第39話 渦巻く陰謀
「……ノルブ先生。まさか、貴方、初めから……」
マリアが不審げにそう呟くと、ノルブは言う。
「初めから、というのがいつの時点を指すのか判然としないが……この外出に出たときから、というのであればそれはそうだと言うことになるだろうね。そもそも……、私がこの学園に赴任したそのときから、という意味であっても同様だ」
「そんなに前から……? 私たちを狙っていたというの?」
「君たちを、じゃない。君を、だよ。マリア・ディリーノ」
「私を……?」
「あぁ。だが、君は意外なほどに隙がなく、困っていたんだ。本当ならこんなに長くこの学園にいるつもりはなかったのに……全く。随分と長くいすぎて、生徒達が本当に自分の教え子のように愛しくなってしまって困ったよ。ジョゼとも……ここ最近は、良く会話をしてね。彼女の研究にも少し力を貸していたんだ。ほら……ジョゼ、見せてあげるといい。君の大好きなマリアのために、ね……」
そう言うと、虚ろな目をしたまま、ジョゼが懐から何かを取り出した。
透明な小瓶のようで、中には黄色みがかかった透明な液体がたたえられていた。
ジョゼはその蓋を開き、そしてその中から何か粘性のある液体のようなものを周囲の全体にまんべんなく撒いた。
「一体何を……? っ!? この香りは……」
「本当に君は優秀だね、マリア。そう、たった今ジョゼが撒いたのは、竜呼花を加工し、その香りを濃縮するために、精油化したものだ……。その効果は……まぁ、言うまでもないだろうね」
「なぜ……ジョゼはそんなものを……」
「君が求めたからだろう? まぁ、君はただの観葉植物として鉢植えを欲しがっただけらしいが、香りも気に入っていたそうじゃないか。ジョゼに、その香りを濃縮したものを贈ったら喜ぶんじゃないかと提案してね。精油にすれば香水代わりにも使えるし、いいんじゃないかと言ったら、一生懸命研究し始めたよ」
「ジョゼ……貴方、そんな愚かなことを……!?」
ノルブの言葉にラーヌが叫ぶ。
しかしこれにはノルブがゆっくりと首を横に振って言った。
「いや、いや。ラーヌ。ジョゼとて、そこまで愚かではないさ。彼女は竜呼花の効能をよく知り、それによってどんな危険があるのかをしっかりと理解していたよ。だから……香りを濃縮などしたら大変な問題になることも分かっていた……でもね。彼女は残念ながら所詮、学園一年生にすぎない。多くの魔術に対する抵抗も持たないし、自らが幻惑にかけられていることを察することすら中々出来ないんだ。だから、彼女は僕が良い思いつきのように言った提案を、まるで自分の思いつきで、素晴らしい結果をもたらすもののように感じたんだ……」
「……私を狙うのなら、ジョゼを巻き込む必要なんてなかったはずだわ。なぜそんなことを……」
「さっきも言ったがね。君は隙がなかった。君の実力が、決して授業で見せているものだけでないことを、私は知っていたんだよ。だから、真正面から、学園で君を拐かそうとしても無理だということも理解していた。けれど、君を観察していく内に私は気づいたんだ。マリア、君は意外なほどに知人を大事にするということにね。他の令嬢に厳しく当たり、学園の羨望と嫉妬、憎しみを一身に集める……そう、悪の令嬢として君臨しているのに……その心根は優しげな少女だ。私は思った。これを利用しない手はない!ってね。君はここで、ジョゼやラーヌを見捨てて逃げることはしない。出来ない……だから、最終的には私の言うことを聞くしかなくなるのさ。幸い、ジョゼもラーヌも、優秀な魔術師となれる才能を秘めている。マリア、君と共に連れて行ってもきっと役立ってくれることだろう……」
「私たちを一体どこに連れて行くと……?」
「それは着いてからのお楽しみだ。さぁ、心の準備は出来たかな? ほら、耳を澄ませてみるといい。良い声が聞こえてくるじゃないか……?」
言われてマリアが耳を澄ませば、
――ギャア、ギャア!
という、鳥の声を数倍も甲高く、巨大にしたような音が大量に近づいていることが分かる。
「ま、マリア様……あの声は……」
ラーヌが聞いてきたので、マリアは冷や汗を一筋垂らしながら答えた。
「……おそらく、飛竜よ。竜呼花の効能は、竜を呼ぶというもの……その中には亜竜も含まれるの。数輪の花くらいだったら、大した数は呼べないでしょうけど……さっきジョゼが撒いたのは竜呼花の精油……。ここに充満した香りだけでも、数十の花から作られたものだということが分かる……」
「つ、つまり……?」
「今から沢山の飛竜が、ここにやってくるでしょうね」
「マリア様! 逃げましょう!」
事態をやっと把握したラーヌがそう言ってマリアの腕を引っ張るが、マリアは微動だにしなかった。
ノルブと相対しながら、彼に肩を掴まれたまま虚ろな表情を浮かべている同級生に視線を合わせている。
「マリア様……まさか」
「そうよ。ジョゼを放ってはいけないわ。でも……ラーヌ。貴女は逃げなさい。それほど離れていない位置にミラナ先生と学園長先生がいるはず。光玉の上げ方も覚えているでしょう? ここから少し離れた後に上げなさい。そうすれば、察してかけつけてくれるはずだから」
「でも、マリア様が……!」
「ノルブの狙いは私よ。私が貴女と一緒に逃げれば必ず追いかけてくる。でも貴女一人なら……それに、貴女が早く助けを呼んでくれれば、私とジョゼが助かる確率もずっと上がる。だから、行って……早く、行きなさい!」
マリアがそう叫ぶと同時に、弾かれるようにラーヌはその場から走り出した。
それを見つめながらも、ノルブはやはりその場から動かない。
「……やっぱり、追いかけないのね?」
「私の目的は君だからね、マリア。それに、ラーヌ一人なら、後でも何とでもなるさ……」
「そうかしら? きっと、ミラナ先生と学園長先生を連れて戻ってくるわよ」
「では、その前に君を確保しなければ。といっても、私はあんまり頑張らなくてもいいのだけどね。そら、飛竜たちの到着だ」
そう言ってノルブが上を見上げると、そこからぱっと見でも五十匹を優に超える数の飛竜が降りてくるところだった。




