混乱
「あ、アルベルト!女神が!女神様が天使をお抱きになられてるっ!宮廷画家を呼びましょう?!」
家宝にします!と思わず叫ぶのも無理は無いと思う。だって…、ご覧下さい。背景には本邸のステンドグラス、差し込む日の光も鮮やかに、大聖女ルナマリア様の純白の聖衣を染めて。腕に抱かれるのはマイプリティエンジェル。
「はぁあっ、尊…っ!」
思わず膝から崩れ落ちて、拝む。大聖女ルナマリア様は、私の結婚式前日と当日、あとちょっとの顔合わせを含めても片手で足りる位しかお会いしていない。
それでも、一目見ただけで大聖女だとわかる神聖な雰囲気。なによりとんでもない美少女。いま19歳でいらっしゃるから、大人と子供の脆い境が余計にルナマリア様に禁欲的な魅力をプラスしていて。
金髪のウェーブがかかった髪は光を反射し、同じ黄金色の瞳は星をちりばめるようで、眼差しは慈愛に満ちている。薄く色付く桜色の頬は白い陶器のような肌に綻ぶ華のようだ。小さく華奢な身体も、庇護欲を存分にそそる。
たまんねぇな!と心で絶叫する。国宝級美少女に大満足です。
「ルナマリアと君の息子で絵を描かせたら、ルナマリアの子だと勘違いされるだろう。なにより、先ず初めは僕と彼女の子供で描くんだから。」
ダメ。とアルベルトに一蹴され、思わずブーイングを飛ばす。今日は私の体調が整ってきたので、天使と友人の顔合わせの日だ。
「ルナマリア様、ありがとうございます。」
「そんな、どうぞルナマリアとお呼び下さい。」
私の産後の回復を心配して、大聖女様直々に回復魔法を施して貰うなんていう、信者垂涎のご褒美まで貰いました。そのお返しと言っては何ですが、マイエンジェルを抱っこしていただいたんだよね。うちの天使の抱っこはご褒美ですよ?もちろん。
「思ったより元気そうでよかった。」
それぞれパートナーとソファに座り、談笑する。目の前の夫婦はソファの広さに対して、肩が触れる距離で座るくらい、熱々新婚カップルで。1年しか違わない我が家は、広さを余すこと無く生かしてますよ。なんせ両端に居ますので。
「頑丈なのが取り柄ですから。…アルベルトは、ルナマリアのサポート、万全にね。」
「!…っ、」
私の言葉に、旦那様の肩がビクリとはねる。見えないけど、多分冷や汗を掻いて目を泳がせていることだろう。ふふふ、ちょっと意地悪しました。
「もちろん。神官達によると、女の子らしいんだ。ルナマリアに似ると良いんだけど。」
「あら、私はアルベルト様に似た女の子がいいですわ。」
話をそらして笑い合うおしどり夫婦は、本当に幸せそうで。まぁ、私もマイエンジェルが居ますので、負けないくらい幸せですよ!ねぇ?と天使を見つめると、ふにゃりと顔を綻ばせて、ああ、可愛いなぁ。
「そろそろお昼寝の時間なので、一度下がりますね。」
「もうそんな時間か。長居してすまないな。」
「…いや、是非、夕飯も食べていってくれ。」
うとうとと船をこぎ出した天使をあやしながら、立ち上がる。相づち以外に声を発さなかった旦那様は、ここで漸く言葉を紡ぐ。…この人、本当に無口だなぁ。
「では、失礼します。」
軽く頭を下げて、侍従の開けたドアから退室する。その後、マイエンジェルを寝かし付けるつもりが寝かし付けられ、起きたら翌朝になっていて呆然とした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「で、なに。どういうこと?」
「っ、す、すまない。」
ドアの先に、退室した妻を思い出して眺めてしまい、アルベルトの声に返事が遅れた。ちら、とアルベルトとルナマリアを見れば、怒り半分、心配半分と言った所だろうか。オレを見つめて、話し出すのを待ってくれていた。
なんと、云えば良いのだろうか。何を言っても言い訳にしかならないこの状況を。
「はぁ…。取り敢えず、こっちから質問しても良い?」
「あ、ああ。」
肩をすくめて苦笑する親友は、恐らく山ほどの噂を聞きながら、ここまで見舞いに来てくれたのだろう。申し訳なさと不甲斐なさに、頭が下がる。
「結婚前に契約書を作ったって言うのは?」
「本当だ。」
「シャリアが隔離されてるって言うのは?」
「…ああ。」
「…身籠ったシャリアに、」
「……ほんとうだ。」
顔を覆い、絞り出した声は、自分でも聞き取れるか怪しいか細さと震えで、まるで言葉とは言えない音だった。指先から血の気が引き、震える手を強く握るが感覚がまるでもどらない。
一年前、オレはアルベルトの元婚約者と結婚した。平民から突然英雄になり、祭り上げられたオレは、社交界や王宮なんてものについて行ける訳も無く。ただ悪戯に褒め称えられ、平民だと笑われ、獣人だと馬鹿にされた。着飾った女達が、代わるがわる寄ってきてはしな垂れかかり、既成事実を作ろうと時に寝室に侵入してきた。顔は笑い、媚を売りながらも、塵を見るような目でオレを見て。
どいつもこいつも、同じような奴等ばかり。唯一信じられるのは、仲間だけだった。オレの現状を重く見たアルベルトは、自分の元婚約者と話をつけ、オレに当てがった。信じられなかった。いや、アルベルトのことは、信じている。信じられないのは、元婚約者の方だ。凱旋一年ではまだ身辺が忙しく、お互い手紙でのやり取りしかなかった。その時に、決めたのだ。
オレに何も求めない事。身体の関係は月に一度。跡継ぎが生まれればオレに関わらない事。…今思えば、最低で最悪なオレの申し出も、当時は本当に、気が狂うほど追いつめられていた。それを知ってか知らずか、彼女は…シャリアは、オレの一方的な申し出を受け入れてくれた。
「初めまして、旦那様。」
「……、っ!」
結局、対面したのは結婚式当日。純白のドレスに絹のような漆黒の髪。虹色に輝く黒曜石の瞳。嬉しそうにオレを見つめるその目には、他の貴族達のような蔑みも妬みも無く。それに、シャリアから香るこの甘い匂いは…。すぐに後悔した。あんな馬鹿な契約を交わしたことを。彼女は、シャリアはオレの番だ。
式が終わったら、ちゃんと求婚しよう。契約は白紙にして、誠心誠意謝ろう。シャリアは人族だから、わからないかもしれないが…、獣人族の説明を、番について知ってもらわねば。…いや、その前にし、初夜があるのかっ!きっとこれは運命だ。魔王を倒したオレに、神がくれた褒賞だ。
その時のオレの頭の中は、喜びと罪悪感と興奮がぐちゃぐちゃに混ざり合い、式の間も披露目の夜会も、シャリアばかりを見つめ、追い、何も入ってこなかった。シャリアと、会話らしい会話も挨拶も、名乗りすら、していないことに気づいていなかった。
夜会を終えたころには、限界で。今までのストレスや、疲労。思っていた以上にオレを蝕んでいたそれらを、シャリアにぶつけてしまった。まるでシャリアを思いやらず、搔き抱いて噛みついて、オレの痕を身体中に刻み込んで。オレだけ、満たされて溶かされた。
「本当にすまないっ!」
「はい、大丈夫ですから、ね?行ってらっしゃいませ。」
翌朝正気に戻り、シャリアに土下座して詫びた。起き上がることもままならないシャリアに、謝罪しながら全てやり直すつもりでいた。契約の破棄と、これからのオレ達の話を。しかし、緊急で王宮から呼び出され、二ヵ月、シャリアから引き離された。
「すまない、ガイナス。」
「謝るなよ、アルベルト。悪ぃのは、お前じゃない。」
学のないオレには、理解できない貴族の派閥争い。魔王がいなくなった途端、同族で争うなんて。しかし、これもシャリアを守るためになると思えば我慢できた。はやく、早く帰ろう。シャリア、オレの番。異種族の番と出会うことが、どれだけ難しく、夫婦としてあれることが、どれだけ奇跡的か。伝えて、
「…妊娠、した?」
「はい。あと一ヵ月もすれば、確実な結果が出るそうです。」
確かに、シャリアからはメスの匂いが薄れて、代わりに母親の出す威嚇や防衛本能の匂いがする。妊娠は、確かにしているのだろう。混乱した。シャリアと身体を重ねたのは、初夜のあの一度だけ。
二か月もたてば、シャリアを抱いた時の、オレの匂いも薄くなっている。あの後、すぐに他の男が来れば、匂いも消えて…、いや、匂いを消されれば、隠されれば、わからない。一度で、妊娠するものなのか?二か月もオレのいない期間があって、シャリアは美しいから、いくらでも他の雄が、だってオレは獣人で、シャリアは貴族で、オレは、
オレは、シャリアに捨てられるのが、恐ろしくなった。
「…本当に、オレの子、なのか?一度で身籠るなんて、そんな、」
「…えっ、」
いった瞬間、後悔した。にこにこと、幸せそうに微笑むシャリアから、すべての感情が抜け落ちて、瞳に絶望の色が映って。信頼も、愛情も、駆け足で通り過ぎて、お互いにはまだ何も持たないいまま、ここまで来てしまった。
違うんだ、ごめん、謝らなくては。わかっている、匂いでわかる。シャリアに宿っているのは、オレの子供だ。何とか言葉を紡ごうと、喉を振るわせようとしても、涙目のシャリアに息が詰まって音が出ない。血の気が引き、視線を彷徨わせ、手をきつく握りしめる。いえ、早く言うんだ。
「…わかりました。」
シャリアの冷えた声に、びくり、と身体が跳ねる。見れば、きつく唇を噛み締め自身の腹を、中の子を、優しく撫でていて。
「生まれれば、わかることです。私は不貞などしていません。しかし、疑われるのもそのような目で見られることも、業腹です。離れの塔に、この子と移ります。」
「ま、まて、ちがう、」
「いいえ、何も違いません。」
き、と涙を溜めた強い瞳で睨みつけられ、心臓が締め上げられる様に痛む。オレに疑われた憤怒と、信じられなかった哀傷の匂いがする。シャリアからほろほろと溢れる涙に、手を伸ばして、
パシッ
軽く、乾いた音がホールに響く。叩き落とされた手が、うっすら赤みを帯びて。一瞬、申し訳なさそうにオレの手を見つめて、侍女と共にシャリアは出て行ってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それで?アレンが生まれたのに、なんでシャリアはまだ隔離塔にいるんだい?」
「何度頼んで、頭を下げても戻ってきてくれないんだ…。きっと俺と居るのが嫌だから、」
顔を覆ったまま、鼻をすする音がする。190cm超えの大男が、まるで兎の様に小さくなって震えている。うん、何やってるんだ君は…。まぁ、獣人にとっての番は、第二の心臓って言ってたもんね。確かに精神状態も、タイミングも悪かった。でも今日の反応を見る限り、シャリアはガイナスを嫌っていない。ルナマリアもそう思うのか、ちら、と僕を見て二人で頭を抱える。正直、やったことがひどすぎる。
「あの、私がシャリアさんとお話してみますか?」
「うう~ん…いや、僕が話そう。」
ルナマリアはシャリアの好み過ぎて、そういう話はしてくれないと思う。そういうと、先ほどのシャリアの興奮具合を思い出したのか、苦笑いをして譲ってくれた。侍女に塔へ行けるか尋ねれば、シャリアはアレンと眠ってしまったらしく。
「仕方ない。とりあえず、次に来た時に話をしよう。ガイナスは、シャリアとちゃんと会話して。」
「シャリアさん、ガイナスを嫌ってはいないと思いますわ。」
僕達の言葉が聞こえているのかいないのか、虚ろに返事を返してくるガイナスに再度話し合いをするように念を押して、僕達は王宮に帰った。