ああ、おれって奴は。いつだって……
もう多分触れる機会がなさそうなのでぼそりと。
彼女のフルネーム(P.N)は水鏡偽義です。
◆ ◆ ◆
ここは、どこだ?
何故、仰向けに知らない天井を眺めている?
俺は……そうだ。『九番』とその取り巻きに攫われた茉莉花を救けようと、バイクで……。
ああ、だんだんと思い出して来た。そのバイクが横転し、瓦礫の坩堝に投げ出され、下敷きに。
「今の装備じゃ、逆立ちしたって奴には勝てんよォー」
眩い光の先で声がする。機械化合成された癇に障るダミ声だ。
「お前が、俺を此処に連れて来たのか」
「必要ないことは聞かんでよろしい」
声の主はヒトの要求をぴしゃりと跳ね除け、俺の右上腕に光り輝く刃物を這わせ、痛みも無く真一文字を刻み込む。
「大事なのはストライカー。キミはこれから超・絶強くなる。奴らの雑兵なぞ、赤子の手を捻るように斃せるとも。少しばかり副作用もあるが、まあ些細なことじゃて」
呼吸器で鼻と口を塞がれ、薄れ行く意識の最中、なんとかそこまでは聞き取れた。
強くなる? 俺が? どうして急に。その答えを知ることも出来ず、俺の意識は涅槃へと溶けて行く――。
※ ※ ※
「と。さてはて……」
「ユメノさまー。ストライカーの強化形態、デザインC案、上がりましたー」
「うぉッほ、早いねギギちゃん。目ぇ通すから、そこのちゃぶ台んとこ置いといてー」
自室から折り畳みのベッドを取り払い、ちゃぶ台を置いた狭苦しい空間。
おれはパソコンを立ち上げ、ワードソフトに文字を打っては消してを繰り返し、いきり立つ股間がばれないよう、なるべく横を見ないように努める。
元々予定にない麗しき闖入者は、額の汗を鉢巻きにしたタオルで堰き止め、タートルネックをハンガーに掛けて吊り、紫色のブラに包まれた豊満なバストをベージュのエプロンで隠し、赤ら顔で一心不乱にペンを走らせている。
いやはや。何さこのご褒美。美女を傍らに侍らせて、自分は趣味に走れるってもうこれ最強じゃね?
や、や。チョット待って。違うんです。幾らなんでも彼氏持ちのオンナノコに手を出す度胸はありません。
お酒を呑んで酔っ払い、暑くてしょーがないから服を脱ぎ、それじゃあまずいとエプロンを貸すのは、独身男として何も間違ってないでしょ? ないよね?
何度か話はしてみたが、向こうに帰る意志はないようで。引き留める義理も無いが、積極的に追い出すほど薄情でもない。そうなれば働かざる者食うべからず。おれの文章と口頭の説明からストライカーの強化形態を造って貰おうと言う訳だ。
キャラデザ担当と一つ屋根の下で、リアルタイムに意見を出し合い、幾つものデザインが上がってゆく。ガキの頃に憧れた光景だ。また一つ、不思議なタイミングで夢が叶ったと思う。
けれど、それで上手くゆくなら苦労しないワケで。頼れるイラストレーターをバックに付けてなお、おれの中の強化形態のイメージは、未だ雲のように掴めない。
(A案は武具を全身に装着したフルアーマータイプ、Bタイプは逆に無駄を削ぎ落とし、線の細い格闘家タイプと来て……。C案は体表のカラーパターンの大幅変更か)
基のストライカーは、フルフェイスヘルメットを被り、カラフルなまだら模様のボディースーツで焼け爛れた皮膚を覆い隠し、その上からぼろぼろの外套を纏った風来坊だ。A案が出た時点で『全体のシルエットは変えたくない』と要望を伝え、それに続いたBとC。言っちゃ悪いが順当で、そこから創作意欲を引き出すことは難しい。
「ごめんなギギちゃん。夜中にこんなに絵を描かせてさ」
「いえいえ。私も好きでやってることですから〜」
嬉々として白っ紙にペンを走らすその姿は、借りて来た猫みたいな登場シーンとは大違い。始める前にもう二本アルコール飲料を買い足したのが効いたかな。
しっかし、オンナノコのいる居間っていいよなあ。資料や紙束が散乱する殺風景なこの部屋が、真中に女子を囲うだけで柚子の香り漂う空間に早変わり。
見てくれはアレだし、近くに依ると吐息が酒臭いけど、そんなの全く気にならない。
ああギギちゃん。なんでキミはあんな筋肉ダルマと付き合ってしまったのか。独身で居てさえすれば、今この場で思いの丈を打ち明けられるというのに。
「あの、さ」
「はい?」
「そもそも、ナンデ君らは付き合い始めたワケ?」
そこからきっちり二分半。向こうさんは何も答えず無表情。やはり駄目か。このくらいなら訊いても平気と思ったのだが……。
「笑わないで、聞いてもらえますか?」
永遠に続くかと思われた沈黙を、向こうが一方的に破ってきた。酔っ払って声が上ずっているけれど、口調自体は大真面目。
「言い出しっぺはおれだぜ。笑うだなんてあり得ないよ」
「ホントに……ほんと?」
「月並みな言葉で悪いけど、男に二言はないっ」
「あっ……ばば……あ。ありがと・ござます」
不安げな顔して上目遣いなこの仕草。あぁホントに可愛いな。嗚呼可愛いなほんとに!
OK、OK。話を戻そう。本題はそこじゃない。出来る限り真面目な顔を作り、続く言葉をじっと待つ。
「私、昔はこんなにお喋りじゃなかったんですよ。年の割に発育ばかり早くって、それが恥ずかしくってしようがなかった。男の子は胸やお尻ばかり視るし、女の子はそれを妬んで、私を仲間内から締め出して。
『ミルクサーバー』……。高校の時、陰でそんな風に呼ばれてました。寸胴の体型で、胸ばかり大きかったもんだから。母乳なんて出たことないのに」
社会ってのはどこもかしこも『ふつう』じゃない人間を嫌う。
思想的な部分なら勉強次第でカタチだけ溶け込むことも可能だが、身体的な部分が絡むとそれも厳しい。
加えてギギちゃんはオンナノコだ。そのやるせない語り口からして、徹底的に排除されたのだろう。
「だから、インターネットは私にとって楽園だったんです。外見じゃなく、中身を見て判断してくれる。好きなアニメや漫画の絵を描いて、SNSに投稿して、みんなにたくさんいいねを貰って。
皮肉ですよね。互いに顔が見えないインターネットでしか、自分を出す事が出来ないのだから」
(なるほど、ね)
それが、『水鏡ギギ』誕生のオリジンか。その気持はわからんでもない。おれだって、ガーストはおろか、これまで紡いで来た話の多くは、他の作品の継ぎ接ぎだった訳だし。
水鏡――。水面に映るありのままの姿を指すことば。ギギちゃんにとっては、こっちが見てほしい本当の姿か。
「充実した毎日でした。フォロワーさんも増えて、投稿する度格好いいって言ってもらえて。大学卒業後は、自然とイラストレーターを選んでて。『冥府神王ベルゼビュート』って知ってます? 私、それのメインデザイナーだったんですよ」
「うん? うぅむ……」
そう言えば、昔そんなソーシャルゲームが流行ったな。伝説の神々を収集し魔を払うやつだろ。一時期流行って、深夜帯にアニメ化されてたっけ。
「待てよ。ベルゼビュートって確か」
「そう」ギギちゃんは神妙な顔で四杯目のチューハイに口を付け。「それが、二段底の始まりだったのです」
「底」
話していて少しずつ記憶が蘇って来た。冥府神王ベルゼビュートは三年間のリリース期間中、一度大幅なキャラデザの変更があった。元々のデザイナーがキャラクタの権利を不当に主張したとか、運営のずさんなやり口に怒っただとかで、それまでの画が総て別個に描き直されたのだ。
当然、元のデザイナーのファンは、後期の何某の画を受け入れられるはずもなく、SNSを中心に大バッシングに発展。運営は謝罪と共にゲームを畳み、デザイナーらも行方をくらませたという。
「私はその、後半に青田買いされたデザイナーでした。初めての仕事に心躍らせたはよいものの、いざ出来上がってみれば『こんなのゼウスじゃない』、『あの頃のミカエルを返して』ってリプライばかり送られて来て。会社からは何も言うなと口止めされたのですが……」
人の口に戸は立てられぬってやつ。不満を言葉に乗せて呟いたばっかりに、匿名性を盾にした口撃をモロに喰らい、埋もれ、意気消沈のうちに追い出された、ってところか。
「雑葉……ユメノさまなら、そんなの無視しろって言うかもですよね。実際、知り合いからもそうアドバイスされました。
けど、もう手遅れでした。それから間もなくです。何に対してもモノクロのフィルターを通してでしか見られなくなったのは」
ギギちゃんは過去を噛み締めるように間を取ると、おもむろに右腕をおれの眼前に持って来た。
刻まれていたのは虎縞めいた斜め線。それが幾つも、幾つも華奢な腕に巻き付いている。
「入れ墨とか、コスプレじゃないですよ。みんな、自分で付けた傷痕です。頭がぼーっとしていて、ご飯も何も喉を通らなくて、気が付いたら」
「やっちゃってた、って?」
「はい、お恥ずかしながら」
(無意識のうちに、ってところが結構キてるな……)
人生生きてりゃ一度や二度、誰だって死んでしまいたいって思うだろう。けど、そこまでする蛮勇はうち二割ほど。大抵はココロの奥底でストッパーをかけ、諦めて悶々と過ごすわけだ。
それを、ここまで、何度も何度も。たかが罵詈雑言でと他人は言うが、ギギちゃんにとってはそれがセカイのすべてだ。否定され続けて、マトモでいられる筈がない。
思えば、出逢った時から妙だった。酔いのオンオフがあるとはいえ、あそこまで豹変するものかって。成る程、独りぼっちで躁うつを患っていれば、あんな風になるのも頷ける。
しかしだ。それでも彼女は生きている。そして、おれが最初に発した質問にも答えていない。
「結局さ、筋肉盛森とはいつ出逢ったの。その、後?」
「はい」ギギちゃんの手元には五本目の缶チューハイ。「鬱ぎ込んで、自堕落になってた頃のことです。何の気なしにSNSを覗いてみたら、同じヒトから沢山のリプライが来てて」
「ソレが、カレだってこと?」
ギギちゃんは黙って頷いて。「元々、ネットの絵師仲間だったんですよ。可愛い女の子を描くひとで、投稿する作品を流し流されーって感じの。
まあ、こっちも底の底だったので、適当に言葉を返して、その場しのぎに頷いてたんですが、そしたら一度リアルで会いませんかって誘われて」
「で、律儀に出てった、の……?」
いやね、こうして無事に居るわけだから、何も無かったのは自明の理。しっかし不用心にも程があるだろ。このご時世、出逢いを求めてリプ送り付けるオトコなんざ星の数ほど居るってのに。
「確かに、最初はヘンだなって思いましたよ」そんなおれを見透かすような返答が来て。
「でも、知らない仲じゃないしねって。ワイセツ目的ならそれはそれで、良い感じに幕引き出来るなーって、なんかもうヘラヘラ笑ってましたし」
「へらへら、と来たか」
余程極まっていたのだろう。当時の捨鉢な心境が察せられる。いやはや、無事で良かった。本気で。ほんまに。
「それで、奴はどんなだったの」
「どうもこうも、みっちゃんは昔からあぁでしたよ。やくざみたいに強面で、身体ばっかりおっきくて、なのに話し声は私より密やかで」
こっちもこっちで当時の姿が垣間見える。下世話だが、この人たち、今までどうやって生活して来たんだ……?
「ヒトは見かけに寄らないって言いますけど、あの衝撃に勝るものはないですねー。もう目が点になって、開いた口が塞がらなくて」
言って、五缶目がカラになったのに気付いたらしい。プルタブ周りに舌を這わせ、それでも吸えぬと解かるやいなや、おれの方に物欲しそうな目を向ける。
「あの……おさけ……もう少し」
「無いよ。少しは、肝臓、労ろう?」
これ以上は肉体的にも、精神的にも法に触れる。かと言って口寂しいのも何かと思い、冷蔵庫を漁って緑色の小瓶を取り出した。
「これは」
「スマックハイボールの"原液"。甘ったるいカクテルの代わりに呑んで」
「はあ」
迷いながらもビンを開け、一息に呑んだ時のコメントったらなかったね。『これを肴に酒が欲しい』だってさ。喉を潤すための飲み物で、どうしてそんな発想が出来るのか。
閑話休題。水分補給も済んだので、再び話を戻してもらう。
「あんなナリですから、いかがわしいこととか、ベルゼビュートのお礼参りとか……、そう言うのを想像しちゃうワケですよ。けれど、みっちゃんはそれらに一言も触れず、黙って私の悩みを聞いてくれたんです」
遠い目でそう呟くギギちゃんは、歳相応に女の子の目をしていて。傍目からでは胡散臭い話だが、当人らには真剣なのだろう。
「話しているうちに、なんだか泣けて来ちゃって。ごめんなさいって謝っちゃって。そしたらなんか向こうの方もゴメンよって頭を下げて……。
発想、飛躍し過ぎですかね? それが、私とみっちゃんの馴れ初めでした。向こうは女の子だけ、こっちは男の子しか描けないから、二人で一人のイラストレーターに、ってのは私の提案です。彼は二つ返事でOKしてくれて。
すみません、なんか、取り留めなくて、オチも無い話なんですけど」
「アー……いいよ、気にしないで」
目元に涙を浮かべちゃってさ。そうも熱っぽく話されちゃ、ツッコミたくても突っ込めないでしょーよ。
しかも。しかもだ。この話は他人事に聞こえない。自信を無くして塞ぎ込んで、他人の何気ないひとことが何より沁みるこのやり取り。
まるで、中学時代のおれとマツリみたいじゃないか。
「あの。さ」
「はい?」
「やっぱり、こんなの駄目だ。そんなに想ってくれるヒトが居るんなら、うちになんて籠もらず、謝ってでも帰るべきだ」
この話に感じちゃ外様もいいとこ。説得力がないのも承知してる。けれど。けどよ……。
「おれさ、付き合って……た、女の子が居たんだ」
「菜々緒さんのことですか?」
「ち、違ェよ! あれはただの編集。もっと別の、幼馴染!」
傍から見るとそんな風なのか、おれたち……。どっちにだってそんな気なんて無いはずなのに。
それはさておき。話を戻そう。
「ギギちゃんと似たようなモンだよ。自分の書いたハナシが受け入れられず、諦めようと思っていた時。そいつだけは『面白いじゃん』って褒めてくれた。続きを見せてと言ってくれた。
恥ずかしい話だけどさ、それがガーストを今もやってる理由なんだ。彼女の喜ぶ顔が見たくって、頭の中の妄想を捻り出して、無理くりで本に認めてさ」
認めるのは嫌だ。けど、それが事実。だからこそ、今、話して置かねばならぬのだ。
「けど、そいつはもういない。書き置き残して死んじまったんだよ。好きです、付き合って下さいとさえ言えずにさ」
「え……?」
向こうがそうなら、おれだって大概だ。こんなので、何を説得しようって言うのか。
わからん。わけがわからんが……。
「ヒトはいつか死ぬ。それが今日か、今日じゃないかって違いだけさ。なら、責めて生きてるうちは一緒にいようよ。仲直りも出来ずにハイさよならなんて、辛いだけだから」
「ユメノさま」
うぅむ。我ながらクサい台詞。気取ってみたが、要点は間違っていないよな? うん、違ってない。
それは、向こうさんの顔を見れば一目瞭然。林檎みたいな頬につつーっと涙を伝わせてさ。どうやら、察してはくれたようだ。
「電話……してみたら? 何でモメたか知らないけど、時間も経ってアタマも冷えたろ。向こうだって申し訳ないって想ってるって」
「うーむ。自信、無いデスけど」
気が進まないながらも、頬を赤らめ端末を手に取るこのいじらしさ。いやはや、嫁にするならこういう娘よね。聞いたかナナちん。お前のことだぞ。
しかし、ヘンだな。ギギちゃんってば、端末を握ったまま……。何か、考えてる?
「ああ。それなら、大丈夫でした」
「WHY?」
「今の今まで忘れてたのですが」急に、何かを思い出して鞄を探る。
「私、こんなでしょ。独りでふらふら出てくと危ないって、ケータイにGPS入れてるんですよ。みっちゃんと相互に」
「ははあ。そりゃあ、また」
共依存も此処まで来ると何も言えんなあ。どっちがどっちを束縛してるんだか解りゃしねえ。
などと、波風立てずに考えている自分の方がおかしいのか。いや、解かる。解かるよ。おれだって、マツリが浮気とかする素振り見せたら迷わずに……。
「いや、待って。ちょっと待って!? あのさ、今何って言った?」
「GPSのことですか? 最近買い替えた機種なので、上手く設定出来てないんですけど」
「違ァう! 違うところが違う! じ、じぃぴぃえすぅうう!?」
長々と話し込んでいるうちに、この奇特な状況をすっかり失念していた、幾ら必要があったとは言え、眼前には缶チューハイ五本で出来上がった、上半身下着エプロンの巨乳美女。しかも筋肉盛森モリモリマンの彼氏持ち。
そんな奴がここに上がって来てみろ。続く結果は目に見えている。
破滅だ。アポカリプス、ラグナロク。肉体的に、いやむしろ社会的に、跡形も無く消し去られてし、ま、うぅうううう!!
「な、なあギギちゃん。今は、その……やめない?」
「はい?」
「や、ほら。夜も遅いし、近くまで送るから」
「その心配は無さそうですよ」ギギちゃんはきょとんとした目でおれを見、「ほら……ここの黒丸。みっちゃん、自力で見付けて来たみたい」
「えっ!? おい、えっ、おォい!?」
馬鹿野郎、今夜中の十一時半やぞ。ご近所様の迷惑考えてくれよォ。うちはやくざの集会場じゃないんだよ。女連れ込んでおうちで暴行なんてシャレになってねェよォオオ。
――ぴんぽーん。とんとん。ぴんぽーん。
律儀にインターホンとノックを同時に扱うあの様子。配達員や宗教関連じゃないのは一目瞭然。はえーよ! 何やってんだよ、盛森手前ェ!
「ああ糞ッ、この場合……この場合……!」
落ち着け、落ち着くのだ大雑把大。兎に角まずは服だ。如何わしい格好さえさせなくば、適当に相槌を打ってリカバリー可能!
「ギギちゃん、服着て服! 迎えに来たのにエプロンだけじゃ駄目でしょ」
「え、私は別に」
「あなたは良くても、おれは良くないんだっつぅの!!」
ご飯にする? お風呂にする? それともナンチャラって話は知ってるよ。中年男の浪漫だよ。
けどさ、ここおれの家! ひとん家でそんな三択強いる奥さん居ねぇよ!
――ピンポーン、ピンポーン。どんどん、どんどん。ピンポーン
くそう、無言で催促ばかりしてきやがって。外から明かり点いてるの見えるもんな。表札見たって誰の家だか判らないもんな。
しかも一度鬱に沈み、自暴自棄になった彼女を知ってる訳だしな。そりゃあ、放って置くわけないもんな……。となると、おれは一体どうすれば――。
「あ、みっちゃーん。鍵開いてるから、入っていいよー」
「Whaaaat's!?」
家主に断りないひとことで、ドアノブに力が籠もり、ぎぎぎと徐々に回ってゆく。
今善後策を思案していたとこですよ? 波風立てぬにはどうこうって考えてたんですよわたくし!
何故だ。何故、おれの人生めちゃくちゃになるようなこと言うのおおおお!?
ドアノブが回り切り、戸を引いて押し入るこの男。浅黒い肌に厳つい表情、軽くお辞儀しないと戸を跨げない恐るべき巨躯。
サイアクだ。とうとう、やってしまった。彼の目は、居間に立つ下着エプロンの彼女と、玄関先で目を見開くおれの間抜け面とを行き交っている。
向こうも、この異常な状況を測りかねているのか。沈思黙考、案山子みたいに動きがない。
「あ。えっと、あのー。これは、ですね」
先手を打って話してみたはいいものの、言い訳が全く出て来ない。なんだろうこの感じ……。おイタして衆目監視の中で懺悔させられる小学生。あれはやばい。
くそう、何か……何か無いのか。言えないでどもってると逆にアヤシイじゃないか。次ぐべき言葉を決めあぐね、顔色覗いをしている最中、奴の唇が微かに動く。
何だ? 奴は今、何と言った? というか、喋れたのか!?
「あ、あの」
徐々に声のトーンが低くなり、拾いやすくなってゆく。思ってたよりハスキーだ。このガタイで、一体何を遠慮するのかワカラナイ。
「夢野……美杉さんで、良かったですか」
「えっ……」厳密には違うのだが、まどろっこしいから勘違いさせておこう。「さ、左様です。私がその、夢野美杉」
「そうですか」
会話が続くかと思いきや、そこでまた唐突に沈黙。他との距離感が掴みづらいコミュ障か。おれにも覚えがある。
けれど、黙ったのは会話が続かないだけではないらしい。彼は少し屈み、手にした『ギフトボックス』をおれの前に差し出した。
「これ……その、お土産です。要冷蔵なので、良かったら、後で」
「あっ、これはどうも。ご丁寧に」
勢いで受け取ってしまったが……。ナニコレ、要冷蔵? 封をしたシールに目を向けて見れば、『銘菓・ピヨリ』の威圧的な印字。
ピヨリって言えば、カスタードプリンを薄いスポンジ生地で覆い、小鳥状にデコレートしたN市発祥のスイーツだ。まさか、こんな時間に売っているところがあろうとは。
いや……否。気にすべきはそこじゃない。この状況で最初にすることが、土産の手渡しだァ?! おかしいだろ、おかしいよね? おかしくないとおかしいだろ!!
「杏里」
「あっ……ひゃい」
土産を渡してミッションを完遂したのか、奴の目は下着エプロンのギギちゃんの方へと向いていた。
文脈から想像する他無いが、多分彼女の本名なんだろう。家じゃ名前で呼び合う仲なのか……。いや、それが普通っちゃ普通だけど。
「俺が、悪かった。杏里のデザインに嫉妬して、あれこれ文句ばかり付けてしまって……」
どうやら、喧嘩は彼氏の謝罪で幕を閉じるらしい。わざわざ、ヒトん家まで乗り込んで、玄関先で頭を下げられさえ、しなければ。
「いいよ……そんなの、いいよ! 私だってみっちゃんのに対抗して大人気なくむがーってなっちゃった訳だし」
というか、待てよ。この人たちは何を言っている。デザイン? 対抗? おいおいおいおい、つまりってェと、それは……。
「あの、さ。ギギちゃん。キミたちが喧嘩してた理由って」
「えっと、その……恥ずかしいのですが」
「僕と彼女で、ストライカーの強化形態の在り方が違って口論になって……そこから、なし崩しに」
は、あ?
はぁあ??
はぁぁぁぁあ!?!?
何だよ。
何なんだよこれ。
またこのパターンか。
おれは何か。恋のキューピッドか何かか。それとも体の良いお悩み相談ビトか。倦怠期のカップルを救けるお人よしか。馬鹿じゃないの。
ふざけんじゃあないよ。おれだって人間なんだぞ。想い人を亡くして、途方に暮れたイチ人間なんやぞ。
それを寄ってたかって愚痴聞き人形みたいに扱いやがって。
馬鹿にしてンの?
馬鹿にされてンじゃないの??
ジョーダンじゃない……。
冗談じゃねぇっつってんだよ畜生。なんだってんだよチキショウ!
「ああ、そう……それは、その……大変やったね」
などと、面と向かってホンネを言えるはずもなく。悶々としたキモチだけがヤワな胸をちくちくつつく。
おれに一体、どうしろと? 雨降って地固まるコンビに、悪態吐いて何になる? 見ろよ、あの満ち足りた二人の顔を。突っ込んで、機嫌を損ねる方が野暮だとは思わないか。
我ながら、間抜けな生き方だと思う。ンなもん知るかと割って入ることも出来ただろう。けどさ、けどな。
「ごめんよ。もう離さないよ、杏里」
「こっちこそ。ごめんね。ごめんね、みっちゃぁあん」
至極シリアスな顔で、和解に泣くカップル相手に、そんな道理が通ると思うか? 否。否否、断じて否だ。
あぁあ。頬を赤らめて抱き合っちゃってさあ。仲のよろしいことで。こりゃあ、ご帰宅後そのままベッドにGOやな。おれの目に狂いはない。
目のやりどころに困り、仕方なくモリモリマンが持って来た土産に手を伸ばす。こんな厄介かつ、噛ませ犬みたいな目に遭ったのだ。甘いものを喰らったところでソンは無い。
そう思い、封を切り、中身を検めてみたものの。
(本当に、悪いって、思っているのか……?)
チョコで出来た羽根はイカロスの翼めいて溶け消えて、嘴は重力に従ってとろんと落ち、目は窪んで互い違いの方を向いている。
本当に、悪いって、思っているのか……?
「みっちゃん……!」
「杏里」
現実は、時として、独身男には、とても、つめたい。
◆ ◆ ◆
「これを、俺が……やったのか……!?」
右腕で助け出した茉莉花を抱き、左で鉄仮面の破片を握り締め、燃え盛る地表を無心に見つめる。
身体を弄られたのは感覚で分かる。見た目には変化がなかった。だが、能力発動と同時に全身に龍脈めいたファイヤーパターンが描き出され、その総てが爆発的に強化されていた。
マッハバロンの加速能力は他が止まって見える程の速さを産み、ハイプレッシャーの空気圧弾は嵐の如き勢いを以て、キューバン・キャッツ総てを破壊せしめた。
「ほッほーほーう、やるねェストライカーちゃん。纏めて全部撃墜かよォ」
その様子を傍から見ていた「九番」は、心底楽しそうな様子で手を叩く。喉元に刃が掛かるような状況でなお、傍観者である姿勢を崩さない。
「いいよ・いいよ。そのコは褒章だ、持って行くといい。死闘には報酬が必要だものな」
「褒美があるというのなら、今この場でお前を殺す。生きて帰れると思うな」
「欲しがり屋さんだねェ。けど、一つ飛ばしは頂けないな。物事は順序よく行かなくちゃ。『ソレ』、もう持たないだろ?」
「何だって?」
言われる間でも無い。先程からとっくに気付いていた。
力が、長く続かない。燃え盛る炎が芯から冷えて行くかのよう。
身体が、戦うことを拒んでいる? 何故そうなる? 力を得て、何を躊躇う必要があるのか。
「もうちょっと、慣らしてからおいで。俺もお前も、最終目標は同じだよ。気長にやろうぜ。存分にな」
締まらない台詞と共に姿を消し、この場の生者はストライカーと茉莉花のみ。
感情の昂ぶりが治まると共に、ファイヤーパターンは身体の奥底に消えていた。
あれは火事場の馬鹿力だったのか? 否。その基礎はこの身体に刻まれている。
「ありがとう。今回ばかりは駄目かと思った」
「気にするな。いつものことさ」
ストライカーはヘルメットの下で乾いた笑みを浮かべ、彼女を抱きかかえんとする。
だが、流石に無理が過ぎたようだ。疲弊した身体が見栄張りを受け付けず、力なく左脚から崩れ落ちる。
「ちょっと……やめてよそういうの。ガラじゃないよ」
「かも、な。ごめんよ。調子に、乗り過ぎた」
疲労を笑いで誤魔化した後、ストライカーはふと思う。
本当に、疲労のせいか? 今の今まで踏ん張れていた足が、急に支えを失うだなんて。
左足首に残る野暮ったい感覚は何だ。疲れで神経までおかしくなったのか?
分からない。今の時点では、何も――。
※ ※ ※
「いいわ……。“引き”としては文句なし。それで? 次は。次はどうなるの」
「そんなテンションで喰い付かれると、何とも」
タイトなスカートの上から股間を押さえ、身を乗り出して続きを聞かれると、喜ぶべきかドン引くべきか、判断に迷う。
ギギちゃんと盛森が目の前でイチャついてて、いたたまれないキモチを原稿にぶつけていたらカタチになりました、とは言い出し辛い雰囲気だ。
あいつら、夜中の一時になってなお、ヒトんちで互いを意識してイラスト描き合ってるんだぜ。こちとら二十六……、ああ、未だ二十五か、の童貞なんだぜ。嫌がらせか? 手を出したら負けよってそういうゲームなんですか。
そりゃあね、創作だって捗りますよ。他に気を紛わす方法ないでしょ。ありがとうよお二方。お蔭でこの単元は見事担当チェックを通過しましたよと。
デザインを大きく変えたくない、という要望を出した時点で、アタマの中にイメージは浮かんではいた。使える技がとっかえひっかえする作品なら、強化するなら能力全般だろうと。
しかし、設定は兎も角、中身でNGを貰うと思っていたから、すんなり通って逆に驚く。むしろ、ナナちんは解らないで言っているのだろうか? こう言う場合はだいたい――。
「中身に加え、デザインが先に上がってるのも気に入った」菜々緒はギギちゃんのデザイン画を抓み、「やっぱり、彼女をあなたの所に行かせて、正解だったわ」
「おい、ちょっと待てや」予想はしていたが、やはり。「ナナちんお前、わざとギギちゃんをウチに誘導したのか。彼氏持ちのカノジョを、わざと……!」
「何よそんなにいきり立って」向こうは悪怯れることなく鼻を鳴らし。「その様子じゃ、何も出来ずに大層悶々としたんでしょうねえ?」
「て、手前ぇ……!」
何もかも全部織り込み済みかよ! 実際そうだった以上反論も出来ん……。
「ま、カレシが来るまで何もせずにいたのは褒めてあげるわ。ンまー、偉い偉い」
「勝手にヒトのアタマ撫でんなッ」
畜生め、人の純情玩んでニカニカ笑いくさってよ。ヤツのことを可哀想だと思った自分が馬鹿だった。こいつは本当に、本当に……っ。
いや、待てよ。「例えそうだったとして、断る理由としては不足だろ。お前、あの時ゃ何してたのさ」
「別に」急に、奴の顔に影が差す。「あなたには関係無い。プライバシーの問題に、ずけずけ入って来ないで」
「ああ、そう」
前に、ヒトに婚約者の代役やれって泣き付いたクセに薄情な。
あぁ、いいよ。こちとらお前の事情なんて知ったこっちゃない。好きにうんうん唸ってりゃいいさ。今度は助け船なんて出さねえからな。
……………………
…………
……
そう。この時点ではおれに取って、『何の関係も無かった』。
菜々緒が何気なしに呟いたこの言葉が、おれに取って大きな変革をもたらす予兆だと、この時は考えすらしなかった。
※ ※ ※
『どういうことですか、編集長』
『ーーどうもこうも、そういうことにキマってるじゃない、ナナ"ミ"ちゃん』
もうそろそろ風呂敷を畳む頃合い。
ちゃんと完結出来れば良いのですが。