自分が嫌い
私は自分が嫌いだ。大嫌いだ──
私はよく、敬語(丁寧語)を使って話す。理由は機嫌をとるためである。別に相手が私を嫌っていて、気を遣っているわけではない。ただ、私が「自分は邪魔者だ」と思っているからである。
しかし、本当にこれで良いのか、心配になることがよくある。敬語は逆効果ではないのかと。だが、私には他にどうすることもできない。
好きな人に対しても、自分は邪魔な存在なのではないのかと思ってしまう。だから近づくことが怖い。自分が怖い。
いっそのこと、勉強と小説(書読共に)に溺れたいと思ったこともある。役に立ったと思えても、後から「誰でもできること」という思考が追いかけてくる。ついには「誰かのため」、つまりは何が目的なのか分からなくなっていく。
私は馬鹿で、臆病で、邪魔な存在だ。
私が生きている意味とは、存在意義とは何なのだろう。意味なんてないのだろうか……
そんな思考に、微かな「希望」はブレーキをかけてくれる。
この気持ちのどこまでが普通で、どこまでが危険なのか、私にはわからない。
ただ、小学生の自分や、大人の自分が、これを読んで「くだらない」と思えると信じたい。
後悔はしたくない。
──私は自分が嫌いだ。だから今尚、私は自分の本当のあるべき姿を探している。
※この物語は、実際の中学生の思いを元に大幅に改変したフィクションです。