愛したアイツはラノベ作家
『とうとう会えたな、ハーヴェスター。お前の企みも、ここまでだ!』
『愚かな。創造主たる私の庇護なくして、此の世界で生きて行けると思うのか? 機械でも、ヒトでもない半端者の分際で!』
全面市松模様のだた広い敷地の中で、二人の男が対峙する。
一人は黒曜に輝く不気味な仮面を被り、全身を包み隠す赤のガウン。
もう一人は黒のボディアーマーを身に纏い、紅い瞳に獅子を模したマスク。
互いに退転の意思は無い。今ここで、雌雄を決する覚悟だ。
――僕がまだ小さな子どもだった頃、形を持った悪意が世界中に根を張り、人々を恐怖と混乱の渦に巻き込んでいたあの時代。
――悪意の名は『ハーヴェスター』。人間を意志在る兵器に作り変え、戦果の種火を撒き散らす。各国列強ですら太刀打ち出来ぬ武力の前に、希望は全て消え去ったかに見えた。
――しかし、一人の男が組織に『否』を叩き付け、敢然と反旗を翻した。ハーヴェスターは彼を裏切り者と見なし、幾多の屈強な追手を差し向けたが、その誰もが彼に屠られ、時には味方となり、反乱の火種は世界中に拡大していった。
『お前はかつて、私を単なる羽虫と捨て置いたな。その虫風情に部下を攫われ、野望の全てを打ち砕かれる気分はどうだ』
『言いよる、言いよる。それで勝ったつもりかね。これは敗北ではない。無論、君の勝利でもない。新たなる“はじまり”さ』
『そうとも。この世界は悪魔の支配を離れ、在るべき姿を取り戻す』
『否。否・否・否。始まるのは輝かしき未来などではない。新たな――苦難苦役の歴史だよ』
――叛逆の炎は瞬く間に燃え広がり、遂に敵の中枢へと彼を導いた。
――敵の首魁を討ち果たし、メディアの前に姿を見せた彼が口にした言葉を、僕は今でも覚えている。
『"この勝利は私たちだけのものではない。我々を信じ、応援してくれた皆のものだ。あなたがたに感謝します。本当に、ありがとう"』
――疲労疲弊に掠れたその声に。己の努力を鼻にもかけぬ謙虚さに。涙が溢れて止まらなかった。僕も彼らに貢献出来たのだと歓喜に震え、テレビの前でポーズを取ったものだ。
――こうして、悪の組織ハーヴェスターは崩壊し、正義の勇者たちは皆に迎えられ、人間社会へと融和していったのです。めでたし、めでたし。
……でも。その、後は?
◎F書房・VX文庫刊行・夢野美杉著・ガーディアン・ストライカー︰第一話・序文より引用◎
※ ※ ※
「あァあ、振られちまったなあ」
「そーかい、そうかい。えらいねェ」
「ね、ちゃんと聞いてる? 幼馴染にコクったのに、おれ、フラれちゃったのよ、この前の夜」
「あァ、あァ。そりゃあまた。所で、登別にゃあ、いつ帰らせてくれるだい」
「傷心旅行で温泉ならおれだって行きたいわ。話くらいちゃんと聞いてくれよォ」
陽当たりが良く、開けたリビングルーム。真中には弧状に湾曲した長机と型の古い液晶テレビと、更に古臭いデータ入力用卓上端末。
数人掛け長机の前に座し、補充し終えカラになった紙おむつの袋を畳むおれは、興味本位で迫る皺くちゃの利用者に向かい、無駄と解っていつつも管を巻く。
こんな間の抜けたやり取りを、受け手を変え、今日一日だけで何度も何度も繰り返している。
淋しがり屋というか、慰めて欲しいのかというか。正直自分でも良く分からない。
何が駄目だ。言葉か。雰囲気か。この顔か? この期に及んで『ゴメンネ』とはどういう了見だ。
しかも理由が『アタシは二次元に恋してる』からって、お前……。
雑葉大、特別養護老人ホーム勤めの二十五歳。中高大とまるで実らず、ようやく芽吹いたおれの遅咲き桜は、花を付けずに枯れ果てた。
「こらこら、『大ざっぱ』。イワマさんにヘンなこと言わないの。真に受けてお家に帰りたいなんて騒ぎ出したら大変よ」
「飯田さん、少しゃアおれの心配もしてくださいよー。こちとら失恋なんすよ、失恋」
「そうヘラヘラ言い回れるうちは大丈夫。喋ってる暇に仕事しなさい」
あぁ、そうですか。どうせ外野にゃ解かるまい。これでもずしんと落ち込んでるのに、なんとまあ世知辛い世の中だよ。
だがまあ、フロアリーダーの言うことは尤もだ。イワマさんはめっぽう強い帰宅願望持ち。一度火が付くと、杖を付いて容易くおれたちの持ち場から去ってしまう。
この施設は三階建の東西二分構造。開け放したドアから階段を下られたり、窓を開いて外を覗かれたりされた日にゃあ……。考えるのも恐ろしい。
「だいたい大ざっぱ君ってば、その日泥酔しちゃってて、ぼんやりとしか憶えてないんでしょ。告白されたってのも、君の妄想なんじゃない?」
「ちょっ、ジョーダンにしたって笑えないっすよ大崎さん。マジな話だからヘコんでンじゃないですか」
癪な話ではあるが、フラれたショックを癒やさんと酒に逃げたせいか、その時した話を全く覚えていない。
『ゴメンネ、ざっぱー。今のアタシは二次元にしか興味がないのだ』。その言葉だけが、トラウマとなって耳の奥に今もひりついている。
上代茉莉。中学頃からの幼馴染で、今なお月一月二で呑みに行く腐れ縁。赤み掛かった(嘘くさいが、本人は地毛と言ってきかない)ゆるふわ黒髪を、ストライプのリボンで後ろまとめのお嬢様結び。それまで別段意識したことは無かったが、他から見ればそこそこ美人の部類……なのだと思う。
酒の肴はいつもテレビの特撮ヒーローの話。今週の話はどうだったとか、今のヒーローはこうだからいけないとか。実の無い話を繰り広げ、中ジョッキを三杯飲み干し、どちらからでもなく解散。二十歳を過ぎて酒が飲めるようになってから、そんな関係が五年近くも続いていた。
語るも涙、聞くも涙な就職氷河期を切り抜けて、今の仕事を始めてそろそろ二年。頃合いだと思った。特撮の良い悪いを愚痴り合うガキの関係から、男女の関係になろうと思い立ち、おれの方から告白話を持ち掛けた。
その結果がこのザマだ。涙を堪える代わりにジョッキを増やし、ワインに手を付け、代わる代わるに飲み干して。気がつけば家の前。
過ぎ去る車のエンジン音からして、マツリがタクシーを呼んで連れ帰ってくれたのだろうか。そこまでの行間を全く憶えていない。
「ほぉら。駄べってないでさっさと動く。今週のレクリエーション担当、『大ざっぱ』でしょうが」
「うぬぬ……」
悩んだところで答えは出ず。今はただ、無心に目の前の仕事をこなすのみ。七面倒なことは横に置き、椅子を引いて起ち上がる。
「なあ、坊っちゃん」いきり立って動き出さんとしたおれを、イワマさんが何気なしに呼び止める。
「ヒトの出逢いは合縁奇縁。オトコとオンナの問題は、半端な気持ちで臨んじゃならんよ」
「はあ」
何だよ、ちゃんと聞こえてるんじゃん。普段はぼやーっとしてるのに、時々こうして大真面目に返して来るもんだから、当たった時はヒヤッとする。
そう言えば、あの日おれはどうしてマツリと会おうと思ったんだっけ。『大事な話がある』。そんなことを言ってたような、言わないような――。
※ ※ ※
『――あぁ〜っ。そう、そう。昨日のアレ観ました!? ピンチの末の大逆転に新形態! いっそ気持ち良いくらいの神回だったっスよねぇ』
「ウッソだろお前。あんなのおれに言わせりゃ下手打ちの尻拭いだぜ。前と後の脚本が打ち合わせ出来て無いんだよ。ずーっと前に解決した問題、なんで今更引きずってくんだって話」
お日様の代わりに半月が空に昇り、赤白青の光が道路を輝かす頃。遅番業務を終え、自転車を漕いで帰路を急ぐおれを労うかのように、無料通話アプリから響く聞き慣れた友人の声。
可愛らしい猫のアイコンを用いる彼は『メルシィ』。SNSサイト内の同じ特撮ヒーローコミュニティーに属する数年来の友達だ。少なくともおれより数年歳下らしく、今のヒーロー業界が抱える閉塞感を何事もなく受け入れている。
『――"スケープゴート"さんはアタマが固いんですって。俺たち、良い歳こいてヒーローにお熱なワケじゃないっスか。どっかで妥協しなくちゃでしょォ』
「ンなことぁ解ってるよ。けど、スポンサーとBPOの顔色伺って、毎年マンネリになってる今の状況は堪えられんのだ」
我ながら、面倒臭いおたくだと思う。この界隈はモノの割に視聴者の年齢層が高く、自分の好き嫌いを厳しい口調で糾弾する輩が異様に多い。
それでもなお、イチ友人として話に乗ってくれるメルシィのヒトの良さには感謝する。先日のマツリとの一件も話してみようか? 少し悩んで、それは違うと取り止める。
『――じゃあ、そんなセンパイにオススメを、っと』
しゅっ、という口笛と共に、通話アプリのタイムライン上に商品宣伝のバナー広告。ライトノベル? の割に表紙に躍るわ黒い甲冑に紅い瞳の超人。どう観ても『そう』は見えないが、ハッタリの効いたポーズを取っているあたり、この本の主役なのだろう。
「ナニコレ」
『――えっ、知らないんスか、『ガーディアン・ストライカー』。かつて世界を救ったヒーローが残る常人を蹂躙する時代、《ガーディアン》という組織を作って群れるようになったヒーローたちに鉄槌を下す、イマドキ古風なダークヒーローものですよ』
「へぇ〜……」あらすじだけでお腹一杯になりそうなほどニッチな話。今の時代にンなもん書いて、果たしてそんなに売れるのかねえ。
「これ、そんなに人気あんの」
『――好きな人とキライな人とで二分ですかね。ヒーローものにしちゃあ閉塞感あるし、イマイチ歯切れの悪いとこもあるけれど、センパイなら楽しめると思って』
「何だかよくわからんが……」読んでもいないのに判断するのは早計か。「勧めてくれてありがとう。暇な時にチェックしてみるよ」
直に家だ。会話しながらだと鬱屈とした帰り路も、『法蓮荘』なんてとぼけた名前のアパートも気にならなくなる。週一で時折下の階から写経が聞こえて来るのは苦痛だが、社割りが効くし、何より職場に近い。
さて、今夜は何をしよう。朝からずっと掛けっぱなしの洗濯物を取り込んで、ハイター漬けした食器を水洗い……。ああ、全く持って夢が無い。
「おや……?」茂みに隠れた駐車場で、見覚えのない赤光りする回転灯。
気になって近寄ってみれば、上下で黒白に塗られた軽乗用車。左サイドにはM県警にPOLICEの文字。あの出で立ちには見覚えがある。その周囲で手持無沙汰にうろつき回る、青い制服の男たちにも。
だが、こんな辺鄙な場所で何をしている? ここの住人が、警察の御厄介になるような事態に陥るとは思えないのだが――。
「貴方は……ここにお住いの方?」
警官らの隣に立つ、しかめ面の女性と目が合った。肩まで掛かる黒髪を三角バレッタで止めて持ち上げ、赤フレームの楕円眼鏡。糊の利いたスーツをぱりっと着こなす様は、ドラマに出て来る性格のきつい、ヤリ手のキャリア・ウーマン・そのものだ。
「ええ。ここの302号室ですが……。それが何か?」
「302」数字を聞いて、女の目がぎらりと光った。今までに被った苦い経験が、おれの頭で赤信号を輝かす。何かやばい。
「やはり、ここで待ってて正解だったわ。大雑把マサル、っていうのは、あなたのことね?」
「いや。大雑把じゃなくて雑葉。雑葉大です。大は名前」
「ふぅん」それが何、と言わんばかりに冷淡な態度。よく間違われるので、気にしないけども。
「そういえば、自己紹介が未だだったわね。私はこういうものです」
「あ。どうも、ご丁寧に」
渡された名刺に書かれていたのは『F書房・編集者 桐乃菜々緒』なる名前。どちらが姓で名なのかはっきりしてほしい。
しかし、出版社の編集者? なんでそんな人間が、警察と一緒にうちの前でたむろしてるんだ?
「あの。ウチか、この近所に何か御用ですか? ここアパートなんで……、あまり夜に騒がれるのはちょっと」
「何か。何か、ですって」
何が契機となったか判らないが、逆さ鱗に触れてしまったのは確からしい。桐乃菜々緒はかなりの早口で切り返してくる。
「それを問い質したいのはこっちの方! 貴方、『茉莉』に何したの。『遺言』の偽装なんて狡い真似して、あの子の"連載"を横取りするつもり!? そんなことして何になるの。さあ、早く彼女の居場所を吐きなさい。こちとら公権力を味方に付けているのよ。女だからと甘く見ないことね!」
駄目だ。早口なのも相まって、まるで意味がわからない。遺言って何。だいたい失恋を苦に自殺するなら、振った方よりフラれた方ではないのか。
「興奮されてるとこ大変申し訳ないのですが、幾ら何でもそりゃあ無いですよ。だいたい、現れるなりヒトを疑って。何か証拠でもあるんですか」
「証拠」眼鏡越しの菜々緒の瞳がぎらりと光る。半ば冗談だったのに、まさか、本当に証拠があるとでも?
「何かと思えばあァ白々しい。打ち合わせで家に尋ねて来てみれば、部屋は整頓、端末はデータを消してテーブルの上! 加えて、『こんな』書き置きがあったとなれば、貴方を疑わない理由が何処にあるっていうの!?」
「書き置き……?」
鼻息荒く、彼女がおれの鼻先に突き出したのは、チラシの裏に走り書いた杜撰な置き手紙。筆跡はマツリのものと見て相違ないが、そこに書かれた文言は何だ。
本当に、彼女が書き記したものだというのか?
"誠に不本意ながら、作家・上代茉莉は死を選ぶ。だが、苦心して産み落とした己が子どもを放置しておくのは忍びない。
大ざっぱマサル君。あなたを生涯の友と認めてお願いする。キミに、アタシの子ども、『ガーディアン・ストライカー』を完結させて欲しい。一度広げた風呂敷を、きっちり畳んでほしいのだ!"
「これが……、夜中に人んちの前で、警官と一緒に待ち伏せてた理由?」
「そうよ」
「……冗談じゃないよ」
なぁ、メルシイ。お前の言ってたオススメって、これ……?
死ぬ理由にしてはポジティブすぎて、とてもセンチメンタルな理由にはなれなかった。