小説お作法ブログについて思うこと
物書きの界隈には、無数の「小説お作法ブログ」なるものが存在する。文法や小説独自のレイアウトルールをまとめただけのものから、人気を出すためのハウツー、果ては物語の展開の仕方まで指示してくるお節介なものまで、千差万別だ。しかもこれ、強い口調でストーリーラインまで指示してくるようなものであるほど人気がある。
気持ちはわからなくはない。人間、自信たっぷりに断言してくれる人にすがりたくなるものだ。特に、小説のように正解のないものは。
だが、少し待ってほしい。それはほんとうにあなたが書きたいものなのか?
昨今のなろうにおける異世界人気は、もはや物書きの間では常識だ。また、鬱展開で読者が離れていくこともかなり知られている。あとは俺TUEEEE、ハーレムや成り上がりモノ、最近は悪役令嬢モノか。この辺りを揶揄して「なろうの読者は頭が悪い。主人公に自分を投影して陶酔云々」という人もいる。
僕は別にこの流行が悪いとは思わないし、読者の頭が悪いとも思わない。ただの好みの問題で、たまたまそういうものが好きな人が集まっただけの話だろう。僕の好みではないが。
ただ、書き手サイドには問題があると思う。
漠然と文章が書きたい人が物書きを始める。人気が出ずに悩む。次第に流行におもねるようになる。PVも増え、だんだん気持ちが良くなってくる。気が付けば、最初に書きたかったものなど忘れている。ポイントとブクマに拘泥し、小説は自己承認欲求を満たす道具に成り下がる。
そういった物書きが増殖し、サイトそのものが承認欲求の餓鬼の巣窟と化す。
この状態に問題があるのは間違いないと思う。
ただ、これは物書きなら誰しも直面する問題であり、仕方ない側面もある。
書き手は自分の思想を小説に込めるのだ。自作を否定されることは、自分の思想を否定されることと、そう変わらない。少なくとも、書き手はそう感じる。
かくいう僕も、自作を全否定されて一度筆を折った身だ。今はこうして戻ってきているが、若干トラウマ気味である。(ここ最近何もアップしてないのは、受験期だからである。この文章は息抜きと腕を鈍らせないために書いている)
ただ承認欲求を満たしたいだけなら、学生なら勉強を頑張ればいい。こちらのほうが、小説を書いているよりよほど簡単だ。
大人なら、筋トレや将棋、武道などがいいかもしれない。これらは見ただけで優劣がわかるし、比較的成長を実感しやすい。書きたいものがなく、ただ承認欲求を満たすだけなら、筆を折ったほうが早いと思う。
読者に罪はない。作者も致し方ない。僕はそう思う。
だが、「小説お作法ブログ」だけは許しがたい。物書き界隈の癌である、とすら思う。
「小説お作法ブログ」については、冒頭で説明した通りのものだ。
承認欲求や自作不人気と日々戦う書き手にとって、導いてくれる存在がどれだけありがたいか、想像に難くないと思う。書き手は、藁にもすがる思いで閲覧する。
「小説お作法ブログ」の管理者たちは、書き手の日々の葛藤を見抜き、巧みに煽り、ブログのPVを稼ぐ。書き手の不安を利用しているのである。はっきり言って、卑怯この上ない。
(※後述するが、すべてのブログがこの限りではない。以下では、悪質なものについてのみ述べる。)
しかも、中身はただの主観による持論未満の得体の知れない何かである。
曰く、『あなたは〇〇をしているから伸びない!』
曰く、『〇〇をすると伸びる!』
曰く、『人気作から学ぶ必勝法!』
などなど。
「『南無妙法蓮華経』と唱えれば救われる!」との違いがわからない。いや、日蓮宗の方々に失礼か。
そもそも、流行しているジャンルは人気作の数の比にならない数の不人気作がある。テスト勉強じゃあるまいし、傾向と対策で必ず成功するなら誰も苦労はしない。
(蛇足だが、傾向と対策で成功できるモノは、定期テストで高得点をとるガリ勉タイプが強いと思う。馬鹿にされがちだが、彼らの能力はわりと汎用性が高い。)
「小説お作法ブログ」は手段からして卑劣だと思うが、これだけでは「書き手界隈の癌」とまでは言わない。そういう人々もいるのだなぁ、程度だ。
ならば、何が彼らを癌たらしめるのか。
それは、彼らは書き手の創作の幅を狭める行いをしているからである。
「こうすればうまくいく!」などと扇動し、書き手の個性を薄めさせ、紋切り型の金太郎あめを作り出させようとする。
創作とは、本来自由にやっていいものではなかったか。
書き手が、悩んだ末に個性を捨て、流行を追うのなら、それは尊重されるべき選択だ。悩んだ過程は創作に活きてくるだろうし、覚悟の度合いが違うだろう。
だが、「小説お作法ブログ」に扇動されて方向転換した作者はどうだろう。それは本当に自分の意思で選んだのか?
扇動され、なんとなくそんな気になって方向転換し、PVがふえれば万々歳。最初に書きたかったものなど忘れてしまい、ポイントのために惰性で好きでもない物語を書く。
これでPVが増えないと悲惨だ。ブログの内容を信じ込んでいるものだから、そのうち自分の才能を責め始める。才能なんて敏腕編集者でも見逃してしまうものなのに。
文章を書く以上、悩みごとは絶対に付いて回る。書き手は何とか自分の中で折り合いをつけながら、必死に文章を綴る。
そんな中から産み出される物語だからこそ価値があるのではないのか。第三者の手あかでべたべたの文章で本当にいいのか。
PVに拘泥、だれだってする。流行りものに方向転換、別に個人の自由だ。読者や仲間の意見を聞く、ぜひやったほうがいいと思う。
書き手がやりたいことであったり、自身で悩んだ末の決断なら、尊重されるべきだ。
だが、作者の葛藤につけ込んでPVを稼ぐような輩に、自作をいじくりまわされていいのか。自作とは、その程度のものだったのか。
最後に。すべてのお作法ブログがこのように悪質なわけではない。公募に出すときに必須な文章作法を解説してくれるような、有益なものも当然ある。公募には独特の文章作法が存在するため、出す際はいくつか目を通すとよいと思う。
……無駄に熱くなってしまったが、僕が思ったことはこれですべてだ。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。つたない箇所があると思いますが、ご容赦ください。