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もうおしまい。これでおしまい。

これを描いている半ばはあまり深く考えていなかったのですが、

そもそもこの劇中作って、生まれはどうあれ代筆なんですよね。


ということを突っ込んで考えていたら、こういった話になってしまいました。

おもめ。

◆ ◆ ◆



「ほう、いい目をするようになった。迷いがない」

 きな臭い地下施設の奥の奥。緩いカーブを描いた大型液晶モニタには、世界各地の監視カメラ映像が所狭しと並べられ、刻々と変化する世界情勢を映し出している。


 主の名は『九番』。これまで何度もストライカーと切り結び、彼の成長に驚くどころかむしろ嬉々として受け入れる、ガーディアン社会の異端児だ。



「お陰さまでな。手前様のお仕込み通りで……」

 対するはフルフェイスヘルメットに斑模様のボディスーツ。大切な相棒を喪い、激情に駆られたガーディアン・ストライカーその人。

 直接の下手人、ザ・アヴェンジャーを半殺しにし、スタミナ不足で逃したその場所に現れたのがあの男。

 彼とその部下に導かれ、乗り込んだのは敵のアジト。邪魔をするキューバン・キャッツも既になく、完全なる一対一。双方、共に逃げ場はない。


「一つ、聞かせろよ」緊迫する空気の中、先に口を開いたのはストライカーだ。「何故、お前は俺を付け狙う」

「付け狙う? 別にそんなつもりは無いよ。こっちの目的と君の行動とが一致していた、それだけだ」

「じゃあ、何だ。俺の何がお前を駆り立てた」



「ハ、は、ハ」九番は乾いた嗤いと共に顔を覆い、「キミはもう解ってるんだろ。俺は伝説の九人の九番目。『あのヒト』が見出してくれた最期の一人」

「何、だっ、て……?」

 既に、生半可なガーディアンではストライカーの猛攻を止められない。だのに何度も切り結び、その都度逃がして来た時点で出自は大分絞られてくる。

 だが、それでも。悪を挫き正義に殉じるガーディアンが。その生え抜きたる九人が。私兵を伴い国家転覆を企てるあの『九番』だなんて――。


「俺もオマエも、必要悪なんだよ。ストライカー」取り込み中悪いがと前置いて、九番の言葉が続く。

「この世に生きる人間ならわかるだろ。ハーヴェスターが滅んで、異能者が丸ごと残されて。そのまま常人と暮らせと言う。破綻するのは目に見えてた。

 だから俺は道を違えたんだよ。あのヒトが、あのヒトでいられる社会の為に」


「だから、自ら悪に成った」

「追い回す相手がいれば、社会はその矛盾から目を背ける。彼の統治を認めざるを得なくなる。これは、誰にとっても、必要なことなんだよ。そうだろう?」


「そうだな、確かに、そうだ」

 九番の言い分に異論は無い。実際、他より優れた異能者たちは、野放図にしておけば、新たな悪となっていただろう。

 そんなものは誰も望まない。だから、自ら汚れ役になった。美しく尊い自己犠牲だ。


「けど、俺が認めると、思うか?」

 だがそれは、所詮外野の戯言だ。その社会から弾き出され、生きるために殺し続け、今もなお渦中に立たされるストライカーには、如何な正論も意味を成さぬ。


「は、は、は! やはり、噛み合わん」

 最早、ストライカーに正義を揺るがす害悪としての価値は無い。『彼』が造りし安寧の為、今ここで、この男の首を刎ねてくれよう。


「君はよくやった。だからその命、俺が責任持って、きっちり地獄に送ってやるよ」

「馬鹿言うな。こんなところで、終わってたまるか」

 一方は狂気。一方は怒気を込め、二人の男が向かい合う。

 悪無きセカイで数百人の超人を殺した大罪人と、《原初の男》の覚えめでたい九番目。

 天下分け目の死闘の火蓋が今、切って落とされた。





※ ※ ※





「ああ、もう。何やってるのよ、大ざっぱ」

「はあ」

「生返事なんかいらない。ナニが、どうして、こうなったの」

「へえ」

「あのね、ここは小学校じゃないの。申し送りははぐらかさないでちゃんと答えなさい」


 健全な精神は健全な肉体に宿るとヒトは言う。

 確かにそうだとおれも思う。一睡も出来ず、目は半開き。もつれる足は真っ直ぐ歩くことも叶わず、両の手は小刻みに振れている。

 今の気持ちを代弁するかのように、窓の向こうはお天道様さえ見えない曇天。陽が差さず、活力は得られず、俯いて燻って気が滅入る。



 そもそも。おれは今、なんで飯田フロアリーダーに怒られているんだっけ。手と頭がリンクしてなくて、理由すらも曖昧だ。

 少し、記憶を遡ってみるか。時刻は午前十一時。寝ていた利用者をベッドから離床させ、ついでに遅い着衣変換を行おうとしていて――。



「クニエダさんが皮膚が弱いの、あんただって知ってたでしょう? ご家族様からもこれ以上の剥離は許さないってお達しされてたのに。先週の会議でちゃんと言ったでしょう!?」

「ほぉ」


 あ、あ。思い出した。皮膚剥離。

 文字通り骨と皮になった人間ってのは、少し擦れただけで桃の皮みたいにべろんと捲れてしまうもの。

 故に、平時はおろか就寝時でさえ、クニエダさんの手足にはアームカバーが欠かせない。

 順を追って聞く限り、どうやらおれは手順を違えてしまったらしい。長袖だからと高をくくり、アームカバー無しで車椅子へ移乗させたのがまずかった。腕の薄皮は半月のアーチを描いて見事に捲れ、クリーム色の寝間着は血で赤黒く染め直されている。


 あー、なるほど。そりゃあ怒るわ。おれが報告を受ける立場なら溜め息着いてそいつを詰ってるくらい。


「あのね、私達はヒトの命を預かる仕事なのよ。プライベートで何があったか知らないけど、仕事は仕事。真面目にやらなきゃ叩き出すわよ」

「はぁ」

 カネを貰ってしている仕事だろう。まず間違いなく向こうが正しい。それでも、なお。おれは過失を認識することは出来なかった。

 受け入れて省みるには、脳味噌のリソースが、あまりにも不足していたから。



※ ※ ※



「おい。そりゃあ一体、どういう意味だ」

「言葉通りの意味よ。私は、それを伝えに来た」


 話は、三日くらい前まで遡る。

 出来上がったばかりの原稿を手に、菜々緒と待ち合わせた喫茶店に向かったその日。

 ハクメンローの野郎は間違っている。作家は読み手に屈し、楽しみを捨てては行けないのだと奮起をし、趣味全開に書き殴った自信作。ふふふ、ナナちんの驚く顔が目に浮かぶぜ。

 入口から見て左端の禁煙席。厨房に程近く、多少騒いでも他の客に咎められない定位置に奴はいた。

 此方を見やる冷ややかな眼差しと、青褪めた顔色から、それが良いニュースでないことはすぐに分かった。向かいに座すのも躊躇われたが、目線が合った以上、躱す術もない。


「こ、こんちゃっす。どないしたの、今日のナナちん、いつも以上におっかねえんだけど」

 若干の親しみを込め、フランクに話し掛けて見たものの、向こうの目付きは変わらない。

 えっ、おれ、なんかした? 別に何もしてないよね? これまで普通に作品の添削してもらってましたよね?


「大雑把マサル」おれの言葉に全く取り合わず、仕方なしに座したところで、奴が唐突に話を振ってくる。

「ガーディアン・ストライカー。茉莉が紡ぎ、あなたが"代筆"し続けたあれね。今回と、次の巻で、打ち切りになったから」

「お前、いつまで経っても棘あるよな。言い方ってもんがあるでしょ」

 ん。いや、待って。ちょっとまって。

 こいつ今なんて言った? 打ち切り? ウチキリ。う、ち、き、り……。



「は、あ、ぁああぁ!? 何、お前何?! 何言ってくれちゃってンのぉ!? なんだよ、なんでそうなるんだよ!!!!」

「実際、人気はそう高くなかったでしょ」おれの絶叫など物ともせず、冷ややかな顔で正論を垂れ。「そろそろ改編の時期だからって、編集長から直々にね。元々、口約束でお目溢しされてたんですもの。むしろ持った方だと思わない?」

「なんだよ、それ……」

 言いたいことは解る。打ち切る理由も尤もだ。おれたちが普通に作家と編集者の間柄なら、仕方がないと受け入れていただろう。けれど、

「あんたはそれでいいのかよ。お前の言った通り、ガーストを此の世に送り出したのはマツリなんだ。その火を絶やすなっつったのは誰でもない、あんた自身じゃねぇか」

 人目もはばからず、早口でまくし立て、勝ち気な担当の返答を待つ。菜々緒のことだ。此の世の理不尽なんて、唾と一緒にぶっ飛ばしてくれるに違いない。

「悪いけど、もう。決まったことだから」

 そう、思っていたのに。返ってきた声は何故だが妙に小さくて。

 なんだよ。なんでだよナナちん。あんた誰よりもガーストのこと考えてくれてたじゃん。もう一度茉莉に逢いたいって言ってたじゃんかよ。それがなんで、こんなに意気消沈してんだよ。

 ふざけるなと机を叩くが、店員に白い目を向けられて。向こうは何も反応してくれなくて。

 やがて席を立ち、おれではない何処かを観ながら、言葉を継ぐ。

「話はそれだけ。じゃあ私、仕事。あるから」

「待て待て。これだけ言ってもう帰ンの!? おかしくない!?」

 頼むよ、冗談であってくれ。こんなこと、幾ら説明されたって呑み込めるもんか。みっともなくたっていい。この際構うものか。雀みたいにぴぃぴぃ喚いて食い下がるが、向こうの視線はいつもより五割増しで鋭くて。

「何か……文句でも?」

「あ、いえ……特に何も」

 突っ込み甲斐のある台詞を前にしてなお、それ以上踏み込むことは出来なかった。


 あいつは去って、珈琲代は向こう持ちで。本日の会合はそれで終了。

 気合の入った新作も、結局見せられず仕舞い。まあ、こんな様子じゃ読んだところでリアクションすらなさそうだけど。

 なぁおいナナちん。何がお前をそんなに変えた。どうして冷たい目を向ける。どうして原稿を見もしない。

 喫茶店に入る前まで晴れ渡っていた空は、このもやもやを代弁するかのように曇天で。直に良くなるだろうと思いきや、その後もずっと曇り空で。

 それを眺めるおれもまた、どんよりと意欲を無くしていった。



※ ※ ※



『――ジョーダンでしょ』

「この顔が冗談に見えるか?」

『――いや、"スタンプ"で本気かどーかを委ねられましても』


 想いとは、時として正しく伝わらぬもの。予想していたこととは言え、これは少し、凹む。

 おれが、ガーディアン・ストライカーの作者、夢野美杉だと告げたというに、メルシィの反応はどうにも冷ややかだ。もっとこう、『スケープゴートさんがそうだったんスか!?』とか、『僕、そうとは知らずオススメしちゃったよしくったなァ』とか、『今回も面白かったですよ、特に〜』とかさ、そういうの無いワケ?!


『――まあ、それがホントか嘘かは置いといて』

「置くな」

『――スケープゴートさんはそれを僕に教えて、何を考えてるんです?』

「なに? 何ってそりゃあ、お前……」


 伝わらないうえに、予想外の返答をされるとうんざりする。そりゃあおれが聞きたいよ。そういう個人情報喋ってさ、おれは何を求めているんだよ。



 ――雑葉さん、ざっぱ・まさるさーん。

「ああ、はい・はい。ごめん、そういうことだから」

『――ちょちょ、結局何スか、何なんすか!?』



 唐突に打ち切りを告げられたその翌日。菜々緒からの連絡はぷっつりと途絶え、おれはガーストの続きを書き出せずにいる。

 だいたい、打ち切りにするって言うんなら、その後のプランまでちゃんと提示しろってんだよ。言ってハイサヨナラじゃ、何書いていいかさっぱりじゃねぇか。

 となれば、おれのすることは唯一つ。奴の職場に乗り込んで、直接事情を問い質すのみ。


「VX文庫の部署に問い合わせましたが、桐乃はまだ出勤していないようです」

「アー。もうそろそろお昼でしたよね。少し待たせてください。編集長に顔繋ぎをお願いできますか」

 奴め、出勤日に職場に来てないのか。友達もおらず、仕事の鬼みたいなくせして予想外。

 まあ、予想外だが計算の内だ。やつが駄目ならあの色黒だ。直接指令を送ったやつに詰め寄れば、もう少しマシな答えも引き出せよう。



「無駄だよ」

「はい……?」

 そんなおれの気持ちを見透かしたかのように、タイミングドンピシャで掛かる何某かの声。

 あの顔には憶えがある。前にここへ来て、菜々緒に会わせろと言ったとき……。


「前に一度、逢ったことあるだろ。キリノの同僚。やつ以外には『バイソン』と呼ばれてる」

「ば、ばいそん……」

 ずいぶんと荒々しいあだ名だが、おれより少し背が高く、クリーム色のスーツを纏うその姿とは、少々噛み合わないような。


「陪審員の『陪』に、損得勘定の『損』で陪損ばいそん。今、名前負けしてるって思ったろ」

「や、ややや。決してそんなことは」

 話が脱線してしようがない。なんなんだアンタは。菜々緒やあの編集長を待つおれに、何の用がある。


「待ってたところで桐乃は来ないよ」それを知ってか知らずか、向こうの方から話題を戻しに来やがった。

「病気の早退け。ここんとこ忙しくて、その皺寄せらしいよ。妹さんが連れて帰った」

「そう……ですか」

 クソっ菜々緒めっ、幾ら血縁だからって、みなはちゃんを遣いに呼んで送迎とはうらやまけしからん所業ッッッッ。

 じゃ、ない。そこはひとまず置いといて。

 あの菜々緒が、早退け? 友達がいなくて、仕事一筋バリキャリガールのナナちんが? そこで大事を取らず、敢えて職場に赴く辺り『らしい』けど。


「わざわざ、ありがとうございます。けど、何故おれに」

「手持ち無沙汰に、うちの前ウロウロしないで欲しいってのもあるけどさ」

 間を置かず返す言葉には、なんだかちょっと棘がある。「一番は、個人的な……興味かな。あのキリノが、一年近くも問題起こさず、ひとりの作者と付きっきりなんて、今まで無かったからね」

「はあ」

 どうやら、愛想笑いで躱せる状況じゃなさそうだ。急いでいるんだけど……。奴のパーソナルに関わるはなしなら、聞いておいて損はない。


「少し、話せるかな。ここからすぐの所に、カフェテリアがあるんだけど」





※ ※ ※





 ――ナナちんさ。その話はまた、次の日にしてもらえる?

「そうね、解った。じゃあ、またね」



 待って。行かないで。マツリ。

 お願い、引き留めて! 今あの子をひとりにしたら。マツリを、ひとりにしちゃ駄目!



 ――あの、さ。

「どうしたの」

 ――ううん。何でも。ごめんね。



 なんで止めないの。なんで聞かないの。こんなに思い詰めているのに、どうして相談してくれないの。

 駄目よ、行かないで。私を一人にしないでマツリ。

 マツリ。茉莉。マツリ……。



◆ ◆ ◆



「おアツいねぇ。それがお姉の"彼女"?」

 微睡む視界に、聞き覚えのあるお調子者の声。

 ここは、どこ? 手元を探れば柔い枕の感触と、お天道様の匂いがするタオルケット。


「ちょっと待っててね。今ちょっと、消化の良いもの、用意するから……」

 ぼやけたセカイに輪郭が生まれ、眼前の『それ』がヒトの形を成してゆく。

 そう。あれは、そうだ……。


「ありがと。ごめんね、はぁちゃん」

「懐かしいな、その呼び方。あたしが高校の時以来だっけ」

「そうかしら」

「あの頃は今と違う意味で不安だったなあ。一浪して、就職先決まらなくて。人目を避けて部屋に閉じ籠もっちゃって。憶えてる? 今からざっと……八年前」

 高校の、とき? あれ、待って。今何時。私は、確か、仕事場で……。


「あ、あ……! みなは!? なんでアンタかウチに! っていうか、なんで私、家にいるの!?」

「こら、こら。まだ動いちゃだーめー」

 目の前の妹は、姉に事情を知らせないどころか、掌で唇を塞いで、脇にすっと体温計を挿し込むと。


「貧血でふらっとキたって聞いて、急ぎ駆け付けて来てみれば。まだ仕事をさせてって一点張り。

 皆勤記録も良いことだけどさ、皆勤の前に健康でしょ。お姉が倒れて、その仕事引き継ぐことになるヒトのことも考えなきゃ」

「それは……そう、だけど」

「そりゃそうよ。他に何か、大事なこと、ある?」

 私の言葉を待たずして、妹は私の脇から温度計を引っ手繰る。「はい、平熱。汗を拭いて、暖かくして寝れば良くなるでしょー」

 三葉は体温計を救急箱にしまい、代わりにお盆に底の深い料理皿を載せて戻ってくる。

「取り敢えず精のつくモノ食べて休んでて。お代は結構。今度、近所のバイキング、お姉の奢りね」

「それ、間違いなく私の方が損してるわよね……」

 膝の上に載せられたのは、さいの目状に切り揃えられたシラップ漬けの黄桃。勿体無くて、こう言うときじゃなきゃ食べない代物。

「意外。こう言うときは、玉子粥だと思ってたのに」

「風邪でも無いのに贅沢言うものじゃないよお姉。果物食べて元気出しなーっ」


 ああ、妹の健気な優しさが身に沁みる。

 だが。それはさておき。お粥じゃないのかと指摘した時、あの子が明後日の方角を向いたのは何故かしら。

 何か意味でもあるの。ふとキッチンの方に目を向けたらば、みなはの身体で不自然に阻まれる。

「何故隠すの」

「か、隠すだなんて。何も無いよ。なーんにも」

「嘘」こう言うときに限って、何か厄介事を抱え込んでいるのよね、我が妹は……。

「あそこで一体何やったの。見せなさい」

「わっ、わーっ。駄目! 駄目だよお姉! 病人はちゃんと寝、て、な、く、ちゃちゃ」

 無理を押して、妹も横に押し退けて。そこに躍るは謎の白い液体に染まったガスコンロと、ひっくり返って流し台にシュートされた深底の片手鍋。

「ねえみなは。どうして……。コンロの下がどろっどろのべちゃべちゃなのかなあ?」

「えっ、へへ。へへへのへ」可愛さの欠片も無い愛想笑いを浮かべ、「ごめーんお姉。お鍋、焦がしちゃった☆」

「成る程。そういうわけ」

 聞くべきじゃなかった。親切と慈愛に留めておけば良かったと自省。

 つまり、この缶詰めも、お粥の失敗の埋め合わせ――。みなはってば、マトモに料理なんて出来ないのに、気取りやなんだから……。



「ハア……。もういいわ。怒る気も失せた」

 片付けだけちゃんとしておいてねと言って下がらせるも、みなはは心配そうな目で此方を観るばかり。

「何よ」

「お姉。ガースト、終わっちゃうのはつらいけど、菜々お姉がそこまでする必要、ある?」

「あ……や、でも」

 向こうはこっちの返答を聞かずして、席を立ち、玄関から仕事靴を持って来ると。

「前にあげた茶のパンプス、だいぶ踵が磨り減ってる。こんなになるまであちこち駆けずり回ってさ」

 いつもより低いトーンで、『働き過ぎ』って言われると、ほんの少し心が痛む。そんなこと、指摘されなくても解っている。傍目から気が変になったと言われても否定できない。

 でもねみなは。それでも、それでもさ。

「私は、あの作品を諦めたくないの。あれは道標でなくちゃいけない。居なくなって行方知れずのあの子に、あなたの居場所はここよって、知らせてあげたくて……」


「それが、お姉のいう『マツリ』?」

「え……」

 なんでその名を? と聞くのは野暮か。あれだけうなされていれば馬鹿でも勘付く。

「マツリ。上代茉莉……、さっき、ちょっと調べたよ。一年くらい前に『失踪』して、警察が足跡を辿ってるんだっけ」

 そうよ。死んだのか、逃げたのか。警察は未だに判断を決めあぐねている。だから責めて、私は。

「"恋"だねえ。惚れたオンナの為ならばってやつ。でもさお姉。その人とずっと逢ってないんでしょ。外野の戯言だけどさ。それ、本当にその人が望んだことだったのかな」


「そんな……わけ……」

 聞き知ったくらいて、テキトーなことを言わないでと反論したかった。怒りに任せてまくし立てさえすれば、向こうだって自らの言動を謝罪するだろうと。

 けれど、それはムリだと分かってしまって。だから、諦めて部屋で寝ているわけで。あの子にも、アイツにも、合わせる顔がなくて――。



「や、やや」

 私ではなく、ベランダの窓を見やる妹の様子がおかしい。閑静なこの借家アパート前で、言い争い?


 ――白昼堂々なんなんですかあなたは! 覗きですか? 覗きなんですか!

「ちっ、違! 違いますよ。おれはその、ここのひとに用事がっ」


 みなはに肩を借り、窓の縁から外を見れば、管理人のおばさんが何やらを相手に喚いている。

 不法侵入とは身の程知らずな。ここでは日中あのおばさんが、夕刻以降は屈強なその旦那が見張る、窮屈なアパートだというのに。

 身を乗り出し、興味本位で覗いた先に、見知った黒いちりちり頭――。


「ねぇ、お姉。あれってもしかしなくてもアレだよね。お姉の元カレ」

 妹の不埒な言動に取り合わず、見間違いじゃないかと二度見。色剥げ著しい青のジーンズに、襟のくたびれたTシャツ。前に職場を訪れた時と変わらない。

(寄りにも寄って、なんでこんな時期に)

 言っては見たが、考えなくても解る。黙りを決め込むならカチコミか。そういうとこほんとガサツ。ヒトの気持ちも知らないで、自分の我ばかり押し通して。


「ねぇ、どうする? どうするよお姉ー」

「どう、って」

 出来ることなら会いたくない。下手に取り合わず、このまま回れ右をしてもらうのが理想だけれども。

「ほっとくのはまずいよ。見てよほら、雑葉のあにじゃ、管理人さんにまだ食い付いてる」


 ――いい加減離しなさいっ。警察呼びます、呼びますからっ

「じょ、ジョーダンじゃない。おれは知り合いに逢いに来たって言ってるでしょ。アヤしいモンじゃないんだって!」


 促されて三度見てみれば、あのおばさん相手に頭を下げ、袖を掴み、携帯端末を触らせまいと必死の抵抗。

 通報を阻止する時点で言い逃れ、出来ないと思うのだけど……。あいつにそこまで頭は回らないか。


「ねえ、ねえ。いいのお姉? 行っちゃうよ? あにじゃ、ブタ箱行きになっちゃうよ?」

 考える暇もなく、私を揺さぶり声を張る妹。だから、私は病人だと言ったでしょう。頭は、アタマは……もう!!


「わ。分かった、解ったわよ。ゴカイを、解くくらいなら」

「オッケ、じゃあ行ってくるっ」

「早ッ」

 あいつめ、私がこう言うと解って急かしたな。誤解を解くだけとは言ったが、話し掛けた以上、この家に上げざるを得なくなる。サイアクだ。元はといえばあいつに会いたくないが故に、仕事を切り上げ療養を選んだというのに。



「菜々お姉ー、あにじゃ連れて来たよー」

 ああ、もう逃げ場がない。頭痛に顔をしかめつつ、纏う掛布を払って、立ち上がる。

 眼前のアイツはビニル袋を右手に提げ、大真面目にぎらついた目をこちらに向けた。


「ドーモ。悪いんなら悪いって言えよ」

「やめてよ、そういう気遣い。柄じゃないわ」



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