金は天下を回すもの
セス=レモア。
ダムデルの最西端に位置する大陸であり、国土のほとんどが手付かずの自然に囲まれ、今も古代の面影を感じられるエリア。
古より南西の樹海に佇む永世独立国家ドレステミルを首都とし、エリア全域に凶暴な魔物が蔓延るため、駆け出しの冒険者には渡航勧告と共に、魔物避けの術式が施された町と街道から絶対に外れないよう警告している。
危険度はさることながら、潤沢な鉱物資源や各種貴重素材が数多く存在する。
別名:最古の秘境
推奨冒険者レベル:250~
「…やべぇとこじゃん、ここ」
骨鎧狼の縄張りに不用意に踏み込んだせいで襲われ、なんとか撃退出来たのはいいものの、もはや景色を眺めながら歩く気分ではなくなり、イスのバイクで街道を走ること約二時間。
私たちは北東の小さな宿場町、ミールへと辿りついていた。
硬質石材で出来たのドレステミルとは違い、暖かみのある暖色レンガと木組みの建造物が建ち並ぶ、絵本に出てくる少女とかが住んでそうな可愛らしい町だ。
現在、イスは用事があるといってこの町のギルドへ向かった。私は特にすることもないので、適当にぶらついてたらふと本屋が目につき、吸い寄せられるように入店して、入り口付近に置いてあった無料のガイドブックを立ち読みしていたところだ。
「えーと、地図を見る限りここがドレステミルで、今居るミールがここ…帝国までは、まっだまだかかりそうだなぁ」
海を表す青く細長い長方形の中に、島を表す緑色のパーツが不規則に配置された「ダムデル世界地図」とやらを眺めて呟いた。
帝国はセス=レモアの東側、アステリア大陸のやや東南に位置しているようだ。
隔絶海層に最も近いとされるのは、帝国より南の海岸沿いにある突出したエリアで、そこから隔絶海層まで約三万kmと、イスが語った通りの距離が表示されている。
それでもアステリア大陸の北端から南端までを計測しておよそ1/3程度。東西距離を計測すると…考えたくもない距離になりそう。
この世界は、あまりにも広大すぎた。
「…うん、見なかったことにしよう」
私はガイドブックを一部頂いて、ひとまず店の外へ出た。すると。
「あれ、アトラさん?」
「んぇ?」
目の前を通りかかった青年に急に声をかけられ、間の抜けた声が出てしまった。
顔を上げて青年を見据える。
歩みを止めてこちらを見つめていたのは、精悍な顔つきの、見覚えがある剣士姿の青年…
「あなたは…九日前にクセイル窟を案内した、3人パーティの剣士の人?」
青年は笑顔で首を縦に振り、歩み寄ってきた。
「覚えていてくれたんですね。それにしても、どうしてアトラさんがミールに?ドレステミルから出られなかったはずじゃあ…」
青年は私の事情を直聞きした人物だから、いっそう怪訝そうに尋ねてきた。どうやら私が町から出た事は、まだ噂になっていないようだ。
「えーとね、実は」
「それはわたくしがアトラを身請けしたからですわ」
通りの西側から、高圧的なニュアンスを含んだ上質な風が吹き抜けた。風上には腰に手を当ててポーズをとる、紅鎧マント姿のイスが佇んでいた。
彼女はいつになく不機嫌そうにムスッとして、ブーツの踵をカツカツ鳴らしながら青年に詰め寄る。
「ところであなた、わたくしのアトラに何かご用で?」
「えっ…い、イス様!?」
「わたくしのアトラ」発言には目もくれず青年がたじろぎ、声を上げると、他所を向いていた市中の視線が一斉にイスへと向けられる。
「イス様だ…」
「えっ、本物?なんでこんなクソ田舎に…」
「マジかよ、初めて生で見た」
ざわめきと共に町人たちが詰めかけ、私と青年はあっという間に人混みに紛れ、モブ化してしまう。今なら背景にだって溶け込めそうな気がした。
まぁそんなわけにもいかないので、私は青年と共に人混みの輪から外に脱出して、少し距離を取ったところにあるカフェテラス席に座った。
「あー、危うくぺしゃんこにされるところだった」
「アトラさん小柄だから、洒落にならなそうだね…」
苦笑する青年と和やかに会話しながら、周囲に目を配る。どうやらこの店の客はおろか、店員までもが仕事そっちのけでイスの所へ行ってしまっているようだ。
当方人見知りゆえ、誰も注文を伺いに来ないのはむしろ好都合だがね。
私はテーブルに頬杖をついて、空いた方の手で人混みに隠れたイスを指差した。
「ねえ剣士君、あのイスって名前の女性のことなんだけどさ、そんなに有名な人なの?」
「彼女は有名なんてものじゃないさ…情報規制が著しいドレステミルの住人以外は、みんな彼女の存在を周知していると思うよ」
「ほう…そりゃまた大きく出たねぇ」
こちとら先程ダムデルの規模と北部の人口を知ったばかりなんだ。
去年の暮れに集計されたばかりの北部総人口数は、約46億3千万人。
うちドレステミルに住んでいるのは私含め、たった463人。
およそ46億もの人に周知されるなんて、世界規模の偉業を成し遂げた者か、希代の凶悪犯罪者にしか成し得ないと思うけど。
「何せ永世独立国として加盟を拒否したドレステミルと犯罪者を除く全人類の税金を肩代わりして、各国家に予算提供されているお方だからね」
「…何、そのバカが考えたみたいな設定。」
驚愕、よりも呆然とした気持ちが勝り、つい冷たく言い放ってしまった。
しかし青年は怯まずに続ける。
「確かに普通は信じられないよね。最初は何か裏があるんじゃないかと疑う人がほとんどだったけど、イス様が資金援助を始めて約六年…正しい行いをしてきた人々には余裕が生まれ、世界中で金銭関係の事件が激減したんだよ」
「んなアホな…貧しい思いをする人が減るのは良いことだけど、それじゃ犯罪者が更に苦境に立たされて、更なる凶悪犯罪を起こすようになるだけじゃないの?」
「罪を犯した者も、きちんと罪を償って更正すれば、善良な市民と同等の手続きと、特別支援金を受け取れるようになるんだよ」
といっても更正プログラムに参加出来るのは、国越共通法で定められた「比較的軽い刑罰を言い渡された軽犯罪者、あるいは情状酌量の余地ありと判断された者」に限るそうで、利己的な殺人、詐欺、性犯罪を犯した者は、年齢・性別問わず永久投獄か死罪のどちらかが確定するらしい。
青年は深呼吸すると、手を組んでテーブルに伸ばし、神妙な面持ちで語り出した。
「うちのパーティの治癒魔法使い…セルフィって言うんだけど、あの子は王政統治時代、貧しさを苦に、懐いていた犬を殺めて己が糧にしてしまって、永久投獄判決を受けていたんだ」
…見たところ彼女は十六歳か十七歳くらいだった。およそ十歳前後に罪を犯した事になるが…そもそも彼女が非行に走る原因を作り出した王政に、温情という概念は存在しないか。つくづく胸糞悪い連中だ。
「でも、間もなく統治者が王から騎士団長にとって替わって、王政時代に投獄された受刑者たちの再調査が行われ、セルフィは情状酌量の余地ありと判断されたんだ。その頃ちょうどイス様の資金援助が始まり、更正プログラムを受けながら罪を浚ったそうだよ」
「…そうなんだ」
あの子、私に負けず劣らず口数が少なくて誤解されそうな雰囲気を纏っていたものの、勧んで罪を犯すような人物には到底見えなかった。
クセイル窟で資源採取を行った際も、基本的なマナーをしっかり守って後続に迷惑がかからないよう配慮の跡が窺えたし。
「…セルフィとの付き合いはまだ二年ほどしかなくて、他人の俺が偉そうに語るのも何だけどさ。本来の彼女は、生き物を大切にする優しい子なんだよ」
青年は、たまにイスからも感じられる慈愛に満ちた眼差しを、私の背後に出来た人混みの一部に向けていた。
恐らくそこに彼女…セルフィちゃんが居るんだろう。なんとなく私にも、身に覚えのある健気な気配を感じられた。
「…そっか」
全人類の負担軽減…イスが行った大胆な選択は、正直なところ正しいとは到底思えない。
大なり小なり、必ずどこかで綻びが起きているはずだ。
「あ、あの、イス様…あたし、イス様の援助のおかげで、こうして再び生きることが出来て…その、ずっとお礼を言いたかったんです」
…けれども、貧困によって狂いかけた一人の少女の人生を正す一助となっているのも、また事実なのだ。
もし綻びが酷くなるようなら、その時は私も共に業を負って、イスを支えようではないか。
伝導師ソダムとしてではなく、ただの彼女として。
「…ま、たまには他人の人生に絆されてみるのも悪くはないかな」
私は両手で頬杖をつき、瞼を閉じて意識を喧騒から外した。青年はそんな私を眺めて、小さく噴き出した。
「ふふ…アトラさん、なんだか変わったね。もちろんいい意味で」
「そうかな?」
セルフィちゃんがイスに謝辞を述べ終えて青年と合流し、少し話した後、彼らはもう一人のパーティメンバーである魔法使いのお爺さんが休んでいる民宿へと戻っていった。
それから私はイスの周囲の人混みが居なくなるまで2時間半、本屋で面白そうな書籍を二冊見繕って購入し、店内の読書スペースでまったりと過ごすのであった。
――――――――
日暮れ時。
別れ際に青年から教えて貰っていたオススメ宿に無事チェックインした私たちは、二階の角に位置する暖炉つきのこぢんまりとした一室で上着を脱ぎ散らかし、リラックスして語らっていた。
「昼間の男性は、アトラが過去に案内して差し上げたパーティの方でしたのね。わたくしったらてっきりナンパだと早合点してしまって、無礼な態度を取ってしまいましたわ…」
「全然気にしてる様子なかったから大丈夫だよ。それよりもあんな人数に囲まれて大変だったね、イス」
薪が小さく弾ける音に聞き入りながら、イスは苦笑を溢した。
「お待たせてしまってごめんなさい。ああいった場面で適当にあしらう事が、どうしても出来なくて…」
イスは衆目の一人一人に正面から向き合い、それぞれに適した対応を行っていた。しかも笑顔は崩さず、昼間に骨鎧狼との接触で負った心労を、一切顔に出さないようにしながら。
…私の目には、今日集まった民衆は自身が追うべき納税義務をイスに押し付けて、楽して生きているだけの烏合の衆…としか映らなかった。
一体何が彼女の慈愛精神に訴えかけ、突き動かしているのか。
核心部分は心を読んで済ませるのではなく、是非彼女の口から聞きたいと思った。
「…ねえイス、今日、剣士の青年から聞いたよ。本来各々が納めるべき税金をイスが肩代わりしたり、国家予算を捻出していることをさ」
イスは特に顔色を変えず、少し間を置いて、はい、とだけ答えた。まるで私が彼女の選択を是としていないことを、見透かしているような反応だった。
「きっと悩んだ末に取った行動なんだろうけどさ、人は飴を与えられるのが当たり前になると、いずれ増長して自堕落になる。一時的な負担軽減によって幸福感が増したように感じるだけで、長い目で見たら、絶対ためにならないよ」
イスは目を伏せて、背もたれに深く腰を沈めた。
「…アトラは「全」を前提にした話をしておりますわね」
「全?」
「ろくに飴を食べたことも無いでしょうに、人類をひとくくりにして、皆こうあるべきだと語っていらっしゃる。いかにも他人とろくに接点を持たず、性格を拗らせたまま田舎でのうのうと暮らしてきた、旧世代的発想ですわ」
イスにしては言い回しが陰湿で、言葉の端々からトゲが突き出ていた。全部事実だからなんも言い返せんけど。
「いいことアトラ。飴は贈られて喜ぶだけのものではなく、おいしく食べてエネルギーにするものですわ」
「お、おう?」
「金銭は生活の負担や不安に直結する、健康と並ぶ人類最大の悩みの種ですわ。飴はそれを一瞬忘れさせる効果しか持ちませんの」
なんかセミナーじみてきたな。
「悩みを忘れて思考のリソースを仕事に回すことでより集中して臨める。悩みが消えたぶん視野が広がり、事故率は減り、結果的に生産性がアップする。要は個々の才能がいかんなく発揮できる環境を創るのが、わたくしの取り組みですの」
…イスの意図がようやく理解できた。
ただ飴を与えられてだらだらしながら食べ続けるだけでは、いずれ病気になってしまう。私が懸念しているのはこれのことだ。
しかし食べた後、きちんと働いてエネルギーとして消費することで、次の飴もおいしく食べられるようになる。
「つまりイスは、腐敗を浄化して経済を適正に循環させるための人工透析装置みたいなもの…」
「その言い方はちょっと…さては先程の皮肉を根に持ってますわね?」
「すみませんね、性格ひん曲がったクソ田舎の老害で。」
「そこまで酷い言い方はしてませんわ」
「冗談だよ」
険悪な雰囲気を吹き飛ばすように、ジョークを言って笑い合う。私はおもむろにイスの膝に乗り、もたれかかった。
すかさずお腹に手が回ってきてホールドされる。
「しかしアトラの懸念も尤もですわ。スコットに本件の案を提示した際も、ほぼ同じ内容で反論されましたし」
「そういや六年くらい前から始めた、と剣士君が言ってたっけ。その頃はスコット君が帝国の実権を握って、少し経ったくらいかな?」
「ええ。元々帝国王政の支持率は富裕層を除けば臆病者のマゴチ釣りのような状態でしたから、圧政に苦しむ平民や貧民が大多数を占める帝国で、スコットが支持を集めるのは容易でしたわ」
イスの胸に後頭部を沈めながらスコット君に関する記憶を紐解く。
彼の優しすぎる性格は決して統治者向きでは無いが、他者の才能を見出だす観察眼、ポテンシャルを引き出す虚構無き話術、的確な支持を与えるリーダー性がどの冒険者よりも群を抜いて高かった。
実直剛健・正面突破を体現する自主性の塊にして豪傑、ラルハール君を上手く扱えていたのは、恐らく後にも先にも彼一人だけだ。
イスは私の頭にアゴを乗せて、どことなくダルそうに話を続ける。
「けれどスコットの新政策は既存の富裕層にとってメリットが希薄過ぎて、王政と利害関係を築き、資金援助を行っていた貴族からの支持は一切得られませんでしたの」
「そもそもスコット君なら、そんな奴らからの支援なんて望まないんじゃない?」
「おっしゃる通りでしたわ。…ですが、法外な税率によって搾取された納付金を国庫金から捻出し国民へ還元したり、貧民や難民への支援策を拡充させたことで、資金提供を断たれた帝国はあっという間に財政難に陥ってしまいましたの」
「本末転倒じゃないのさ」
「だからここそ、無限に増殖する富を持つわたくしが、彼による治世をより確実なものとするために名乗りを上げたのですわ」
「へぇー…ん?」
何かいま、聞き流しちゃいけない言葉が含まれていたような。イスは私の頭の上で顔を左右にグリグリ振って、足をばたつかせる。
「これ以上前王政を思い出したくないので、この話は終わりに」
「出来ないよ。なんなの、無限増殖する富って?」
私はイスの膝の上に乗ったまま対面するよう座り直して、キョトンとする彼女の肩に手を置いた。
「あら、その辺りの記憶は覗いておりませんの?」
「イスがドラゴンとエルフのハーフである事実、ラルハール君を探していること、スコット君との夜のやり取り、私に対する気持ちを見たくらいだよ」
「もうサプライズのしようもないので、どうせなら全て見てくださっても構いませんのに」
ここまであっけらかんと心フルオープン発言する人は初めてだよ。誰しも隠したいことのひとつやふたつ、あって当然なのに。
しかし私には、ここでスキルを使えない理由があるのだ。
「あれ半径50メートルくらいまで作用する範囲パッシブスキルだからさ、人が多い場所で発動すると、思考の奔流に飲まれてキッツいのよ。だから今後は封印するつもり」
「伝説のソダム様とはいえ、万能ではありませんのね」
「そうなんだよねぇ。町の外で生み出された建築スキルとか遺物鑑定スキルとか、新しいものにはてんで疎いからさぁ」
と、談笑し始めたところで我に返る。
「いけない、話が逸れた。無限増殖する富って何さ?」
「読んで字の如くですわ。わたくしの」
こんこんこん。
イスが語り始めたところで、いきなり部屋の扉が来客を告げる。せっかくいいところだったのに。
私はイスの腕を振りほどいて膝から降りると、そそくさと出入り口に向かった。
「はいはい、どちら様ですか」
扉を開いた先に佇んでいたのは…昼間イスに感謝の言葉を述べていた、剣士君のパーティに所属している治癒魔法使いのセルフィちゃんだった。
クセイル窟を案内した時や昼間に被っていた、いかにもな白フードマントは脱ぎ捨て、内側にゆるくカールした色素の薄いミディアムヘアが露になっている。
首元が大きく開いた紺のニットセーターと、黒地に白のボーダーが通ったプリーツミニスカート姿で、おどおどしながら私の顔を見るなり一礼した。
「あの、リーダーからアトラ様がここに泊まっていると聞いて…その、おめでとうございます、町を出られて良かったですね」
リーダーというのは、彼女らのパーティをまとめる剣士君の通称だ。ちなみにもう一人のメンバーであるお爺さんは、二人から「先生」と呼ばれていた。
「ありがとう。わざわざそれを伝えに来てくれたの?」
セルフィちゃんは小さく二度頷いた。
「あたしたち明日の早朝にはミールを発つから…伝えられるうちに伝えておきたくて」
いい子過ぎて胸がキュンとする。私はセルフィちゃんの頭を撫で回したい欲を必死に堪えて、伸ばしかけた手を引っ込めた。
「あ、そうだ」
セルフィちゃんはおもむろにミニスカートのポケットから、二枚のチケットらしきものを取り出した。
「お祝いの品…にしては質素ですけど、もしよかったら近くのスパに行きませんか?」
「すぱ?」
聞き慣れない言葉だったので、例によってそのまま聞き返してしまう。
ふといきなり背後にイスの気配を感じた。
「簡単に言えば、健康にいい温泉施設みたいなものですわ」
「い、イス様…!」
私とイスが行動を共にしているとは知らなかったらしく、セルフィちゃんが驚嘆の声を上げる。
イスはにっこりと微笑み、彼女に軽く挨拶した。
「いいですわねぇスパ。わたくしもご一緒してよろしいかしら?」
「は、はい、是非っ!」
私、眼中から即外された。
そりゃ有名人であり命の恩人を前にしてるんだから、当然っちゃ当然か。
ともかく、私たちはそのスパとやらに向かうことになったのである。
続く。




