第30話 とある少女の回想5
結果を言えば。
そう、結果を言えば……私は失敗した。
ただ私が拒否された、それだけなら良かったのに、実際は、マリアさまにも恥をかかせてしまって……。
あの日、私は定例朝礼のために式典会場に入られたマリアさまのところへと皆が群がっているのに便乗して、近づいた。
マリアさまが生徒会の役員となられて初めての定例朝礼。
その就任を祝いたい、と、この学園の誰もが思って当然で、だから会場入り口は酷く混み合っていた。
皆の手には花やプレゼントが沢山携えられていて……。
私のような平民のみならず、高位貴族の令嬢までもがいたために、その額を考えると恐ろしくなるような品すらも持っている者もいた。
けれど、私はそういった品を見ても、決して卑屈に思うことはなかった。
なぜといって、私がマリアさまに贈るのは、決してただ経済力のみを持っていれば手に入るというものではないのだから。
それは、竜召花の鉢植え、というそのものの珍しさ、育てにくさもさることながら、マリアさまが直接欲しいとおっしゃった品だということももちろんあった。
この群がる人々の中に、私と同じようにマリアさまと言葉を交わし、直接、欲しいものを聞けた者など何人いることだろう。
そして自らの持つ才覚のみでもって贈り物を手に入れた者も。
きっと私以外には、いるまい。
そのことが私に強い自信を持たせていた。
けれどそのことが良くない自体を招いた原因であったのだろう、と、私は後に思うことになる。
誰よりも素晴らしい贈り物を用意した私は、誰よりも優先してそれを手渡すべきだと、強く心に思ってしまったからだ。
本来であれば、マリアさまに、こんなところではなく……そう、あの誰も知らない庭園で、二人きりのときに手渡すべきものだった。
そうすればマリアさまはあの柔らかな微笑みを私に向けていただき、そして楽しい会話に興じて下さったはずだった。
なのに私は自分の虚栄心、利己心のために、こんな大勢の人がいる中で、本来なら考えるべきマナーもわきまえずに、そして他人に対する配慮というものも忘れて、マリアさまの元へと醜く近づいたのだ。
だから、結果はある意味で初めから見えていたのかもしれない。
群衆の中で、押し合いへし合いながら徐々に距離を詰めていった私。
けれど、何かのタイミングで、ふと、群衆達の体の抵抗が抜けたのだ。
その瞬間、私は体のバランスを失い、前の方へと足をつんのめらせて、大きく転んだ。
そうなると、当然のことながら、手に持った鉢植えは手からすっぽ抜ける。
鉢植えは空中を飛んでいき、そして最も望ましくない方へと土と、中身をばらまかせた。
それはつまり、マリアさまのドレスの上に。
研究の末、最も適度に湿らせた鉢植えの土は、べったりとマリアさまのドレスを穢し、周囲の群衆の興奮の声すらをも消滅させるほどの衝撃をその場に与えた。
とんでもないことをした。
まず、すべきでない、そしてやってはいけないことを、私は自らの不注意と考えなしからやってしまった。
瞬間的にそう思った。
しかし、今更そんなことを考えても後の祭りだ。
「……無礼者! マリア様になんてことを!」
そんな叫び声が、群衆の中の一人からされたが、そんな言葉すら私にはもう響かなかった。
言われるまでもないとはっきり自覚していたからだ。
その後も様々な罵詈雑言が向けられるが、もうこれ以上傷つくものはなく、ただ、顔から血の気が引く音だけが私の鼓膜に響いていた。
どうすれば……どうしたらいいのだろう。
そう思って、ぴくりとも動けない私だったが、こんなときですら、助けてくれたのはやはり、マリアさまだった。
「……静かになさい」
そう言って、周囲の群衆の声を止めてくれたのだ。
そして、その後、私が動けるようにと指示を下さった。
「……下がりなさい。土と、鉢も持ち帰って。いいわね?」
端から聞けば厳しい言葉に聞こえたかも知れない。
しかし、マリアさまは……そうではなく、この鉢と、土の価値を分かった上でそう言って下さったのだ。
竜召花の鉢植えは作るのが難しく、その土の成分や鉢の種類などすらも秘匿すべきことだとすぐに理解して……。
私はありがたく思って、謝罪の言葉を口にしようとしたが、
「は、はい……も、申し訳……っ!」
と、うまく舌が回らずにまともに言うことも出来なかった。
それすらもマリアさまは察してくださって……。
「謝る時間があるならさっさとしなさい」
そう言って踵を返し、それから自らに注目を集めるべく、侍女にテキパキと、そしてはっきりとした声で指示を出し始めた。
群衆達の視線や注目が私から逸れた。
それでも悪意は去っていないのを理解できてしまって、まだ私は動けなかったが、最後にマリアさまが侍女に話すついでに、
「ドレスが汚れてしまったから、着替えに戻るわよ。土と鉢は……私が戻るまでに綺麗にしておくことね」
と、少しばかり睨みを利かせて言って下さったお陰で、周囲の悪意を持った視線すら、私に対する憐憫のそれへと変化したのを感じた。
マリアさまへの注目は彼女が去るまで続き……そして、周囲の空気が完全に霧散し、群衆達も去った後、私は安心して土と鉢を回収し、その場から去ることが出来たのだった。
◆◇◆◇◆
「……ジョゼ。大丈夫だったかしら?」
会場を出た後、庭園に向かおうとすると途中で、そう話しかけらた。
振り返るとそこにはマリアさまがいて、私は驚く。
「マリアさま……! 今回は本当に申し訳なく……」
つい反射的にそう言ったが、マリアさまは微笑みを浮かべて、
「それはいいのよ。それよりあんな言い方や振る舞いをしてごめんなさい。ああでもしなければ、貴女の立場が悪くなると思ったの。それに、その鉢植え、私が頼んだりしたから……」
とおっしゃった。
やはり、あれらは全て、私を気遣って下さったためのものだったのだ……。
「いえ、私が考えなしだったのが最大の原因です。それなのにドレスをあんなに汚してしまって……何年かかるか分かりませんが、必ず弁償いたしますので、どうか……」
「弁償なんて。私の侍女たちは優秀なのよ。あれくらいの汚れ、すぐにとってくれるわ。それに私、実家にいたときはドレスのまま土いじりもしていたくらいだし、今更だって思っているわよ。だからいいの」
「マリアさま……」
「それより、何かしてくれるのなら、やっぱりあの鉢植えをくれると嬉しいわ。遠目で少ししか見れなかったけど、やっぱり美しかったもの。どうかしら?」
「それはもちろん……! 今回の鉢は……割れてしまいましたけど、今度必ず。次にお渡しするときは、あの庭園で、二人きりのときにでも……」
「そうね、その方がいいわ。私と貴女だけの秘密ですものね」
「はい!」
「じゃあ、私はそろそろ着替えて戻らないと。あんまり遅いとやな女だと言われてしまいかねないものね。ジョゼは……」
「私は、今回は戻らない方がいいと思います……」
「戻っても良いと思うけど、貴女がそう思うなら。もしも何か言われても、私に怯えている姿でも見せれば大丈夫よ。それじゃあ、また」
マリアさまはそうして去って行かれる。
気高く、美しく、そして優しい人だ……。
深く、深くそう思った私だった。




