萎えるわぁ
浴室に響き渡るシャワーの水音、頭をワシャワシャと揉みほぐすリズミカルな調子。
そして目の前に垂れる長い黒髪と…無限に出続ける赤黒い汁。
「うわぁ…流しても流しても汚れが出てくるね。かなり頑固に固まってるみたいだ」
私はレントライトの健康状態を把握する意味も兼ねて(一応彼女の中で私は主君という立場ではあるが)、上着だけ脱ぎ、率先して体の洗浄を手伝っていた。
…しかしシャワーの真下で平然と正座する姿はややシュールだなぁ。
「リーヴァーの血液は油分が多く、一度固まると水ではなかなか落ちにくくてな。二日前にマスクを外しての食事中に生き残っていた個体から奇襲を受け、咄嗟に対応したはいいものの、返り血をもろに浴びてしまったんだ」
それでもやむを得ず腐臭を防ぐためにマスクを被っていたら、血液が頭皮に付着したまま凝り固まってしまった…と、彼女は少しリラックスした声で語った。
…いい子なのに、つくづく不遇な運命を背負わされてるなぁ。
「お湯で流し続けるよりも、ソープを使ったほうが落ちやすいかな。ちょっと目ぇ閉じててね」
「御意」
髪も体も洗えるソープの蓋を開いて手のひらに適量とり、空気を含ませながら泡立たせていく。
元々浴室に残っていた香り…わりとどこにでも咲いている「ルリンデンバイツ」というお花の上品なフレグランスがふわりと広がり、鼻腔にこびりつく魔物の血と死の香りを打ち消していった。
「すー…はぁ…」
レントライトは香りの中で深呼吸を繰り返し、肩の力を抜いていた。
「…ルリンデンバイツの香り。昔はこの、あざとく尾を引く軽やかさが苦手だったが、今にして思うとなかなかいいものだな」
「そりゃ魔物の腐臭と比べたらねぇ…」
ガスマスクも完全に臭気を遮れるものではないしね。
臭気や毒素をキャッチ出来るフィルターにも限度はあるし、食事を行う際にどうしても外さなきゃいけないから、魔物が放つ強烈な腐臭を防ぐことは難しかっただろう。
本当によく生き延びていたものだ。
私は慰労の意を込めて、たっぷり膨らんだ泡でレントライトの頭を包み、頭皮の汚れに馴染ませた。
「でもあの魔物の数は異常だったよね。主にリーヴァーが多かったけど、そもそもどこからやってきてたの?」
「…天井からだ。毎日陽が沈んだ後から日を跨いで夜明けまで、それから一時間ほど空けて早朝から陽が沈むまでの間、合計三千匹の魔物がおよそ五十ずつ、束になって降ってきていた」
それからまた一時間置いて、日暮れ後から翌日朝まで…と、一日たった二時間の休息を挟みながら戦いを繰り返していたという。
単純計算だと八日間で合計二万四千匹もの魔物を一人で相手にしていたことになる。あまりに驚異的な戦闘能力だ。
しかも死骸の中には大型の熊型魔物、ブロッドルベアの姿が数十体確認できた。
私が知る限りブロッドルベアは縄張り意識が強く、リーヴァーなどの獲物となる小型魔物と共存しているなんて生態、一度も聞いたことがない。
知能も動物の熊よりも低く、故意に小型魔物を繁殖させて家畜のように飼育していたとも考え難い。
だとすればあの魔物群はいったい…。
「…そう言えば魔物達が降ってくる直前、部屋に謎の文言と思しきヒトの音声が流れていたな」
「えっ?」
「言語かどうかすら怪しいものではあったが、けたたましい音量だったので目覚ましに丁度良かったんだ。…あの部屋でしか鳴らないのかもしれないが、もうそろそろ流れ始める時間だな」
遺跡に鳴り響くヒトの音声…魔物の謎を解く鍵になりそうだ。
私は手についた泡を振り払い、急いで浴室の出口に向かった。
「ごめん、ちょっとその音声聞いてくる!」
「一人では危険だ。俺も同行する」
「や、だいじょぶだから、あなたは汚れ落としと休息に専念してて」
なりふり構わず全裸でついてこようとするレントライトを制止して、私は裸足のまま休憩室を飛び出した。
音声が流れる正確な時間がわからないから、一度聞き逃すと次の日の朝か、丸一日待たなければならない。正直それはダル過ぎる。
通路を右に曲がってまっすぐ、左の壁を開いて更にまっすぐ進み、死骸で溢れた大広間の扉を解除した。
「はぁ、はぁ…体、おっも…」
魔力を門の治癒に全振りしてるせいで不滅の効果が弱まり、出血した分の血液がまだ再生出来ていない。貧血気味でのダッシュは流石に堪えるなぁ…。
大広間には踏み入らず、扉を開いた状態で外から様子を伺う。
壁に背をもたれさせて息を整え、待つこと約三分。
突如大広間に「ビーーッ!」とアラーム音が轟き、遺跡全体が鈍く振動し始めた。
そしてその直後。
『第七生体ライン生産終了。全六十四保管庫より生体の搬出を確認。生体格納シーケンスに移ります、安全のため職員は保管庫より退出して下さい。繰り返します。生体格納シーケンスに移ります、安全のため職員は…』
レントライトの言っていた通り、けたたましい音声が大広間の中から響いた。声質は澄んでいて、若い女性のものと思われる。
…この遺跡の壁に刻まれた言葉と同じ時代の音声言語だ。
危険を報せるアラーム、注意を促す放送、そして…大広間中央の天井が開き、次々と飛び込んでくるリーヴァーの群れ。
私は急いで大広間の扉を閉めて、外側からロックをかけた。
足早に通路を戻りながらもちゃんと施錠を忘れず行い、休憩室に飛び込んだ。
「…はーっ…」
休憩室の扉もしっかり施錠して指差し確認を行い、私はふらつきながら浴室へと戻った。
「ただいま…」
「む、無事だったか」
言いつけ通りに頭の汚れを揉み洗いしていたレントライトは、赤黒く染まった泡をシャワーで洗い流し、頭皮に汚れが残っていないか触れて確かめていた。
洗剤を使ったおかげか、リーヴァーの血液は綺麗に落ちているようだった。
私は深呼吸して早まった鼓動を落ち着けてから、レントライトの背後に歩み寄った。
「走り疲れはしたけどね。でも、行ってみた甲斐はあったよ」
再びレントライトをしゃがませて、細長く裁断したタオルを濡らし、ソープを泡立たせてから引き締まった背中に触れた。
摩擦はできるだけ少なく、それでいてパイルが汚れを絡め取りやすい力加減で円を描くように洗っていく。
…魔物と少量の水しか腹を満たす食料が無く、極限状態での戦闘を強いられ、なおかつろくな休息も取れていないため筋肉は痩せ劣り、肩甲骨や鎖骨が鋭角に浮かび上がっている。
到着があと数日遅れていたら手遅れになっていただろう。間に合って良かった。
しかし、老廃物や凝固した血液があちこちにこびりついているものの、肌自体に傷は付いていないね。
感染症や病の特徴も見受けられない。
この様子なら栄養をとってゆっくり休めば二、三日で回復するだろう。
「…それで主よ。文言は聞き取れたのか」
レントライトの健康チェック兼洗浄を進めていると、彼女が眠たそうな声で聞いてきた。
「うん、私が理解できる言語で話してた。内容はとても事務的で、録音された音声を流してるだけっぽかったけど…この遺跡と魔物の関連性についてわかったことがあるよ」
「ほう。聞かせてくれ」
腰から脇腹にかけてタオルを滑らせていくが、レントライトは全くくすぐったがらない。動かないから洗いやすくはあるものの、リアクションしないのは少しつまらないね。
私はそのまま話を続けた。
「放送の中で「第七生体ライン生産終了」とか「生体格納シーケンス」って言葉が出てきて、その直後に大広間の天井から魔物が降ってきた。どういう原理かは知らないけど、つまりこの遺跡は意図的に魔物を生産していて、あの大広間は生まれたばかりの魔物を格納しておくエリアだったのだと私は考えてる」
「意図的に魔物を…そんな事が可能なのか?」
「私も聞いたことないよ。…いや、正確には「意図的に生物を生産する技術は数え切れないほど知ってるけど、遺跡が魔物を生産しているというケースは知らなかった」って言うべきかな」
いつのどの時代でも、ある程度知能を得た生命体は「意図的な生物の生産」に着手していた。これ自体は特に珍しい話ではない。
だがそれを遺跡が行っているとなると話は別だ。
もしこの遺跡が私の時代から同様に稼働し続けている場合、ダムデルに存在する魔物及び生態系に、古くから直接関与していた動かぬ証拠となる。
「しばらく休んだら出口を探りながら軽く調査してみよう。ここの遺跡について更に何かわかるかもしれないしさ」
「そうだな。情報は多いに越した事は無い」
神々よりも歴史が古く、誰も知り得なかった遺跡の真の役割。
その一旦に触れられたなら間違いなく世紀の大発見となるだろう。
まぁ別に手柄が欲しいわけじゃないし、己が飽くなき知的好奇心を多少刺激する程度に留めておくけどね。
考古学者の生き甲斐を奪う老害にはなりたくないからさ。
「(今回は遺跡の見取り図が見られれば万々歳ってとこかな。運が良ければ遺物を回収して、イスへの手土産にしよう)」
従者のごとくレントライトの全身を清め、剥離した汚れとともに泡を洗い流す。
汚れが落ちると彼女の肌はより一層美しく、まるで一度も傷を負った経験がないのではと錯覚するほどつるんとしていた。
「あれだけの魔物を相手にして傷一つないなんて、よほど腕が立つんだね」
「いや、怪我は数え切れない程負ったぞ。都度治癒魔法で治療していただけだ」
「へえ…それは凄い。自己治癒は治癒魔法の中でもトップクラスに扱いが難しくて、私でもまともに出来たことないのに」
傷すら残らないレベルの治癒魔法なんて、魔法全盛期にも片手で数えられる程度しか存在しなかった。
ましてや自己に対する治癒魔法は総じて効果が薄く、馬鹿にならないほどの魔力を消費してしまうのに。
故にかつての治癒魔法使い達は自身の傷を癒やす回復薬や、世界の理を崩すレベルの禁術を生み出してしまったという歴史があるのだが…まぁ、これは置いといて。
私の場合は魔力結石の症状と不滅の効果が相まって、より自己治癒し辛かっただけかもしれないけど、それでもレントライトの技術は確実に今の私をも凌駕している。
「…魔力の総量は平均的なのに、治癒魔法を使ってもなお潤沢な量の魔力が残ってるね。よほど魔力の管理が上手なのか、治癒魔法の適性がかなり高いのか…あるいはその両方かな」
「治癒魔法を覚えたのは七歳の時…当初は加減がわからず、幾度も謎の腹痛に見舞われてな。それが嫌で試行錯誤を重ねるうちに効率よく運用する術を学んだのだ」
「あー、門の傷みからくる痛みだね。新米魔法使いあるあるだよ」
たった十二年そこらで自己治癒と完全治癒を使いこなせてるなんて、どれほど鍛錬を重ねたのか想像もつかない。
元々治癒適性ないのに無理矢理習得して、特に鍛えもせずダラダラ生きてきた私とは大違いだ。
「…お、浴槽のお湯もいい感じに溜まってきたね」
浴槽に八割ほど張られたお湯に手を浸けて温度を確認する。
レントライトが自身で設定した温度は三十八度。お風呂のお湯としては少しぬるいが、じっくり長く浸かるにはちょうどいい。
「うん、温度も大丈夫そう。後は好きなだけ浸かって、身体の緊張を解しておいで」
「主は入らないのか?先程の戦闘で転がった際、着衣や肌に汚れが付着したようだが…」
そういえばレントライトの攻撃を風魔法で避けた後、着地時に汚れた気がする。右腕の袖部分も斬られてぱっくりだし、私の血が付いたままだし。
完全に乾いて落ちにくくなる前に浸け置き洗いしたほうが良さそうだ。
「せっかくだから洗濯ついでにシャワー浴びようかな。タライ…とかは無さそうだから、あなたの服も一緒に流しに浸け置きしとくね」
「何から何まですまないな」
レントライトは素直に浴槽に入り、飲み込まれるように肩までお湯に浸かった。
彼女が不意に漏らした安堵の吐息を聞き届けて、カゴに入れられた汚れまみれのレントライトの服を携え、私は浴室から出た。
「…洗うとは言ったものの、流石に流しに二人分の服は浸けられないよねぇ」
私は洗濯カゴを持ったまま再度部屋を見渡す。
浴室から見た右側…調理機構に流し、本棚が置いてあるスペースに見落としはなさそうだ。
が、ソファが置いてある左側…浴室の扉から左に位置する1/4程度の空虚なエリア。不自然なまでに物が置かれておらず、遺跡本来の様相を呈したままの場所がある。
単にミアちゃんが部屋全体をコーディネートする気がなくてそのまま放置していた可能性も多いにあり得るけど、休憩室単体でここまで生活に関する機能が充実しているのなら、衣類の洗濯が出来る機構が存在してもおかしくないのでは?
「見た感じ壁に機構や回路はなさそう…触ったら反応しないかな?」
一旦洗濯カゴを置いて、手始めに浴室の隣から壁にベタベタ触れて回る。
…しかし浴室側の壁は特に何も反応しなかった。
次いでコーナーを曲がり、一見何もない壁に手を伸ばした。
すると。
『ランドリーシステムの使用には生体認証が必要です。タッチパネルに触れて生体認証を行って下さい』
「わっ、びっくりしたぁ…」
いきなり室内に古代語のアナウンスが流れて、ちょうど触れた場所に四角いタッチパネルが浮かび上がった。
現代の言葉で「ランドリーシステム」と呼ばれている機構…やっぱりここには洗濯機構が存在したんだ。
にしても洗濯機構を使うのに「生体認証が必要」って、ちょっと大げさ過ぎやしないかな?
そもそも何を以てして使用許可が下りるのかわかんないけど、とりあえず認証するだけしてみよう。
私はタッチパネルにぺたりと手のひらを押し付けた。
『認証中…認証中……生体照合完了。ようこそ、リズナリム・アーガスフィア様』
「…はい?」
なんかわからんけど、認証に成功したらしい。
聞き覚えがない…はずなのに、どこか聞いたことがある人物名らしき宣言の後に壁の中央がパカッと開いて、タッチパネルにランドリーシステムの操作コマンドが浮かび上がった。
「…リズナリム・アーガスフィア…」
アナウンスで流れた名称を口に出して繰り返してみる。
が、不滅になってから私が記憶した物事の中に該当するものはない。
だとすれば私が不滅になる前に聞いたのだろうか。
何かが記憶に引っかかりそうで、何も引っかからない。もどかしい気持ちになるね。
…しかし新たな情報は得られたわけだ。
この肉体の本来の持ち主は遺跡に生体情報を登録してて、「リズナリム・アーガスフィア」と呼称される存在だということ。
現段階では可能性に過ぎないけれども、別の遺跡で生体認証を行った際に同様の結果が得られたらならば、この肉体の人物が「リズナリム・アーガスフィア」なる人物であるという信憑性が高まるだろう。
そして「リズナリム・アーガスフィア」の情報が得られれば、リズナリムが不滅になる前のことや、私という人格がどうして生まれたのかわかるようになる…かな。
図らずも手に入った貴重な情報。知識に貪欲な私としては嬉しいんだけどさぁ…。
「相っ変わらず重要そうな情報が何の情緒もなくポロッと出てくるのは、冒険活劇好きとして萎えるわぁ…」
新情報と洗濯機構を手に入れ、複雑な感情に飲み込まれながらも、私はタッチパネルの「いたわり洗濯コース」を選んで服を脱ぎ、レントライトの衣類と共に壁に放り込んだ。
そして空になった洗濯カゴを携えて、半笑いで浴室へ向かうのであった。
続く。




