フォトフレーム
作者はここまで壊れているわけではないので、安心してお読みください。
恐いかどうかは、感じ方しだいかと思います。(きっとたいして恐くない)
「もういいかい」と呟くと、短く「まだだ」と聞こえた。
紛れもなく夫の声だが、どの写真が発したのかはわからない。
介護用ベッドが無くなり、葬式が済み遺灰が来た。
彼の祖母が愛用していた卓の上に据え、周りに30もの写真を額に入れ飾っている。
壁にはもっと掛けてある。
一人暮らしの様子を見に来てくれた友は、その有様に瞬時息をのんだ。
彼女が心優しいのは言うまでもない。
「あら素敵に飾ってるのね」と笑顔を作り、「生前のご主人に会ってみたかったわ」と続けた。
彼女と知り合った時には、夫はもう寝たきりだった。
霊魂というものがあるかどうか知らない。
ただ意識は今も存在する。
声が聞こえるのだからそうなのだろう。
家に居れば安心だと思うのだから。
護られていると知っているのだから。
つがいを失った私の身体は、もう生物学上、雌ではなくなったようだ。
坂道を転げ落ちるように、日々衰えている。
だから、わざと声をかける。
「もう……、いいかい?」
一緒に死のうと言い合った仲だ。
ひとり遺されて、生にしがみつくこともないだろう?
これからもっと身体が壊れ、ひとり闘病する日が来たら、私はどうなってしまうのか。
早く見つけなければならない。
声がする写真を。
意識が乗った一枚を。
夫が隠れているから。
入院する時に持っていこう。
この家に居られないのなら連れていかねば。
ウェディングドレスの私を蕩けそうに見ているもの。
海を背にガンを飛ばしているもの。
ペンギンと映っているもの。
「もういいいかい? 死んでもいいかい?」
フランスへの電車の中。
古城の畔。
アフタヌーンティー。
「まだだよ。おまえはまだ」
声はこっちじゃない。
手を繋いだもの。
翼のように両腕開いたもの。
「何?」と首を傾げたもの。
肉体の枷を抜けた夫は、音節ごとに、フォトフレームを身軽に渡っていく。
「ま・あ・だ・だ・よ」
海に向けて石を投げる。
鳥にエサをやる。
バス乗り場で新聞を読む。
急がなければならないのに、決められない、捕まらない。
あなたは……どれ?
切羽詰まってまた問いかける。
「もう、いいかい?」
音が途切れ、エコーする。
「もう」
花火の夜。
「いい」
フェリーのデッキ。
「よ」
防波堤の上。
「し」
友人の結婚式。
「ん」
フラワーショーの案山子と並んで。
「で」
夕陽に向かう背中。
「く」
ホテルの朝ご飯。
「れ……」
ああ、声がする。
全ての写真から聞こえる。
ここに横たわっておけばいい。
なんだ、それでいいんじゃないか……。
ー終焉ー