死神から逃れた少女
―ビュービュー
台風が来た時の風が荒ぶり吹き付ける様な音で、私は目を覚ましました。
ぼんやりとした頭で目を開けても、辺りは真っ暗であり、何処を見渡しても黒…
いえ、それは間違いであるのを、直ぐに知ることになります。
何故なら私の横に、壁のように佇む、とても大きな茶色と白が合わさった塊があったからです。
眠気で閉じそうな重いまぶたを必死に開き、よく見ると大きな獣の体毛の様でした。馴染みの無い筈の朧げなその糸は、奇妙な事に私に危機感を感じさせませんでした。
それは微かに鳴動し、湯たんぽの様な温かさで私の体を包み込んでいます。
耳を凝らすと風の音と、何処かから、ピキュピキュといった発泡スチロールを擦ったような鳴き声が聞こえてきます。
鳴き声は後ろから聴こえているみたいですが。何故か手足に上手く力が入らず、確認する事が出来ません。
すると、
『あら、まだ起きているのかしら?赤ちゃんは眠るのが仕事ですよ 早くおねんねしましょうね。』
何処か不思議と安心するそんな声で、私は意識もう一度闇に落ちました。
あれから暫くの時間が経ち。ある程度意識がハッキリした事で、周りを見渡す余裕が出来ました。
辺りは、一寸先の闇としか言いようのない世界ですが、何故か異様に夜目が利いて、そんな中でも不思議と見通す事が出来ました。
近くの壁や天井の断面から、恐らく此処は洞窟か何かみたいです。
―私は何故こんな所にいるんだろう…?
当然、そんな疑問が生まれます。
私は、恐らく世間一般から見れば、普通と呼べる人生を送ってきたと思っています。
しかし、突如思い出した、私が持つ最後の記憶が動揺を誘いました。
それは、学校の階段を踏み外して頭から地面に叩きつけられた記憶…
この記憶と、今の状況を照らし合わせると。
私はあの時に死んでしまい、今生に生まれ変わって、今此処にいるという事でしょうか。
いまいち現実感が無いので、少し傍観気味の感想しか出てきませんね…。
ふと、何か違和感を感じたので、自分の記憶をもう少し探ってみます。
すると、変な事に気付きました。記憶に虫食い穴が出来たように、どうしても自分の名前が分からないのです。
必死に頭を回転させても全然出て来ません。
確かに私の記憶は朧げですが、それだけでは無いぐらいに頭からスッポリ抜け落ちていました。
まあ、私の代表的なアイデンティティの一つとはいえ、今は今、前世とは違うと思えば何とかなるんですよね。
となると、今生の私の名前は何なんでしょうか?。
まあ、まだ赤ちゃんですし、話すのはまだ無理何ですけど…
それでは分かるまで、私の名前は名無しの権兵衛に決まりですね!。
もちろん、ギャグですが一人でボケると少し乏しく感じますね…
そういえば、私のお母さんって、さっき寝る前に見たあれですよね…
それにしても、転生もそうなんですが、記憶の一部が綺麗に抜けるとは不思議な事もあるもんですね。
と言っても。今の私の身体も、前世から見れば不思議の塊ですけどね。
その理由は、水溜りの水面に映る顔と、何故か自由に爪が伸び縮みする事で分かります。
顔は、狐と狸を足した様な獣の顔。
ただ、何故か真っ白の体毛と血のように赤い目。
どうやら、人以外に転生してしまったようです。
つまり、私は畜生道に落ちてしまったのでしょうか…?
そこそこ良い子で生きてきたつもりだったのですが残念です……
それで伸び縮みする爪とは、人間で言うなら人差し指の爪が、やろうと思えば自分の体躯からは信じられない程に大きくなるからです。
それはまるで、稲を刈る鎌の様に…。
こんな事が出来る生物を私は知りません。
だって、普通の猫の引っ込めとは違って明らかに変形していますからね!
『皆さん、そろそろご飯ですよ~』
自分の中である程度の整理がつくと、そんな声が頭上から聞こえてきました。
斜め上を見ると、今の私をそのまま大きくしたような顔がドアップで映りました。
どうやら、この生き物が今生のお母さんのようです。
丁度、お腹が空いていた事もあり、小さな手足で兄妹達と一緒に、よちよちと必死にお乳を飲む為に這いずります。
そう、どうやら私には兄妹がいるようで、横には二匹の、私と同じ姿の謎生物がいました。
私達三匹は目的の場所に着くと、乳首に口を延ばします。
ただ、他の二匹に四つある乳首の内の、下の二つを取られてしまったため少し面倒です。
まあ、これは早い者勝ちなので、しょうが無く素直に譲りましょう。
そう思いながら、一生懸命お乳を吸いました。
お腹一杯になると、また眠気が襲います。
まだ赤ちゃんなので仕方ありませんが、もう少し起きていたいものです。
『いっぱい眠って、いっぱい食べて早く大きくなるんですよ〜』
そんなお母さんの声に小さく鳴き声で返事をすると、そのまま睡魔に身を委ねました…
Zzz…