートル、横幅およそ七十センチメートル、厚さ五センチメートルほど。
…私はこの光景をよく知っていた。
「この金属板…ドレステミルの地下遺跡にあった「モノリス」と同じだ」
「モノリス…何なんだそれは?」
私も遺跡の機構にはそこまで詳しくないけど、モノリスについてならレントライトに多少語れるくらいの知識がある。
「簡単に言うと、外部からアクセスして遺跡の機能を制御する装置だよ。…といってもドレステミルの地下にあったモノリスはほとんど機能を失っていたから、立ち上げ方と一部機能の使い方しか知らないんだけどね」
「…その板で遺跡の機能を操れるのか?」
「モノリスが生きていれば、ね」
見た感じモノリスの表面は傷一つなくピカピカの状態で、内部にも正常に魔力が通っている。
金属の腐食が進んでいたドレステミルのモノリスとは明らかに状態が違う。
まぁこの部屋に来られたのは遺跡の機構が生きていたからなので、遺跡の中枢たるモノリスが壊れているとは考えられないか。
私はモノリスの…どっちが表裏かわかんないけど、とりあえず前に立って表面に右手を伸ばした。
特別熱くも冷たくもない不思議な触感…まさにモノリスの触り心地だ。
軽く深呼吸して、私はドレステミルのモノリスを操作する感覚を思い出し、右手からモノリスに魔力を流した。
『生体コードによるモノリスへのアクセスを検知。コードクラス識別…「大帝」。全システムへのアクセス権限が付与されました。ようこそリズナリム・アーガスフィア様』
…アドュラ・テオト、「大帝」?
全システムへのアクセス権限なんて言葉、ドレステミルの遺跡じゃ聞いたことなかった。
本当に何者なんだろう、この肉体の持ち主「リズナリム・アーガスフィア」って。
…ともかく、これで遺跡の情報を探れる。
モノリスと直結した状態だと身体は動かせなくなるが、情報は直接脳内に流れ込んでくるので、わざわざメモを取る必要がないから楽なんだよね。
目次を開いて自ら情報を探すことも出来るけど、私は手っ取り早くこの遺跡の地図か図面がないかモノリスにこちらの要望を伝えて、該当する情報をピックアップしてもらった。
結果は見事ヒット。
現在地と内部構造、各機構の扱い方が記された立体マップを不滅のストレージに記憶した。
…この遺跡、地下に向かって広がるような構造になってる。
私達が居るのは上層も上層…下にはとてつもなく広大な機構が眠っている。
言語化が極めて難しい複雑な機構郡…マップを流し見していると、遺跡の下方表層面に当遺跡の名称と思しき文体を発見した。
現代語に訳すと「環境適応体生成プラント第八号基」。
環境適応体ってのはよくわかんないけど、字面からしてここは魔物の生産工場で間違いないようだ。
下の方には外部に通じる扉みたいな物がいくつもあるけど、完全に地中に埋まっているから行った所で意味がなさそう。
現在のフロア、または直近の出入り口がないか見てみたけれど…どうやらあの閉ざされた非常口に頼るしか無さそうだ。
地下から汲み上げられている水路がこのフロアの側を通っいるが、そちらにアクセス出来そうな扉が見当たらない。
一か八か、非常口が開くかどうか試すしかないか。
私はマップ上から非常口の開閉システムにアクセスしてみた。
すると。
『非常口、緊急ロック機構を解除しました。』
「いや開くんかい。」
「いきなりどうした。」
あまりにも呆気なく非常口が開いたため、思わずモノリスから右手を離してしまい、接続が解除された。
まぁこれでいつでも出られるようになったと前向きに考えよう、うん。
私は再びモノリスと同期して、片っ端から目についた情報をかき集めた。
しかし、想定していた以上の情報は特に発見出来ず…二時間後。
「はー、外暑っつ…」
「…突き刺すような陽射しと青空。再び生きて拝めるとはな」
毎度おなじみ、何の情緒もドラマもなく私達は非常口からあっさり脱出した。
そして情報収集の傍ら連絡を入れておいたため、イスがタイミングよくバンで迎えに来てくれて…
「ご無事で何よりですわアトラ。そして…はじめまして、レントライト・フュリウス。お会い出来て光栄ですわ」
「…これはこれは、とんだ有名人が出迎えてくれたものだな。大富豪、クインナート・ラピスマイン殿」
旅路に新たな面子を加えて、私達はオアシスへ針路をとり進み始めたのであった。
続く。




