第3話 失神、失神、また失神 ~後編~
「お茶を飲んだ事が無かったのか? いや、それより飲んだ時の反応は何だったんだ?」
気が付いたソフィアにフランクが質問する。
「は… はい… 店主様から、お茶とは人間が飲む物と教えられました」
「まぁ、それはそうだが…」
フランクは頷く。
「私は奴隷で… 奴隷に人権は無いので自分を人間と思うな、とも教えられました」
「奴隷の扱いとは、その様なモノなのか…?」
今度はソフィアが頷く。
「はい… ですので、お茶と言う物を見た事も無かったんです…」
「しかし、店主にお茶を淹れる事はあっただろう? 見る事も無かったとは思えんが…」
ソフィアはプルプルと首を振る。
「店主様は『人間の飲み物は人間が用意しなければ人間の飲み物ではない』と仰ってました… ですので…」
「なるほど… それも酷い話だな…」
言ってフランクは部屋の中に置いてある時計を見る。
「遅くなってしまったが、そろそろ夕食にするか。続きは食べながら聞こう。ソフィア、一緒に来なさい」
フランクは立ち上がって食堂に向かい、ソフィアも慌てて後に続く。
その後ろからシュルツとシンディも続く。
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食堂に入ると、既に夕食の準備は調えられていた。
フランクが座り、向かいの席をソフィアに勧める。
フランクの後ろにはシュルツが、ソフィアの後ろにはシンディが立つ。
「さて、まずは食べなさい。ちなみにだ… 今回は君の話を聞く為に食事を一緒にするが、普段は私や私の家族と使用人達は別の時間になっている。それは、使用人達が私達の給仕をする為だから気にしなくて良い。今のシュルツとシンディが、その状態だ」
「わ… 私なんかが給仕をして貰っても良いんでしょうか?」
シンディが自分の給仕をすると理解したソフィアは、プルプルと震えながら振り向いてシンディを見る。
「泣かなくても… もう私は食事を済ませてるから大丈夫よ?」
今度はニッコリと笑い、ソフィアを安心させるシンディ。
フランクは苦笑しながら食事を始め、ソフィアも恐る恐るパンを口にする。
柔らかく、もっちりとした食感に驚くソフィア。
続けてシチューをスプーンで抄い、口に運ぶ。
「……………!」
ソフィアの動きが止まり、眼から涙が溢れ出す。
「どうしたのだ? 何を泣いている?」
「こんな… こんなフワフワのパンを食べたのは… 生まれて初めてです… それに、この味の付いたスープが美味しくて…」
「いったい、どんな食事をしてたのだ…?」
フランクは半ば呆れながらも質問する。
「えぇと… 使用人の皆さんが、店主様や自分達の食べる分を作って… その余り物を貰って食べてました」
「「「余り物!?」」」
フランク、シュルツ、シンディが揃って驚きの声をあげる。
「は… はい… 野菜の切り屑や肉の切れ端です。店の奥に私達の大部屋が在って、そこに運んで作ってました。竈と鍋があるので、それらを水に浸して煮込んでました。ただ水で煮込んだだけなので、味なんてありません。それを、パンと一緒に食べてました…」
「随分と粗末な食事だな… だが、パンは与えられていたのか…」
フランクが言うと、ソフィアは小さな手を握る。
「このぐらいの大きさのパンを1つか2つです」
「とても満足できる食事とは思えないが… しかし、さっきはパンを食べた事が無かったと…」
「はい… 食べた事はあります。ただ、こんなフワフワではありませんでした。外は固くて、中はパサパサで…」
「古くなったパンしか与えられていなかったと言う事か… それと、味の付いたスープと言っていたが、それはシチューだ。もしかして、シチューを食べた事もないのか?」
シチューと聞き、その皿をまじまじと見つめるソフィア。
「し… ちゅー…? これが… しちゅー… そ… それでは、この中に入っている物は…」
「キャロットやポテト、オニオン等の野菜類、それと肉だが…」
ソフィアは目を見開き…
「こ… これが… きゃろっと… ぽてと… おにおん… それと、この大きな肉… はぅっ…」
またも失神した。
「気が弱過ぎだな… いや、今までの生活が酷過ぎたのか… それとも最底辺の奴隷生活から一気に普通の生活になれば、こんな反応になるのか…?」
「…慣れるまでは、この様な反応が続くかも知れませんな…」
困惑するフランクとシュルツ。
シンディは失神したソフィアが椅子から落ちない様に支えていた。
その後、気が付いたソフィアは一口一口ゆっくり味わいながら、何とか食事を終えた。
「…今日は色々あって疲れただろう? 風呂に入って寝なさい。明日から聖女の世話役、雑用係としての教育と、文字の読み書きや簡単な計算の勉強をして貰う。シンディ、後は頼んだぞ」
言ってフランクはシュルツと共に食堂を出ていった。
ソフィアは共に残されたシンディを振り返り…
「あの… ふろって何ですか?」
「えっ…?」
シンディの目が点になった。
「お風呂… 入った事が無いの?」
「おふろ… って、入る物なんですか? よく解りません…」
ソフィアの表情は不安で曇っている。
「えぇと… じゃあ聞くけど、今まで髪や身体はどうやって洗ってたの…?」
「髪は店の裏… 小さな庭と井戸が在るので、桶に水を入れて被ってました… 身体は濡れたタオルを絞って拭いてました…」
シンディの顔がひきつる。
「それ… 奴隷って… お風呂にも入らせて貰えないの…?」
ソフィアはコクリと頷く。
思わず床にへたり込むシンディ。
「ど… どうされたんですか!? 私… 何か変な事を言ったんでしょうか!?」
慌てるソフィア。
「一緒に来て… お風呂に入れてあげる… 髪と身体の洗い方、覚えてちょうだい…」
シンディは立ち上がり、ソフィアの手を引いて浴室へと向かう。
脱衣所に着いたシンディは服を脱ぎ、ソフィアにも服を脱ぐよう促す。
裸になったソフィアを見て、シンディは息を呑む。
碌な物を食べていなかったであろうソフィアの身体は痩せ細り、肋が浮き出ていた。
また、全身に痣があり、日常的に虐待を受けていた事を改めて認識した。
「さぁ、お風呂に入るわよ!」
浴室の扉を開け、中に入ると…
「こここここ… ここは何ですか? こんなに湯気が…! それに、こんなにお湯が…!」
「ここがお風呂よ。皆、ここで髪と身体を洗うの。さぁ、こっちに来て座って!」
シンディが椅子を指差すと、ソフィアは恐る恐る座る。
「まずは髪からね」
「えっ! えっ!? 何ですか、これ!?」
シャワーに驚くソフィア。
シンディはシャワーを止めると液体石鹸を髪に付けて洗い始める。
が、汚れが酷いのか、なかなか泡立たない。
5度目にしてやっと泡立ち始めると…
「あわわわわっ! 泡が! こんなに!」
「こうやって、毎日洗いなさいね? 綺麗な色なのに、汚れてたら勿体無いでしょ?」
シャワーで泡を洗い流すと、シンディはソフィアにタオルを渡す。
「これに液体石鹸を付けて洗いなさい。普段、身体を拭いてたんだから分かるでしょ?」
言われてソフィアは恐る恐るタオルに液体石鹸を付ける。
「遠慮しないで、もっと使って良いのよ? そんなに少ないと、汚れは落ちないわよ?」
シンディは容器を傾け、液体石鹸をドボッと出す。
「あわわわわっ! こんなに使ったら勿体無いです!」
「これで普通よ? さぁ、洗って?」
言われて洗い出すと、すぐに全身が泡に包まれる。
「こ… こんなに泡が… 私、夢を見てるんでしょうか?」
「まさかと思ってたけど、石鹸も使った事が無いのね…?」
ソフィアの身体の洗い方に問題は無かった。
身体を洗いながら、ソフィアは恍惚の表情を浮かべ…
「こんな… こんなのって… 幸せ過ぎます…」
やがて動きが止まる。
「…? ソフィア…?」
シンディが声を掛けるが、ソフィアは反応しない。
まさかと思ったシンディが回り込むと…
ソフィアは涙を流しながら笑顔で失神していた。