第70話 観察眼
「……変な約束をしちまったもんだ」
コンラートが僕の部屋でお茶を飲みながらそう言った。
ヘリオスでもかなり上等なお茶で、高位貴族くらいしか手に入れることが出来ない品のようだが、僕らにはそれを提供してくれるスポンサーがいる。
マリアだ。
彼女もまたここにいるし、彼女の友人のラーヌ、それにジョゼもいる。
僕の部屋は最近、これにコンラートと僕を含めた五人のたまり場と化している。
マリアの部屋もここに匹敵するくらいに広いらしいので、たまにはそこでもいいじゃないか、と提案してみたくもなるが、女性の部屋でくつろぐというのは何か問題がある気がするので口にすることは無い。
それに、僕の部屋はかなり都合が良いというか、他の生徒達の部屋からは少し離れた位置にあるため、ここにわざわざ来るような人間はかなり少ない。
ラーヌやジョゼはともかく、マリアが頻繁に男子生徒の部屋に入り込んでいる、という話が広まるのはあまりよくなく、その反対も問題であるため、それを避けるためには僕の部屋が最適というわけだ。
ちなみにどう問題かと言えば、マリアが誰かの毒牙にかかった、という話になるのでは無く、反対に誰かが(この場合は僕だ)マリアの毒牙にかかった、という話になってしまうために問題なのだった。
間違っても心配されないらしいマリアがなんだか気の毒になるが、彼女曰く「そういう風に振る舞っているから問題ないのよ」ということらしい。
孤高の女帝は腹の据わり方からして違うようだ……。
そうそう、さきほどコンラートが言った約束、というのはもちろん、この間生徒会室に行ったときの、生徒会長とのそれのことである。
僕はコンラートに言う。
「会長の嘘を見抜く、だっけ? どんな嘘をついているというんだろうね」
「それがすぐに分かったら苦労はしねぇよ」
「確かに。まさか好物が牛の臓物だけど、表向きにはサラダで通している、とかいうことじゃないだろうしね」
「そんなんだったら簡単なんだがな……学食で見張ってればすぐに分かるぞ。俺の持ってる情報の中に、この学園の生徒の好物と嫌いなものくらいはもうあるからな」
コンラートがそう言ったで、マリアが口を挟む。
「あら? だったら私の好物は分かるかしら?」
「好きなものは甘鯛のポワレとフルーツのコンフィのタルト。嫌いなものはザワークラウトだろ」
間髪入れずに答えたコンラートにマリアは目を見開いて驚きを示し、
「……正解だわ。よく分かったわね」
「そりゃあな。さっきも言ったが食堂で確認してる」
「私が食べているところを見てたってこと?」
「そうだ」
「……でも、私、どの食材を食べているときも同じような顔をしていたと思うけれど。顔には出さないように努力していたはずよ」
淑女としても貴族としても、料理を作った者への敬意のため、そして一緒に食事を採っている者を不快にさせないために、どんなものを食べたとしても美味しそうな顔をして食べるように教育される。
この学園の生徒の中でも、多くの貴族はそれを実践している。
庶民達はそこまで気にしないので、美味しくないときは素直に顔に出す。
マリアは当然、前者であるから、顔には出していなかっただろう。
しかも、女帝として君臨できるほどの演技派であるからして、見ていてもそう簡単に分かるとも思えないのだが……。
しかしそんな疑問にコンラートは言う。
「たぶん無意識なんだろうが、好きなものを食べるときは食事の速度が落ちていたし、反対に嫌いなものを食べているときは速度が上がっていたからな」
「そんなことで……しかも速度が落ちている方が好きなものだと判断できたのはなぜ?」
マリアが首を傾げる。
言われてみるとそうだな。
好きなものを食べている方が食事の速度は上がりそうだ。
これにコンラートは、
「それは俺の勘だ、とか言えたらかっこいいんだがな」
「違うの?」
「違う。たまにあるだろう。コース料理の最後に一品、好きなものを頼めることが」
そう言われてマリアは納得した。
「あぁ……それで私が頼んでいたものを見て、少なくともそれは嫌いなものではない、と判断したと」
「そういうことだ。それで、その品について食べる速度はゆっくりだったから……まぁ、好きなものを食べているときは速度が下がるんだろうな、と分かったわけだな」
「改めて聞けば納得だけれど……たかが私の好物を調べるためにそんな細かく観察する?」
マリアからするとそちらの方がずっと謎らしい。
しかしコンラートは、
「どんな情報に価値があるかは、それが必要とされるときになってみないと分からないからな。好物と嫌いなものだって、いつかマリアに見合いが設定されて、その際の食事会を取り仕切る料理長から求められるかもしれねぇぞ。金貨何枚でも出すって言う可能性もある」
「確かに……それはそうかもしれないわね」
本人や家族に聞けば良い、という話になるかも知れないが、そもそもマリアは家族の前でも全ての料理について美味しそうに食べる、というのを実践しているだろう。
つまり家族すらも好き嫌いを把握できていない可能性がある。
そして本人に尋ねても、好き嫌いはないし、どんなものでも美味しく食べますわ、と答えることだろう。
これでは料理長も頭を抱えてしまう。
そこにすっとコンラートがやってきて、好物と嫌いなものの情報を持ってくるわけだ。
確かにいくら払っても手に入れたくなるな。
「……しかも、コンラートはこの学園の生徒全員のその情報を持っている、と。もうそれだけで一生食べていけるかもしれないね?」
貴族は婚姻も仕事のようなところがあるから、余程の事情が無い限りはしないということがない。
つまりいずれ使われる情報であるのは間違いない。
そのときに毎回、金貨をせしめていれば、まぁ、普通に生きていく分には問題ない程度の金を貯め込めそうである。
「情報の大切さが分かるだろ? ……だが、そんな俺をしてあの会長のことはよく分からねぇ訳だ。学園卒業したら、会長の部下として就職かねぇ……」
冗談交じりとはいえ、そのように約束してしまったコンラートである。
あんなのはただの冗談だ、と突っぱねることも出来るし、それをしたところで会長も怒りはすまいが、しかしコンラートはそうはしないだろう。
これで結構負けず嫌いなところがあるからな。
「ま、あの人が卒業するまでには見抜いてやるぜ。まだ時間はあるからな……」
ほんの数ヶ月だが、コンラートにとってはかなりの時間かも知れない。
「僕も協力したいところだけど、情報集めはそんなに得意というわけじゃないから、何か協力できることがあったら言ってね」
「おう、頼んだぜ。それから、マリアたち三人も、会長についてなんかあったら教えてくれよ。それこそ金を出すぜ」




