(終)今度はさ、おまえとふたりで。
「なあ、アンタ。どうしてそんなおかしな格好をしてるんだい」
ラーメン屋の店主は人差し指でこめかみを掻きながら、対面するカウンター席の人物に問い掛ける。
ヒトは誰しも事情を抱えて生きている。それは解かる。異能者連中が大手を振って街を往く『超人社会』なら尚更だ。
だが飲食店、ことさらラーメン屋の主ともなれば、失礼を承知でも尋ねざるを得ない。
何せ向こうは、フルフェイスヘルメットめいたマスクで顔を覆い、首から下も黒い外套で包み隠した、得体の知れないニンゲンなのだから。
「特製”あごダシラーメン”ですね。しばし、お待ちを……」
彼は店に入るなり、一言も喋らず、ただメニューの中からそれを指し、今なお黙ってカウンターに座している。
大凡まともな客ではない。隙を見て店のカネを踏んだくるか、無理矢理『つけ』に持ってゆく気か――。
相手は外套の中で腕組みしたまま、彼の質問に一切答えない。油断なき視線で何某を睨む店主の額に一筋の汗が伝う。
通報先は警察か、ガーディアンか。店主が頭の中で続く対応を吟味する中、マスクの何某は、前触れなくもぞもぞと手を動かした。
(やはり、強盗か……?)すかさずカウンター下に手を伸ばし、通報釦に指を触れる。来るなら来てみろ悪党め。売上を貴様になぞ渡してなるものか。
ひとり、緊張感に高揚する店長を尻目に、向こうは首元に掛かったアクセサリーに手を触れ、左に二回、右に三回捻りながらこう『言った』。
『や、驚かせてすみません。"拡音機"の調子が悪くて。声がそちらまで届かなかったようですね。失礼致しました』
男とも、女ともつかぬ合成音。今手を触れていたのは、これを発するスピーカーだったのか? 随分とハイカラなものを持っている。
「アンタまさか、喋れないのかい」
『セイカクには、極端に声が小さい……と言いますか。これを通さないと会話が成立しないのです。チューニングが少し、狂っていたみたいですね。失敬・失敬』
なら尚更、そんなマスクなぞ外してしまえばいいものを。店主は非礼を侘びてラーメンの湯切りに戻りつつ、『変な奴だ』と心の中で独り言ちる。
秘伝のトビウオのアゴ出汁を、注ぎ足しの豚骨スープと混ぜ合わせ、細切り固麺の上から乱切りキクラゲと新鮮なもやし、薄切り三枚チャーシューを載せて出来上がり。やはり腕組みで料理を待つ外套の人物の元へと運んでゆく。
「はい、一丁上がり。お熱いうちにどうぞ」
『ご丁寧にどうも。頂きます』
そのままどうやって喰うんだい、という言葉を吐きかけて、危うく喉元で押し込める。一度目は非礼で済むが、二度目まで許容するかは分からない。創業十五年の愛着ある店舗だ。機嫌を損ねて壊されちゃたまらない。
店主の疑問は、驚くほどすんなりと解決する。箸を割り、丼を両手で持ったその瞬間、奴の顎先から鼻の辺りが観音開きめいて横に折り広がり、中に隠れた口元が顕となったのだ。
店主が恐怖に目を瞬かせたのはその時だ。顎先だけで歪な五つの手術跡。ひしゃげたそれを無理矢理拡げたと思しき奇妙な異様。
素顔を晒したがらない理由はこれか。顎だけでこれだ、顔はもっと酷いことになっているに違いない。
『何か』
「あっ、いや……。何でもないので、どぞ。どーぞ」
店主は追求すべきか悩み、取り止める。訊いたところでマトモな答えは返ってこまい。美味そうに麺を啜るマスクの姿を一瞥し、俯いて視線を逸らす。
『御馳走様。喉越し爽やか、良いラーメンでした』
拡音機越しにそう呟き、財布を探して外套を探る彼に、店主は『失礼ながら』と前置いて。
「アンタみたいなヒトが、どうしてウチなんかに。ただラーメンを食べに来たにしちゃ、ちょっと物々しい」
『ナンデ?』拡音された声が、僅かながら動揺に震える。つくづく態度の読めない御仁だが、この一言だけは正真正銘の本音らしい。
『かくいう自分も、その理由を探している最中で。何か、知りませんか?』
「いや、見ず知らずの私にそう言われましても……」
『そう、ですよねえ』
答えに窮し、首を傾げて悩んでいるヘルメットの耳に、物々しい地響きと銃弾の炸裂音が届く。
『ああ、"理由"の方が向こうからやって来たようで』
料金を払い終えたフルフェイスメットは、首を暖簾の先に向けたまま続ける。『面倒と迷惑の臭いがします。一刻も早く"刈り取ら"ないと』
不可思議な人物はそこまで言い終え、腿くらいまで覆った長い長い外套を翻し、入り口の引き戸に手を掛けた。
腕に嵌った鈍色のブレスレットがちらりと見えた。余程使い込んでいるのか、表面に凸が目立ち、幾本もの傷が刻まれている。
『余計なお世話かも知れませんが、姿勢は低く。火を消してカウンターの下に隠れる事をお勧めします。少しばかり、"派手"なことになるかと』
「ちょ、ちょっと待てよ。アンタ、一体」
『ご心配なく』振り向いて声をかけるメット野郎の顔に変化が見られた。目を覆うバイザー部分に、車のテールランプめいて紅く大きな、複眼らしきものが輝いている。
『争いのタネは、きっちり・はっきり・しっかり、刈り取って参ります』
・ガーディアン・ストライカー最終話:『監視者』より一部抜粋
※ ※ ※
戸と壁に囲われ、他と隔絶されたこの場所に、正午を告げる鐘の音が響く。
もうそんな時間だっけ。黄土色に汚れたズボンをもみ洗いしつつ、どこかズレた時間感覚に活を入れる。
正式に作者と認められてなお、収入は作家より本業の介護職の方が高い。病欠有給に貯金を叩いて旅行して来たツケがたたり、ウチの家計は火の車。
作家として大成したら、辞表叩き付けて逃げ出そうと思っていたのだが、その夢はまだまだ叶いそうもない。
「しっかしよ、何も昼メシ時に『ばくはつ』しなくてもいいのにな」
二日前より下剤を服用し、その後ずっと兆候が無いからと油断していた。床に滴る黄色い染みに、嗅ぎ慣れぬ異臭。勤務の重なる新人社員が一緒でなければ、共同室に集まった利用者は、今もなお昼食のバターライスを口にすることは出来なかっただろう。
「雑葉さァん。オオガキさんの食事形態、刻みの半分で良かったでしたっけー」
「違う、違う。オオガキさんは『極』刻み。それはヤスダさんの」
「了解ッス。ご苦労さんでーす」
「アイ、アイ……」
あれから、もう一年ちょっとか。失恋を話したイワマさんはもとより、他の利用者も半分近くが『入れ替わり』、職員だって上から三人が消えた。おれより歳下は全て消え、飯田フロアリーダーも翌週には別の棟に移るという。あの時『フラれた』って話をして、笑ってくれたひとたちはもういない。
時は移ろい、世代は変わる。ずっと同じものなんて、この世の中には存在しないのかも知れない。洗い終えた衣服をバケツに放り、衣類用漂白剤と共に冷水に漬けて一呼吸。
「雑葉さーん。モリノさんのトロミ、こんな感じで良かったっすかねー」
「ああ、ちょっと待って。今行く、見に行くから」
に、したってさ。これまで殆どさせなかったってのに、いきなり新人教育に付かせるのやめようよ。おれさ、ヒトにモノ教えるの苦手なんだよ。
何ぃ、それも含めて『教育』だって? 今更そんなこと言うなよな。正論だけどさ、正論ではあるんだけど!
※ ※ ※
「はい、それでは頂戴致しますよ」
「よ、宜しくお願いします」
最早見慣れたこの部屋とも、いよいよ今日でオサラバか。
菜々緒ではなく、浅黒い肌のその上司に『原稿を持って来い』と言われ、これ以上何を叱責するのかと焦ったけれど、向こうさんは不思議なくらい明るい顔で。なんか調子狂うんだよな。
「ん。どしたのどしたの夢野先生~~。私の顔、なにか付いてますゥ~~?」
「いえ。そういう訳じゃ、無いんですが」
どうして、菜々緒を介さずに原稿を見たいと仰ったのですか。だいたい、既に決定稿はOKを貰って、今刷ってもらっている最中なのだけど。
「あ。気になる? 気になりますゥ?」
別に隠すつもりはなさそうで。「ま、ね。正直なところ、キミの顔を観たくてお呼び立てした訳なんですけどねェ」
ま。そうなるのが自然だわな。続く言葉は何だ? 厄介払いしたことへの弁明か? 労いか? いずれにしたって嫌味たらしいことこの上ない。
「それにしたって、最終巻の展開は面白いねえ。矢継ぎ早の逆転、メインヒロインの死、総てに抗うべく立ち上がり、世界の王とやり合うラストバトル! 夢野先生の真骨頂ですなァ」
だから、本題に入る枕の言葉が、ガーストを読み込んだ上での褒めそやしだとは思っても見なかった。本になる前の完成稿を読み終え、後に残るは二カッとした暑苦しいこの笑顔。
今更、と言うかナニサマだ。その面白い話にボツを入れ、二度と陽のあたる場所に出せなくしたのはアンタだろうに。
「あっ、夢野先生。今私らしくないと思ったでしょォ。顔にしっかり書いてますよォ~~」
「や。別に、そんなことは……」
「いいんですよ、別に否定しなくても。実際、間違ってはいませんしねェ」
彼、川瀬巳継はF書房のノベル部門に於ける編集長だ。ただでさえ不振の続く出版業界、自らやその下で養う者たちの為にも、脛をかじるばかりの小は是が非でも切り捨てなければならない。
「心情と、経営とは別問題ですよ。例えそれが売れなくとも、執筆に全力を傾けるその若さ。そこは純粋に尊敬しているんですよォ私は~~」
「はあ」
この言葉が建前めいたリップサービスか、散り行くおれを憐れんだホンキなのか。後者と信じたいけれど、胡散臭さが先に来てしまう。同意を求められても、生返事で切り返す他ないだろうが。
などと、おれが奇異の眼で見ているにも関わらず、この編集長は笑顔を崩さず、同じ口調で言い放つ。
「それでですね。夢野先生。次回作は~~。どのような構想をされてるんです?」
「え」
「あれほどの物語を紡ぎ、かつきっちり完結させられるお人だ。既に、プロットくらいは準備してるんでしょォ~~?」
予想外の返答、とはこういうことを言うのだろう。今の今まで、この人はおれという存在をF書房から排斥したいものだとばかり思っていた。
けれど、自らの理想論を語って聞かせ、こんな話を振ってくるということは。
「まだ……弊社で本を出してもいい、ってことですか?」
「そりゃあそうですよ。曲がりなりにもファンを得、他からの助けもなく三年もの間続けられた作家さんだ。このご時世、売れるヒトは手元に置いておきたいでしょお~~」
理不尽と傲慢に苛つきながら、なるほどなと膝を打つ自分が居る。
感情論を抜きにすれば、川瀬編集長の言うことは間違っていない。売れない作品を切り捨てるのも、実績のある作家に手を述べるのも、理由の根源が同じなら得心がゆく。美辞麗句をのたまいつつも、彼はどこまでも商売人なのだ。
「そのだんまり。まさか、他にお声が掛かってるんですかぁ? いやいや先生ってば連れないお人ですねェ~~」
(テキトーなこと言いやがる)
そんなワケないって解ってるが故のこの態度。曖昧じゃなく、今此処で決断しろと言うわけね。
悪い話じゃないのはわかる。こちとらアマチュア上がりの零細だ。使えるコネを腐らせておく手はない。
「とても、名誉な話なのはわかります。今すぐにでもお受け、したいのですが」
「何か――、即断できない事情でも?」
「まあ、そんなところです」
だから。
だからこそ。決着を付けねばならぬ問題がひとつ。
ずっと先延ばしにしてきた戦いに、終止符を打たなくては。
「勝手なお願いだってのは解っています。けど返事は最終巻が出て、その少し後にさせてもらえませんか」
※ ※ ※
「それではーっ。ガーディアン・ストライカー最終巻、無事発売を祝しまして、かんぱーい!」
三十路編集者の無駄に気合の入った叫びと共に、各々六つのグラスが持ち上がる。中央を陣取る大モニタでは、誰のが知らない流行り歌がリピートされ続け、端末からの選曲指令を待っている。
夕暮れ迫るカラオケ:エコー・セイバー駅西店。かつて不機嫌な菜々緒が当たり散らしたこの場所で、パーティ用の大部屋を借り受け、執筆・編集・絵師たちが一堂に集まった。
「は、はじめまして。上代茉莉と申します。えと、その。ジブンはざっぱ……夢野先生の大ファン! みたいなもので~……。と、取り敢えず夜・露・死・苦ぅ!! foooooooo」
無論、書き手の中にはこれの『元々の』作者もいるわけで。おばさんのへそくりと、ここ二ヶ月で貯めたバイト代を叩き、再びM県に姿を見せた茉莉さま。
おれが言えた義理じゃないが、自己紹介下手くそだよなお前。台詞に吃ったからって、勢いに任せて押し切るの良くないぜ。
「え、あ。え。そ、そのう……。なにこれ」
そこでおれをチラチラ見るな。自分で挨拶したいって言ったのに世話ないぜ。
そりゃ確かに向こうさんビクついてるよ。そうだとも。けど、お前に過失があるわけじゃない。よぉく見ろ。絵師コンビが驚いてんのは、言葉じゃなくてお前の顔よ。
ほれ、見てみろ。奴ら二人、誰からとなく頭を下げ……って、えっこれ土下座!?
「ア……アごご、ごめんなさい。ま、まさか、忠実なモデルがいるとは……存じ上げず……」
水鏡のギギちゃんが相方の大男を伴って、震える声で詫びを入れるあの姿。傍から見ると滑稽だ。
そして、訳もわからず目を白黒とさせる茉莉の顔よ。俯瞰して事態を見れば、これほど面白い見世物もなかろうよ。
「ざっぱー。一体全体どうなっちゃってるのぉ」
「知らなきゃ知らんでいい」
いや、言わなかったおれにも相応の責任があるっちゃあるんだけどさ。
「ア、アアアあの。わたし、コスチュームの制作もやってるんです。折角なのでその、えと……」
「えっ、もしやコスプレ? コスプレですか! あたしに!? いや、いやいやいやいや」
(お。なんか新展開)
つまりそいつあ、自分で自分のコスプレをするわけ……。それはおれも気になるぞ。いつの衣装がいいかな。髪を束ねた夏場のへそ出しタンクトップにショーパン、いや、野暮ったい冬場のだぼだぼ厚手コートも捨て難いし……。これは悩む……。
「おいおいおい。ボーッとしてんじゃねぇぞお。こっち向けやあ天然パーマあ」
「お、ぶえっ?!」
欲望に目を濁らせ、隙だらけなおれの脇腹に、菜々緒の肘が容赦なく突き刺さる。
「痛ってェな。酒のニオイ漂わせて……お前、もう呑んでやがるのか」
「話しかけても答えない方が悪いんでしょうがァ~」
そりゃそうだ、ごもっとも。向こうの会話からイカガワシイ妄想してるこっちがいけないのだ。猛省します。
「頼まれてた雑誌、読み込んでチェック入れといたわよ。ここから先はあんたの仕事」
「サンキュウ。おれの目線からじゃ、こういうの解かんなくて」
「わかんないって何。そもそもね、こんなのオンナにさせるもんじゃないっつーの。自分でなんとかしろってんだ馬ァ鹿」
生意気だと言い返したいが、そうする理屈が当方には無い。そもそもおれは頼む側なのだ。怒りをぶつける事自体お門違い。
桐乃姉妹とカフェで語らってから早二ヶ月。義理堅いってのはこのヒトのことを言うんだろうね。茉莉が喜ぶ為ならば、自らがどう思おうが物ともしないんだもの。一途というか強かっていうか。この人が味方でいてくれて良かったと思う。
「どうなの? もう決まった?」
「そりゃまあ。決めたよ。あいつ、明日の昼には帰るって言ってたし」
奴をここに呼んだのは、単にギギちゃんらに自己紹介させるためではない。貸し切った二時間が終わり、お開きとなった後、おれは彼女をここではないどこかに連れ出す算段となっている。
「で、どこよ。ミッドランドの最上階? N港水族館? それとも『なばな』のライトアップ?」
「待て待て、逸るな。なんでA県のものばっかりなんだ」
「何言ってるの、『なばな』はここから車で二十分もしないでしょお」
「いやいや、おれクルマ持ってないんだって」
せめて、この辺で行けるラインナップにしてくれよ。こちとらカネも時間も無いんだぜ。
「じゃあ何処よ。言いなさいよ。そこ、ちゃんと女の子が楽しめる場所なんでしょうね?」
「あぁもう、めっちゃアルコールくさい……」
大真面目に言ってくれてるのは解かるし、お前にとって茉莉がどれだけ大切かなんて今更聞くまでもない。けど、面と向かうのはおれなんだぜ。少しは好きにさせてくれよう。
「というか、お前さ」
「何よ」
「何って」
言うべきことばを喉元に残し、意味もなく口ごもる。
お前は、それで、いいのかよ。発奮し、つい洩らしそうになったが、伝えることが何より残酷か。おれみたいな人でなしだってよくわかってる。
「余計なお世話よ」おれのキモチを見透かしたのか、菜々緒は冷ややかな目で此方を見。「ヒトのことよりまず自分。あの子のこと、ちゃんと支えてあげなさいよ。さもなくば」
「もういい。解った、分かったって」
何を言おうが返ってくる答えは同じ。生産性のないやり取りだ。
最早言葉にチカラはない。それ故に、モノに頼らんとしていたのだけど……。
「ねぇねぇはぁちゃん、このジュースおいしーよー。一緒に飲もー」
「うっさいメス猫。近・寄・ん・なっ」
「そんなこと言わずにさぁ~。あっ、この曲デュエットじゃん。一緒にうたおーよー。ねーえー」
「歌うかっ。他行け他ぁ! あぁもううっとおしいってば」
こっちがあれこれ思い悩む中、お前はどうしてそうなった。
片や加害者、片や被害者。前に逢った時は胸倉掴まれ泣いてたってのに。今じゃ茉莉の方からひっついてってさ。
「ちょっともーお姉〜。こいつなんとかしてよう。まじでうざい。ホント無理っ」
「はいはい。ほぉら、しょうがないんだから」
ちゃんとしたとこにしなさいよ、と目で無言の圧を食らい、三十路の酔っ払いは向こうの席へと去ってゆく。
「ね、大雑把」
「何だよ」
「あんたと一緒だったこの一年、存外悪くは無かったわ」
ほんの少し淋しげに、それだけを告げて。
――そろそろ混ぜなさいマツリ。だったら私とデュエットよ。
――おっ、久々ナナちんとカラオケかー。だったら選曲はこれっきゃ無いよね。聞いてください、『アカネイロ☆イチバンボシ』!
「あーもう。やっと解放されたぁ」
愛しの茉莉を担ぎ込んだナナちんに代わり、しかめっ面に眼光鋭いみなはちゃんが隣に座し、うんざりだとばかりに息を吐く。
「あれさ、あにじゃの差し金? 言っとくけど尻尾振って来たって、仲良くする気は毛頭ないから」
「アイツなりに色々考えた結果だよ」引き篭もりが外界に晒され、人並みに生きようとしてるんだ。「どうか、暖かい目で見てほしい」
「あっ、そ」みなはちゃんは興味ないねという体で。「じゃあ、好きにすれば?」
こっちはこっちでお姉ちゃん大好きっ子だし、責めようにも責めきれん。マツリ、お前は偉いよ。おれが同じ立場なら、ヒトを仇と思う相手になんか、絶対に近寄らないし。
「ね、ね。それ、なぁに?」
などと思っている中で、みなはちゃんの目はおれの左手側、茶一色の紙袋に向いていて。
「もしかして、アイツの為の贈り物? 皆があにじゃたちを労う、この場で」
「ち、違う違う」幾ら何でも、おれだってそのくらいの空気は読める。
「奴がおれを労ってくれるなら、おれたちはお返しにさ。二人で選んで、カネ出して」
「つまり……。お姉への?」
「まあ、そうなる」
こう言う時、どんな顔をしていいかわからない。笑って渡すわけにもゆかないし、暗い顔してるのも違う気がするし。茉莉に人付き合いがどうこうって言えないな。
「見る?」
「みる」
二つ返事で引っ手繰り、封を透かしてそっと覗き見。数刻と持たず突き返し、難しい顔をしてため息ひとつ。
「うわこれ、めっちゃコメントに困るやつだ」
「口に出して言わないでくれよ……」
「了解、りょーかい。これ以上何も言わない。後で私からお姉に渡す」
みなはちゃんはやれやれと嘆息し、口元に薄らとした笑みを浮かべ。「ありがとね。お姉のこと、忘れないでいてくれて」
「やめてくれよ。こちとら、お礼なんて言われる資格はない」
「ケンソンしなくていいよ。オトコノコの友達、しかもそれが一年近くも続いたの、あにじゃが初めてだもん。それに」
「それに?」
オウム返しに訊く最中、彼女はぐいと身を乗り出し、吐息の掛かる距離まで近づいて。
――私はまだ、諦めてないから。
「え」
「じゃ、ま。そういうことだから」
どういうこと、と聞くのは野暮か。おれの追及を躱し、熱唱するマツリたちの元へと掛けて行く。
――い、えーーい!! どぉだ、やったぞォ、歌いきったぁぁああ!
――ナナちん声でっかー。あたしってば圧倒されっぱなしだよぉ。
「お姉ー。さっきからマイク握りっぱなしー。他の人にも貸したげてぇ」
あの笑顔の下で何を思うのか。想い人を手放してなお、友人として接する茉莉に如何な想いを抱くのか。おれやみなはちゃんがいくら慮ったってわかるもんじゃない。
だから今は。ただ感謝の意を込めて。ひとりそっと頭を下げた。
ありがとう、ナナちん。
※ ※ ※
・グループ:スーパーヒーロー同盟
@ハクメンロー:逃げ羊、お前の新刊、読んだよ
@スケープ・ゴート:お前みたいな人気作家さまに読んで頂けるとは光栄だ
@スケープ・ゴート:で、何
@ハクメンロー:面白かった
@ハクメンロー:お前は、何時まで経っても変わらないな
@ハクメンロー:ちょっとだけ、羨ましい
「ははは、そうだろう。そうだろう」
時計の針は間もなく八時を指し、薄寒い空っ風が背筋を震わせる夜。
ハクメンローの奴が、かつてのサークルグループを介して話を振って来たとあれば、こちらとしては受けてやる他ない訳で。あれ以来話すタイミングを持てず、どう返答していいか迷ったのだけど、第一声がガースト最終巻を読んだってのには驚いた。
主義主張は違えど、ヤツの根っこはかつサークルを旗揚げした時から何も変わっちゃいない。たとえ書き手が気に食わなかろうと、面白いものには相応の礼を尽くす。
おれの勝ちたぜざまあみろ、なんつー衝動をぐっと堪え、握り拳を天に掲げる。
@メルシィ:でしょう!? でっしょう!? ようやく解ってくれたんスねぇ〜
@メルシィ:ハクメンパイセンは遅れてるなあ。僕なんか刊行当初から目を付けてたんですよォ。
@メルシィ:連載作家ならそれこそ色々アンテナ張っとかなきゃでしょ。駄目じゃないっスかパイセン、仮にも連載作家なんですからあ
@ハクメンロー:お前に言われたくない
@ハクメンロー:そもそも、お前にそれを言う資格があるのか
返答を決めあぐねていたら、メルシィのやつが騒ぎを聞き付けマウントを取りに来やがった。奴め、美人の彼女を勝ち取ってからとてつもなく調子に乗っていやがる。
彼女。そう、彼女だ。
少し前までおれもやっかみを向ける側でしかなかったが、今は違う。
「おぉい! ざーっぱー! おぉーい」
駐車場の果てより響く聞き知ったあの声。会合解散の後、ホテルに戻って装いを整えてきたあのオンナ。
「遅っせーぞマツリ。おれなんかな、寒い中、ずーっと外で待ってたんだからなッ」
「まーまー。オンナノコは身だしなみに時間が掛かるんだよ。ナナちんやはぁちゃんだってそうでしょ」
「ヒトを引き合いに出すな。だいたいお前、女の子ってガラかよ」
「ガラなのっ」
菜々緒の奴にオシャレな店を見繕って貰ったが、結局これより他の選択肢は無かった。
あの日茉莉に拒絶され、ガーストを押し付けられた因縁の場所。
「こんばんはーっす」
「おぉ、いらっしゃい大くん。あやや、今日は茉莉ちゃんも一緒かい」
「ご、ご無沙汰……してました」
うちから自転車で十五分。綺羅びやかな装飾も、オシャレなメニューも何もない場末の酒場。
かつて、おれとコイツが語らっていたあの飲み屋。ああ、ここはいつだって変わらない。
※ ※ ※
「それじゃあ、改めまして」
「お疲れさまでーす」
迎えの生ジョッキをかちんと鳴らし、音を立ててぐぐいと一杯。こいつと呑む時はいつもそう。酒に強い茉莉はここで七割方いっちゃうんだけど、おれは半分がせいぜい。日頃の不摂生で今じゃ三割でフウフウだ。
「珍しいね、座敷席予約するなんて。いつもカウンターで店長に弄られてたのにさ」
「ま、まあ。たまにはいいだろ」
薄暗い照明に、有線放送から流れる今年のヒットソングメドレー。使い古され、所々に溝を残すお座敷テーブル。普段使ったことは無かったが、それ故にほんの少しだけプレミア感。
端っこの座敷席をと頼んだ時の、『決めて来いよ』と言いたげな店長の顔が頭から離れない。
あぁ、そうさ。やってやるとも。ここで決めなきゃ男がすたる。何もかも、この日の為に動いて来たんだッ。
「まあ、よ。意味ならあるんだ。カウンターだとやり辛いんだ。目立たない場所じゃなきゃ、駄目なんだ」
「何だい何だい勿体ぶるねえ。どったのよざっぱー」
どったの、ってそりゃあお前の話だよ。いちいち言わせるんじゃねえぜ。
ああ、畜生恥ずい。普通に居る分にゃあ緊張しないのに、こういう時ばっかり声が出ないんだから。
「茉莉さ。前におれが訊いたことに答えて無いだろ」
「前……?」
この野郎、やっぱり忘れてやがったか。「奉華さん家の前で話したろ。『お前と一緒にやってきたい』って。そうしたら、ご飯の支度ができたからってはぐらかして。いい加減、ハッキリさせようぜ」
「はっきり、って」
このにぶちんめ。ようやく事態を察したか。茉莉の顔がほんのりと朱に染まり、艷やかな唇がかたかたと振れる。
「お前、絶対自分から言わないだろ。だから、ほら……」
今しかないってタイミングで、すっと出したる一抱えもある紙袋。
「ざっぱー。これ」
「口下手が、言葉に頼ったってロクなもんにならない。だから」
おれの中の『おれ』が心の臓に早鐘を打ち、袋に伸びるその手が震える。
落ち着け。
落ち着け。
これでいい。他に選択肢なんてなかったろ。
震える手でリボンを解き、包みを破って目を瞑る。
茉莉。これが、おれのキモチだ。
「ナニコレ」
「何これ、って。知ってるだろ。『DXツインドライバー』」
二種一対のナックルダスターパーツで、互いに端子を接着し、コアクリスタルを装着して変身。一昔前、朝の番組で一世を風靡したキャラクターの変身ツール。
当時売れに売れ、買い占めや転売が横行し、流通体制が整う頃には番組自体が終わりかけていたっていう曰く付きの――。
「いや、いや。チガウ、そうじゃない」
「えっ、何」
「なに、じゃないでしょ?! この雰囲気で出て来るのがこれ?! 指輪は? 婚約の契りはドコ行ったの!?」
「あっ、あぁ。何よそれかあ。安心しろマツリ。ちゃあんと準備してあるぜ。ツインの中間強化キーアイテム、フレイムパワーリング……」
「だぁあもう、違う! 違うところが違うぅうううう!!!!」
………
……
…
「無茶言うなよ。こちとらK県遠征とナナちんへの贈り物でカラッ欠なんだぞ。指輪なんてポンと出せるわけねぇべ」
「いや、だとしても。だとしても! そこで変身アイテムが出て来るセンスはおかしいでしょ? おかしいよね? あたし、何も間違ったこと言ってないよねぇ!?」
(二回言った……)
でも、お前欲しいって言ってたじゃん。品薄ン時ココが良いアレが良いって熱く語ってたじゃんよ。ここへ来てそれ言う? NO出しちゃう? 凹むわあ。まじでへこむ。
「わぁった。解ったよ。おれが悪かった。でりかしーに欠けてたのは猛省します」恥ずかしくなって来たので、アイテムを袋にしまって脇に置き。「じゃあさ、KYついでにもいっちょ聞いてけ」
「何」
「安心しろ。今度はマシな話だから」
告白を成功させた後、勇んで伝えるつもりだったのに、どうにもこうにも締まらねえなあ。
ああ、もう。過ぎたこと気にしてもしょうがなし。気を取り直してテイク2。
「その紙……」
「F書房のお偉方から預かった書類。ガーストは打ち切りになったけど、新作をウチで書きませんか、ってそういうハナシ」
あの時即答しなかったのは、決意が足りなかっただけじゃない。自分に自信が持てなかったのだ。原作がどうあれ、おれはずっと覆面作家でしかないのだから。
「ムカシとまるっきり立場が逆だけどよ。今度はおれから頼みたいんだ。ガーストの後を継ぐに相応しい作品の構想をさ」
何を馬鹿なと一笑に付されるだろうか。歴史は繰り返すと呆れられるだろうか。けれど、あの話を呑むならこれ以外の案は見付からなかった。
言葉を切り、息を止め、続く言葉をじっと待つ。上代茉莉はどう動く。一挙手一投足に至るまで見逃すものかと気を張るが、そのすぐ真横を、ジャスミンの香りを漂わせこのオンナがすり抜ける。
「おい、お前何を」
キス!? 接吻?! いやいや否否。奴の狙いはおれの真横。指輪代わりに用意した……、ツインドライバー!?
「ざっぱー。はい、ほら、早く」
「ほらって言われても。何だよ急に」
「いちいち言わなきゃわかんない? 掛かって来やがれ『バズヴ』の眷属! たとえどんな奴らが相手でもッ」
「おれたち兄弟の敵ではないっ」
あ。オッケー把握。決め台詞と共に、すべき事がアタマの中に流れ込んで来た。
先んじて封を切ったマツリに続き、大仰なナックルダスターを右手にマウント。左右凹凸の付いた部分をがちっとはめ込み、赤青のクリスタルを真中にセット。
「『行くぜカケルっ』」
「『おうさショーゴ』」
頬と頬とが重なる距離。ラメの効いた唇と、目元に引かれたスカイブルーのアイシャドウが色っぽい。こいつ、こんなにオトナだったっけ?
だから違う。邪念を捨てろ雑葉大。互いに計ってトリガーを引き、声を揃えて解き放つ。
「「チェンジ・ツイン・バトルモード!!」」
もう何年も前の作品だって言うのに。こうして呑むのも何年か振りだって言うのに。カラダはしっかり憶えてる。ヒーローに憧れ、その背中を追って、ついぞ掴めず愚痴っていたあの頃を。上代茉莉が傍らに居た、あの日々がまざまざと蘇る。
ところでこれ、何のためにやってたんだっけ?
…
……
…………
「いやー、決まった。久々にグッときたァ」
「ご満悦そーで何より。で、結局何なん」
「えー。ここまでやって分かんないのォ」お前がしたことへの意趣返しだと言わんばかりのドヤ顔で。「こちらこそ、よろしくお願いします、だよ。あたしね。こんな時が来るのを、ずーっと待ってた」
稚気染みていた先とは違い、頬を赤らめはにかむと。「けどさ。本当に、あたしでいいの? 何も続かず、キミの話を笠に着たあたしが、そんなところに居ていいの?」
「馬ァ鹿。ンなもんずぅっと前から今更なんだよ」
過去に何をしたとか、どんな理屈があろうが構いやしねえ。おれは、お前とハナシを紡いで行きたいんだ。震える向こうの手を握り、頬と頬とを擦り合わす。
「無精ひげ。くすぐったい」
「剃り残しだ。許せ」
「いいよ。これがいい」
恋人じゃないからキスはお預け。でも、同じ夢を同じ場所で紡ぐ相棒なら、このくらいしたって許されるだろ?
歓喜と安堵がアタマを満たし、声にならない溜息が漏れる。
「さ、さ! そうと決まればもうちょい呑むぞ! すいませーん、スマックハイボールひとつ」
「おっ、ヤル気だねざっぱー。ここまで言ってのけたんだ。酔い潰れて忘れるなんてのはナシだかんな」
「バッキャロー、おれは酔わねーぞ。今回は絶対に酔わねぇからな」
「はは、言ってろ」
地方の呑み屋のその一角で。
グラスを傾け、酒の肴は趣味のこと。
他から見ればだから何だと言われそうなこの光景が。全ッ然イケてないこの光景が。おれにとってのしあわせのかたち。
ああ。やっとここまで辿り着いた。
※ ※ ※
「駄目ね。ボツ」
「ナンデ!? これイケるじゃん! 絶対アガるだろ、そうだろう!?」
「大雑把。あなたは『タイムトラベル』っていうのをわかってない。幾ら主役が魅力的だろーと、設定に抵抗しちゃイミないでしょうが」
長い黒髪をジャスミンの髪飾りで持ち上げたこのオンナが、おれ様渾身の準備稿を机に投げる。
これで通算十三稿目だ。おれもそうだが向こうも気が立っているのだろう。左手に嵌めた腕時計の文字盤がびきびきと揺れている。
「だいたいね。あんたにも問題があるんすよ。おれの案は全没にするくせに、茉莉の案はそっくりそのまま入れ込むんだもん。歪になってアタリマエだろ?!」
「マツリを言い訳にするの? あなたが必要だからって呼び付けたくせに」
「だからって、全肯定は違うだろ。お前は何だ、激甘肯定ウーマンか。肯定ペンギンぺんぺんぺんか」
「何よ!」
「何だよ!」
「あ、あのお。そろそろ、お昼時……」
「「誰のせいでこんなことになってると思ってる!」」
「あ、ハイ。スイマセン」
四季は移ろい、時代は変わる。
変わらないでいてほしいなんて夢物語で、そんなことあり得ないのかも知れない。
けど。おれたちは。時代の流れに取り残され、それでもいいとへそを曲げたおれたちは。
もう少し、このままなんじゃないかなあって、思うんだ。
(了)
一年半に渡って紡いできた、代筆から始まったラブ・ストーリーも、これにて一旦終幕です。
この先彼らはまた間違えるかも知れないし、今よりもっと幸せになれるかもしれません。
ですが、今はここまで。
あとは、若いお二人にお任せします。
ここまで彼らを見守ってくださった皆々様方。
ここまで筆者を応援してくださった皆々様方。
本当に、ありがとうございました。




