結ノ巻 「骸骨武者に慈悲の介錯を」
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
船場商人の若妻を誘拐した不平士族は、まるで相手にならなかった。
だけど今回の戦いは、これからが本番だったんだ。
「この場を脱する力を所望か?ならば貴殿の身体、某に下げ渡すのだ。」
突如として玉子の腐ったような不快な臭いが立ち込め、陰々滅々とした不気味な声が裏路地に響き渡ったの。
「この声は一体…」
声の主を探すと、そこには不気味な鬼火が青緑色に輝いていたんだ。
「ぐわああっ!」
次の瞬間には、先程まで弱々しく這いつくばっていた不平士族が黒い靄に取り込まれ、断末魔を思わせる絶叫を上げていたんだ。
「これは…?!」
体勢を整えて小脇差を構えた私の眼前で、驚くべき変化が起きていたの。
「ぐはっ…」
恐怖に叫ぶ不平士族の顔が青褪め、一切の表情を失って弛緩した。
そうして半開きになった口から鬼火が体内へ勢いよく入り込み、その肉体が黒い光に包まれて消えていく。
やがて黒い光が収まった裏路地に佇立してしたのは、黒い鎧兜に身を包んだ骸骨武者だった。
闘気も凄みも、先の不平士族とは比べ物にならない。
あの不平士族が骸骨武者に飲み込まれて消滅したのは、火を見るよりも明らかだった。
「魂魄だけの間は掠り傷を負わすのが関の山だったが、これで漸く人斬りが出来る。小娘、手始めに貴殿から血祭りに上げて進ぜよう。」
「辻斬り騒動の張本人は貴方でしたか。手間が省けて何よりですよ!」
討伐対象と遭遇出来た興奮と、強敵と斬り結べる事への期待。
二つの感情に闘志を高ぶらせながら、私は小脇差の鯉口を切ったんだ。
私の予想通り、黒い骸骨武者の腕前は見事な物だった。
一切の無駄を削ぎ落とした豪快な太刀筋は、正確にして強烈無比。
あの軟弱な不平士族が素体になっているとは、とても思えなかった。
それに加えて、骸骨武者の帯刀した業物も危険極まりない物だった。
柄から刀身に至るまで不気味な黒い光を帯びているのは良いとしても、斬撃と一緒に迸る黒い闘気には、生理的嫌悪感と本能的恐怖を刺激させられる。
こんな危険な存在を野放しにすれば、取り返しのつかない事態になるだろう。
「むっ、はっ!」
「どうした、小娘?避けてばかりでは勝負にならんぞ!」
空中へ飛び上がり、大地を駆け巡って。
敵の挑発を聞き逃しつつ、私は回避と陽動に徹し続けた。
優先すべきは、骸骨武者を表通りに出さないよう引き付ける事だ。
「なかなか出来るようだな、小娘!貴殿のような若武者に討たれていたら、某も成仏出来ていたものを…同じ徳川の侍に討たれるのでもな!」
「徳川の侍…?」
この骸骨武者、どうやら豊臣家に仕えた侍の成れの果てらしい。
確かに今宮村周辺は大坂城からも程近く、大坂の陣で敗残した豊臣軍の残党が落ち延びていてもおかしくない。
やっとの思いで逃げ延びた所を、雑兵の追撃か落ち武者狩りで討ち取られた。
そんな時代の過渡期における敗者の無念の思いが、御維新で零落した不平士族と共鳴したのだろう。
黒く輝く妖刀を振るう骸骨武者と、白狐の瞬発力を駆使した回避に徹する私。
そんな両者の均衡が崩れた切っ掛けは、路地の入口から響いてくる若い男女の叫びだった。
「花之美さん!」
「深草の姐様!」
竹管を構えた詰襟姿の青年と、業物を携えた海老茶式部の少女。
それは私の援軍に現れた、京洛牙城衆の仲間達だった。
「古株の住人に聞いた所、大坂の陣の死者を祀る石碑が、有宝地の建設時に蔑ろにされたそうです!その鎧武者もきっと、石碑に祀られていた侍の一人でしょう!」
「やはりそうでしたか、絹掛さん!」
決闘相手を放置し、無関係な会話を優先する。
私が踏んだ通り、この挑発行為は有効だった。
「仲間が居たか…ならば貴殿の首級、其奴等の眼前で落としてくれる!」
たちまち黒い妖刀を振り被りながら、私に殺到してくる骸骨武者。
荒々しい闘気も邪悪な刀風も、間近に迫ってきた。
しかし…
「おおっ!これは?」
「よしっ!」
黒い骸骨武者の驚愕する声に、思わず微笑が浮かんでしまう。
何故なら彼は、切り下ろしの姿勢のままで硬直してしまったのだからね。
「回避運動を取りながら、足で結界を描かせて頂いたのですよ。武信さん、今こそ好機到来です!」
「心得ました、花之美さん!飯綱招魂、狐火苦無!」
次の瞬間に武信さんの手元から飛んだのは、青白い炎に包まれた九本の苦無だったの。
管狐を憑依させた投擲武器は、攻撃力も命中率も通常とは段違いだよ。
現に九本の苦無は、何の抵抗もなく的確に敵の急所を捉えたのだから。
「ぐおおっ!」
苦無で急所を貫かれた骸骨武者の悲鳴は、何とも悍ましい物だった。
だけど飯綱使いの戦いは、これからが本番なんだ。
「飯綱招魂・白狐九尾刃!」
「うっ?あっ!ぐああっ!」
そして詰襟姿の飯綱使いが印を結んだ瞬間、骸骨武者に刺さった苦無を起点に青白い炎が上がり、黒い具足姿をみるみる焼き尽くしていったんだ。
このまま放置しても、骸骨武者は遠からず浄化されるだろう。
とはいえ幾ら怨霊でも、苦痛を伴う緩慢な最期は忍びない。
そこで私は一計を案じて、情けの一太刀を彼に与える事にしたんだ。
「飯綱招魂、白狐刀!」
裂帛の叫びを上げた次の瞬間、抜刀した小脇差の刀身が眩く発光する。
裏路地に澱んだ妖気を浄化するかのような清浄な光は、やがて青白い炎に転じたんだ。
「不肖ながら、介錯仕ります。いざ、御覚悟を!」
硬直した具足姿へ目掛けて、横薙ぎの一閃。
その一太刀で骸骨武者の身体は砂塵と化して砕け散り、風に散らされて消えていった。
管狐の霊力を纏わせた刀身による破邪顕正の一太刀は、悪霊に墜ちた侍の魂には手痛い一撃になった事だろう。
そして同時に、彼の魂を救う慈悲の一撃ともなったはずだ。
「憎悪や邪気を忘れ、心安らかに御霊と御成りなさい。」
憑依の解除された小脇差を静かに納刀すると、私は踵を返して仲間達の元へ歩みを進めるのだった…
斯くして辻斬り騒動も誘拐未遂事件も無事に解決し、有宝地は再び平和を取り戻したの。
人々の憩いの場である遊園地には、悪霊も犯罪もお呼びじゃないんだよ。
とはいえ今回の騒動は、大坂の陣の死者を祀る石碑が開発工事で蔑ろにされた事が原因だからね。
文明開化や和魂洋才も結構だけど、近代化や開発に夢中になり過ぎて故人や祖霊への崇敬の念が疎かになるのは、ちょっと頂けないよ。
私達で応急の御祓いはしておいたし、今年の五月には正式な慰霊祭も行われるみたいだから、まあ大丈夫だとは思うけど。
今回の被害者である小野寺夫妻に関しても、警察病院の検査で心身共に健康である事が確認出来たから何よりだね。
「今回の事は、何と御礼を申して良いやら…特に家内は、『深草さんに是非とも御礼を申し上げたい』と申しておりまして…」
御見舞いに訪れた私達を出迎えてくれた若旦那は、殴られた痕を除けば至って健康だった。
そしてそれは、若妻である法華さんも同様だったの。
「あのまま拐かされていれば、どうなっていた事やら…貴女様は正しく、命の親で御座いますわ。」
「そんな、頭を御上げ下さい!私共はただ、人として当然の事をしただけですから。」
慌てて頭を振る私だったけど、この何気ない行動が意外な展開に繋がるとは思わなかったよ。
「まあ!深草さんったら、奥床しい事。それにしても…御高祖頭巾を御召しでない深草さんは、そのような髪型でいらっしゃるのね。だけど…お助け頂いた際に一瞬垣間見た時には、何か尖った物が見えたような…」
どうやら法華さんは、白狐に転身した私の狐耳を見ていたみたいだね。
立ち回りを演じた時に、御高祖頭巾が乱れてしまったのかな?
ややこしい事になると面倒だから、あんまり他の人に狐憑きだと知られたくないんだよね。
術を使えば記憶の改竄も出来るけど、まずは穏便な手段から試してみるかな?
「ああ、この付け耳の事ですか。私共の地元の嵐山では、狐の耳を模した髪飾りが流行っておりましてね。法華さんにも、きっと御似合いではないかと…」
「えっ!頂けるのですか、深草さん!こんな素敵な髪飾りを頂けるなんて…私、感無量です!」
こんな事もあろうかと、狐耳の髪飾りを忍ばせておいて良かったよ。
穏便に口先で言い包められるなら、それに越した事は無いからね。
府警本部の方々への引き継ぎも御見舞いも済ませ、事件の解決も電報で報告済。
これで一気に、肩の荷が下りた感じがするね。
「折角ですから、御二人とも眺望閣に登られてみてはいかがです?張り込み調査で、ゆっくり見物も出来なかったでしょうし。」
絹掛さんの提案に、私も武信さんも思わず顔を見合わせてしまったの。
「私の方は御気遣いなく。同期の子達と一緒に道頓堀を見物してきますからね。」
それだけ言うと絹掛さんは、待たせていた友人達の所へサッサと走り去ってしまったんだ。
「もう、絹掛さんったら…気遣いのつもりかしら?」
「いいじゃないですか、花之美さん。今度は本当の行楽客として、有宝地を楽しみましょうよ。」
仲人気取りな絹掛さんに呆れていた私だけど、武信さんの笑顔を見たらスッカリ機嫌が良くなってしまったの。
二人で張り込み調査をしていた時も、逢い引き気分で楽しかったよ。
だけど、任務から解放された気楽な身の上で満喫する眺望閣は、もっと楽しいだろうね!




