亀裂
肺呼吸で生きている生物を苦しませながら殺すには、水を用いるのが一番手っ取り早い。布を顔に被せて水を流しかけ続けるだけでも十分だが、全身を包み込み、絶えず駆け巡る水流に抵抗すら出来ず、無様に藻掻く様を眺めるのは最高に楽しい。
水流を多方向に流して身体を引き裂くのもいいけど、あたしを下級奴隷呼ばわりしたクソ女には、なるべく長い時間苦しんで貰わないとね。
「っ…ごぼっ…」
「(ッ…!)」
金髪女はまだ余裕があるみたいだけど、獣の方は水流に絶えられず息を吐き出したようね。さて、ここからがお楽しみの
「なーにやってんのォ?」
「…は?」
苦悶に沈む獣を眺めていたら、いきなり背後に人の気配が出現した。同時に右肩に鋭い痛みが走る。
「ぎっ、ぃあああ!!?」
「おやおやァ?アーちゃんはこの程度の怪我でそんなみっともない声を上げたりしない子なんだけどな」
誰だ?あたしは一体何をされた?
急いで右肩を触ってみると、そこには見覚えの無い小さな刃物が突き刺さっていた。
痛いなんて感覚、しばらく味わっていなかった気がする。そのためか魔法の操作から意識が外れ、水流は急速に収縮して跡形もなく消え去った。
「っげほ…っげほ…っ!」
「テティス!」
水流から解放された獣は酷く噎せ込んでいたものの、二人ともまだ息があるどころか、ほとんどダメージすら負ってない。
邪魔が入るタイミングがあまりにも早すぎたんだ。
そもそも誰なの、あたしの邪魔をしたのは…っ。
「っ!?」
いきなり足に力が入らなくなり、あたしはその場に崩れ落ちた。次第に指先が痺れ始めて、自分の意志で体を動かせなくなってしまう。
「痺落竜の麻痺毒が効いてきたみたいだね。これ効果時間は短いけど、即効性に優れてるから重宝してるんだよねェ」
やけにもたついたイライラする口調で目の前に姿を現したのは、悪魔のように凶悪な風貌の女だった。
黒髪の悪魔女はあたしの肩に刺さったままのナイフを指で弾き、毒が塗布されていた事実を打ち明けた。
「はっ…っあ…」
辛うじて言葉は発せられるみたい。意識は嫌になるほどはっきりしてるし、呼吸も出来てる。でも魔力の流れが止まってて、何の魔法も発動できない。
「あ…ん、たはっ…いった、い…」
「アッハ、それはこっちのセリフだよォ。…お前こそ誰なんだ?」
ヘラヘラしてた悪魔女の態度が急変して、冷めた問いかけと共にナイフの柄尻をグッと踏みつけてきた。
「っ〜〜がっ!!?」
右肩に激痛が走った。全身麻痺してるのに感覚は生きているみたいで、声にならない声が漏れ出す。
「ボクがパライザードじゃなくてよかったねェ。もしそうだったら今頃キミは体中に長い舌を突き立てられて、穴だらけにされてたよ」
「〜ぐ、ああっ!!」
さっきよりも痛みが増してるように感じるのは気のせい?それとも別の毒か?
もし毒で痛覚が鋭敏になって来てるんだとしたら、まともに意識を保っていられない…ッ
「…おやめなさい」
「なんよイスちゃん。こいつガワはアーちゃんだけど、中身は全く違う奴じゃん?」
「…テティスを救っていただいた事には感謝いたしますわ。ですがこの体は、アトラの体ですのよ」
「アーちゃんの体だからだよォ。どうせ傷は不滅の効果で治るし、正気を取り戻させるには古来から痛みを与えるのが効果的だって言うでしょ?」
痛みが広がるなか、金髪女と悪魔女が口論し始めた。
意味ありげに割って入ってきたから金髪女の仲間なのかと考えたけど…違うのか。
話の内容についてはあたしが知るところじゃない。でも言い合いが長引くなら好都合だ。
悪魔女はさっき、麻痺毒の効果が短いと言ってた。実際にあたしの指先は徐々に麻痺から解放されつつある。
痛みは…当然簡単には消えない。けど不思議とだんだん慣れてきた。
慣れてきたってゆうか、体が痛みを思い出してるような感覚。
あたしの記憶には無い痛みのはずなのに…まあ、もうどうでもいいわ。
「ッ…よくもやったわね」
麻痺効果切れで魔力の流れが再開し、即座に水魔法で肉体を活性化。痛覚を鋭敏にしていた毒を完全に打ち消し、傷口からナイフを引き抜いてその場に捨てた。
肉体活性の効果で傷口は瞬く間に塞がり、ほぼ襲撃を受ける前の状態に戻った。
「あーホラ、イスちゃんがグズグズしてるから起きちゃったじゃんかァ」
「お黙りなさい。…彼女がアトラであろうとなかろうと、まず会話を試みてからでも遅くはありませんわ」
「さっきからアトラアトラってうるさいわね。あたしはそんな名前じゃないし、あんたたちなんか全然…」
知らない。
そう口にしようとした刹那、擦り切れて不明瞭な記憶が一瞬視界を横切った。
『…ァトラ………ゼ……ヴュ…ド………』
「つっ…!」
鈍い頭痛を伴い見えたビジョンはほとんど真っ黒だった。しかし同時に聞こえてきた幼い子供の声…前後の言葉の繋がりはわからないものの、記憶にある単語で補完すると…こういった文言になる。
『天に誓う不滅の誓い』
「うっ…あ、あっ…」
謎の言葉を頭の中で再生すると、鈍痛だった頭の痛みが次第に重く、酷くなってきた。
邪魔に入った悪魔女もろとも皆殺しにしようとしてたってのに…ほんともう…わけわかんない。
あたしの意識はたちまち頭痛に飲み込まれ、ハンマーで殴られたような衝撃を痛感しながら意識を手放した。
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同刻。
急に人が変わったようにわたくし達に敵意を向けてきたアトラが、突如頭を抱えて苦しみ始め、僅か数秒で意識が途切れたかのように膝をカクっと折りました。
「アトラっ」
長引いていた下らない口論を破棄して、前傾していくアトラの体を抱き留めました。
ズシッと腕にかかる重さ…先程までの威圧的態度は発せられておらず、完全に脱力しているのがわかります。
どうやら気を失ったようですわ。
「アトラ…一体何が起きていたんですの…?」
「さぁねェ。詳しくはボクにもわかんないケド、ひとつ確かに言えることはあるよ」
奴はアトラを傷付けたナイフを手にすると、わたくしに背を向けて臨戦態勢を取りました。
次の瞬間、ほんの微かに吹いた風のような波動を肌に感じた直後。
常に共に在るはずの天地成獄の秤、ネティとポティの気配がブツッと途切れました。
「ッ!」
他にも、所持及び常時発動している遺物の効果が軒並みたち消え、遺物により抑えていたわたくしの中の魔物…トラゴンの本能が疼き始めました。
とてもではありませんがまともに立っていられず、テティスとアトラのすぐ傍に膝をついてしまいました。
「はっ…はぁ……っ」
「イスさん、大丈夫ですか?」
ずぶ濡れながらも体調が回復したテティスに寄り添われ、殊更本能が刺激される。
…ですが、こんな形で醜い自分を晒したくありません。
理性で本能を抑え込むことに集中するため、わたくしはアトラとテティスから視線を外しました。
「っ…大丈夫ですわテティス。ご心配なく…っ」
「イスちゃんの様子を見る限り、やっぱここにはアレが存在してるみたいだねェ」
…こいつの声を聞いたらたちまち本能が大人しくなりましたわ。
やはり憎悪の力とは凄いものですわね。
しかしうっかり気を抜くと再び本能に飲まれてしまいそうになるので、わたくしはアトラが作り出した果てしない更地に視線を向けて、気を紛らわせました。
「…なんですの、アレとは」
「ボク、最近アーちゃんから古代言語を習っててねェ。そのお陰で遺跡に対する解像度が他の考古学者よりだいぶ深まって、イスちゃんの数段上を行くレベルに」
本能を刺激されないぶん気が楽ではありますが、それ以前にこいつの話は単純にむかつきますわね。
「…長ったらしいですわね。つまり何が言いたいんですの?」
「イスちゃんは不思議に思ったこと無かった?ごくたまにある、存在するだけで周囲の生物や環境に影響を及ぼすほど強力な効果を持った遺物が、遺跡の外に効果を及ぼしていないのかって」
…遺物は基本的に生物、主にヒトの手に渡ることで効果を発揮するものがほとんどですわ。
ですが確認されている遺物の中には、その遺物が存在する遺跡に侵入しただけで効果にあてられる強力なものもあります。
現在に至るまでは、遺跡が持つ封印作用などで封じられていると考えられて来ましたが…こいつの口振りから察するに、違うようですわね。
「それともうひとつ。いくら遺跡が超常的とはいえ、アーちゃんと同じくらい昔から存在しているのに、何の手入れもしないまま未だ機能し続けてるのはおかしいと思わない?」
…遺跡は人智の及ばない技術と未知の素材で構築された建造物。
最古の人類であるアトラですらその根源は知っておらず、メンテナンスを行える者などこの世に居ないはずですわ。
ですが奴の、考古学者として得た知識から来る言動を素直に受け入れるなら、太古より現在に至るまで、遺跡を維持管理してきた者の存在を示唆している…?
そしてそれは、遺物の効果を外部に漏らさない為の妨害装置、もしくは遺物を所持している可能性が高い。
「…遺跡には、管理者と称して差し支えない者が存在しておりますの?」
「だいたいそんな感じだね。今はもう見る影もないケド、ただの工業都市だったクレイオルデンが放棄され、異形の魔物が住み着き、途方もない時間が経ってるのに、未だ都市としての形を保っていたのはあまりにもおかしい…それはつまり、コイツの存在をより明確にしてるってコト」
奴が親指で示した場所、立ち位置的には奴の隣ですが…一見何もおりませんわ。
ですがドラゴンの本能が解放されつつある今、温度を視覚として捉えられる能力を発動してみると…奴の示した場所には、片膝立ちで俯いた流線型の人型機械がおりました。
「っ!?」
まるで霞の中の幻影を見ているかのような不気味な気配。
確かに存在するのに存在感がまるでない未知の機械にたじろぎ、わたくしは言葉を失いました。
続く。




