彼方の君
何も見えない深い闇の中、意識だけが浮遊している。
確か私はアウードュラの呼びかけに応えて、彼の所へと向かったはずだった。
彼以外に魔物の気配は無く、襲撃を受けて肉体にダメージを与えられた訳でもない。
なんの前触れもなく、突然意識だけが肉体から乖離した。
神の膝元に召喚された時の感覚ともまた違って、地に足がつかないまま、呆然と漂っている状態だ。
「(手足の感覚がない…魔法も発動できない。何が起きてるのかもわからない…)」
藻掻こうにも藻掻けない、暗闇に浮遊するだけの意識。
どうしたら復帰できるだろうか…周囲に意識を向けても光明は見えず、私はひたすらに静寂と漆黒に飲み込まれ続けていた。
----------------
「―――ッド!」
突然意識がはっきりとしたかと思ったら、あたしは何故か空を飛行していた。
「……は?なにこれ、あたし飛んでる?てか何処なのよここは」
ルフトグランオの中とはかけ離れた、ボロい廃墟がどこまでも続く街を見下ろして、あたしは自分の手のひらから腕にかけてじっくり眺めた。
「なんなのこのダサい服…悪趣味ね、誰がいつ着せたのよ」
変な服を着て飛行していること以外、体に異変はない。
…いや、飛行していることが最大の異変だわ。
「どういうことなのよこれ。…リヴ・セルヴス全機構解放済みになってるし、ルミスの貯蔵量も圧倒的に増えてる。訳解んないんだけど」
あたし達の肉体に生来より備わる、八つの門からなる万能補助機構、リヴ・セルヴス。
解放試練が面倒臭くてひとつも開いてなかったのに、どういう訳か最終関門まで完全に開ききってる。
まるで誰かがあたしの身体を勝手に使ってたみたいな、気持ち悪い感覚だわ。
「それにこの言語…全く知らないはずなのに不思議と理解できるわね。運廻、魔法の門、魔力…風の門」
これら以外にもいくつか意味を知る言葉は覚えてるみたいね。
わらないことだらけで頭が混乱してるけど、あたしはファロの…風の出力を調整しつつ地面に降下した。
着地寸前になると砂塵がブワァッと舞い上がり、不意に吸い込んで酷く噎せてしまう。
「っげほっ、げほっ!」
心底最悪の気分だわ。
なんであたしがこんな劣悪な環境に置かれているのか、過程が全く思い出せないわ。
あたし……あたしは………あれ、なんて名前だったっけ。
運廻と呼ばれる地下の居住区ルフトグランオ、そして万能補助機構リヴ・セルヴスについては知ってるのに、それ以外の記憶が著しく曖昧だわ。
意識がはっきりする直前に何か叫んでいた気がするけど…思い出そうとすると、頭の中にモヤがかかる。
「ほんと訳わかんない…イライラするわね」
判然としない状況にフラストレーションが溜まる。
感情が上手く制御出来ず、無性に心がザワついてきて…あー…なんか何もかもブッ壊したくなってきたわ。
「…イラつく。あああイラつくイラつくイラつく。」
腹の底から湧き上がる破壊衝動に身を委ね、あてにならない記
憶なんか無視して本能のままに魔法の門を一斉に全門解き放つ。
火、水、地、木、風、光、闇、天。
属性同士が共振と反発、干渉と肥大を繰り返し、互いに影響し合うことで体外に漏れ出す程の膨大なエネルギーへと昇華させる。
「くっ……ああああああああ!!」
ズドオォォォォオオオオンッ!!
極限まで高まったエネルギーを波動に変換し、周囲に向けて思い切り暴発させる。
するとあたしの身体を中心に発せられた波動が瞬時に地を伝い波及していき、ボロい建物も空高く浮かぶ雲さえ、跡形もなく吹き飛ばした。
「はぁ…はぁ……っ」
波動がどこまで影響を及ぼしたのかはわからない。
ただあたしの視界には果ての見えない更地と化した、平らな大地だけが映っていた。
「はぁっ…はぁ…っふふ、ふふふふっ…」
何もやり遂げていないのに妙に誇らしい気分になり、空虚な笑いがこみ上げてくる。
しばらく一人で笑っていると微かに眼前が揺らぎ、意識が途切れそうになった。体内の魔力が尽きたのか、それとも全く意味を成さない純然たる破壊行動に満足したからか…イライラは多少収まっていた。
あたしは仰向けに倒れ、突き抜ける青空を睨みながら、新たに生まれ出る倦怠感を受け入れ始めていた。
「はぁーあ…なんか前にもこうして、何の前触れも無く癇癪を起こした気がするわね」
はっきりとは思い出せないままだけど、あたしは今みたいに突然何もかも破壊したくなって、行動を起こした事があったと思う。
もちろん今みたいに全門解放して暴れたわけじゃない。でもあたし自身の力で何かを破壊した…それは間違いないわ。
魔法の門よりももっと簡単で強力な力をあたしは持ってたはず。
しばらく考えてみたけど…ダメね、全然思い出せないわ。
じっとしていたから魔力は徐々に回復しつつある。目眩は既に感じなくなっていたから、ゆったりと身体を起こして首を捻った。
すると、遠く前方から砂埃を上げてこっちに来る赤い影が見て取れた。
見る限り横の積載量を増やしたバイクのようだけど…見たことのない型式だわ。
それにとても…下品な色合い。紅色って好きじゃないわ。
バイクはあたしに近づくにつれ速度を落とし、やがて目の前で止まった。
バイクに乗っていたのは、酷く下品な鎧を身に付けた巨大な金髪女と、派手に着飾った何かしらの獣。
頭用の防具を外してバイクを降りた女は、あたしの顔を見ると同時に膝をついて目線を合わせて来た。
「アトラ、ご無事ですの!?」
「は?」
アトラ、天の門を指す言葉。
なんでこの女はあたしをそう呼ぶのか、意味がわからずあたしは顔をしかめた。
すると女はあたしの頬に手を伸ばし、心配するような視線を向けた。
「本来の作戦を無視してこちらに向かっている最中、いきなり大爆発が起きてクレイオルデンのほとんどが消し飛んでしまいましたが…一体何が起こったんですの?」
こいつは何を言ってるんだろ。作戦とかクレイオルデンとか、全く意味がわからない。
「あんた何言ってんの?つか誰なのよ」
「え?…アトラ、何かの冗談ですわよね?」
「だからアトラって何よ。あたしはそんな名前じゃなかったわよ」
あたしはアトラなんてありふれた名称じゃなくて、もっと高貴で誇り高い名を持っていたはず。
…ああもう、一向に記憶がハッキリしなくてもどかしい。
あたしは女の手を叩いて退け、怯んだ隙に立ち上がった。
「ま、あんたが誰だろうが興味無いわ。用が無いなら、さっさと消えなさい」
「…アトラ、わたくしはともかくご自身の名前すらお忘れになりましたの…?」
「もしかすると先程の爆発の影響で、一時的に記憶が混乱しているのでは…?」
二人はあたしを置いて勝手に話を進めてる。無視されてるみたいで気に食わないわね。
つかこいつら、あたしを誰かと勘違いしてる?
あたしはこんな奴ら微塵も知らないってのに…馴れ馴れしいわね。
「あんたたち、あたしの新しい下僕候補か何か?」
「いえ、わたくし達はアトラの仲間ですわよ。クインナート=ラピスマイン、イスですわ」
「ティス・テ・ティス、テティスですよ」
「知らないわ。どっちも変な名前ね」
どんな名前がメジャーだったかとかあんまり記憶にはない…でも、こいつらが口にした名前の響きからは違和感しか感じられなかった。つまりこいつらの名があたしに馴染みのない言葉の羅列で構成されてるってこと。
「…で、なんであんたらはあたしを執拗に「アトラ」って呼ぶわけ?それはあたしの名じゃないわよ」
「けれどあなたは、確かにわたくしが知るアトラですわよ。アルトレイシア・ソダム」
…は?
こいつ今、あたしに向かって「ソダム」って言いやがったか?
「…誰が、ソダムだって?」
「あなたですわ」
…はー。
なんなんマジで。
わけわからん時に、わけわからん所で、わけわからん嫌いな格好の奴にいきなり「ソダム」呼ばわりされるとか。
よりにもよって、このあたしに向かって…ッ!!
「…ブッ殺す!!」
「ッ!?」
頭に血が昇るよりも早く、あたしは火の門を開いて女の顔面に爆発的な豪炎を放射した。
思わず身体が後退する程の威力…だが女はすんでの所で炎をかわし、あたしの怒りの炎は虚しくも空を焼いただけだった。
「チッ、避けてんじゃねえよクソ女」
「おやめ下さいアトラ、本当にどうしたのですかっ?」
「るッせぇな、だからあたしはアトラじゃねえっつってんだろうがよ」
怒りのままに怒鳴りつけると、女の表情は困惑と畏怖に染まった。獣の方もほぼ同じ状態。あたしが攻撃してくるとは全く想定してなかった様子だ。
苛立つことに変わりはないが…あまりの滑稽さに笑えてくる。
「まあいい、てめぇら二人まとめてじっくり傷めつけながら殺してやる」
次は水にするか地にするか…せいぜい無様な悲鳴を上げて、自分の死を飾り立てるんだな。
尻込みする女と獣に手のひらを向けて、あたしは水の門を開いた。
「このあたしを下級奴隷呼ばわりしたこと、死ぬほど後悔しながら死にやがれ」
あたしは全てを飲み込む鉄砲水を二人の足元から召喚し、複雑に暴れ狂う水流で身体全体を包み込んだ。
…さあ、楽しい楽しい虐殺の始まりだ。
続く。




