どうせおれたちゃマイノリティー
クリスマスまでに間に合いませんでした。
本年度最後の更新です。
毎度ご覧いただきありがとうございますです。
宜しければ、来年ももう暫くお付き合い頂けたらなと。
――ななおちゃん。やっぱりそれ、おかしいよ。
――絶対無理。アタシ、そんな趣味ないし。
――お姉、あんまりそれ、お外で言わない方がいいよ。
ヒトは誰しも、他の誰にも言えないヒミツを抱えている。親友とは、そんな秘密を気安く言い合える仲だとは母の弁。
もしそれが本当ならば、私にはきっと一生親友なんて出来ないのだろう。このキモチは誰にもわかってもらえない。判って貰える自信がない。
それなりに人付き合いをこなし、手足も伸びて、なんだかんだでオトナになって。周囲に促されるまま就職活動を行ない、出版社の編集者へと収まった。
就くべき仕事に就けなかった他の同期より恵まれている自負はある。けれど、恵まれているかどうかというと――。
「キリナナちゃん、また担当降りちゃったの?」
「向こうからそう申し出があったの。私にはどうしようもないわ」
「そりゃあそうだけど、今年に入ってもう二回目よ? 気になるわよ」
新人として目をかけられ、幾人かの執筆家の担当を仰せ付かったが、皆半年と持たずに仲違い。仕事は他に回り、そちらで芽が出た者もいたという。
結局、オトナになっても何も変わらなくて。だったら、もう死ぬまでずっと変わらないのだろうと諦めて。
ああ、なんで私は『こんな風』に産まれてしまったのだろう。『それ』が原因でないのは解ってる。判っているけど、呪わずにはいられない。
「ね、ね。それ、あなた宛じゃない?」
「私……ですか?」
そんな時だっただろうか。
夢野美杉・とペンネームが振られた、あの封筒が我が元に送られてきたのは。
……………………
…………
……
「おぉい桐乃ォ。桐乃ってばよ。もしもし、ノックして、もしもォし」
「え……。あぁ、はい・はい」
先輩の野太い声に急っつかれ、目の前に広がる未チェックの紙束を見、夢現から現し世へと引き戻される。
私とマツリが初めて出逢ったあの日。ガーディアン・ストライカーというノベルを本にすべく奔走し続けた二年間。
一緒に紡ぐと約束した相方はもう居ない。残されたのはその『本作者』と、編集長から突き付けられた唾棄すべき妥協案。
知恵を借りようと縋った奴らは役立たず。かと言ってひとりで悩んで良い知恵が浮かぶはずもなく。完全にお手上げ。ハンズ・アップ。ねぇ、マツリ。私はこれから、どうすればいい……。
「いや、だから桐乃よう。俺の話……聞いてる?」
「あれ、まだ居たんですか先輩」
「お前ひどいな。時々、すごく」
寝ぼけ眼でぼんやりした私に、これ以上何を望む。仕方ないなと顔を上向け、困り眉の強面と向かい合う。
「原稿をアポなしで『持ち込み』に来たのがいてさ。皆仕事中だって言ったら、休憩時間まで待たせてくれって受付前に陣取ってやがるんだ」
「もちこみ……?」
編集者がネット上で金の卵を掴んだり、そもそも賞を手土産にメール便で送付する時代に、生原稿を持ち込むなんて古風なやつ。
「そんなの、先輩方が出ればいいじゃないですか。何故私に」
「それで済めば話は振らない」強面の先輩はうんざりした顔で嘆息すると、
「先方はお前の名前をフルネームで所望したの。他のやつじゃ駄目なんだってさ。お前んとこの知り合いか? あの縮れ毛天然パーマ」
「天パー……」その髪型には覚えがある。成る程、もしそれが『ヤツ』ならば、わざわざ私を指定する理由にも得心が行く。
けれど、何故ここに? 乱れた髪を急ぎ撫で付け、受付まで早足で駆けてゆく。
やはりアイツだ。整髪料で整えた『つもり』のぐしゃぐしゃ頭に、使い古され襟の弱った飾りげのないTシャツ。ダメージではなく、本当に傷が付いたのを誤魔化した蒼の色剥げジーンズ。行儀よく座っているように見えて、その実脚が小刻みに振れている。
「よぉ、遅かったじゃねえの。またすっぽかされると思ってたぜ」
「仕事中に訪ねて来るんじゃオアイコよ。あなたこそどうなの。仕事は」
「ご心配なく。今日だけのために有給申請したからよ」
雑葉大。あの子が紡ぐ・紡いでいたと思っていた物語の、本来の書き手。諸々ややこしくなるからここには来るなと言っておいた筈なのに。
「書類整理で忙しいの。話なら電話でだって良いでしょうに」
「かァッ、冷たいね」当人は椅子から全く尻を浮かせず。「こちとら、有給使って来てるんだぜ。待ってやるから話くらい聞かせろよ」
「くどいわね」有給休暇を楯に居座る気か。腹立たしいが、こうなると邪険に出来ぬ。「ま、でも。仕方がないか……。あと少しで昼休憩。そこでなら話を聞いてあげるわ」
※ ※ ※
そこからきっちり一時間。出入り口近く、寒風吹き荒ぶ中待たされたおれは、菜々緒に連れられ、何らかの談話室へと通される。
木目鮮やかな焦げ茶で葺かれた床や壁、外のものより余程上等な机や椅子。おれなんかを呼ぶのには、少しばかり豪勢に過ぎるのではと萎縮してしまう。
「本来企画会議で使う部屋よ。安心なさい、休憩中は誰も入って来ないから」
高圧的態度で睨みを利かす我が担当・桐乃菜々緒。かのカラオケの一件が嘘のように『いつもどおり』である。
「なんかさ、その言い方だと不倫相手との逢瀬場みたいでアヤしくなぁい?」
「ご冗談」いつも以上に冷淡な声でおれの冗談を流し、菜々緒は向かいの席に腰を下ろす。「それで? 私の貴重な休憩時間を無駄にして、あなたは何が言いたいの」
いちいち棘があるなあ。気持ちは解からなくもないけれど。
「そんなの、先日の会合の一件に決まってるでしょーが。ヒトに救けを求めておいて、結果も見ずにドタキャンってどういう了見さ」
「ああ。そのこと」菜々緒は不快そうに目尻の皺を寄せて、
「そうよ。私は状況打開の為の知恵をあなたたちに求めました。けれど、皆がそれを『肯定』し、右へ倣えで従おうとした。だったら私の出番はもう無い。そう思ったから帰ったの」
「ちゃんと聞くことァ聞いてたんだな」居丈高で謝る気ゼロなのは予想の範疇だが――、否。逆にたちが悪い。「けど、答えになってねえ。たかが路線変更でしょうが。何をそんなに嫌がってんだって」
「たかが」ナナちんの瞳が、アンダーリム赤渕眼鏡の奥でぎらりと光る。「たかがって何。そうね、あなたには『たかが』でしょうね。けど私にとっては違うの。あの子の為にも、路線変更なんて絶対、受ける訳には行かないの!」
「あのこ、ね……」熱の入れようが異常だと思っていたが、やはり発端はマツリか。「乗り掛かった舟だ。その話と何がどう繋がるのか、きっちり吐いてもらおうか」
「そう言うと思ったわ」意外にも、向こうの口調に嫌味はない。性格上、こういう話はNGだと思ってたのに。「忘れもしない二年前。初めてあの子と出逢ったのも、今日みたいに寒い日だったっけ――」
えっ、ちょっと待って。
なんかこう、回想とか入る、そういう系なの?
……………………
…………
……
『お願いします、どうしても、この作品を本にしたいんです』
「そう、言われてもね……」
同封された原稿を読み、断ることを前提に逢いに行った時、まさか公衆の面前で土下座してまで懇願されるとは。
赤み掛かった不可思議なゆるふわストレートに、お嬢様結びのリボンでワンポイント。そこへ来て二十代らしからぬあどけなさと来れば、漫画か絵本から飛び出して来たお姫様のよう。
故に、提出して来た内容には正直、いろいろな意味で舌を巻いた。
ヒーローが蔓延する社会で、それを殺して復讐を完遂しようとするピカレスクアクション、ガーディアン・ストライカー。文庫一冊分の量と、詳細に決まったストーリーライン。まるで『完成品』をそのままなぞったかのように準備が良い。
上代茉莉。やり方はさておき、文才はあるみたい。話の方も好みの内容ではある。
ド素人の一話目にしては申し分ないクオリティー。けれど『うち』のカラーじゃない。事実、彼女も他の数社に送って、その総てから否の解答を受け取ったという。
「話としては面白いけど、うちのイメージとかけ離れてるのはちょっとね。悪いけれど……」
折角だからうちも他者に続こう。そう思い、話を切り上げんとした、その瞬間。
『そうやって体よく、逃げるんですかッ』
「何ですって?」
向こうも後には退けないのだろう。失礼を承知で、と前置き、身を乗り出し凛とした瞳で私を睨む。あれほど、野心に満ちた目は初めてだ。
『案配に頼ってばかりの会社に成長はありません。前例がないなら創ればいい。私の――、ガーディアン・ストライカーにはそれだけのチカラがある。私はそう、信じるッ』
よしんば無かったとしても、自分がその嚆矢になって見せる――。怖ろしいまでの気迫だ。何がそこまで彼女を突き動かすのだろう。
『この話を"面白い"と言ってくれたのも、ちゃんと逢ってハナシをしてくれたのもあなたが初めてなんです。どうせなら、解ってくれるひとと一緒に物語を紡ぎたい。だから』
もう一度、ご再考願えませんか――。と来ましたか。
蒼く澄んでいるのに、此処ではない何処かを見据えた瞳。一歩も引かぬ口調と態度。何より、自分を信じて任せると云うこの言葉。
かの職に就いてもう二年。幾人もの作家を受け持ったけれど、こんな娘は初めてだ。
「解ったわ。そこまで自信があるのなら……」
この娘と一緒に夢を見たい。馴染めず燻ぶるこの部署を、文字通り『これまで』をブッ壊す嚆矢になるのなら。今なおパートナーに恵まれず、腐って燻ぶる自分を奮い立たせることが出来るなら。
『あ……、あぁ……ありがとう、ございます! やった! やった! やったぜー!』
故に私はこの時判を押し、この話を皆に推した。
それが理由。他にそんなものはない。
でもこの時私が視ていたものは。円な目を輝かし、私の手を取りぴょんぴょんと跳ねる上代茉莉を見て想っていたことは――。
……
…………
……………………
「なによ。何か、文句でも?」
「べっ、別に」
ヒトが、人の体験談を聞いてニヤニヤするのがそんなにイヤかね。
おれが、おれだけじゃ知ることの出来なかったマツリの一面。あの物語に光明を与えるべく、頭を下げてまで懇願してくれたその気持ち。噛み締めてしみじみニヤニヤするくらい赦されたっていいだろう。
「OK。あんたがガーストを、マツリとの誓いを大事にしてくれていることは解った」けれど、それだけじゃ理屈の通らぬ問題がひとつ。
「その御大層なオリジンが、路線変更を認めないのとどう繋がるんだよ。打ち切りになる訳じゃないんだぜ。あいつのことを想うのなら、延命措置は受けて然るべきだろ」
「駄目よ。それだけは……駄目」いつになく弱気で、かつ頑固な声が、おれの言葉に待ったを掛ける。
「ガーディアン・ストライカーは、あの話だからこそガーストなの。陽性に舵を切って、毒気が抜けたらそれはもうマツリのガーストじゃない。あれはあの子と私が紡いだ物語。それを書き替えるなんて、絶対に……っ」
「あの、ねえ。ナナオさん」それだけ、あの話を買ってくれているのは素直に嬉しい。この次も頑張ろうと素直に思える。
だが、奴は、意図してか忘れているのか、根幹で事実関係を履き違えている。
「これは元々おれのなの。マツリはおれのハナシを文字に認めてくれていたのであって、原作者じゃないでしょ。義理立ててくれるのは嬉しいけど、そこじゃないっしょ問題は」
「大雑把マサル、あなたはまだそんな世迷言を」やや、や。それだっておれの台詞だからねナナオさん。
「これは上代茉莉の作品で、あなたはそのゴーストライター。原作者なんて自惚れも甚だしい、恥を知りなさい恥を!」
「お前……、ホント、お前」
今のは流石にちょっとカチンと来たぞ。他が何を言おうと、『原作者』はおれなんだ。そこを、寄りにも依って担当編集者に否定されてしまうとは。
けれど待てよ。そもそも何故ナナちんは『そこ』にばかり固執する。判っていてなお、どうして根幹の部分を認めない。
マツリのため、マツリのこと、マツリ、茉莉、マツリ――。
「あんた、やっぱり何かおかしいぞ。本当にハナシが好きで護ってくれてるんなら、おれに突っ掛かるのはお門違いじゃねぇか」
「そ、それは……」
今まで攻勢だったナナちんが怯んで押し黙る。やはり履き違えの根本はここにあったか。
「喚き散らしの次は黙りか? お前、本当はこの話じゃなく」
「好きなの」
「は?」如何にして核心に迫ろうかと思った矢先、菜々緒は消え入りそうな声と、意味深に彷徨う視線を以っておれの言葉を押し留める。
互いに言うべきことが定まらず、暫しの沈黙。菜々緒も覚悟を決めたのか、視線の逡巡を止め、俯き加減で言葉を紡ぐ。
「好きだったのよ、マツリのことが」
「はい?」
「言葉通りの意味。私が本当に好いていたのはガーディアン・ストライカーじゃない。それを持ち込んだ、上代茉莉という女の子」
「あぁ、ええ……。えっ!?」
待て。Wait・Wait・Wait、一旦落ち着け・落ち着けおれ。アイツは今何て言った? 茉莉が好きなの? 二十九歳独身バリキャリ女が、同じオンナノコをスキだって、そう言った?!
「驚くのも、無理ないわね」おれの反応に予想通りと独り言ち、奴は目を合わせず話を継ぐ。
「幼い頃から、異性のことを異性として意識出来なかったの。医者は気の持ちようだって言ったし、父母も歳を経れば変わるってマトモに取り合わなくて。
そりゃあそうよね。だって私のキモチは、ずっと『同性』に向いていたんだもの」
おれの同意を得ることもなく、菜々緒の話はなおも続く。
否、話しているというより一方的。おれを神父に見立てた懺悔のようだ。
「子どもの頃は冗談だとマトモに取られず、学生時代はそんな趣味無いって突き返されて、就職してからは言わずものがな。本当のキモチを理解してくれる友達なんていなかった。
そんな中現れたのがマツリ。絵本の中のお姫様みたいにキレイな娘で、私のことを必要だと言ってくれて、己が決めたことを絶対曲げない意志の強い子。あの娘のことが大好きで、あの娘のためになりたくて、私はずっと、頑張ってきた」
不意に、おれの方に顔を向け、射竦めるような視線を投げかける。いきなり何だとたじろぐが、その理由は直ぐに解った。
とどの詰まり、おれとこいつは、同じオンナを巡る、恋敵だったのだ。
「半年前のあの日、私は自分の気持ちに踏ん切りを付けたくて、あの子に『コクハク』するつもりだったの。断られたらそれで良し、応じてくれたらありがとうって言うつもりでね。
だから、茉莉が『遺書』を残して消えた時、雑葉大、私はアナタを憎んだわ。あの子にはやっぱりスキなやつがいて、そいつがあの子を弄んで殺したんだって。
馬鹿みたい。証拠もないし、そもそもお門違いなのにね」
淡々と言葉を紡ぐ菜々緒の姿と、親に叱られて萎縮する子どもの姿が重なって見えた。誰にも話したくない秘密。おれは偶然にもそれを聞き出し、話さざるを得ない状況に追い込んじまったのか。
おいおい。そんな顔するんじゃないよ。しょぼくれて、涙目で、頬を赤らめて縮こまるなんてあんたのキャラじゃないっしょ。
談話室には、洗いざらい吐いたナナちんと、何も言えず黙ったままのおれの二人だけ。気まずい沈黙だけが場に残り、時間だけが刻々と過ぎてゆく。
そう、時間である。彼女は休憩時間を犠牲に話を聞いてやると言っていた。タイムリミットは近い。菜々緒は不意に席を立ち、普段通りの『仮面』を被る。
「これで満足? 私は仕事に戻るから、あなたもそろそろ帰ったら」
踵を返し、部屋を出んとする菜々緒を見、おれのこころに何とも言えないもやもやが吹き溜まる。このままじゃ終われない。終わって良いはずない。
けど、何をすればいい? 自らトラウマを抉って傷心の女に、何と声を掛ければ良い?
「待てよ」おい、おれの馬鹿っ。まだ何も考えてないじゃん。どうすんだよ、どうしろってんだよ。
「何よ、未だ・なにか?」
「えっと、その、さ」駄目だ、もう何処にも逃げ場がない。
どうする、どうするよおれ。えぇい、もう、こう、なったら――。
「好きなんだ」
「は?」
「ほら、マスクとかぴっちりなボディースーツを纏って他の誰かに……。オトコがさ、オンナに『変装』するあんな感じのやつ! おれはそれに欲情するッ」
「御免なさい……。その、意味がよく、ワカラナイわ」
「で、ですよねえ」
やばい、滑った。間違いなく滑った。
ああ、どうしよう。ナナちんめっさ目が泳いでる。おれ間違いなくやべーやつと思われてる。
「ほら、解らない? ナンて言うのかなあ。中身は別なのに別人として振る舞ってるあの背徳感! ホンモノと信じて疑わない相手を心中せせら笑う何とも言えない快感! あれが堪らなくそそるんだよ!」
「と。言われましても」
くそう、言えば言うほどドツボか……。話してるこっちが恥ずかしくなって来た。
ああ死にたい。この場で窓から飛び降りて投身自殺したい。
あ。でもおれ保険かけて無かったよな。死体処理や葬式にお墓……、墓はまあ、遺骨を砕いて海に撒いてもらえば良いとして、カネ掛かるなあ。どうしよう、あぁ、どうしよう……。
「何よ。何なのよ、それ……」
いや、でも待って。菜々緒のヤツ、ちょっとだけ……笑ってない?
「皮だの変装だので欲情って、あんたちょっとあり得なくない? ごめん、なんかごめん、ちょっともう……アホ過ぎ……馬鹿っかなのぉ……」
最初は、口元に笑みを浮かべるだけだった。
それが顔中に伝播し、次第に大きくなる笑い声。
あの、桐乃菜々緒が笑っている。何時も目尻に皺を寄せ、おれたちを容赦なく叱り飛ばす女傑が、あぁもげらげらと笑うだなんて。
「あんたの笑った顔、初めて見たよ。意外と可愛いとこ、あるんだな」
「え……。ヤダ、私が、笑ってた……!? ちょっと待って今のナシ、笑ってません、無い無い、絶対無いっ」
大手を振って苦しい言い訳と共に否定する辺り、こりゃ本気でマジモノか。良い顔いただき。ここだけカメラで撮影しとけば良かったなあ。
とまあ、冗談はさておき。「なあ菜々緒さんよ、おれは何て言ってここに来たか覚えてるかい」
「あぁ、えっと。『新人の持ち込み』だったっけ? それは素性を隠す口実?」
「それもある」あるが、本当の理由は別にあるのだ。「タントーの名前指定して、紙束なんか持ってきたら怪しまれるだろ。そういう体にして運んで来たのさ」
「何を」
「決まってンだろ。あんたがすっぽかした会議上で纏まった、次巻以降の変更案」
ようやっとコイツの出番だ。封筒にしまったB5用紙を取り出して菜々緒の胸元に突き付ける。
「今更話を蒸し返す気? でも、私は」
「ああ、皆まで言うな。応えは中身を読んでから。つべこべ言わずにさっさと読めよ」
「大層な自信ですこと」先の笑いで憑き物が取れたか、ナナちんは迷いなく原稿を手に取って。「いいわ。読むだけ読んであげる」
◆ ◆ ◆
「Hey、併、塀! ランボー狼藉はそこまでだぜ、ストライカーちゃんよォ」
灰色のテンガロン・ハットに、丁寧に剃り揃えられた顎髭。
真っ直ぐながらも澱んだ鳶色の目をした優男は、病み上がりのストライカー目掛け、時代錯誤な二丁拳銃を突き付ける。
「何だ? ってツラしてるから特別に教えてやるぜ。一度しか言わねェかんな、耳の穴かっぽじってよぉォく聞けよ」
テンガロン・ハットの男は襟を広げ、スーツの裏にピン留めされたバッヂを見せつける。
「『ザ・アヴェンジャー』。正義の執行人たァ俺様のことよ。市井を荒らす不当な同胞に成敗を下す。言うなりゃアお前さんの同類だ」
(何なんだ……、この既視感)
これが俗に言うデジャヴ? 否、腹部に喰らった六つの弾痕と、右脚に食い込む銀の弾丸がそうではないと訴える。
まるで図ったように同じ台詞を宣い、同じ行動を取る件の男。死に体の自分を馬鹿にしているのか? そうでなくば、本当に……覚えていない?
「言い忘れてたが」こちらの考えを見透かすかのように、アヴェンジャーなる伊達男が話しかけて来た。「説得や交渉で退かせるつもりなら止めた方が良いぜ。ひと寝入りしたら、何もかも忘れちまうからな」
「忘……れる?」やはり、奴は決してこちらを嘲っているのではない。本当に、昨日のことを覚えていないのだ。
定期的に記憶をリセットされている。何の為に? 推論だが、確信に近い答えが一つ。
正義を絶対視し、執行者を名乗る存在が、その価値観を他に委ねて揺らいでは本末転倒だ。故に、記憶を常にリセットし、「正しい」状態を維持し続けている。
正義の執行者。レールを外れたヒーローの粛清人。聞こえはいいが、何と怖ろしいシステムだろう。
「無論、いたずらに社会の不安を煽る輩も粛清対象さ。ここで会ったが百年目、俺とお前、始末屋としてどっちが上か、試してもらおうかッ」
(やるしか……ないのか……!)
脚にダメージがある以上、マッハバロンの《加速》は使えない。奴の早撃ち拳銃を、ボロボロの我が身で如何にして躱すか。
苦しい戦いになるな。ストライカーはヘルメットの奥で歯を噛み締め、素知らぬ顔で鼻を鳴らす優男を睨み付ける。
「忘れる。忘れる……か。良いだろう、ならばお前に刻んでやる。幾らリセットしようと消し去れない、“トラウマ”と言う名の傷跡をなッ」
※ ※ ※
「ねえ、この紙束・is・何」
「お待ちかねの原稿だよ。新キャラのデザイン・ほぼ決定稿も織り込み済みの」
「いや、違う……そうじゃなくて」
「路線変更を命じられた筈、だろ?」
得意げにそう返した瞬間、菜々緒の目が円らになった。
期待通り・読み通り。こうも綺麗にハマってくれると、作者冥利に尽きると言うものよ。
「お前さ、自分一人が路線変更に反対だって思ってたろ。甘んじて受け入れると思ってただろ。敢えて、もう一度言うぜ。これの原作者はおれだ。その意向を無視した路線変更なんて御免被る」
これが、おれなりの宣戦布告ってワケ。おれや、マツリが紡いで来た物語は、お前たちの好き勝手にはさせないぞって決意のシルシ。
「何よ、何だってのよ……」そう話す菜々緒の目が、ほんのりと紅く染まってゆく。「だったら、早く言いなさいよぉ……」
「言うも何も、その前に帰ってったじゃん」
さっきまでのクールな仮面は何処へやら。目元に涙を溜め、おれの原稿をぎゅうっと握り締めている。
こんな顔したナナちんを見るのは初めてだ。鬼の目にも涙というか、ワニの目にも涙っつーか。
「そっか。そうよね……。この話は未だ、終わらない……!」
やはり、文字のチカラは偉大と言うべきか。それまで否定一色だった菜々緒の目に、決意と闘志が燃え上がる。
「訂正するわ。あなたはマツリのゴーストライターじゃない。あの子が紡いだ物語の新たな書き手。あなたが居る限り、あの子の物語は紡がれ続ける」
「はいはい、そーですか……」意地でも、原作者とは認めたくないらしい。「納得してくれたんならそれでいいよ」
「宜しい」
本作者としての立場、まるで無し。何が宜しいだと怒りたいが、振り上げようにも相手はこんなだし。
ま、今更文句を言ってもしようがないか。云いたいことは通ったし、向こうもそれを認めた。なら他に必要なことはない。
そう思い、菜々緒から紙束を回収し、腕を振ったその刹那。
「おやおやおや~~。会議室陣取って何やってるのォ」
「ん、なっ?!」
紙束を掴んだ手から重さが消えた。反射的に見上げれば、そこには知らないオジサンの顔。
解を他に求め、そのままナナちんの方に目を向けるが、向こうは向こうで「信じられない」と言わんばかりに固まっている。
「駄目だよォナナ『ミ』ちゃん~~。ここの部屋、十四時から新作会議で使うって言ってたじゃない」
「編集長……」
「え」
今菜々緒は何って言った? ヘンシュウチョウ? それって、つまり。
ガーディアン・ストライカーの、編集長?!
「そーです・そうなんです。アナタの川瀬巳継編集長ですよ~~」
ちょい色黒に、整髪料でかっちりと固められたオールバック。にかにかと笑う口元からは磨き込まれた白銀の歯がちらり。
言っちゃ悪いが、雑誌や文庫の編集長より、テレビショッピングの司会者が性に合ってるように思える。
「あぁ〜〜、成る程・成る程ってェことは、これは次巻用の原稿草案ってわけだねェ」
編集長は原稿をぱらぱらと流し読み、一分もしないで再びおれの手にそれを戻す。
真面目に読む気がない? 否、原稿を検める間、彼の目が左右に激しく動いているのが視えた。こいつ、もしや速読の使い手か。二十ページほどのペラ紙とはいえ、こんなにも早く!
「そして、こんなものが此処にあるってことは」此処へ来て、巳継編集長の目がおれの方を向いた。「キミは作者の夢野美杉センセイって訳だね。わざわざ御社にまで来て頂いてぇ、どもどもご苦労様ですぅ〜〜」
「ああ、はい。ドーモ」
腰を七十五度くらいに曲げ、目線を合わせて両手で握手。親愛の証なのか、はたまた牽制の圧力か。不気味なぐらいにこやかな笑顔からじゃ真意が視えない。
「あの。編集長」
このままじゃ埒が明かないと判断したか、菜々緒が挙手と共に険しい顔で訴え掛ける。
「読んで頂いてお分かりかと思いますが、私も夢野……先生も、現在の路線を移るつもりはありません。
仰られた危惧は尤もですし、それが編集部全体の意志であることも承知しています」
桐乃菜々緒はそこで言葉を切り、深く息を吸った後、『ですが』と力強い口調で話を継ぐ。
「ガーディアン・ストライカーはVX書房に於ける『棘』で有りたいのです。案配に頼る会社に成長は無い。他が右へ倣えの状況だからこそ、敢えて、角張って仰々しいお話が必要なのではないでしょうか。
勝手なお願いだとは自負しています。ですが、この作品だけは」
「ん。あぁ、いいよ。それならそれで」
「え」
「聞こえなかった? だったら良いよって言ったの」
「な、な……!」
この展開は流石のおれも予想外だ。互いに譲れぬものの為、如何な舌戦が繰り広げられるか、目を剥いて待っていたら、向こうからさっさと引き下がるとは。
「全く、調子の狂う人たちだ」おれもアイツも、突然のサプライズに対応できずフリーズしていると、痺れを切らした編集長が声を掛けて来た。
「それがキミたちの総意なら、無理に変えろとは言わないよ。ナナミちゃんだけならまだしも、原作者さんに言われちゃあ、ねえ」
「成る程……」ナナちんに直談判するつもりで此処に来たが、これが意外と正解だったらしい。
「あ、ありがとうございます。希望を……汲んで、いただいて」
「あ、でもね」そう言った瞬間、巳継編集長の声から優しさが消えた。「ウチの会社は実力至上主義だから。啖呵切った以上、しっかり『結果』は出して貰うよ。もしこれで売上が落ちる、なんてことになったなら」
そこで唐突にニカリと笑い、皆まで言わずの『解かるよね』のひとこと。
おれの、見通しが甘かった。彼は温情で見逃してくれたのではない。それが巡り巡って利益になると考えただけなのだ。
とどの詰まり、ガーストを取り巻く環境は何一つ変わっていない。否、こうして釘を差された以上、なお悪くなったと言うべきか……。
だが、しかし。
「無理難題を聞いて頂いて感謝します」
無茶でも何でも、現状維持と成ったのは彼のお陰。となれば礼と共に頭を下げるのは社会人としてのマナー。
マツリが、菜々緒が、ここまで買ってくれてる作品なんだ。喚き散らして反故にするくらいなら、敷かれた制約の中で少しでも足搔いて藻掻いてやる。
頭を上げるそのタイミングで、ナナちんの方に一瞬目を遣る。唯一度の頷きだけだったが、おれにはそれが『ありがとう』を示す仕草と直ぐに解った。
「しっかし、さ」おれたちがアイコンタクトで意志を伝えたのを知ってか知らずか、巳継編集長は顎に指を乗せ思案を巡らせつつ、「『雰囲気』変わったよね〜〜、夢野センセイ」
「はい?」
「いや、雰囲気って言うのかな。もっと、こう……」
ど、ドユコト?
いや、間違いなく初対面の筈だよな。これまで何処かで会ったことなんて無かったはず。
なのに何故、この色黒編集長は、おれを見てそんなことを言う?
不安になり、助けを求めて菜々緒に目を向ける。あっちも『知らない』と首を横に振るだけだ。
「や。ゴメン・御免。最近なんだか忘れっぽくてさぁ〜〜、きっと何かの思い違いだよ。多分そう。そうに違いない」
向こうは向こうで、知らない事だと結論付けて。余計に訳が解らんが……。これ以上情報を引き出すのは不可能か。
これは一体、どういうことなんだ?
本文中、雑葉が例として出した性癖は「皮モノ」と検索すると詳細が出て来ます。
R指定に抵抗するものもあるので詳細は省きますが、要するにルパン三世や名探偵コナンとかで出て来る変装シーンとかで欲情するとかそんな感じです。だいたい。
※ ※ ※
あまり進まない上に長く、かつひと月ふた月かかってようやく一話という中、毎度ご覧になって頂き、誠にありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。