きっとここが分岐点
ガイアくんが来て、変わったことがある。
「あ、アレーン?ガイアくんの尻尾食べないよー?」
「んあぶーッ!」
「わぁ~お怒りだぁ。」
アレンの手からガイアくんの尻尾を救出しつつアレンの可愛い鼻を押すと、今度は私の指が捕まってもぐもぐと噛みつかれてしまった。そろそろ歯が生えかけてきて痒いのか、つるつるの歯茎からチクチクと刺さる感触が中々に痛い。
「フンフンフンッ」
「わきゃ…あぃー!」
どうしようか迷っている間に今度はガイアくんがアレンのお腹を鼻先で優しく突いて、ころりと転がったアレンは大笑いしている。そのままガイアくんはアレンのお腹を鼻先でぐりぐり押していて、くすぐったいアレンが笑いながら頑張って逃げようとしていた。ハイハイの練習、ありがとうございます。
「はぁあ、尊…。」
楽しそうなアレンも可愛いし、ガイアくんも緩く尻尾を振っていて楽しそう。子供好きなのかちゃんと自分より弱い生き物だと理解してアレンに手加減してくれているし、今みたいに昼間にぐずっているとあの手この手で気を引いていつの間にか一緒に遊び始めていたりするからとても助かっている。
「ガイアくんは子育てが上手だね。」
布の積み木と格闘しだしたアレンを眺めているガイアくんの隣に座ると、くるりと私の身体を包む様に座り込んで膝に頭が乗せられる。これも、ガイアくんが来て一週間ほどで定位置と化していた。そのまま膝上の頭を撫でているとちらりと深海色の瞳が向いて、ふ、と微笑む様に細められた。…たまにこういう風に人間の様な仕草をするから、やっぱり普通の狼じゃなくてなにか特別な種族なのかな?
「ふふ、昨日も夜泣きに付き合ってくれてありがとうね。」
伸びの様に頭を持ち上げて顔を寄せてきたガイアくんの首を撫でて、好きにさせていると耳元でフンフンと鼻息が当たるからくすぐったい。そのまま頬をぺろりと舐められるのも最初は驚いたけど可愛いのでそのままにしていた。アレンが真似して頬をくっつけてくるので尚更良しとしています。
ガイアくんには別に部屋を用意したんだけれど、本邸にも部屋を準備してもらっているらしくあまり使っていなかった。それでもアレンが夜泣きすると本邸からやってきていつの間にか隣にいるものだから、
「…ガイアくん、一緒に寝る?」
「!」
もしかしてガイアくん用にと準備した部屋が気に入らないのかも…、でも本邸から毎夜来ては戻っていくのも大変だよね。と思って提案してみた。耳を立てて一瞬固まったガイアくんは、尻尾をぶんぶん振って一鳴きしてくれて。やっぱりお部屋が駄目だったのね。でも客室二つと応接室にアレンの部屋、私の部屋でこの塔はいっぱいだ。流石にアレンの部屋はダメだから明け渡せる部屋は私の部屋くらいしかない。といっても、私の部屋は十分広いから問題ないのでたっぷりの敷物とクッションを重ねて寝床を準備してみた。クッションもひざ掛けもこの塔に移ってから手持ち無沙汰で私が繕ったり刺繍した作品です。…作ったは良いけれど使いどころがなかったから、やっと日の目を見るよ。
「どうかな?気に入ってくれるといいけど…。」
私の寝室に入ってフンフンと一頻匂いを嗅ぎながら物珍しいのかきょろきょろと部屋を見学している。面白くて可愛いのでそのまま見守っていると、クッションの寝床に気が付いて…動きを止めたと思ったら頭からひざ掛けに頭を突っ込んで、お尻だけだした状態で尻尾がブンブン振られていて笑ってしまった。気に入ってくれたみたいだね。
何故か今日はキャリーに念入りにお風呂に入れられたけど、やっぱり匂いって大事なのかな。狼さんだもんね…余計な匂いがあると落ち着かないのかも。頭にひざ掛けを乗せたままクッションの寝床を調べているガイアくんの側に行って、頭のひざ掛けを取ってあげると赤い毛並みがふわふわに逆立っていて笑いが漏れる。
「ふふ、寝れそうかな?気に入ったなら、これからはここで…きゃッ!」
ひざ掛けをたたみ直していたらとん、と軽く押されて視界が回る。ボスっとクッションの海に尻もちをついてしまって…恥ずかしくてちょっと顔が熱くなってきた。
「もう…なにするの?びっくりしたでしょう!」
完全に油断していたから思う様驚いちゃった…、うう。乱れた髪やナイトウェアを直しつつガイアくんに抗議する。ストールがベッドの方へ飛んで行ってるし…まったくもう。うん、狼相手になにを。と思うかもしれないけれど、ガイアくん私の話をしっかり理解しているみたいでいつも頷いたりお願いを聞いてくれるから普通に話すのが当たり前になっちゃった。
「え、わッ!が、ガイアくん?」
立ち上がろうとしたらまたとんと軽く押されてクッションの海に逆戻り。二回、三回繰り返されて、いい加減私も気が付いた。…ガイアくんの、意地悪な視線に。むむむ、悪戯されてる!
「こーら、ダメでしょう?…もう寝る時間なんですよ?」
抵抗を諦めてクッションで横になっていると、ナイスフィット感で身体が包まれて起きる気力が削がれていく。これはアレだ、人をダメにする何某だ…。仰向けでくったり力なく転がっているけど、いまはキャリーもいないし見ているのはガイアくんだけだからいいよね。口だけそれらしいことを言ってガイアくんに注意したけれど、声に覇気が無くて眠くなってきているのを見透かされている気がする。
「ふふ、くすぐったい。」
ウォン、と甘えるように鼻で鳴いたガイアくんが私の上に乗ってきて、もふもふに埋もれて気持ちが良い。少しだけ高い体温がじんわり移ってきて眠さに拍車をかけてくる。そのまま頬や耳を舐められてくすぐったい。キャリーに塗ってもらったオイルが美味しいのかな?確か華の種から絞ったものだって言っていた。口に入っても危なくないから、最近よく噛み付いてくるアレンにも安心の一品なのだそう。
キュンキュン鼻を鳴らして甘えてくるガイアくんが珍しくて、何かあったのかな?と思ったけれど…いつも優しくアレンを見護って相手をしてくれるガイアくんだって甘えたいよね。すっかりそのことを忘れてしまっていた申し訳なさから、されるがままにガイアくんの首筋や耳を撫でてモフモフを楽しんでいた、ら。
「あっ…ゃんッ、こら、ダメ!」
顔や首を舐めとり終わったのかガイアくんのマズルが鎖骨を舐めはじめて流石にお顔を掴んで止める。…とめ…止まらない!力つよッ!?普段はそっと触れるだけで察してくれるのに今回は余程オイルが気に入ったのか尻尾がブンブン振られていてグイグイ押し返してきて私の力じゃ全然止められない。どんどん下に舐め進められて谷間や胸の上側まで舐められて…ッ、
「ぁっ、や、~~~ッガイアくん!めッ!」
恥ずかしくてペシン!とガイアくんの額を叩いてしまった。…や、やっちゃった!どうしよういくら悪い事をしたとしても、叩くのはダメなのにッ、
「ご、ごめんねガイアく…んむっ」
ベロ、とガイアくんに口を舐められた。慌てて謝ろうとしていた私は突然のことに硬直。思考が宇宙に跳んで猫が走り回り始めた辺りで我に返った。…そういえば、犬や狼って愛情表現に顔を舐めるんだっけ?普段はアレンを優先していて我慢しているから私とガイアくんだけの今、沢山甘えてきてるのかな。
「キュゥン」
ジッと私を見たまま膝上に身体を伏せて、下から見上げてくるガイアくんにキュンっと胸が高鳴る。か、可愛い…ッ!お耳が伏せていてなんだか困り顔に見えるしおめめもウルウルしていて、深海色が煌めいていてとっても綺麗。
「…もう、悪戯しちゃダメだよ?」
ガイアくんは賢いから、きっと私に叱られたのもわかっているだろうし、折角甘えてくれたのに言い募るのも嫌だからムニッとガイアくんの両頬を横に引っ張ってみた。ミョンっと少し伸びたお顔は困惑していてとってもかわいい。
「ふふっ、これでお相子です。」
伸ばした頬を撫でて元に戻すと、フンス、と鼻を鳴らしていて笑いが漏れた。見上げてくるガイアくんの鼻先にキスすると驚いたのかビクッと身体を震わせて尻尾がピンと伸びたまま小刻みに震えている。
「あははっ、ガイアくんは可愛いね。」
そのまま首元に腕を回して抱きしめると、もふもふに顔が埋まって気持ちが良い。相変わらずガイアくんは甘い匂いがしてとっても落ち着くから、あたたかくてもふもふなガイアくんのセラピー能力はとっても優秀です。動かないガイアくんを好き勝手に撫でながら、だんだん眠くなってしまって…私が気が付いた時には外から差し込んだ日の光が部屋を暖めていて。今度から眠れない時はガイアくんに抱き枕になって貰おうかなぁなんて結構本気で考えていた。
ガイアくんが来てから変わったことがもう一つある。それは、旦那様との食事をしている時の雰囲気だ。前まではビクビクオドオドしていた旦那様だったけれど、ガイアくんが来てから初めての食事で…、
「…狼が、来たと聞いた。」
「はい、とっても賢い狼くんが来てくれました。許可してくださってありがとうございます。」
「いや、礼には及ばない。…困ったことは、ないか?」
「大丈夫です。凄くいい子で、アレンにも優しくしてくれるので。」
「そうか…。」
ま、まともに旦那様と会話が出来てしまった。私は内心驚愕しすぎて心の中で顎が外れそうだった。ふ、と嬉しそうに笑う旦那様の雰囲気が優しい。…もしかして旦那様も動物好きなんでしょうか。旦那様は平民の出身なので、この屋敷にいる使用人はみんな私の家から連れてきた。もちろん旦那様が過ごしやすい様に友人や親戚等に獣人が居る者、他種族に理解がある者を中心に面談して決めたので、この屋敷で旦那様が冷遇されたりすることは絶対にない。もしそんなことがあれば私が責任を持って処罰することを使用人全員に通達してあるから尚更である。
それでも、やはり旦那様からすれば身一つで味方の居ない敵陣に単身乗り込んでいるようなものでしょう。突然爵位を持たされて貴族として生きているのだから、ストレスは相当なモノのはずだ。旦那様へ貴族としての教育を担当しているセンジュからは、『頑張ってますから問題ないですよ。』なんて軽く言われたのを真に受けていたけれど、私自身のことばかりじゃなく旦那様の事も気を配ればよかった。
「はぁ…。」
ダメだ。考え出すと自分の悪い所ばかりが目についてしまって、気分が落ち込む。…確かに言われたことはまだ消化できてなくて、胸がムカムカするけれど…旦那様だって心も身体もつかれていらっしゃったんだと思う。あの契約書がきっと本心で、やっぱりアルベルトのために私と結婚してしまうような優しい人なんだろうな…。いつも同じ答えにたどり着いてしまって思わずため息をついた時ふと隣に人の気配を感じて視線をやると…旦那様が、膝を付いて私をジッと見つめていらっしゃった。
「え?」
見上げてくる赤と青の色彩に一瞬ガイアくんが重なって…驚いて向き直ると、旦那様の手が私の頬に触れて。
「どこか具合が悪いのか?顔色がよくない。」
「そ、そんなことはありません。御心配には…ッひゃっ?!」
だっ旦那様に触れられてしまった…っそれだけなのになぜか顔に熱が集まって視線が泳いでしまう。…ッだって!初恋だったんだもの!不可抗力よ仕方ないじゃない!!誰に言い訳をしているのか内心で叫んでいるとひょい、と旦那様に抱えあげられていた。
「…え?…っええ?!」
「やはり顔色が悪い。熱があるんじゃないか?産後は体調を崩しやすいと聞いた。大事を取った方が良い。」
言うや否や歩き出した旦那様に、私の脳内と心臓は大暴走を起こしていた。旦那様に触れられている箇所が熱い。憧れのお姫様抱っこに、至近距離にある旦那様のお顔に、心臓が五月蠅い。何より抱えあげられていること自体が恥ずかしくて涙がにじんできた。
「だっ、大丈夫です私は…ッ!」
「ダメか?」
「えっ?」
「オレが、妻を…シャリアを心配するのは、許されないだろうか。」
「…ッ、」
歩みを止めて深海色の瞳と赤いお耳を悲しそうに伏せてぼそりと落とされた旦那様に、何とか理由を付けて降ろして貰おうと藻掻いていた私は動きを止めた。私は、また自分のことしか考えていなかった。うう…、こんなことをしているから旦那様に嫌われるのだ私はッ。恥ずかしいくらいなんだ、離れの塔までなんて大した距離じゃない。そこまで位なら我慢できるでしょう!?
「…すみません、お願いできますか?」
緊張で震える手を叱咤しつつ、何とか旦那様に触れる。といっても、抱えられていて襟元を少し掴む位だったけれど…私からするとかなり頑張ったと思う。恐る恐る旦那様を窺いみると、…それはそれは嬉しそうに微笑んでいらっしゃって。ドストライクな男性の笑みを至近距離でぶつけられた私の心臓は、塔に着くまでの間止まっていたのかまるで記憶が無くなっていた。
そして、その日から少しずつ…本当に少しずつ、旦那様との関係が変わっていった。
(許されるわけがない…あんなに傷付けたのだから…。それでも、シャリアに笑って欲しいと願ってしまう…シャリアを求めてしまう。どうしてこんなに自分勝手なんだオレは…愛しているなど、どの口で言うんだ。きっと信じては貰えない…。)
(ああ、また旦那様のお手を煩わせてしまった…。旦那様を望まない生活に縛っているのは私なのに。…放っておいてと叫びながら恋心が別れを怖がっている。こんな浅ましく自分勝手な私を、旦那様が好きになってくれるはずないのに…。)