第13話 女帝
「……次に入ってきた奴。あの黒髪に……白いメッシュが入った奴いるな。あいつはこの国の第一王子。ラファエロ・プリムム・ヘリオスだ」
そう言ったコンラートの視線の先を見ると、確かにそこには黒い髪に一部、白色のメッシュの入った髪色をした少年がいた。
眼は宝石のような金色をしていて、どことなくカリスマのようなものも感じられる。
ヘリオス王国の第一王子、ということであるからいずれ、この国を率いることになる者としての矜持がその瞳には宿っているからかもしれない。
コンラートは続ける。
「あの髪色は、ヘリオス王族に代々受け継がれるものでな。なんでもかつて不死鳥を自らの召喚獣として従えた初代が、契約の証に自らの髪を一房、差し出したらしい。そのときから、あの一族に連なる者、正しい血統の者の髪の一部が炎で燃やした後に残った灰のように白く染まるという話だ。まぁ、初代は髪の色全体が真っ白だったらしいが……ちょっとお前に似てるな、リュー」
僕の銀髪を見て少し笑ってそう言ったコンラート。
「確かにね。まぁ、僕の場合は銀色だけど……」
「そうだな。ただあの一族の髪の色、古い時代は白じゃなくて銀だったっていう話もあるんだぜ。ま、お前とは関係ないだろうけどな」
「……そりゃそうだ」
僕がその返答にかけた微妙な時間を気づいたかどうか、コンラートは最後に会場に入ってきた一人の女性に注意を移す。
「おっと、ついに来やがったか……我らが女帝、マリア・ディリーノ嬢の登場だぜ。今日もまた迫力が違ぇなぁ……」
僕もコンラートに従って視線を移すと、そこには黒髪赤眼の美しい少女が歩いてくるところだった。
髪の色も艶も、貴族の女性に相応しく、よく手入れされていて美しく、また瞳もまっすぐと前を見つめ、ひとかけらの不安もないかのように前へと進むその姿はまさに規範たるべき貴婦人といった様子だ。
しかしそれにしても、《我らが女帝》とは一体……?
疑問に思ってコンラートを見ると、彼は僕の方に意味ありげな微笑みを向け、それからマリアの方に顎をしゃくって見せた。
首を傾げつつ、僕がマリアの方を見ると……。
「……なんだろう、あれ」
前へと向け、静々と進むマリアに群がるように、女生徒たちが花や贈り物と思しき包みなどを持って殺到していた。
よく見ればマリアの後ろにいる数人の侍女が、マリアが受け取った後の花や送りものを受け取り、まとめている。それほどの数なのだ。
僕の疑問にコンラートは言う。
「今日はあのマリア嬢が生徒会に所属して初めての定例朝礼だからな。心付けっていうか……まぁ、有り体に言えば、媚びを売っているんだろうさ」
「媚び? この学園では……少なくとも在学中は身分なんかは関係ないって話じゃなかったのかい? 媚びなんて売っても……まぁ、卒業した後のことを考えてのことかも知れないけど……」
「どっちもだな。在学中も、そして卒業後も、彼女に媚びを売っておいて損は無い。そう考える奴らは少なくない」
「なぜ?」
「まず第一に、マリア・ディリーノはディリーノ公爵家のご令嬢だ。ディリーノ公爵家といえば、権力も財力もこのヘリオスではトップクラスの、いわゆる王国の屋台骨と言われる大貴族の一人だ。そこと仲良くしておくのはむしろ貴族として当然の行動じゃ無いか?」
「確かにそれはそうだろうね」
「加えてだ。あのマリア嬢は、ある一人の人物とすでに婚約している。これが結構大きくてな……誰だと思う?」
少しもったいつけながら言っているコンラートだが、話の流れからなんとなく察せられる。
というか公爵家のご令嬢が婚約して、今よりもなお権力的に価値がある相手と言えば、もうほとんど一つしか無い。
「……王家の者と、ということかな? そういえばさっき、ラファエロ殿下という名前があったけど……」
「勘がいいな。まさにそれさ。マリア嬢はラファエロ殿下の婚約者なんだ。そしてラファエロ殿下は髪色を見ても明らかに王家直系の正しい血筋……将来国王になることはほとんど確定していると言ってもいい。つまりマリア嬢は、将来の王妃殿下……この国の女性の最高位に就かれる方だというわけだ」
「なるほどね……だから、媚びを。そしてさっき言ってた女帝というのはそういう意味でも含んで言っていたのか」
「まぁな。おっと、当然だけど大っぴらに言ったら酷い目に遭うから、あくまでも俺とお前の間だけで言うだけにしておいた方が賢明だぜ」
「僕でもそれくらいは流石に理解できるよ……ん?」
コンラートにマリア嬢についての詳細を聞き終わったところで、ふと、マリア嬢周りが騒がしくなった。
よく見てみれば、マリア嬢の前に一人の少女が倒れていた。
地面には花と鉢植え、それにそこからこぼれた土が少しばかり散乱していて、その土の一部はマリア嬢のドレスを汚していた。
先ほどまで群がっていた少女達の集団は、マリア嬢と少女を丸く囲むように立っていて、絶句した様子でその状態を見つめている。
「……おいおいおい、ありゃ、やばいぜ……」
コンラートがそう言った瞬間、会場に声が響いた。
「……無礼者! マリア様になんてことを!!」
それは、二人を囲む集団の中にいる誰かが叫んだ言葉だった。
それが合図だったかのように、続けて様々な罵倒の台詞が叫ばれる。
「マリア様のドレスを汚すなんて、なんてことを……!」「確かあの子、平民だったわよね、ありえないわ……」「いえ、農民ではなくて? このような場に土植えの鉢を持ってくるなんて、見識を疑うわね」「マナーというものを知らない、低階層にこの学園に通う資格を与えるべきでは無いのよ……」
どれも酷い台詞だった。
少なくともいずれもこの学園の理念からして正しいものではないだろう。
まぁ、一つだけ納得できるとすれば流石に鉢植えなんて持ってくるのは止めておけばよかったのにと思うが。
普通の花束であればあそこまでの惨事にはならなかっただろうし。
とはいえ、だからといってああまで同じ立場の生徒を罵倒し、卑しめていいわけでもない。
僕も目立つのは嫌なのだが、しかし見過ごすことは出来ないと立ち上がり、注意をしにいこうとしたのだが……。
「……静かになさい」
と、冷えるような声がその場に響いた。
それはマリア嬢の声だった。
彼女はそれから周囲をまさに女帝のような視線で見つめる。
すると周囲から飛ばされていた罵倒の台詞がすべて完全に静まった。
まさに、女帝のみが可能とすることのように思われ、彼女のその異名が冗談ごとではないのだとそれだけで察せられた。
周囲が静かになったことを確認した彼女は、ゆっくりと、倒れて顔を青くしたままの少女に近づき、言う。
「……下がりなさい。土と、鉢も持ち帰って。いいわね?」
「は、はい……も、申し訳……っ!」
「謝る時間があるならさっさとしなさい。さて……アリシア!」
マリア嬢がそう叫ぶと、後ろにいた侍女のうちの一人が「……はい」と静かに前に出た。
マリア嬢は彼女に言う。
「ドレスが汚れてしまったから、着替えに戻るわよ。土と鉢は……私が戻るまでに綺麗にしておくことね」
最後の台詞はにらみつけるように未だ倒れたままの少女に向けたものだ。
それからマリア嬢は足早に会場を後にした。
彼女の姿が完全になくなって、やっと会場の空気は動き出す。
群がっていた女性たちはしばらく放心していたが、
「はいはい、とりあえずみんな自分の席について! マリアが戻ったら、定例朝礼を始めるから!」
生徒会長アランのそんな声にはっと我に返り、それぞれが自らの座るところへと散っていった。
そんな一連の状況を見て、腰を浮かしかけていた僕が、
「……なんなんだ……あの女は」
と独り言を言えば、コンラートが、
「ま、あれこそ女帝ってわけだ。まぁ、あんだけさらし者にされたんだ。あの女生徒はむしろ助かった感じかもしれねぇな。周りのご令嬢たちも興味を失ったみたいだし」
そう言った。
見てみれば、問題の女性とは地面に広がった土と花を鉢に素手で戻して、それから逃げるように会場を後にしていた。
その顔がどんな表情をしていたのかは、背中しか見えなかったから判断がつかないが、間違いなく笑顔では無いだろう。
追いかけようかと思ったが、僕が追いかけたところで何になるのか。
本当なら楽しい学園生活の一日目になるはずだったのに、随分と嫌なものを見てしまったものだ。
このときの僕は心の底からそう思っていた。