第5話 妙な少女
「……まぁ、さんざん脅すようなことを言っておるが、実際は嫌がらせに気を付けろ、と言ったところじゃ。流石に命の危険があるようなことはないと思うが……用心だけはしておくように」
学園長はそう言って、その場を後にした。
学園で使う教科書やら制服などについては、今日中に届けるということだから、心配する必要はないとのことだった。
正式な入学の発表は明日の予定で、今日のところはしっかりと身を休めておくといいとも。
これは、通常の定例朝礼の中の一部として、軽い紹介をするというものだ。
名前を呼ばれて終わりだからあんまり気にする必要はないと言うことらしい。
時間があるようであれば学園内の散策も許可されたので、僕はとりあえず荷物を整理したら、学園を回ってみることにしようと思った。
僕の荷物は本当に少なく、整理には大した時間はかからない。
部屋に備え付けの本棚やクローゼットに入れても、かなりスカスカで物寂しい感じがするくらいだ。
必要な調度品はすべてそろっていて、特に不足するものもなさそうなので、これ以上ものが増えることもこれから先、なさそうだ。
まぁ、この学園を卒業したら、僕は一人で生きていかなければならないのだ。
鞄一つでどこにでも行ける身軽さを身に付けておいた方が何かと便利だろう。
……さて、大体、荷物も片づけ終わったところだ。
そろそろ、学園を探検でもしようか。
部屋の鍵は魔術によって加工されたカード……つまりは魔導具を使用した仕組みを採用しており、部屋を出れば自動的に閉じるという話だったから、カードを忘れないように注意する。
部屋の机の上においてあったそのカードを手に取ると、そこには僕の身分が細かく記載されているのが分かった。
どうやら、身分証、学生証としての意味も持つ物らしい。
内容を見てみると……。
「リュー・アマポーラ。リラント王国出身、アマポーラ子爵の長男、十六歳……魔術師位階従八位、入試成績……千点満点中、七百二十点……総合順位、二十七位」
出身地や年齢だけならともかく、魔術師位階や入試成績まで記載してあるとは思わなかった。
《魔術師位階》とは、魔術師としての力を持つ人間が節目節目に測定され認定される、魔術師としての実力を示すための位だ。
これについては各国がそれぞれの国から出した代表的な魔術師たちが顧問を務める《世界魔術師連盟》が主導して認定を行っているもので、正一位から従九位、そしてその下に大初位と少初位がある。
最低が少初位で、これは魔術を使うに足る魔力を持っていればそれだけで認められる、一応の位であり、持っていることにさほどの意味はない。
せいぜい、魔術師になれる可能性がある、というのを示す程度だ。
ちなみに僕のカードに記載されている従八位とは、第一階梯及び第二階梯の魔術のうち、合計して五つを使用できれば認められる、というもので、持っていれば魔術師としてそこそこだなと見られる程度のものだ。
まぁ、この学園にいる者たちなら、小さいころから魔術を学んでいる者であれば少なくない数、持っていると思っていい。
大抵が第一階梯の魔術を五つ修めている状態で取る事が多い。
第二階梯の魔術は学園に入ってから学んでいくのが普通だからだ。
カードを矯めつ眇めつ見て、そろそろ書いてあることは全部読み切ったな、と思ったところで、ふと、カードの横に突起のようなものを発見する。
なんだろう、と思って触れてみると、かちり、と音がし、それから、カードに記載されている内容が変容した。
「……」
改めて読んでみれば、そこには僕の正しい情報が色々と明記されていた。
先ほどまでの見せかけのものとは完全に別だった。
僕は無表情で書いてあること全てを読み取って、それから急いで元の表示に戻すべくカチカチと突起をいじる。
すると、ふっと表示は変化して、元のものに戻った。
あの学園長、恐ろしいものを適当に置いていくものだ。
こんなもの、他人に見せられないではないか。
それにしても、この突起をいじると表示が変わる仕組み……。
こんなものつけなくても良かったのに。
あとで、どうにか無効にできる方法を学園長に聞かなければならないな、と思う。
なにせ、僕は身分は捨てたのだから。
厳密にいうと、捨てられた方だけれども。
◇◆◇◆◇
「……きゃっ!?」
探検がてら、学園内を歩いていると、廊下を曲がろうとしたところで死角から走って来た何者かに、僕はぶつかった。
来る前から誰かが来る、というのは分かっていたので当たらないように速度を調整していたのだが、不思議なことに向こうも絶妙に僕の速度に合わせて動き、向かってきていたのだ。
極めつけとして、僕が立ち止まれば向こうの方も立ち止まるのだからどうしようもない。
これは、もう仕方がないなと普通に進み、そして案の定、僕はその人物とぶつかった。
ぶつかった相手は、声や感触からして、若い女性だろう。
さらにぶつかったすぐ後に倒れたその人物を見てみれば、まだ僕の手元には届いていないヘリオス魔術学園の制服を身に纏った、少女が座っていた。
立とうとはしていない。
そうではなく、「いだぁ~い!」などと言って、膝を摩っている。
一目見て、頭が悪そうだ、と思ったが、しかし初対面の少女にそんなことを想うのは流石に人間として問題だと思い、僕は首を振って、その少女に当たり前の気遣いを見せることにした。
「……ええと、大丈夫かな?」
そう尋ねると、少女は、一瞬はっとして、それから慌てたように立ち上がり、
「だ、だいじょうぶですっ! あ、あのっ、手をお借りしても……?」
と聞いてきた。
もちろん、僕が伸ばしている手を借りたいということなのだろう。
僕としてもそのつもりで差し出した手だから、全く構わない。
が、何か妙な感じがする。
しかし、その何か、をうまく言葉にできず、とりあえず僕は悩みつつも頷いて答えた。
すると少女はおずおずと、だがしっかりと僕の手を掴んで起き上がった。
それから、
「ありがとうございますっ! 助かりました。あの、私、エリーゼ・ランドールと申します! あなたは……?」
「僕? 僕はリュー。そんなことより、何か用事があって急いでいたんじゃないのかい? 早く行った方がいいよ」
どんな理由があるのかは分からないが、これだけ高速度で僕にぶつかって来たのだ。
何かしらの用事があって駆け足だった、と考えるべきだろう。
速度が合ったのはおそらくたまたまだ。なにせ、普通なら見えない死角から彼女はやってきたのだ。
僕は魔術でもって見えていたが……そこまでの実力がこの少女にあるようには見えない。
そもそも、僕はとりあえず学園を探検したかったので、少女に構っているのも時間の無駄である。
だからこそのそっけない態度だった。
そんな僕を見て、少女は若干首を傾げ、しかし、
「あっ、そ、そうですね……では、お礼は改めて後日。失礼します、リュー・アマポーラさま!」
そう言って、少女は足早にその場を去っていったのだった。
僕はあいまいな微笑みを顔に張り付けつつ、彼女に手を振って見送ったのだが、ふと、彼女の台詞に首を傾げる。
――あれ、僕はフルネームを名乗っただろうか?
と。
記憶にない気がするが、しかし少女は確かにそれを口にした。
ということは、おそらくはどこかで名乗ったのだろう。
いや、そうでないにしても、ここは貴族御用達の学園である。
入学生の名前や出自などは事前に色々と手に入れる方法がある可能性が高い。
少女もそう言った方法で僕の名前を知り、しかし初対面の相手だからととりあえず名前を聞いて礼儀を示したのだろう、と思った。
ともあれ。
全体的に見れば、別に特に何かおかしな出来事だった、というわけではない。
その割に、妙な胸騒ぎというか、おかしな感覚を感じるが……きっと気のせいだろう。
そう思って、僕は改めて学園探索に戻ることにした。




