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菜々緒の嫁入り

箸休めの番外編なんてなかった。

「待ってて、すぐ暖かくなるから……」


 神永茉莉花は慣れた手付きで薪を集め、マッチを擦って種火を放つ。

 暖炉にくべられた木々と紙束は時間をかけてゆっくりと伝播し、オレンジ色の炎となって結実する。



 一昔前の金持ち、と言った風情のこの家は、無論彼らのものではない。虎のレプリカ皮絨毯の上で鉄臭い死臭を放つ、首なし死体がここの主だ。

 圧縮空気を銃弾として用いる古参ガーディアン・ハイプレッシャー。伝説の九人らと関わりは無いが、宿敵アヴェンジャーの助太刀もあり、随分と骨を折った。


 弱く儚く揺らめく炎が、不安げな少女の顔を照らし出す。長旅ですっかりくすんだ赤毛に、悪辣な澱みを抱えたタンザナイトブルーの瞳。口では平気と宣うが、その実毎日ヒトゴロシを目にして、彼女もまた徐々に変わりつつある。

 巻き込むべきではなかった。あの時、多少のリスクを負ってでも、彼女の元から去るべきだったのだ。



「もう大丈夫、大丈夫だからね」

 能力発動の為とは言え、乾涸びた自身の唇に重ね合わせるその姿が、見ていて何とも心苦しい。

 自分は、一体、どうするべきなのか。

 ガーディアン・ストライカー……生田誠一は、再び選択の時を迎えようとしていた。



※ ※ ※



 青々とした畳の上に赤の絨毯を敷き、横長のテーブルを挟んで二組の男女が向かい合う。

 ――和室の入り口、上座側には浅黒い肌に厳しい顔付きした初老の男性。その隣には目尻に幾重もの皺を積み、にこやかな笑顔をたたえた妙齢の女性。


 対して窓側にはオレンジ色の着物を淡い桃の帯で締めた桐乃菜々緖。

 長く艷やかな黒髪は美容師の手で丁寧に編み込まれ、下ろし立ての衣装に負けない美貌を放っている。



 そして、彼女の隣で目も合わせず、青褪めてうずくまるのがこのおれ、雑葉大。何年か振りに箪笥の中から引っ張り出して来た黒のスーツに青ネクタイの就活ルック。

 天然パーマを目一杯固めて七三分けにして来たが、それでも厳かなこの場にやぁそぐわない。


「えぇと、大雑把さん・でしたっけ」

「雑葉、です」"奥様"の間違いを咳払いと共に正す。

「お仕事は、確か……菜々緒の下で、小説を」

「アッハイ。ただ、これ副業でして。本来は〜」


 介護職で毎日食事介助をしています、と言い掛けた瞬間、テーブルの下で左膝に痺れを伴う激痛。

 菜々緒のヤツ、器用にも正座から薄っすらと足を崩し、誰にも気取られずに蹴りを入れやがった。


「あはは。嫌ぁねぇ母さん、下で・なんて失礼よ。カレのお陰で成り立ってる仕事なんですもの〜」

 余計なことは言うなとばかりに、脇腹を衝く肘鉄の連打。おれ一応協力者なんですがね菜々緒さん。一応立場上のはずなんですがね菜々緒さん。


 向こうの母様に突っ込まれるのはまだ良い。しかし上座で腕を組み、未だ一言も発しない父様が不気味だ。

 口を結んで何も言わないが、目線は常におれを追っており、値踏みするかのように睨み続ける。


(こっからが正念場、か……)

 あぁあ、なんでこんな『茶番劇』、引き受けちゃったのかなあ。

 これさえ無ければ、今頃遅い冬休みを利用して、都心に遠征出来ていたものを――。



※ ※ ※



『――お嬢様、お電話です。お電話です。お電話です』


 横長のスペースを真中に置いたベッドが陣取り、狭苦しい居間に携帯端末の着信ボイスが反響する。

 気怠さに負けず半身を起こして伸びをし、壁掛けの時計に目を遣った。


(うわっ、もう十時半……)幾ら休みだからって寝すぎたか。ぼさぼさの髪を手ぐしで若干正し、狂ったように着信を告げる端末に目を向ける。


「みなは……か」

 休日、しかも朝にかけて来るなんて珍しい。あの娘も服飾関係の仕事で忙しいだろうに。


 今すぐにでも話を聞いてやろうとするが、同時に傍に置いた『会社用』の貸与端末も、紅いランプを明滅させているのに気が付いた。

(メッセ……?)妹か職場か。優先順位を脳内で吟味した後、貸与された携帯に手を伸ばす。



『ごめん菜々お姉、ケータイ取られた』



 此の口調、まさか三葉いもうと? いや、否。じゃあ今応答を待つこの端末は何。

 待てよ。ケータイを、取られた? 実家住まいのあの子が、デンワを取られるってことは。


『――菜々緒! そこにいるのは解っているぞ! 早く電話に出ないかッ』


(やっぱり……)

 嗄れた声を振るわせ、怒り調子で捲し立てるあの感じ。間違いない。

『そういうの』が嫌だから、何ヶ月も連絡取らなかったっていうのに。気性の荒さはずぅっと変わらない。


『――ほぉーっ、黙りか。黙りを決め込むつもりか。それならそれで此方にも考えが有るぞ』

 えっ、待って。チョット待って。端末を介して話している筈なのに、声が別のとこから響いてる。

 どこかって? 考えなくても解かる。気配を感じて玄関に目を向ければ、磨り硝子の前に、太陽光を遮る巨大な影……。


『――なーなーおー! でーてーこーい! でーてーこぉおおおい!!』

 電話とドア越しに重なるこの絶叫。

 ああ、もう、やめてよ。これじゃ借金取りか公共放送法人に追われてるみたいじゃない。



「わかった、解ったわよ。もう……」


 籠城するだけ(社会的に)こっちが不利。諦めて掛布を払い、髪を正して玄関のノブに手を掛ける。



「はっ、はは。天の岩戸(あまのいわと)からようやく顔を覗かせたかあ、アマテラスの神様ぁあ」

「そんな仰々しいモンじゃないでしょ」やっぱり、顔出すんじゃなかった。

「ホンット相変わらず強引よね、『父さん』」



※ ※ ※



 もしも、人生道半ばで夢が叶ったら。それを飯のタネに出来たとしたら、どうしたい?

 子どもの頃、アニメや漫画に影響されて、取り留めのない話を妄想する中で、ココロの中で何度も自問自答を繰り返していた言葉。

 この状況がある意味『そう』だ。不況や自力の無さを言い訳に逃げ出して、もう無理だと諦めていたおれが、他人の褌とは言えホンを出すほどになっている。


 では、今は幸せか? 答えはグレー。介護の仕事と掛け持ちで時間に追われ、担当のヒステリー女にはつまらんとケチを付けられ、編集長には『売れるのを頼むよ』と迫られて。好きなものを好きな風に書くのはムズカシイ。



「もう無理。駄目駄目休憩ーっ」

 リクライニングチェアから足を投げ出し、踵を眼前のパソコンラックに引っ掛けて、書き損じのワード原稿を睨む。


 非人道殺人兵器・カウンターハンターを散らしながら、苦しい逃避行の最中、疲れ果てて倒れ込むストライカーと、彼の体調を慮って寄り添う茉莉花。

『売れる話筋』の強化策として、今まで脇に立ってたヒロインを全面に推す話なのだが、何度改稿を重ねてもしっくり来ない。

 こんな状態でモチベーションなぞ上がるはずも無く。そもそも女性関連に疎い二十五歳の童貞男に魅力的な少女なぞ描けるはずもなく。

 まずいな、久々に、窮地だ……。



『と、言うわけで。なんかアイデアない?』

『――何故、そういうネタをボクに振るんです』


 悩んだらググれとは、おれにシナリオの書き方を教えてくれたパイセンの言。

 直ぐ様携帯端末に手を伸ばし、一番身近で一番遠くに居る友人にメッセを飛ばす。

 そういえば、メルシィの奴と『話す』のも久々か。ここんとこ本業と副業でてんてこ舞いだったもんなあ。


『ほら、お前付き合ってたろ。えっと、あの。みつ……みつはし』

『――"八ツ橋・なつめ"。そのトシでモーロクしないでください』

 おれが送信してから僅か数秒。簡素な返答ながら幾らかの怒気が透けて見える。


 今の職に就く少し前。おれとメルシィはとあるアニメの二次創作を書く中で、同じコミュニティを通じ、幾人かの仲間を得、サークル活動の真似事をしていた。

 散発的に作品を発表し、互いに批評し切磋琢磨。今のガーストの文体はこの時に培われたものが大きい。


 皆の結束が強まって来たタイミングで、誰からでもなく切り出されたオフ会の話。

 同い年の野郎共が雁首を並べる中、八ツ橋なつめは平然とその中に入って来た。


『あら、意外? もうみんな、とっくに気付いてるものだと思ってた』


 明らかに染めたであろうミルキーな銀髪に、少し上向いてくるんと巻いたまつ毛。艷やかなリップから紡がれる声は原液カルピスみたいに甘ったるくて。こんなひとが皆の中で一番男っぽい話を書いているのか!? と困惑で顔を覆ったっけか。


 おれを含む多くが彼女にアタックをかけ、唯一単独での逢瀬まで漕ぎ着けたのがメルシィ。それがバレて、奴共々そのサークルを後にしたが、おれもアイツも後悔はしていない。

 していない、はずだったのだけど。


『――だいたい、ナツとはもう半年も連絡取ってないんですよ。特撮カプの解釈違いで喧嘩して、それっきり』

『えっ、ええ……』


 オトコとオンナの関係ってやつは、そうそう上手くはゆかないらしい。

 付き合う動機が創作なら、疎遠になる動機も創作とは業が深い。


『なんというか、その。ご愁傷様?』

『――やめてくれます? そういう気のない返答、やめてくれます!?』


 なんか知らんがスイッチ入った。適当に相槌を打ち、アプリを閉じてハイさよなら。

 参ったな。リアルに恋愛を経験しているやつを聴取すれば、それらしい話をデッチ上げられたものを……。



(あ。メッセ来てる)

 端末上部の通知欄に意味深な封筒マーク。デンワ? おれに? 誰が。

 まあ、順当にナナちんだわな。悔しいが、他に平時に着信を掛けるような友人は居ない。


「はい・はい、当たり~っと」

 原稿を出せと矢の催促か。如何にして誤魔化そう。そんなことを考え、封筒を開けて見てみれば。


 ――大切な話があります。もし時間のご都合が合うならば、これからいつもの喫茶店に来ていただけませんか。


「んん……?」中身を覗いて思わず二度見。桐乃菜々緒、うん。合ってる。間違いない。

 大切な話って何さ。そもそも何故に敬語。いつもの悪辣極まる言い回しはどうした。


 思わず時計に目を遣る。時計の針は午後五時を回った所。

 幸いなことに明日から二連休。如何な面倒が起きても、本業に支障は来さない。


「しょうがない担当サマだこと……」

 奴らしくない、要領を得ない言葉に好奇心を刺激され、気付いて見れば玄関で靴を履いていた。

 ここからきっかり一時間後。おれはその安易な決断を、心から後悔することになるのだがーー。当然今は知る由もない。



※ ※ ※



「何撮ってるのよ」

「いや。すげぇ珍しいなぁって、思って」

 先んじていつもの喫茶に来ていたナナちんは、いつになくどよんとした雰囲気でおれを待ち構えていた。

 居丈高な目尻は下がってハの字、化粧液で薄く伸ばした柔い肌はこころなしか青褪めて見える。

 この時点で何かを察するべきだったのだが、残念ながら好奇心の方がそれを上回ってしまった。普段目にすることのない菜々緒を見、興味本位で写真を連射設定でぱしゃぱしゃと。


「それで、結局話って何」

「これよ」

 間を置かず、おれの元へと差し出された一枚の封筒。無言の相槌を許可と解釈し、中身を検める。

「『輿乗こしのり玉男たまを』……」

 封入されていたのは、一枚の大写真と履歴書らしきA4紙だ。バストアップながら、おれよりも胸板が厚く、清廉としたスポーツ刈りの体育会系が、白い歯を光らせ微笑んでいる。


「ナニコレ」

「見ての通り」菜々緒は察しが悪いと毒づいて。「見合い写真よ。先方の」


「ははぁ、そりゃあ……また」

 奴もそろそろ三十路に差し掛かるバリキャリだ。自分から求めなきゃ、自然とそういう話になるだろう。御愁傷さまと言うべきか、おめでとうと褒めるべきか。

 いや、待てよ……。待て待て待て。そんな馬鹿な。あり得ない!

「見合いって。お前、見合いぃいいい!?」

「しっ、しっ! 馬鹿っ声が大きいッ」目を瞬かし、身を乗り出すおれを、ナナちんは平手を張って押し戻す。

「だって、お前。アレだろ……。なのに、なんで」

 面食らい、二の句を継げずにいるのも無理はない。

 桐乃菜々緒は異性ではなく同性を愛するオンナだ。初恋もオトコではなく上代茉莉。そんな女が、お・み・あ・い……いぃい?


「アッ。もしかしてこのヒト、オトコっぽいのは見た目だけで中身は」

「違う」写真と封筒を引っ手繰り、ナナちんはうんざりとした顔で続ける。「父さんに無理矢理セッティングされたの。拒否権無し。逃げ場無し。日取りは明後日。滅茶苦茶もいいとこよ」


「あ、あさって……?」

 こういうシチュエーションは漫画やアニメで腐るほど見てきたが、まさか自分の間近で目にすることになろうとは。

 親の勝手。性癖の問題。迫る期日。地獄の軍団。我らを狙う黒い影――。

 んん? ひょっとして、おれがここに呼ばれたのって、もしかして。


「貴方をここに呼んだのは他でもないわ」

 おいやめろ。後に続く言葉に察しは付くが……。

「このまま黙って受け入れるなんて絶対無理。だから」

 無理無理無理。冗談じゃないよ、無謀だって!



「お願い大雑把。一日だけでいい、私のカレシとして、父さんと母さんに逢って頂戴」

 はい来たー。予想通りの答え来ましたー。幾ら何でも切羽詰まり過ぎっしょ。ふざけんじゃないよ。

「だいたい、何でおれ? 他にも色々居るだろ! 職場の同僚とか、ギギちゃんの彼氏とか」

「『あいつ』に、そんな機微が取れると思う?」

「う……」

 盛森満。図体はデカいが、このおれにさえスケブやメモ帳を介さなければ『会話』すら成り立たぬ人見知り。

 そもそも、奴が菜々緒を怖がるもんだから、相談窓口としてギギちゃんという代役が立ち、挿絵のゴーストライターをしているのだ。首を縦に振る訳がない。


「じゃ、じゃあ同僚は。前に持ち込み行った時見たぜ。あの厳めしいの、アンタの先輩だろ」

「私の事情を識らない彼らを、何と言って説得しろと?」

「そ、れ、は……」

 急展開続きで忘れていたが、奴が同性愛者であることは今の今まで秘匿されていた。バラすだけでもリスクなのに、その上彼氏のフリを頼むなど、彼女の矜持プライドが許すまい。


「で、でもよう。だってよう」

 それでも逃げ道を模索し、視線をあちこちに彷徨わせていたが、『逃げるな』とばかりに睨む菜々緒の目と鉢合わせ。

「私だってイヤよ。絶対無理。でも、口先だけで済む段階じゃないの」

 否。奴の目は威嚇しているだけじゃない。眼鏡の奥に隠れた瞳は、何処か淋しげに潤んでいる。

 やりきれない無常感に苛まれ、身体を縮こませ、上目遣いに、縋るようにおれを見る。



「身勝手なのは百も承知よ。お願い。もう、貴方に頼む他ないの」



 か弱く潤んだ菜々緒の瞳が、おれの顔を見据えて離さない。

 あれ、ナナちんってこんなに可愛かったっけ?

 これってあれか? 吊り橋効果ってやつ? それとも単なるギャップ萌え?!


 やばいな。まじでなんか・やばい。

 何がどう、やばいのか。上手く言葉に出来なくてやばい。



 少なくとも、今この場で、彼女に否を突き付けられないことだけは、ワカル。



「わァったよ。やるよ。やってやんよ。やりゃあいいんだろ」

 男として、異性にカッコいいところを見せたいという助平心か。

 単に、困っている同僚を見捨てられない義侠心か。

 兎にも角にも、おれはこの無理難題を呑み込んでしまった。

 我ながら、なんと間抜けで考え無しなことだろう。

 でも、まあ。ここまで言われて、断るのも・なんかなぁ。



※ ※ ※



「初めまして。F書房に於いて、娘さんの元でノベル作家をしている雑葉大と申します。

 はい、原稿を持ち込んだ際に菜々緒さんと出逢いまして。作品を見ていただく中で次第と……」

 家に向かう道すがら、ナナちんと昨日いっぱい掛けて詰めたゲラ刷りの『想定問答集』をぱらぱらとめくり、話すべき事柄を今一度反芻する。


『見合いなんて不要よ。私には素敵な彼が居るのだから。なんなら、直ぐにでも紹介しましょうか?』


 欺瞞に満ちた菜々緒のハッタリに、ご家族は二つ返事で乗ったらしい。

 後はこの手のテンプレ通り、仲の良いところを見せ付けてやれば、向こうも文句を言うまいとはナナちんの弁。二度目が無い理由など、幾らだって捏造出来るだろう。

 そもそも、こうして都合が付いたこと自体奇跡なのだ。嗚呼、おれの貴重な二連休……。



 指定された区画まであと少し。道路上のカーブミラーに目をやり、己が姿を見やる。

『清廉とした格好で』というオーダーだったので、就活時に使って以降クローゼットに封印されていた黒のスーツを引っ張り出し、整髪料で癖毛を無理くり固め、七三分けで定着させた。

 良し。少なくとも見た目には問題ないはず。こんな茶番、乗り切ってしまえばどうということはない。


「ここが、あの女のハウスか」

 菜々緒が指定した場所ーー。『桐乃』の表札をたたえた一軒家。何も間違ってない。間違っちゃ、いないけども。


(何だよ、これじゃまるで江戸の武家屋敷だぜ)

 反り立つ白壁が家を囲い、その奥には手入れの行き届いた芝生の庭。引き戸の隙間からでも、客間や寝室が複数あるのが確認出来る。

 桐乃家はあれか、豪族か成金かなんかか。ヒジョーに興味をそそられるが、正直今は詮索をするような気分じゃない。


「よぉ、し」正面玄関を前にし、頬を張って深呼吸。大丈夫。おれならやれる。こんな茶番は今日限りだ。なけなしの勇気を振り絞り、人差し指でインターホンを押そうとした、まさにその時。



 ――あぁーっ。もしかしてもしかして、アナタが『菜々お姉』の彼氏さん?


「な……っ!?」

 インターホンの応対を待つ間も無く、引き戸が開け放され、うっすら茶髪のゆるふわパーマ女子が顔を出す。

 ずるいぞ。これはずるい。目にした途端どきりとするこの感覚。菜々緒のヤツ、玄関になんてトラップを……。


 じゃ、ない! この子は今何て? お姉? そう言った? マジでそう言った?


「はろはろー。初めまして。菜々緒姉さんの妹、桐乃三葉と申します。今後ともよろしくねっ、『あにじゃ』」

「こりゃあどうもご丁寧に……って!」

 兄者!? えっナニコレすごいエモい。出逢ったばかりでもう兄者!? やばくね? このこヤバくね?! 何このコミュ強! キミ本当にナナちんの妹!?


「あ……はは。やっぱ出会い頭にあにじゃは無いか。失礼なこと言ってごめんなさい。えぇっと」

「いや、いいです兄者で。むしろ変えないで、お願い」

「えっ」

 すまん茉莉。如何な言葉で罵倒されようがこれだけは譲れぬ。

 年下か同い年か。それはさておき。妹キャラに"あにじゃ"なんて気安く呼ばれて靡かぬオトコが何処に居る。

 どうせ待つのは死出の道。ならば責めてこのひと時だけ、幸せなままで居させておくれ。


「あのー。いつまでも突っ立ってないで、中……入らない?」

「アッハイ」



※ ※ ※



「ふぅーむ。むむ、むむ」

「あ、あのう。みなはちゃん。何か……?」

 案内され、隣を歩く菜々緒の妹は、度々おれの顔を見て、何かを測るかのようにうむむと唸る。

 まさか、もうバレた? 未だ何も言ってないのに、おれたちのやり口、全部筒抜け?


「あっ、ごめんね。別にそーゆーんじゃないから」

 不審な視線を詫びながら、円な瞳を蠱惑的に向ける。菜々緒の妹にしておくのが勿体無いくらいの可愛さだ。

「ほら、お姉がカレシ連れて来るなんて初めてだから。どんなヒトなのかなーって」

「どんなも何も、こういう者です」

「あっはは。固い堅い。父さんや母さんの前じゃないんだから、もっとリラックスしようよ。今から気張ってたら、この先絶対保たないよー」


(この先……ね)

 浮かれすぎて忘れかけてたが、ここはある意味敵地なのだ。羽目を外せば総てが終わる。

 駄目だ駄目だ。現実に帰れ雑葉大。戦いはもう始まっているのだぞ。


「よォし、ガッチガチの彼氏さんに、ちょっとした目の保養をば~」

「え、あっ?! ちょっと三葉?!」

 言って、自然な流れで襖に手を掛け、開け放す。

 なんたる運命の悪戯か。今の今まで連絡の付かなかった発起人が、艶やかな着物に纏って立っているではないか。


「ふふーん。どうよどうよ。あたしが見立てて着せたのよん」

 予想外すぎて、みなはちゃんの言葉すら耳に届かない。

 幾ら本気で騙すからって、そこまでマジになるもんなの?!


「何か……言いなさいよ」

「え、ああ……。馬子にも衣裳?」

「ばか」

「ごめん」

 こんなタイミングで何言えって言うんだよ。おれプレッシャーに弱いんだよ。


 うん、まあ。バレてないし、向こうも本気なのは良く分かった。

 行ける。頬を赤らめ殊勝な態度な菜々緒と、それを視てくすくす笑うみなはちゃんを視て、根拠も無くそう思う。

 来るなら来てみろご両親。今のおれなら、きっと――。



「あらぁ、貴方が菜々緒の?」

 え、マジ? いきなり来たよ呼んでないよ。

 もう一方の襖を開けて、頬に小じわを刻んだ妙齢の女性が姿を見せる。

 顔の感じがふたりとそっくり。間違いない、菜々緒の母親だ。

「まぁまぁまぁ。遠いところをわざわざどうも~」

「い、いえ。遠いなんて、そんなことは」

「お父さぁーん。ナナの言ってた彼氏さん、来てくれたわよー」


 そこからすかさず間を置かず、居間らしき空間からぬっと出て来た黒い影。

 おれよりも頭一つ大きく、幾重もの皺を刻んだ厳めしい顔。への字に結んで動かぬ口。

 あんた、本当に桐乃家の人間? と突っ込みたいがそうもゆかない。

 異物を射竦め見定めるあの眼光。間違いない、機嫌の悪い時の菜々緒の眼だ。

 ってえことは、つまり。


「初めまして大雑把さん。私は母の四音しおん、こっちは旦那のいわおです」

「ああ、はい。ドーモ……」


 神様、調子こいてごめんなさい。

 おなかいたい。正直、もう、かえりたい。

次回、『お義父さん! 娘さんをなんとかしてください!』に、つづきます。

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