第4話 無知無学
「そうか… 報告、ご苦労だった。明日からは教育の方を宜しく頼む。お前も早く休みなさい」
「はい。では、失礼します」
フランクに促され、シンディはフランクの部屋から退室する。
「風呂も知らなかったとはな… それに、液体石鹸に感動して失神… 新しいワンピースをパジャマに渡されて嬉し泣き… メイド達の部屋に案内され、寝る様に言われたら床で寝ようとする… ベッドを使う様に言われたら、マットに感動して失神… いったい、どんな悲惨な生活を送ってきたんだ…?」
フランクには全く想像できない、これまでのソフィアの生活。
平民の生活水準すら遥かに下回る生活を送ってきたであろうソフィアを思うと、フランクの気分は重く沈むのだった。
「とにかく、聖女に仕えるまでに、普通の生活に慣れさせなくてはいけないな… 性格は素直で従順だから問題は無いだろうが… 気が小さいと言うか、弱過ぎるのは問題かな…?」
自らの考えを纏めるかの様に、フランクは独り言を呟く。
実際、ソフィアの気の小ささ、気の弱さは問題だった。
聖女に仕える以上、時には間違いを正さなければならない。
聖女とて人間である以上、時に間違いを侵すかも知れないからだ。
その間違いを正すのも世話役、雑用係の仕事である。
だが、気の弱いソフィアに聖女の間違いを正せるとは思えなかった。
「まぁ、それはシンディにでも任せれば良いか… 世話役や雑用の教育もシンディで大丈夫そうだが… 勉強の方は… メイド長のアンナに任せた方が良いかも知れないな…」
溜め息を吐き、自身も妙に疲れている事に気付くフランク。
(私も寝るか… 風呂上がりの清潔になったソフィアを見てみたかったが… それは明日の楽しみとするか…)
自身が思っている以上に疲れていたのか、ベッドに入って目を閉じると同時に眠ってしまうフランクだった。
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朝になり、メイド達は主人であるフランクと家族が起きる前に全ての準備を調える。
急いで朝食を摂り、それぞれの役割に沿って役目をこなす。
主人の朝食の準備をする者。
担当する部屋、廊下等の掃除をする者。
この日の朝、それら全ての者が驚いていた。
掃除は全て終わっており、後は朝食の準備をするだけだった。
唖然とする一同の前に、忙しなく動き回るソフィアの姿があった。
「ソ… ソフィア…? 何やってんの…?」
「なにって… あさのそーじですけど…?」
シンディの質問に、ソフィアは当然の様に答える。
「いや… それは分かるんだけど… 何で貴女1人で…?」
「え… っと… どれーしょーにいたとき、これがわたしのやくめでしたから… 3ねんちかくもかいてがつかなくて、ごくつぶしだったわたしには、そーじをするぐらいしかやくにあてませんでしたので… さすがにわたしのつくるしょくじは、ひとさまにたべていただけるようなモノではないのでつくりませんでしたけど…」
侯爵であるフランクの屋敷は広い。
その広い屋敷を1人で掃除するのに、1時間や2時間では不可能だった。
ちなみに現在は6時である。
「いったい… 何時から…?」
「1じにお起てはじめました。わたし、3じかんもねむればじゅーぶんですから…」
昨夜、ソフィアが夕食を取ったのは8時。
風呂に入り、寝たのが10時だった。
僅か3時間の睡眠しか摂らず、5時間掛けて掃除をしたと理解したシンディは、ソフィアの献身振りに感心すると共に、呆れ返った。
「あのねぇ、ソフィア…」
「シンディ… その先は私が言うから、貴女は皆と朝食を作って済ませなさい」
シンディの言葉を遮り、メイド長のアンナがソフィアの前に立つ。
メイド長と言っても若く、28歳である。
だが、8歳のソフィアにとっては母と言っても良い歳の差だった。
ちなみにシンディは12歳である。
「ソフィア… 貴女の献身的な行動は評価します。ですが、その行動が他の者の仕事を奪っていると思いなさい。皆、それぞれに与えられた仕事があるんですよ? それを貴女が全部やってしまっては…」
「ご… ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ゆるしてくださいっ! そんなつもりじゃなかったんですっ! すこしでも… ほんのすこしでもやくにたてたらとおもって! おねがいですからなぐらないで下さいっ! いえ、なぐってもかまいません! それでゆるしてもらえるなら、いくらでもなぐってくださいっ!」
周りで見ている者がドン引きするぐらいに土下座して謝りまくるソフィア。
シンディがアンナに近付き、耳打ちする。
「昨夜、言いましたよね…? ソフィアは気が小さい… 小さ過ぎる、弱過ぎるって… 私達にはちょっとした注意のつもりでも、彼女にはキツく怒られてる様に感じるみたいなんですよ…」
「旦那様から少し聞いてたけど… ここまでとは思わなかったわ…」
床にひれ伏し、プルプル震えながら許しを乞うソフィアを見ながら、アンナは溜め息を吐くのだった。
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朝食が終わると、ソフィアはアンナから文字の読み書きと簡単な計算を教わる。
が、本を読んだ事もなかったのか、上下を逆さまに持ったり横向きに持ったり…
更には文字を読む方向すらも知らなかった。
また、ペンの持ち方も教えなくてはならず、アンナを困惑させた。
(本当に何も知らないのね… ここまで何も知らないとは思わなかったけど…)
様子を見ていたシュルツが、フランクに報告する為に部屋を出ていく。
すると、シュルツと入れ代わる様にシンディが部屋に入ってきた。
「アンナさん、お茶をお持ちしました。そろそろ休憩なさっては如何ですか?」
「そうね… ソフィア、貴女も休憩なさい。慌てて覚えるより、適度に休憩しながらの方が効率は良くってよ?」
「は… はいっ!」
本を閉じ、ペンを置くソフィアの前に、お茶の入ったカップを置くシンディ。
シンディは本の横に置かれた紙に気付く。
本を見ながら字の練習をしていたのだろうが、シンディには何を書いているのか全く読めなかった。
彼女は思わずアンナの方を見る。
「ペンの持ち方も知らなかったのよ… だから、まだ上手に書けなくて…」
「ご… ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ゆるして下さいっ!」
アンナが言い始めた途端に顔を青褪めさせ、言い終わるより早く土下座して謝りまくるソフィア。
「ソフィア… アンナさん、怒ってないわよ…?」
「そうよ? 貴女の状況を説明しただけなんだけど…?」
「…ふぇっ?」
キョトンとした表情で顔を上げるソフィア。
その眼からは、大量の涙が流れていた。
アンナとシンディは、共に困惑した表情を浮かべ…
「「泣かなくても…」」
台詞が被り、思わず顔を見合せてクスッと笑う2人。
ソフィアは何が可笑しいのか理解できず、2人の顔を交互に見ながら混乱していた。
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「そうか… 本当に基本の基本から教えなくてはならないとはな… さすがに、そこまで無知無学だとは思わなかったな…」
「はい。そこまで基本的な事すら知らないとは驚きました… しかし、彼女の今までの経歴を考えると…」
「そうだな…」
フランクは顎に手をやり、話し始める。
「ソフィアの祖国、ヴァネル王国が隣国のランドール王国と戦争を始めたのが5年前… 今、ソフィアは8歳だから、当時は3歳か… 出身のリネル村は国境に近いから、優勢な状況でも安心できる状況ではないな…」
「はい。それに、ヴァネル王国が優勢だったのは最初の2ヶ月程度だった筈です。膠着状態に陥り、開戦から半年も経たずに防戦一方になったとか…」
シュルツの言葉に、フランクは眉間に皺を寄せる。
「それでは文字の読み書きを教えていられる状況ではないな… 父親も防衛戦に駆り出されて戦死したと聞いた。終戦後かどうかは判らんが、母親は親戚を頼っての旅の途中で盗賊に殺され… 本人は、その際に奴隷商に売られた… 奴隷商には3年近く居たとの事だから、5歳の時になるか…」
「奴隷商には、奴隷に読み書きを教える義務はありませんからな… 買われた先で労働する為の教育はしますが…」
「殴り、蹴り、怒鳴り付けて教えるのか…? そんな事は、教育とは言わんだろう…」
フランクは溜め息を吐き、天井を見上げて脱力した。
「だが、そんなソフィアを買ったのは正解だったかな…? あのまま奴隷商に居たら、数年もしない内に死んでいたかも知れないからな… あるいは絶望して自殺していたか…」
「1人の少女を救ったと思われては如何でしょうか? 身分は奴隷のままですが、彼女は悲惨な生活から抜け出せたのです。臆病に過ぎるきらいはありますが、性格は良い様ですし…」
「そうだな… 今はソフィアと言う少女を救った… それで良しとしよう」
シュルツの言葉に、フランクは苦笑しながら頷いたのだった。




