青春花道狂い咲き
大分遅くなってすみません。
今回は、主役の大ざっぱ君が、ヒロインの子を無視して別の子と恋に落ちるおはなしです。
たしか、たぶん。
今一度、鏡を前に己が姿を見やる。
ちりっちりなくせ毛を整髪料で無理矢理固め、後ろに流したテカる黒髪。
無駄に気張って笑われてはと思い、茶の薄ジャケットに青のシャツ、カーキのジーンズ。洗濯したての乾きたて。
にきび無し。寝不足の隈無し。まつ毛ぱっちり、隅々まで歯も磨いた。後は主賓の到着を待つばかり。
大丈夫だよな。ヘンに思われたりしないよな。スーツとかの方が良かった? 否、冠婚葬祭用の黒一色なんぞ、ただの呑みに出すにゃあ重すぎる。
「あ、ア……。あの、う」
おっと、そんなこんなで目の前に黒い影。
細すぎず・太すぎずのボディラインをぴっと見せる薄緑のタートルネックに、ロングスカートの裾からちらりと覗く朱茶のタイツ。ショートボブの艶やかな髪から香る薔薇めいた芳しい香りがたまらない。
目を合わせた瞬間、小動物が跳ねるかのように肩を震わすその姿。本日の主賓の、到着だ。
「きょ、今日は……わざわざ来ていただいて、その」
「まあ、ま。細かいことは座ってから。外観はアレでも、出る酒は美味いんすよ、ここ」
夜八時。『いつもの』お店で待ってます、だってさ。くぅーっ、いいよね。なんかイイ。おれ今すごく、『リア充』してる。やばくね? なんか、やばくね!?
※ ※ ※
「そうだよ! そーなんだよ! 戦闘は『効果音・喋り・挿入歌』のバランスが大事なんだ。どれが欠けても、どれが主張し過ぎても、見栄えが悪くて観るに堪えない。いやぁ、『ギギ』ちゃんは話が分かるぅ〜」
「ややや、ユメノさまこそ。最近のヒーローモノは玩具の販促に躍起なのデスよ。あれも売りたい、これも売りたいと、スポンサー同士の思惑が絵面を歪める様はもう、醜いったらありゃしない!」
家に程近い呑み屋のカウンターで、安酒をかっ喰らい、特撮ヒーロー話に花を咲かす。
しかも聞き手にゃイイ女。他に必要なものあるか? 無いよな。サイッコーだろ?
水鏡ギギ。拙作・ガーディアン・ストライカーの挿絵を担当するイラストレーター。『しらふ』じゃ挨拶すらマトモに成立しないコミュ障なれど、早描きが出来て特撮話も堪能と来りゃあ、オトコのおれが気に入らないわけがない。
初めて出会ったあの日のうちに、酔ったアタマで連絡先を交換。ミーティングと称し、呑みの席へと引きずり出したのである。
しっかし、酒があると無いとじゃ別人だよなあこのヒト。どうやって日々を過ごしているのか気になってしようがない。
酒の勢いでそれとなく問い質してみようか。ダメだ。それは明らかなルール違反。デリケートな話題は、もっと仲良くなってから。
「でもでもユメノさま。さっきからずーっとそれですネ? 生とか酎ハイとか、そういうの・頼まないんです?」
「えっ、ああ? スマックハイボールのこと? これはこれで、慣れるとクセになるぜ」
やたらと甘ったるいクリームソーダのスマックと、ご近所A県の特産ウイスキーを割り入れたハイボール。どう考えても無茶苦茶だろ思ったそれが、なかなかどうして嫌いになれない。
いや、まあ、酒として美味いかどうかと言われれば否だけど、こうしてネタになるのなら、値段の然程変わらない生ビールよかマシとも言える。
そもそも、それより。
「そうやって思えるのはさ、たぶん。キミが傍にいてくれるから、か・なァ~……」
「ハハッ、面白いジョーダン言いますねぇユメノさま。お酒は酔うもの。味なんてさいさい変わりはしませんよー」
さりげなァく言の葉に込めた想いは、届きもせずにかわされて。
うむむ、可愛い顔して言うことが異様にオッサン臭い。安酒場の飲み物なんざどれも一緒っていうことか。それはそれでなんだか、悔しい。
「さぁてさて、今日はお開き。また来週、新規参入キャラについても話し合いましょっ」
「あ。あぁ、うん。カラダにキヲツケテ」
このぎこちないやり取りが始まって二週間位経つのに、おれとギギちゃんとの間には何の進展もない。呑んで、描いて、また呑んで――。清い付き合いといえば聞こえはいいが、こんなんでいいのか? こんなんで……。
「いや、これで終わっていいワケあるか!!!!」
「は、はい!?」
どうやら、勢い付いて声に出てしまったらしい。まずいぞ、言っちゃったはいいが具体案がない。どうする、どうする……!
否、否否否。むしろこれはチャンスではないか? 互いに酔った赤ら顔、薄っすらぼやけたこの視界。
少しくらい。そう! 少しくらい、なら――。
「あ、あの。ギギちゃんさ……」
「はい」
言え、言うんだ。引っ込み思案のままじゃ、いつまで経っても前には進めないんだぞ。
「このままスッとサヨナラじゃ寂しいよ。だから、あのさ」
「はい」
肯定の中に厭味は無い。仕掛けるなら今しかない! さあ行け、行くのだ、雑葉大!!
「あ、あ、あ。あ・の・さ……」
いっ、けぇえええええええっ!!!!!!!!
「なんか、イラスト……描いてってくんない? ヒロインの、茉莉花」
「はあ」
仕事用の手帳をひったくり、備え付けのボールペンで迷いのない線引き。
なんでだよ!! ここまで雰囲気盛っといてナンデ描画の依頼なんだよぉおおおおお!?
嗚呼っ、おれの馬鹿馬鹿馬鹿ッ。今更発言取り消せないし、向こうは既に描き始めてるしっ。
そりゃさ、ギギちゃんに脈が無いのは判ってたよ。んな雰囲気になってなお、赤ら顔で表情一つ変えないだもん。失敗するって解ってたさ。
だけど、なんだよその選択肢! ABCとあってどこからDを持って来た!?
「はいッ、さささっと出来上がりーっ。お外でしかも走り書きですから、細部の間違いにはご勘弁」
ああっ。申し開きの暇もなく描き終わってるし。躍動的な体幹から放つアッパーカットのストライカー。文句のつけようのないくらい格好いい。
「みっしょん・こんぷりーと。さぁさどうぞ。これを私だと思って、今日はもうヒラキにしましょ」
「あ、あぁ。うん。ごめん、無理にヘンなこと頼んじゃって」
流石に、それ以上無理を言えるはずもなく。今度こそホントのほんとに解散。
このヘタレめ。折角のチャンスを不意にしやがって。死んでも怨むぞ! 誰を? ああ、それもおれかァ……。
同時に、踏み越えられず『ほっ』としている自分がいるのは気の所為か。落胆してるのには違いないけど、不思議と気分は晴れやかだ。
何故? どうして? WHY? 心に刺さる不可思議な取っ掛かりと共に、改めて手帳に走り描かれた画を見やる。
「あれ?」
正直、勢いだから意味なんてなかったけれど。あの時おれは『茉莉花』を描いてとギギちゃんに頼んだはずだ。
なのに、そこに在るのは捻りの利いた・躍動感溢れるストライカーの絵。酔っ払って間違えた? でも、前に菜々緒と会った時は、正しく指示通りに描いていたし――。
「ま。騒ぐほどのことでも、ないか……」
尋ねようにも向こうさまは一刻を争うように去っちゃったし、悩んだところで意味が無い。
本人の言う通り、これを彼女だと思って、今日は仕方なくお開きとしよう。
大丈夫、まだまだ時間はあるんだ。ココロの壁や距離くらい、少しずつ埋めて行きゃあ良いよね。
※ ※ ※
「くぉらぁあああ!! この発注表を書いたのは、誰じゃああああっ!!」
おぉお、おっかね。常日頃眉間に皺寄せた飯田リーダーが、真っ赤な顔して怒ってら。
手に持ってるのは今月のオムツの発注表か。あれ大変なんだよなあ。今の在庫と現行の消費事情を考慮しつつ頼まなきゃならないんだもん。
追加は毎月二回きり。書き損じで抜けがあれば他ユニットに頭を下げるか、残ってるもので無理くり・やり繰りするしかないハードモード。意図せぬ変更が出たり、新規の入居者がいるとバランスがマルキリ変わっちゃって、てんやわんやの大騒ぎ。
はてさて誰だあ? リーダーに負担掛けて知らぬ存ぜぬを決め込む痴れ者はーっと。
「大ざっぱ! あんたでしょこれ書いたの!!」
「えっ、おれ!?」
じょ、冗談だろ?! そいつはとんでもない濡れ衣だぜ。関係ないよ、無い無い無い。
「しらばっくれても無駄よ。左上に捺印された判子、どこからどう視てもあんたの苗字でしょうが」
「げげっ」
嘘だと思い見返すと、そこに躍るは雑葉の文字を丸く囲んだ赤い印。他がおれを陥れようとしてるんじゃない限り、おれの過失に相違ない。
「昨日になって必死こいて在庫数えていたからもしやと思えば……。どうしてもっと早くからやらなかったの」
「むむ、むう……」
まるで、小学生が宿題を忘れて先生に絞られる気分だ。此の世に生を受けて四半世紀、今更そんな惨めさを味わうことになろうとは。
でも、だって、仕方が無いじゃん。
それの提出日って昨日でしょ? ほら、きのうって言うとおれ、ギギちゃんと呑む約束当日だったから、仕事も何も手に付かなくってさあ。
なんて正直に言ったら、火に油を注ぐだけだろうなあ。真実を喉元で留めて飲み込み、飯田フロアリーダーの口から繰り出されるお小言を、おれはただただ、無心に聞き流していた。
◆ ◆ ◆
「ねぇ、ね。もう十七回目だよ。少しは休んで落ち着こう? 幾らガーディアンみんな殺すったって、そっちがぼろぼろじゃ意味ないよー……」
「他に選択肢はない。茶々入れずに放っといてくれ……なっ!」
仮面の下で荒い呼気を漏らす、血塗れのストライカーに、少女は迷うこと無く口付けを交わす。
その能力が彼の傷を『癒やし』、再び戦うチカラを取り戻してゆく。
ひょんなことから彼と『一蓮托生』になった女子高生、神永茉莉花。高名なヒーローを父に持つ彼女は、ストライカーが彼から"奪った"能力を、自分のモノとすべく足掻く様を不安げな表情で見つめていた。
「心配にもなるよ。治癒ってのはそのヒトの体力があってこその物種。バテバテになったらわたしにだって治せないんだよ!」
「誰も、キミに頼んだ訳じゃないだろ。放って、おいてくれ」
またも力を振り絞り、一息に駆け出すストライカー。直線コースは問題ないが、少しでも傾け、曲がろうとすれば途端に転倒。加重をもろに喰い、地面を擦って周囲の建物と口付けを交わす。
流石に、そろそろ、限界か。ぐらつく膝が総重量に耐えきれなくなり、脚から崩れ落ちるストライカーを、茉莉花が優しく抱き留める。
「もういい!もう、いいよ……。わたしの親はもう居ない。あなたにまで死なれたら、わたしは、わたしは……!」
何か、もごもごと言わんとするストライカーの口を、己が唇で塞ぎ、涙ながらに訴え掛ける。
彼女の父親は死んだ。自分が殺した。今はこの脚に能力だけが、生きている。
茉莉花の言うことも尤も、だ。今はこのやさしさに報いたい。ストライカー……。生田誠一は泣きじゃくる彼女の肩に手を回し、一方通行だった口付けに舌を入れ――。
◎ガーディアン・ストライカー 次話.TXT
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→はい
いいえ
※ ※ ※
「えーと……。このゴミクズ・is・何」
「何だ何だい人聞きの悪い。続きだよ、つづき。ストライカーがマッハバロンから得た能力を使いこなそうと、茉莉花と一緒に四苦八苦してるとこー」
ヒロインのデザインも決まり、六巻目の締め切りも見えて来たからと、途中経過を提出させたが、その結果がこのザマか。
確かに、新キャラのマツリカを際立たせろと注文は出した。その結果がこの醜態か。
舐められている。私が、ガーディアン・ストライカーという作品が、舐められている。
「あのね、問題はそこじゃないの」ああ、ダメだ。やはりコイツは根本から履き違えている。
「She・is・誰!? 何このテンプラヒロイン! 折角これからキャラ立てしなきゃなんないって時に、なんでこんな事になってんの、って聞いてるの!」
「誰、って。マツリカでしょ。他に誰がいるって言うんです」
ヒトの話聞いてた!? おかしいでしょ!? おかしいよね! もしかしてあたしの方が間違ってる?
「イチイチうるさいヒトだなあ。何です、書き直しですか? 書き直せば満足するんです?」
何その上から目線!? 私に向かって何その口の利き方! あぁあもうイライラするぅ〜~っ。
本業の過酷さから、彼の私情にはなるべく目を瞑って来たけれど、それも今日までだ。ついこの間まで創作一筋の童貞男が揺れる理由など、一つしかない。
「その様子じゃ、ギギとはずいぶん上手く行っているようね」
「な! ななな、嫌だなあナナちん。プライベートな話題っすよ。もっとこう、オブラートに包んで貰わないと」
「否定はしないのね……」
怒る私を前にしてもなお、頬を赤らめ後ろ手で頭を掻く。思った以上に重症だ。
酒を片手に意気投合している時点で不安はあった。それが今、こんな形で的中してしまうとは。
「まあ、誰が何と恋愛をしようと自由だし。私としてもこれ以上追求する気はないけれど。アナタ、本当にそれでいいの?」
「はい?」
何が、と言わんばかりに小首を傾げてすっとぼけ。恋はヒトを変えるというが、これじゃあ『彼女』が浮かばれない。
「マツリのことよモチロン。あれだけ恋煩いしておいて、あの子のことは忘れちゃったのかしら」
「え」
茉莉の名前を口にした瞬間、不安げに目が泳いだ。カンペキに忘れたのではなさそうだ。
奴にもまだ人を想うキモチが残っていたか……。否否、むしろそっちの方が悪いわ。気まずいと解っていてもなお、ギギに好意を向けるだなんて。
「しかしまァ。あの子に惚れるだなんて、命知らずもいいとこよ。だって」
「なんだよ」
「む……。いや、何でも」
驚いた。あれから二週間も経つっていうのに、そんなことも知らされていないのか。
成る程、浮かれ調子で創作物に悍ましい自己投影をぶつけるキモチにも得心が行く。
「だから何さ。思わせ振りにハナシを切りやがって」
「そんなの、自分で聞けばいいでしょ。プライベートでも逢ってるんだし」
わざわざ言って聞かせる道理はない。むしろ、今まで気付きさえしなかった方が驚きだ。
このまま二人がすれ違い続けたらどうなるか。下世話だとは思うけど、『向こう』にはひとつ、連絡しておきましょうかね……。
※ ※ ※
今一度、鏡を前に己が姿を見やる。
髪や衣服はばっちりなのに、何故だかどうしてキモチがまとまらぬ。
此方から呑みに誘うことはあっても、向こうが呼んでくれるのは始めてだ。明日は早番だが、『大切な話』があると言われたからにゃあ、ハイそーですかと断るわけにはゆくまい。
「判ってるってんだよ、そんなことくらい……!」
ナナちんの奴め、ヒトが折角青春を謳歌してるって言うのに。去り際に余計な一言残して行きやがって。マツリは良いのかだって? 馬鹿を言え。いつだって忘れたことなどあるものか。
けど、あいつはもう『いない』。死人に操を立てた人間が、どうして前に進めよう。暗い顔で塞ぎ込むよりは、明るく楽しく暮らせていた方が、マツリだって幸せなはずなんだ。
死人に口なしと囁き声に耳を塞ぎ、前だけ向いて進んできたんだ。ケチを付けられる謂れはない。間違ってなど、いない、はずなんだ!
「だのに続くこの『つかえ』は、そう思いきれてない証拠か……」
このキモチが何なのか、幾ら考えどもずっと答えが出なかった。
けれど、解ってみれば何のことはない。ただ単に、申し訳なかったのだ。
こんなおれに親しくしてくれたマツリに。
呆れながらも問題を指摘してくれた菜々緒に。
それでも変わらず接してくれたギギちゃんに。
身の丈に合わぬ高望み。こんなせめぎ合いを続けたままで、ひとりの女性を愛することなど出来ないよ。
向こうに、そんなキモチなど微塵も伝わってないのがせめてもの救いか。誰に? そりゃあ、おれに。
「ア・あ・ぁあ……あ」
おっと、葛藤の間に主賓の到着。端正な顔立ちを覆い隠す丸眼鏡が、桃色吐息で真っ白に染まってやがる。
「えっと、あの……。ギギ・ちゃん……?」
言い出せなくてどもるのならおれも一緒だ。この気持ちをどう伝えればいい。そもそも、向こうには何も話していないのだ。言うことは無いのかも知れないが――。
(いや、待てよ)この威圧感は『それだけ』じゃあない。ギギちゃんの陰に隠れた……。
否、隠れ切れてない。おれよりも頭一つ、ギギちゃんと比較すればふたつ。標識めいた黄黒横縞のシャツに灰色のカーゴパンツを履いた大男が、目深に被った登山帽で顔を隠して立っている。
「あ・あのさ。ギギちゃん。後ろのその……何?」
「ふえ、え。う、し、ろ……?」怯えた目付きで背後を向くと。「な。なな、にも。無いと……思いますけど」
「What!?」
いや、いやいやいやいや。何故見逃す。どうして触れぬ。いるだろやべーの。これ絶対通報モンだろ!?
「ん。んん……」あまりにもおれの目線が後ろに行くのが気になってか、ようやく向こうも認知したらしい。「あ、ふぁ。もしかして『カレ』、ですか」
そうだよ、それ以外に何があるってんだ。
いや待てよ。『カレ』? 今、彼って言った!? 彼って言いました?!
「はい。『みっちゃん』ですよね? えと、その……『カレシ』です。私の」
な。
な、な。
な・な・な。
なんだっ、てぇぇええええええええっ!?
※ ※ ※
「と、まあ。そういうワケだったんですよユメノさま。ごめんなさい、今の今まで言い出せなくて」
「あぁ、うん……。いいよ、別に。気にしないで……」
それから十数分程酒を酌み交わし、ようやっと聞き出した事実はこうだ。
ギギちゃんを挟んで端の席に座す男の名は『盛森満』。ガーディアン・ストライカーに於いて、『女性キャラ』全般の作画を受け持つ絵師だという。
あの時抱いた疑念は間違いじゃなかった。彼女は意図的に違えていたのだ。得意分野じゃないことを割り振られ、嘘が露呈するのを防ぐために。
成る程、書き手が覆面作家なら、描き手だってゴースト・ライターってこと。皮肉にしちゃ出来すぎている。
怒るべきだろうか。よくも人を騙したな。おれの淡い恋心に深い爪跡残しやがってと。
答えはNOだ。条件はこちらも同じ。かつこっちはゴースト・ライターであることを明かしてすらいない。難癖を付ける道理など、此方にはないのだ。
「けどさ。なんでこんな回りくどいことする必要があったんだ。分業家なら、そっちがあの日挨拶すりゃあよかったのに」
「あ。それはですね……」ギギちゃんは隣に座す大男の脇腹を肘でつつき、「みっちゃんってば物凄いあがり症で。特に菜々緒さんみたいなヒトを前にしちゃうと、そりゃあもうしかめ面で何も言えなくなる訳ですよ」
「ああ、だから……」これ以上無く説得力のある答えだ。彼だってそこそこ酒を呑んでいるだろうに、未だに顔も見せず話もしないのだから、そのコミュ症も筋金入りなのだろう。
「ほらほらみっちゃん。何か、渡すものがあるでしょ?」
そんな盛森満を促して、彼女伝いに一枚のルーズリーフが流れてきた。
今、この場で描いたのだろうか。鉛筆書きの力強い筆圧で、あの日『ギギちゃん』が贈ってくれた茉莉花のイラストが綴られている。
(『ずぅっと言い出せなくてごめんちゃい☆』、ねえ)
小首を傾げて可愛らしくてへぺろ。成る程、あのイラストをくれた当人に違いない。
しかし、茉莉花を使って謝罪ってのがまた意味深だ。キミが『ごめんちゃい』を言う相手は、本来この子なんだよ、おれじゃない。
「もうっ。みっちゃんったら、ユメノさまの前なんだよ。そんなにぼそぼそ喋ってないで、もっとハッキリ挨拶挨拶!」
消沈するおれの気持ちを知ってか知らずか、嬉々とした顔で彼氏の腹に人差し指をぐりぐりとねじ込む嫁。そんな悪戯も意に介さず、シャッポも脱がずに無表情の旦那。
(おれの前じゃ、見せたことのない顔……)
元々、付け入る隙などなかったのだ。ふたりとも、せいぜい仲良くするがいい。場違いなおれは潔く身を引こう。
(思えば、儚い恋だったな……)
ほんの少し視界がぼやけ、鼻先がツンと熱くなる。踏ん切りは付いた。諦めろ。自分自身に言い聞かせても、なかなかどうして、納得までは行かないようで。
――気落ちするなよざっぱー。人生まだまだこれからさっ。
――挫けたっていいじゃない。そこから何度だって立ち上がればいいじゃん。
――私の知ってるざっぱーは、それが出来るって、信じてるよ。
視界の奥のそのまた奥で、よく見知った顔が、おれに向けて笑い掛けた――。
そんな気がした。
◆ ◆ ◆
『――ハ・ハ・ハ。やるじゃねェのストライカーちゃん。その”チカラ”を受け継ぐだけのことはある』
「お前は……誰だ? どこから俺に話しかけている」
怯える茉莉花を護りながら、ストライカーは殺した筈の標的が前触れなく立ち上がり、抑揚のない声で話出す様を観ていた。
ライフルショット。両腕両脚の蛇腹が発条となり、驚異的な跳躍力で敵を仕留める中堅ヒーロー。マッハバロンから奪った「加速」無くば、命を刈り取られていたのは自分の方だったろう。
そして、今ここで喋るのは間違いなく「彼」ではない。
まるで、放送基地局を通じ、スピーカー越しに誰かの声を聴いているかのようだ。
『――なんだ。お前、”聞かされて”いないのか』”電話越し”の何某は不思議そうに嘆息すると、
『まあ、いいや。”そいつ”に勝ったご褒美だ。名前くらいは教えてやるよ。俺は「九番」。イカタコの吸盤じゃあない。数字の9番目さ』
「どういう意味だ」
『――おっと、駄目駄目ェ。それはこれから先のおたのしみ。どうせこれから長い付き合いになるんだ。俺たちの意思に関わらず、な』
「待て、話はまだ途中……」
一方的に話を切り、通信断絶。遺されたライフルショットは間も無く息絶え、人生二度目の死を迎えることとなる。
(意思に関わらず、だと)
燃え盛る炎に身を焼かれたあの日。
力を授けた白衣とは、偶然知り合ったものだと思っていた。
事実は、そうじゃないのか? 俺がガーディアン・ストライカーとして再度生を受けたのは、『仕組まれたこと』だったのか?
これまで正しいと信じて疑わなかったことが歪む。築いて来た屍の山が融けて行く。
俺は、本当は、存在してはいけないものなのか――?
「ストライカー。どうしたの?」
動揺し、だらりと下がった右の腕を、背後に控える茉莉花がぐぐと掴む。
そうだ。今の俺は一人じゃない。『共犯者』たる彼女を放っては置けぬ。
正しかろうが間違っていようが、俺は未だ、死に晒すわけには行かない。
「何でも無い。逃げるぞ、ここも危ない」
「解ってる」
奴の乗って来たバイクを奪い、セキュリティーのけたたましい警告音を尻目に走り去る。
俺は死なない。死んでなるものか。此の世から、ガーディアンなる間違った存在を、総て消し去るその日まで――。
※ ※ ※
「ふぅ、ん。やっと来たわね、『九番目』」
「そ。栄光の九人のラストナンバーだから9番」
六巻の原稿を書くに当たって、菜々緒には事前に全体の流れを伝えている。この道標に従って話を作り、添削や没を貰いつつ、一冊の本に仕上げてゆくと言う訳だ。
「……何よ」
「別に。それよりどうなの、アリかナシか」
あの日どうして、ギギちゃんが彼氏同伴で呑みの席に現れたのかは聞かなかったし、向こうからそんな話題が飛び出すこともなかった。
おれたちの関係を知っていて、尚且つそうした告げ口の出来る人間など、眼前に座すこの女以外にありえない。
全くもって余計なお世話だ。お前の力を借りずとも、おれは一人で立ち直れたというのに。そのせいでおれがどれだけ傷付いたか、知りもしないでぱらぱらと原稿を捲りやがってからに。
「まあ、前に見せられた、リビドーだだっ漏れの駄文よりは幾分かマシってところね。ぎりぎりで及第点」
「ひっでェな。きっちり仕上げて来たんだから、お褒めの言葉のひとつも欲しいんですがね」
こっちの言及に、菜々緒はまるで知らん顔。誰も悪くない以上、もうこちらに攻め手はない。
他に言うべき言葉もなく、向かい合ってしばしの沈黙。いやはや。とてつもなく気まずい。
「ねえ、大雑把」
「なんだよ」
「なんていうか、その……大丈夫?」
大丈夫、って何だよ。おれを慮っての台詞だとしても、仕掛けた本人がソレ言うか?
「別に。気にするようなことなんざ何もないだろ」
「うん。まあ、それなら……いいけど……」
それでも。不思議と悪い気がしないのは何故だろう。
負い目から? ありがたみ? いやいや、全部あいつのせいじゃないか。
わからん。何故か分からんが――。
「なら、さっさと次行きましょう。まだまだ、既定のページには足りないんだから」
「アイ・アイ……。わァってますよ」
まずは、こいつを終わらせなきゃな。
なんてったって、マツリのやつから受け継いだ、おれの話なんだから。
これでやっと全体の三分の一くらい。
回り道ばかりで、ちゃんと十二話でまとまるのかどうか、心配でなりません。