無理や無駄って言ってるうちは、人間まだまだどうにかなるもんだよ、ざっぱー
◆◆◆
「情けない……。酷い侮辱だよストライカー。これじゃあキミに殺された同胞たちが浮かばれん」
此方の攻撃は文字通り総て空を切り、遂にストライカーは地に伏した。
止め処無く、御し切れぬ掌打と蹴撃に依って顔を覆うマスクはひしゃげ、隙間から惨たらしく遺った火傷痕が覗く。
「さァ立て。立つんだよォストライカー。何度ダウンしたってインターバルのゴングは鳴らんのだぞォ」
電流の流れる長方形の鉄柵に囲われ、その上方にはずらり埋まった客席。リノリウムの床を七色に染めるレーザー光線群を視ていると、これが高等裁判所の一法廷だとはとても思えない。
判決:処刑。
ヒーローが世界人口の一割弱を占めるこの時代、手持無沙汰な彼らが冒す犯罪は枚挙に暇がない。
重罪を犯した超人は、専任の処刑人とリング上で一対一の死合を行う。勝てば減刑。敗ければ即座に死刑執行。尤も、この刑が合法化されてから、減刑となった者は誰も居ない。
命は消えども、その名誉までは奪えやしない。これは、同胞の手に依る弔いなのだ。
だが、本件の場合は意味合いが異なる。ストライカーは『ガーディアン』に所属するヒーローを無惨に殺した大罪人。彼に影響され、第二第三の私刑人が出現されてはいけない。
これは、他に対する徹底的な『見せしめ』だ。身勝手な私刑には惨たらしい死が待っていると、司法からの無言のメッセージなのである。
「ではまあ。不本意ではあるが……、トドメとさせてもらおう。傍聴されているお客様の興を削いではいかん」
超人マッハバロンは苦し紛れに飛んだストライカーの拳をいなし、脇腹を蹴りつけ、上体を十分に沈み込ます。捕縛の際に喰らい、一発で昏睡状態に持ち込まれたフィニッシュ・ブロウ。今、あれを受けてしまったら――
「貴様はガーディアン社会を蝕む悪性の腫瘍だ。我が手で――、否、我が足で、完膚無きまでに切除してくれよう」
※ ※ ※
「ぬっ、がーーっ!! 駄目・駄目! もう無理ぃいぃいぃいぃいぃいぃいぃいいいいいッ!!」
リクライニング座椅子をコーヒーカップめいてぐるぐる回し、バックスペースキーの連打でワードソフトに並ぶ文字列を一気に消してゆく。
駄目だ。いつまで経ってもストライカーが勝てる話筋に進まない。この後、彼はマッハバロンの能力を奪い、衆目の中逃げ去ると、先んじて後の展開を作ったのはいいが、それと今と、パズルのピースが噛み合わぬ。
時刻は間もなく二十三時。
担当・桐乃菜々緒が提示したファイナル・リミットまで残り五十四時間を切った。ゴーストライターとしてマツリの後を継ぐのなら、それまでに話を繋げというのが彼女の弁。単行本が総てのラノベ作家って、まじでこんなに期限タイトなの? 絶対ウソだろ、ありえねえ。
だがまあ、ぼやいてたってしょうがない。無駄口の前にまずは状況整理だ。
ストライカーとマッハバロンを囲う長方形の檻には数十万ボルトの電流が伝い、触れた者の体力を奪う。バロンの超加速に翻弄され、ダメージを積み、苦し紛れの反撃はすべからく檻へ飛ぶ。
狙ったわけではないのだが、今朝のあの出来事を思い出す。全部自分の過失で、味方と呼べるものは何も無し。書き手が登場人物に同情なんてみっともないが、どうしても他人とは思えない。
いっそ、檻なんて設定を無くしてしまえばどうだろう。ダメだ。裁判の設定は檻を含めて前巻で詳細に詰められている。今から無しにするなどあり得ない。マツリの奴、原稿置いて逃げ出すんなら、責めて後続のことくらい考えといてくれよ……。
(休憩……すっか)
根を詰めたところで出来ないモンは出来ないんだからしょーがない。丁度『メルシィ』からのメッセ通知が、タスクバーの下で点滅しっぱなしだし。
開いていたワードソフトを最小化し、通話アプリの応答待ちボタンをダブルクリック。よほど暇だったのか、未だ顔すら見たことのない友人は、間を置かず受話器の元へと現れた。
『――お疲れっす、"スケープゴート"さん。何度も鳴らしてたってのに。シゴトですか?』
「うん、まあ……」これから製本して書店に並ぶことを考えると、一応は、仕事か。「今ちょっと、大分立て込んでてさ」
『――生活のためにガンバるの結構ですけど、少しはカラダのこと気を遣わなきゃ駄目っすよ。もうそんなに若くないんすから』
「うっせ。お前も対して変わらないだろーが」
やはり、明け透けとモノを言える間柄は気持ちが安らぐ。執筆のことを忘れて、このまま何時間も喋ってられたらいいのだけど……。
「あ、あのさァ」
『――何すか?』
「え、えぇっと」今書いている特撮ヒーローモノの展開について、同じインターネット・ノベルサークルに所属しているお前から意見が欲しい、と言い掛け逡巡し――取り止める。
メルシィはおれにガーディアン・ストライカーを勧めてくれた張本人だ。如何にぼやかして問うてもその類似性を指摘されるだろう。
否、そもそもこういうのってヒトに意見賜って良いものなのか? 守秘義務とかネタバレ防止とか、そういう法律に引っ掛かってしょっ引かれるのではあるまいか。
少しでもヒトに頼ろうとした自分自身にセルフ拳骨。こういうのはやっぱり、おれ自身で解決しなきゃならん。
「ごめん。何でもない」
『――釣れないなア。むむ。もしかして復帰!? スケープゴートさんの”異世界少女奇譚”、続きずぅーっと楽しみにしてたんすよ』
「はァ!? 発想が飛躍し過ぎてんだろ。無い無い、するわけない」
主旨がビミョーに合ってるところにどきりとする。もしやこいつ、訳知り顔でこっち覗いているんじゃないだろうな。
『――ひとりがヒトを辞めて魔物と成る道を選び、世界を制するもう一人が調律か友情かってところで苦渋の決断を迫られるシーン!
あの後一体どうなるか、ずっと、ずっと待ってるのにぃい』
「いや、無理無理。あれ風呂敷広げ過ぎたからさ。今だってあれの続き、なーんにも考えてないしよ」
楽しいか……? ヒトの古傷抉るのがそんなに楽しいか!? あれ、全然人気付かない揚句、面倒臭い連中にキャラ違いを執拗に指摘されて、金輪際関わりませんと念書まで書かされたんだぞ。ンなもん今更復活させられるわきゃねえだろ!
「この際だから言っておくがよ、あれは終わらないから美しいのであってだな」
『――何寝ぼけたこと言ってンすか。物語は終わらせなきゃ意味無いでしょーに』
※ ※ ※
「喋り過ぎた……」
時刻は間も無く午前一時半。おれの素人理想論を振りかざし、あちらが呆れるまで二時間弱。ただでさえ貴重な執筆時間が更に、無駄に、減って行く。
「畜生め、受験勉強中についつい読んじゃう本棚の漫画じゃねえんだぞ……」
たとえ明日が遅出の昼出勤とはいえ、これ以上の徹夜は仕事に響く。
なら諦める? 冗談ポイだぜ、まだ何も纏まっちゃいないのに、明日の自分に丸投げするにゃあ早すぎる。せめてかの戦いの決着は、何としても今夜中に付けなくては!
――仏説摩訶般若波羅蜜多心経……
「ん……?」
――観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空……
耳にひりつく囁き声。聴いてるだけでゲンナリするこの言葉の羅列は。
畜生、大家さんの月二の夜写経、今夜だったか……。一番根詰めて、精神集中しなくちゃならないこのタイミングで……。
誰もが寝静まった時間に粛々とやるっつってもさ、起きて仕事してンだよおれはァ!! 静かにやるっつっても聞こえてンだよォオオオオ!! 安眠妨害と迷惑条例違反で訴えてやるゥウウウ!!!!
などと、夜中に戸を蹴飛ばし、文句を言いに行ったのが、この部屋の前の住人。彼がその後どうなったのか――。今の『法蓮荘』の住人は誰も知らない。
「駄目だ・ダメだ。しゅうちゅう……シュウチュウ……」
――そんなんだから、アンタはいつになっても大ざっぱなのよ!
――もしこれが窒息にでもなって、脳梗塞でも起こしたら、アンタ責任取れるワケ!?
――今月の給与査定、楽しみにしておくことね
眠気でぼんやりとし、それでもなお行を進めんとするおれを、左耳から職場での幻聴が。
――是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
右耳から下階で響く般若心経が、強烈なジャブ・ストレートで揺さぶって行く。
嗚呼やめろ。やめてくれ。
おれは今、自分の書く物語でアタマがいっぱいなんだ。
これ以上揺さぶるな。
これ以上関わるな。
めまいがする。視界がゆがむ。
なんだ? おれは今、どこにいる?
おれは。おれは。
お れ は
……
…………
……………………
「やっぱさ。最近のヒーローは”ハッポービジン”なんだよ。近距離も遠距離も武器一つでなんなくこなせてさー」
「何だよ藪から棒に。それが今のオコサマのトレンドなんだ。仕方ないだろ」
いつか見た景色。隣に座る酒臭い相棒。
店に入って一時間も経たずに、特撮談義で生ビール五本目。今日は珍しくハイペースだ。
職場で何か、嫌なことでもあったのかな。
「じゃあ、問題はそのお子様だ。ヒーローってのは、不得手な部分を如何に克服するかがミリョクなんだよ。それを、武器ひとつでぜんぶ解決なんてつまんない!」
「ならクレームの提出場所を間違えてるぜ。そういうのはおれでなく、玩具会社や制作局にでも言いな」
……………………
…………
……
「八方……美人……」
おっ。
これは、なんというか、そう。
なんか、キタ。今の今まで思い悩んでたことに、もやもやっと理屈が、台詞が満ち満ちてゆく。
ヤバい。今おれ、過去最大級に、マツリと繋がったかもしんない。
※ ※ ※
「さあ。審判の刻よ。原稿はちゃんと、出来たんでしょうね?」
「勿論。何なら今ここで確認するがいい」
言って差し出すA4用紙の紙束・締めて二十五枚。スマホをそのまま見せればいいじゃん、って言われるかもだけど、タントーに、しかも正念場・起死回生の一発となれば紙媒体以外の選択肢などあり得ない。さっきコンビニで刷ってきた。
「一応、文字だけは埋めて来たと言うわけね」癇に障る言い方だが、タイムリミットぎりぎりまで粘ったこっちにも非がある。ここはぐっとこらえてTHE・我慢。
「でも、面白く無かったら」
「ごたくは結構。見もせずに、勝手に正否を決めンなよ」
「大きく出たわね」眼鏡越しの菜々緒の目が、ヒトを小馬鹿にするような表情を見せた。「そうね。それだけ自信がおありなら、読んでからでも損はないかも」
どうせ、マツリには敵わないでしょうけど。とでも言いたげに鼻を鳴らし、刷り立てほやほやの原稿に手を付けて――。
◆ ◆ ◆
「お前……。お前らが、そういう事、言ってんじゃねぇよ」
産まれたての子鹿めいて、致死量のダメージを負っていたストライカーが立ち上がる。
彼の胸部に宿る能力特性は痛みを伴う『自己再生』。半端な連打が続いたところで、彼を殺すことは敵わない。このしぶとさこそがストライカー最大の強みであり、ど素人の彼が幾人ものガーディアンを屠って来た理由でもある。
「『見せ過ぎ』なんだよマッハバロン。お前のチカラ……。既に見切った」
「まるで『ヒーロー』のような物言いだな」バロンは鼻から上を覆うマスクの下で嘲るような表情を作り。「貴様に、その台詞を宣う資格はないッ」
両腕を引き、中腰から身を屈め、眼前よりバロンの姿が消えた。空を裂き、目にも留まらぬ『超加速』。攻撃を知覚する頃には身体中の急所を突かれ、訳も分からず死んでいる。
だが。ストライカーの顔に焦りはない。✕字に組んだその腕は、『硬化』と『発火』を同時に発動させているではないか。
「フふン、下らん小細工ゥ!」
守りを固め、膠着状態に持ち込むか? 無駄なことを。如何に強固な防御だろうが、熱く煮え滾る炎だろうが、我が『速さ』の前にはゴミ同然。
矢の如き勢いで放たれたバロンの蹴りは、その勢いだけでストライカーの身体を仰け反らせ、別の角度に跳んでゆく。
四隅を雷流るる檻のフィールドでさえ、彼を縛る枷にはならぬ。電流が通るより早く縁を蹴り、次撃へと繋げているからだ。
「ふはははは。どうしたどォしたストライカー! あのイセイもさっきの啖呵で種切れかァ!?」
縦横無尽、対応不可避の速度で放たれる蹴撃。それを嫌って逃げ出せば十数万ボルトの高圧電流。狭所だからこそ光る、マッハバロン必勝の型である。
攻め手無く受け続けるストライカーは、喰らう反動で電流柵まであと数十センチ。物理攻撃は凌げても、前進を伝う雷には堪えられない。自らのエゴでガーディアンたちを死に至らしめて来た超人ストライカーも、ここらが年貢の納め時というわけか?
否。守り続ける彼の瞳は死んでいない。彼はただ我武者羅に蹴撃を受け続けていた訳ではない。鋼鉄の左で必殺の飛び蹴りを弾きつつ、その角度をつぶさに観察し続けていた。
「視え……た!」いよいよ追い詰められたその瞬間、組んだ左腕を僅かに『逸らす』。接触点がずれたことにより、バロンの軌跡も僅かに『逸れる』。
「な……にっ!?」
本当に、本当に僅かな『ズレ』故に、バロン自身も状況の把握が追いつかなかった。一線を退いてなお、美しく均整の取れた飛び蹴りは、電流流るる柵と柵の間に挟まり、腿の真中まで突き刺さってしまう。
「ぎに……ヤァアアアアアアアガガガゴガギガガガガガガガガ」
おぉ、見よ。かつて《原初の男》と肩を並べ、『ハーヴェスター』壊滅に最も貢献した”栄光の九人”たるマッハバロンが。『神速』と謳われ、他に並ぶもの無き強者であったマッハバロンが。足先から逃走防止の電流を浴び、全身を震わす、その様を!
「おのれ、おのれ……おのれェエ」
脚を引き抜かんともがくが動かない。当然だ。彼の右脚は根元からストライカーに掴まれ、足裏の『吸着』で完全に固定されていた。
「電気はさ……、音よりも早く伝わるって言うよなァ。どうだいお山の大将。自分より”速い”相手に成すが儘にされる気分は……!」
柵を伝う電流はバロンの身体を中継点とし、ストライカーの身体の隅々にまで流れ込む。彼に『自己再生』能力が無ければ、数秒で床の染みと変わっていただろう。
焼かれた傍から再生し、また焼かれ、また再生。新鮮な痛みを何度も、何度も味わい続ける。
これは言わば、命懸けの我慢比べだ。どちらが先に、焼け焦げた死体に成り果てるか――。
「この……社会の塵がァぁあああ……!!」水分を失い、干乾びた屍人の眼が、ストライカーのひしゃげたマスクを睨む。「手前勝手に組織を脅かす、平和ボケした、屑の分際でエエエェェェ」
「丁度。俺もお前に同じことを言おうと、思ってた」
最早バロンの命は風前の灯火。彼は無理矢理鉄柵から足を引き抜き、アスファルトの地表に叩き付ける。
「やっと解ったよ。判ったんだ」歯を軋ませてマウントを取り、右拳を振り上げる。
「お前たちは、もう、他に崇拝される存在じゃない……」震える手で拳を握り、霞む瞳で狙いを定め。
「腫瘍なのは俺じゃない。お前らだ」
正拳突きで幾重もの瓦を割るように、自慢の拳を振り下ろす。卵の殻が割れ爆ぜるかのように、さっきまでマッハバロン『だった』ものが、長方形のリング上に拡がった。
異常を示す警告音が鳴り響き、盾を持った警官隊が裁判所内になだれ込む。
処刑を宣告された被告人が執行者を殺すなど異常事態だ。しかもそれが栄光の九人のひとりともなれば――。
「お前らに、もう、用はない」
苦心して体を起こすストライカーの脚に蒼く輝く。吸着のチカラは既に無い。死に際にマッハバロンから勝ち取った『超加速』のチカラは、既に彼のカラダに宿っていた。
彼の姿はもうそこには無い。かの死闘でひしゃげた檻の隙間を縫い、砂埃を巻き上げ走り去る。
敵はたったひとり。こちらは世界人口三十億のうち一割を占めるガーディアン。
たったそれだけ。たかが一人の犠牲。奴らはきっとそう思っているに違いない。
此の瞬間、自分たちの喉元に縄がかかったことに、誰も気付かぬまま。
※ ※ ※
「これを……貴方が……書いたと?」
「じゃなきゃ、誰が書くっていうのさ」
ふふふ。怯えておるわ、震えておるわ。動揺のあまり原稿とおれとを何度も行き交う様が痛快愉快。あんなナリして、ウソを吐くのはかなり下手と見たね。
「人間、締め切りを設けて死ぬ気で動けばどうとでもなるワケね」言って原稿を机に置く『ナナちん』は動揺を隠せず、「取り敢えずは合格。貴方を茉莉の代筆者として認めます。まことに不本意ながら……ね」
「そういうの、思ってても口に出すの、止めましょうよ」
「事実でしょう? これは『夢野美杉』というペンネームで本になるのだから」
いや、違う。合ってるけど『そう』じゃない。とことん嫌な奴だなホント。
何はともあれ、第一関門クリア。これでおれも、晴れてヒーローラノベ作家の仲間入り。
バトンは受け取った。思うことは色々あるけど、取り敢えず今は気張るだけ。
マツリが何を思って『死を選ぶ』などと言い出したか、確かめなきゃならないもんな。
って、いうかさ……。
「あの」
「何よ」
「いやね。なんでさっきから、『コカン』のとこ、押さえてんのかなー、って」
「え…………。えっ、あっ! はぁっ!? 嘘ッ、ヤダっ、なんで!?」
おれを罵倒するときも、嫌味ながらも代筆を認めたときも。奴の片手はタイトなスカートの真中で固まって動かない。
何だよその驚き様はと問いかけんとしたその刹那。眠た目でしょぼしょぼしたおれの眉間に、丁度ストライカーがそうしたような正拳突きが飛んだ。
「こっ、公衆の面前で……破、波、破廉恥ぃいい!!!!」
「いや。待って。ちょっと待って。殴られるイミがワカラナイ」
おれがいったい何をした!? やべェ、ナナちんやべェよ……。このままじゃ、ホントにイッちまう!
「解る必要なんてない。お前なんて……お前なんてェぇえ」
「ね。ちょっと待って。やめて、ホントやめて……ねっ、ねっねっ、ねぇえっ!」
※ ※ ※
しっかりと陽の昇った昼下がり。介護の仕事に一日のリズムなんてものはない。夜勤で帰ったその翌日に朝五時起き、遅出の次が早出、なんてものも珍しくはない。
常日頃、睡魔と戦っている上に、メンタル面まで敵に回ると最悪だ。ああ行きたくない。行きたくないなと、呪詛のように何度も念じ、昼食介助に追われる職場の門を叩く。
「こ、こんちゃーっ、す……」
「ああ、やっと来た。今日の分の申し送りするから、先に日誌見といて」
「ちゃんと手を洗いなさいな。拭いた後は消毒液をしっかり擦り込むのよ」
だが、良いことだってちゃんとある。
他を見たことがないのでうちだけかもしれないが、介護職は問題に依って生じたヘイトを翌日には持ち越さない。
いつ何時、他の助けが必要になると知れぬ職業だ。仲違いで猫の手も借りれなくなると仕事そのものに支障が出る。よほどの外がない限り、悪口の持ち越しはしない。貼り紙やメモに残されていない、この職場暗黙の了解だ。
「ほら、ぼけーっとつったってないで。申し送り、するわよ」
「は、はは、はぃいっ」
副業がうまくゆこうがゆくまいが、本業は毎日淀みなく続いてゆく。変わらないものが一つあるってのも、なんだかんだで善し悪しか。ものすごく不本意ではあるが。
って、何。イワマさんってば転倒したの!? えっ、しかも応援なし!? 勘弁してよ、その皺寄せ全部おれに来るじゃん。
畜生め、なんて職場だ。昨日死ぬ気で一本話を終わらせたおれを労ってくれよぅ……。
「何か、文句でも?」
「いえ、やります。やらせていただきます」
※ ※ ※
「なんなのアイツ。ホント……なんなの……」
送られた原稿を何度も、何度も読み返し誤字脱字のチェック。向こうは本業持ちのうえ、半生半死で使い物にならない。面倒だけど、これも担当編集者の仕事。
死ぬほど、本当に死ぬほど認めたくないけれど。これは確かに茉莉の『ガーディアン・ストライカー』だ。原稿を読んで『漏る』だなんて、あの娘が一巻を書き終え、ドヤ顔で持って来た時以来。
この話は、私と茉莉のふたりで意見を交わし、構想を練り上げ、一冊の本として纏め上げてきたのに。そこに横からしゃしゃり出て、いつの間にやら原作者気取り。
雑葉大。あんた一体何なのよ。なんでこんなことが出来るの? なんで、諦めようとしなかったの? 締め切りをクリアできた理由は何!?
どうしてよ……。なんで……。この私が、あんな奴の文章を、『面白い』って感じてしまうの。昨日あの時、没ではなく、GOを出してしまったの。
意味わかんない。本当、ワケ……分かんない。
もうそろそろ忘れられているかも知れませんが。
このお話を構成する要素の四分の一くらいは『ラブストーリー』です。だいぶいびつだけど。
前後編で話が繋がるのはここでひとまず区切り。
次回、『そういやこの作品、ヒロインいなくね!?』からしばらくは、A・B片方ずつで完結する短編連作になりそうです。