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「洋手帳」の美少年〜村田岩熊(前編)〜

本作品はWebオリジナル歴史企画「田原坂46(士従録)」に連動する小説です。

メインキャラクターらの設定、紹介画像、漫画は以下サイトで無料でお読みいただけます。

https://tabaruzaka46.wixsite.com/tabaruzaka46

歴史に基づいていますが、フィクションです。


 これほどまでに「名前負け」の者は珍しいーー


 名は、「村田()()」といった。

 父はあの、西郷隆盛の腹心、村田新八である。

 おそらくは西郷のように、薩摩隼人としてたくましく、大きく育って欲しいと望んだに違いない。


 だが、その父の願いは「強すぎた」。


「岩熊」とは何の冗談かというほど、色白で細かった。

 だが、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている他の出陣前の隊士らと比べたら、

 とにかくずば抜けて「品」だけは良い。

 他がガサツなイノシシなら、まさに掃き溜めの鶴というところか。

 彼は明らかに「浮いて」いた。少なくとも今から戦に出るとは思えない。


 (武士というより、公家だよなあ…)

 見るな、と言っても目立つのだから仕方ない。気になってしまう。

 横浜新事日報社の現地特派員、飛高伝は、岩熊の方を何度もチラチラと見た。




 時は明治10年。舞台は熊本。


 薩摩軍が維新政府に対して蜂起した。


 西郷の暗殺計画「らしき」事が発覚し、西郷を師とも神とも仰ぐ者らの暴走が始まった事が

 この戦、西南戦争の発端である。

「ボウズヲ シサツセヨ」

 この電報の「視察」を「刺殺」と間違えて、ボウズ頭の西郷を暗殺せよと読み間違えたのが一因とも言われている。

 なんとも間の抜けたような話だが、しかし、我々が日々、世の「炎上」を止める術を持たぬが如く、事は次第に大きくなっていった。

 各地に、新政府に対して不満を抱く者は多く、これに先駆けて各地で動乱が起きていた。


 日本各地の反政府士族らを集めながら北上して、江戸にまで進軍する…。

 それは西郷が直接指揮した理想ではなかった。西郷自身はずっと、この戦においてはどこかに祭り上げられた存在で、ただ側近の桐野利秋や篠原国幹(くにもと)らが、そう盛んに煽っていた。


「新政府こそ目を覚ませ

 本当の意味でおいたちは変わらねばいけんとで申す

 私腹を肥やしたいだけに成り下がった政府では日本はどげなっとか

 今変わらねば!」



 純粋で熱いという「若さ」は、時に暴走を生む。

 しかし、歴史がそのような暴走を阻止する時代、社会というのは

 ある意味若者の「去勢」によって仮の平穏を保っているだけなのかもしれない。

 それほどまでに、若さは危険なのである。

 ーーー爆発しようと、封殺しようと。



 季節は椿の頃である。


 今、官軍を討つために、熊本、田原坂付近の木留という地に薩摩の本陣が敷かれていた。

 木留の村田隊、開戦当時は約千人。


 岩熊は他の薩摩隊士とは少し距離を置いて、黙々と銃の手入れをしていた。

「ずいぶん熱心ですね」

 伝は岩熊に声をかけてみた。

 身長五寸の寸足らずで兵役を免れたチビの伝と比べると、岩熊は上背だけはひょろりと高い。

 伝の眼鏡の先は岩熊の胸あたりだった。これではまるで子供だ。


「私、ああいうの…少し苦手なんです」

 岩熊は、何の余裕なのか相撲の技でふざけあっている連中の方を見て、少し苦笑した。


 村田新八のせがれだ、というのは、桐野利秋から聞いて知っていた。

 借りている古い民家の外は、ずっと小雨が降っている。

「ふざけあい」は、半ばあれは武者震いであると、伝は小さな体で感じていた。

 薩摩軍の兵士らには「やっせんぼ」、つまり、「臆病」だけが許されてはいない。


「岩熊さんって、そう言われるとなんか全然、薩摩の人って感じがしない。

 薩摩隼人って、もっと無骨で、荒々しくて。そこいくとあなたは色が白くてひょろっとしてて

 ……あっ!」

 しまった、気品がおありで、とでもいうべきだったと、伝は口元を手で塞いだ


「いえ、いいです。父にもよく言われますから」

 岩熊はにっこり微笑んだ。

「お前にはガッカリだとかよく言われます。

 西郷先生みたいに、大きく育って欲しかったのか、

 もっと行動的で積極的な子が欲しかったんでしょうね。

 私は…どちらかというと、戦より芸術の方が好きですから。

 もちろん、剣術もやりますけど、示現流のあの、大声を出すのが苦手なんです。

 戦も、本当言うと何のお役にも立てそうになくて

 剣術の稽古より、詩を読んでいたりする方が好きで…」


「へえ…詩、ですか。どんな?」

 伝が尋ねると、岩熊は懐から洋風の手帳を取り出した。


「今、すごく新しいなと感じるのはホイットマンです!」

「あのう…ほ、ほいと…?ええと…」

 聞きなれない。何?何だそりゃ。


「…て…ですよね。アメリカの詩人なんです!ホイットマン、すごいんですよ!」

 岩熊の手帳には、小さな横文字でぎっしりと、

 手書きで書き写した詩らしいものが綴られていた。

 彼は頬を少し赤らめ、アメリカの詩人の話になるや、さっきまでとは嘘のように明るく饒舌になった。

 自分でも作ってみたりしている、才能があるとアメリカで褒められたと。


 だが、伝がそのアメリカ留学について触れると、風船がしぼむように今度は急に大人しくなった。


「…海軍の兵学校を目指して、勉強していたんです。

 でも父が下野して西郷軍に従軍するというので…私ばかりのうのうと居るわけにいきません。

 途中で帰国になりました。手帳は、お別れの時にお世話になった先生からいただいたものです」



 およそ戦場において「詩歌」は場違いである。

 もし必要であるなら、辞世の句だけだ。

 戦は「情」を必要としない。「美」を血に汚れたぬかるみの下に敷くだろう。

 誰かが生きていた証すら、必要とはしない。

 使い捨てられ葬られることすらない、無数の屍があるだけだ。

 それが美しいというならば、ただの悪趣味だ。


 記者の飛高伝はホイットマンを知らなかった。

 だが、岩熊の熱は十分に伝わった。


「ね、飛高さんでしたっけね?」

 岩熊は言った。

「ああ、伝、で呼び捨てでどうぞ」

「その、友になってはもらえないでしょうか? こんな事、変ですか?

 今まで、ホイットマンの事話して、きちんと聞いてくれたのあなただけです。

 個人の意思、皆で揃えねばならない、強いられる志とは違うんです」

「そういう考えは僕も好きだな。じゃあ、岩熊さんにも己の志があるんですか?」

「ここじゃ言えませんよ…皆、西郷先生を守り、この戦いで死んでも構わぬのが…志でなければならないでしょうから」


「アメリカも、元はただ父の命に従っただけです。でも、行かなければホイットマンを知らずにいた」


 ホイットマンは、アメリカ民主主義の魂を持つ詩人である。

 人が自由を目指す、その価値のある魂を誰もが持ち得るはずなのに

 現実的に彼が直面しているのはただの戦であり、自由の理想とは違うものだ。

 岩熊が自分の意思でアメリカから戻らない自由などは求められていなかった。


 アメリカは遠い。

 滅私奉公、関係性、罪よりは恥を重んずる日本から、かの国はあまりに遠い。


 田原坂はまだ早春。星の出ない雨の夜が続いていた。


ーーーーーーーーーーーーー

(後編)へ続く



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