伝えたかった言葉
裏山に入ろうとしたところで、僕は突然ぐいっと腕を引っ張られた。すわ、賊の一味かと思ったが。
「よう、カッコ良かったぜ、坊ちゃん」
シフォーがばちーんとウィンクしてきた。
なんだ、いたのか。っていうか、さっきの聞いてたのか。なんだよ、だったらシフォーからもお母様を説得してくれれば良かったじゃないか。
「そういうのはナイトの役目だろ?」
バカにして。シフォーはこういうところがあるからイマイチ信用できないんだ。
そう思っていたら、今度はシフォーの後ろからひょこひょことサンドラとナディーンも顔を出してきた。ちょっと、なんでこの二人まで来てるんだよ。普通に危ないんだぞ?
「大事なことなんだ」
何がだよ。『至高の蹄鉄』亭の従業員の女の子二人連れてきて、一体全体何をしでかそうっていうんだ。せめてメラニーさんなら戦力にもなったんだろうけどさ。
「ハンナのこと、助けるんでしょ?」
ぐいっと身を乗り出して、サンドラが僕のことを見つめてきた。その横で、ナディーンも水没者の幽霊みたいに恨めしそうに睨んでくる。ダメだ、何を言ったって聞きそうにない。二人とも僕と同じだ。やれやれ。
「静かに。あいつら、逃げ道を見張っていると思うんだ」
僕の言葉に全員がうなずき、姿勢を低くして音を立てずに移動を開始した。
実のところ、シフォーが来てくれて僕はほっとしていた。だって、子供の僕が、一人で護衛兵の集団を引き連れて何かをするだなんて。普通に考えて、おっかないことだろう。
ハンナを助けたいって気持ちはあるけど、足の震えはどうしようもない。こういう時、大人がいてくれて安心するだなんて。
僕はまだ、どうしようもなく子供だ。
僕の予想は当たった。裏山の入り口付近で、僕らは賊の一味と思われる怪しげな男を発見した。護衛兵がそろそろと背後から近付いて、一撃で気絶させる。大したものだ。これならこの先も楽勝なんじゃないか?
「ナディーン、確認してくれ」
シフォーに言われて、ナディーンが伸びている男の顔をじろじろと眺めた。首を持って、あっちにぐきっ。こっちにぐきっ。大丈夫なのか、あれ。最後にナディーンとサンドラは顔を見合わせて、うん、となずいた。
「間違いない。一角獣の間のお客様だね」
そうか。そういうことか。
僕がシフォーの方を見ると、得意満面という顔をしていた。くっそ、悔しい。でもこれで僕の中のもやもやは随分とすっきりとした。
一角獣の間に、フェブレ公爵邸の間取り図があったこと。僕の部屋に印がつけられていたこと。
これらは全部つながった。僕の屋敷に入り込んで、ハンナを捕らえている賊どもは、一角獣の間に泊まっていた奴らだったんだ。
「酒場で聞いた話だと、他に仲間はいないみたいだったよ」
ナディーンが酒場で見かけたって言ってたっけ。その時に、色々と聞いたことを覚えていた。溺れた後みたいな顔して、実はしっかりとしているんだな。
「だとすると、人数は全部で六人、残りは五人だ」
思ったよりも少ない。今連れてきている護衛兵たちだけで、なんとか制圧できるかもしれない。
「問題はハンナちゃんだ。ハンナちゃんを人質にされている以上、こちらも迂闊には手を出せない」
戦力では有利だけど、向こうには切り札がある。なんとかハンナを助け出す方法はないだろうか。
「坊ちゃん、ハンナちゃんが捕らわれてるとしたら、何処だろうか?」
何で僕に訊くんだよ。
そう思ったけど、シフォーの目は真剣だった。
「良く考えてくれ。あのお屋敷のことは、この中じゃ坊ちゃんが一番詳しい」
そりゃまあ、僕の家だし。ほとんど丸一日をそこで過ごしているわけだからな。屋敷についてだったら、ひょっとするとお母様よりも詳しかったりするのかもしれない。何しろ普段は大人が入らないような場所であっても、一通りは探検済みだ。
「あいつらは裏山の抜け道から逃げようとしていた。交渉が上手くいったとしても、正面から出ていったらあっという間に捕まるからだ。話がどっちに転んだとしても、この抜け道から逃げ出す算段だったはずだ」
人質を取って、身代金を手に入れたとしても、うまく逃げられなければ意味がない。だから、この抜け道を脱出経路として確保しておく必要があった。
仮に、交渉が上手くいったとして、賊たちは人質である僕をすぐに解放しただろうか? それはない。逃げる時間を稼ぐのにも使うだろうし、ひょっとしたら、更に金を引き出すための材料にもできるかもしれない。
だとすると、人質はこの抜け道から逃げる際に、すぐに運び出せる場所に置いておくんじゃなかろうか。
「裏庭の何処かだ」
落ち着け、僕。いいところまで辿り着いた気がする。裏庭には、何がある? 一番目立つのは、お母様の温室。大きいけど、中は蒸し暑いし、野菜の葉っぱが茂っていて、あまり人質を閉じ込めておくのには良い場所じゃない。もっと単純で、狭くて、監禁しておくのに便利なところ。
それは。
「・・・物置だ」
間違いない。ハンナはそこにいる。
むくり、と身体を起こす。あいたたた。そこら中が痛い。それにしても、随分強く縛ってくれたものだ。これ、絶対跡がついてるよ。
結構時間が経ったと思うんだけど、外からは何の物音も聞こえてこない。どうなっちゃったのかな。フランシス、無事でいてくれてるのかな。
私がここでこうして生きているってことは、多分入れ替わりについてはまだバレていないんだよね。それも時間の問題か。フランシスがここにいないって判れば、下女一人の命なんて大したことないもんね。
護衛兵が突入してきて、私はヤケクソになった賊にブスリ。はぁ、短い人生だったなぁ。
いっぱい泣いたら、なんだかお腹が空いて、冷静になってきた。悲しんでいても何も始まらないもんね。今はとにかく、フランシスのふりを続けよう。本物が出てきたとしても、こっちが本物だって言い張っておけば、少しぐらいは時間が稼げるでしょう。その間に打開策が練れればって、身動きができないとどうしようもないよなぁ。
私は身体を芋虫みたいにくねらせて、ドアの方に近付いた。こんな状態だと、外に出たところでどうしようもない、とは思う。まあ、やれることはやっておきたいかな。何もしないで死んじゃうなんて、それこそフランシスっぽくない。
見張りって、やっぱりいるのかな。そりゃそうだよね、大事な人質だもん。どうしようか。「トイレ」とか言ってみる? あれ? 口まで塞がれてて、どうしろっていうんだ? ひどい、女の子にこんな仕打ちするなんて。
・・・フランシスは男の子か。いや、男の子だから良いって話では全然ない。ひどさレベルに変化なし。
ドアに体当たりしてでもアピールして、せめてここから出してもらわないと。小さなことから、こつこつと。
よし、ドアの前についた。それじゃ、せーの。
「ぐわぁ」
・・・ぐわぁ?
なんか今、悲鳴みたいなのが聞こえたんですけど。え? 私のせい?
ドアに体当たりしたら、向こうにいる見張りの人が倒れたとか? 何、その特殊能力? 私、実はすごかったりとかする?
じゃあ、一人ずつドアの前におびき寄せてきて、片っ端から「せーの」「ぐわぁ」っていけるかな。無理か。
っていうか、手足が縛られてるからドアが開けられないし。外がどうなっているのかも、さっぱり判らない。
ん、なんかごそごそと音がするな。ドアの向こうからか。開けようとしているのかな。
よし、開くのと同時にもう一回「せーの」だ。私の特殊能力発動。いけっ!
「うわっ」
がちゃ、とドアが開いた途端、私はそこにいた人影に向かって体当たりした。どすーん、ばたーん。ほとんど倒れこむような感じだったけど、十分に強力だったはずだ。ムキムキの大男にどの程度通じるのかは判らないが、せめて一矢ぐらいは報いてやりたい。
どうだ、強盗犯め。
「・・・ハンナ、重い」
え?
え?
ええええええええ!?
びっくりしている横から、何本かの手が伸びてきた。そのままひょい、と担ぎ上げられる。え? ちょっと、何が起きているの?
「ごめん、騒がれるとマズいんだ。まずは一旦ここから離れよう」
フランシス。フランシスだ。
やっぱり、何度見てもフランシス。私の格好をしているフランシス。
まだ驚いてる。心臓がどきどきしている。ねえ、これ、どういうこと?
「抜け道をおさえるのは数名で良い。残りは突入だ。あと四人、逃がすな!」
フランシスの指示を受けて、護衛兵の人が何人も走っていく。それを見送りながら、私は誰か――多分護衛兵の人の肩に載せられたまま、抜け道から屋敷の外に出た。
すぐ目の前には、フランシスがいる。私を勇気付けるように、しっかりと見つめてくれている。
フランシス。やっぱり、フランシスだ。
「ハンナ!」
「ハンナちゃん!」
聞き慣れた声がした。サンドラとナディーンだ。私は二人の前によいしょって降ろされた。二人とも、ぼろぼろ泣いて、私に抱き着いてくる。「良かったね」って、何回も繰り返している。
「ハンナ」
フランシスが、私の横に立った。もがもが。すぐに察して、フランシスは私の口に噛まされている布をほどいて、ぽいっと投げ捨ててくれた。
ぷはっ。ああ、やっとまともに息ができる。すっきりした。空気って美味しいねぇ。どんな野菜よりも、今はこの空気が一番の御馳走だよ。
フランシスを見上げる。私の、女の子の服装をしているのに。
「良かった、ハンナ」
フランシス、どうしてそんなに格好良いの?
「フランシス」
もうびっくりして、それ以上の言葉が何も出てこない。だって。
本当に、フランシスが助けにきてくれたんだから。
ねぇ、フランシス。
私、もう助からないかも、って思ってた。
これは、フェブレ公爵邸に入った野菜泥棒の、罰なんだろうなって。
私、ずっと楽しかった。
フランシスに会って、野菜料理を食べて、オリビエさんに会って、シフォーさんに会って。
毎日こんなに楽しくて良いのかなって、ずっと疑問に思ってた。
だから、今日、フランシスの身代わりになって捕まっちゃった時にね。
しょうがないな、って。
私、もう一生分の幸せを、使い切っちゃったのかなって。
そう、思ってたんだよ。
あ、シフォーさんもいたんだ。フランシスにナイフを渡している。フランシスは私の後ろにしゃがみ込むと、手足を縛っているロープを切ってくれた。それって、結構力がいるはずだよね。フランシス、逞しくなった?
ふう、これで自由になった。手首を見ると、やっぱり縄の跡がある。うう、痣になりそう。人質って、もうちょっと丁寧に扱うべきだよ。
でもこれで、サンドラとナディーンを抱き締め返してあげられる。二人とも、心配かけてごめんね。ぎゅう。
それから、フランシス。
「ごめんな、ハンナ」
え?
どうしてフランシスが謝るの?
「こんな怖い目に遭わせてしまって、ごめんな」
そんな、今にも泣き出しそうな顔をしないで、フランシス。
私は首を横に振った。
フランシスが謝ることなんて何もない。
私こそ、ごめんなさい。いっぱい心配かけさせてしまって。
それから。
「ありがとう、フランシス」
心の底から、ありがとう。
お屋敷の方で、護衛兵の勝どきが聞こえた。どうやらお掃除は終わったみたいだ。お仕事、お疲れ様でした。
賊は六人とも捕らえられた。やれやれ、あっけないものだ。帝国から流れてきたならず者ということだ。これから街の牢獄でたっぷりと絞られることになるだろう。
他の使用人たちも、屋敷のいたるところで監禁されていた。ハンナに言われてオリビエのことが心配だったが、どうやら命に別状はないらしい。年寄なのに、最後まで賊に抵抗していたとのことだ。無茶しやがって。
屋敷内の安全が確認されて、僕らは正面玄関から表に出た。割れんばかりの歓声。それに応えようとして、僕は自分がハンナの服装をしているままなのに気が付いた。
どうしよう、と思っていたら、ハンナが元気に観衆に向かって手を振ってみせた。おいこら。いつからそっちがフェブレ公爵家の御曹司、フランシスになったんだ。ぺろって舌を出したハンナが可愛かったので、僕は特別に許すことにした。じゃあこっちは丁寧に一礼でもしておけばいいか。フランシス坊ちゃんを救出した、勇ましい少女ハンナだ。ちくしょう。
そんな僕たちに向かって、真っ直ぐに歩いてくる人がいる。
お母様。
並んで立っている僕とハンナを、お母様はじろじろと見比べた。そして一つ溜め息を吐くと、真っ直ぐに僕の方を向いた。
「こんな入れ替わりで、よく誤魔化せたものです」
「私、ハンナです」
お母様がぎょっとする。ははは、冗談です。このぐらいは言ってやらないと気が済まない。僕がにやにやしているのを見て、お母様は顔を真っ赤にした。頭のてっぺんから湯気でも出てきそうな勢いだ。
「とにかく、こんな遊びは金輪際ここまで、おしまいです。いいですね!」
それだけ言い捨てると、お母様は僕の横をすり抜けて屋敷の中に入っていこうとした。まあ、そうだろうな。予想はできていたことだ。僕は拳をぎゅっと握りしめた。
「あの!」
ハンナが振り返って、お母様に呼びかけた。お母様の足が止まる。その場の空気が、ぴしっと張りつめた。
「フェブレ公爵夫人のお野菜は、とても素晴らしかったです!」
ハンナが大好きだった、温室の野菜。それはみんな、お母様が手塩にかけて育てたものだ。お母様はしばらくその場に立ち尽くしてから。
「当然です」
そう応えて、再び歩き出した。ざわり、と召使いたちの間に動揺が広がった。お母様が、フェブレ公爵夫人が、下女の言葉に返事をなさった。これは結構とんでもないことだ。
屋敷の中に消えていくお母様の背中を見送りながら、ハンナは満足げに微笑んだ。
「良かった。フランシスのお母様に、やっとこのことをお伝えできた」
ずっとお母様の野菜を食べてきて、ハンナはどうしてもそのことを伝えたかったのだろう。野菜が大好きなハンナにとって、お母様の野菜は格別に素晴らしいものだったって。
僕はハンナの手を取った。もう陽が落ちようとしている。今日の晩御飯は、残念だけどハンナに御馳走してあげることはできない。いや、ひょっとしたら。
もう二度と、ハンナには野菜料理を食べさせてあげることはできないかもしれない。
「ハンナ、お別れだ」
「うん、フランシス」
服を着替える必要はあるかな。僕は自分の服装を見下ろして笑った。ハンナも笑っている。あの、とても素敵な笑顔。ハンナにしか出来ない、僕の大好きなハンナの笑顔。
大丈夫、僕たちは同じセレステの街にいる。
だからきっと、また会えるよ。
また会おうよ。
ハンナ。
大好きだよ、ハンナ。
もうすっかり暗くなった道を、三人で並んで歩く。事情聴取ということで、私たちはついさっきまで護衛兵を相手に色々と話を訊かれていた。
屋敷の裏にある抜け道は、どうもあの一角獣の間のお客様が、たまたま私が通るところを見かけていたらしい。なんてことだ。結局自業自得じゃないか。悪いことはできないってことだ。
フェブレ公爵邸の温室に忍び込んだことについては、公爵夫人から不問にするとのことだった。お咎めなし。そうか。相応の罰は受ける覚悟だったんだけどな。
「それにしても、フランシスってフェブレ公爵家の御曹司だったんだね」
サンドラはそのことを今日初めて知って、かなり驚いた様子だった。
「えー、この街で野菜って言ったらフェブレ公爵の所だから、そうじゃないかな、とは思ってた」
ナディーンの方は、なんとなく気付いてはいたらしい。だとすると、メラニーさんもかな。領主さまの一人息子に宿の手伝いをさせるとか。『至高の蹄鉄』亭は恐ろしい宿だ。
「玉の輿じゃん。すごいね、ハンナ」
うーん、そうは言われましても。
「多分、もう会えないよ」
今回、野菜泥棒の罪を問わないとしたのは、これ以上関わるな、ってことだとも思うんだよね。それに、あの抜け道も、そのまま放っておくってことはないでしょう。
フランシスも言っていた。お別れだって。今までみたいな入れ替わり生活を送ることはできない。残念だけど、フェブレ公爵家の野菜料理ともさようならだ。
「ううん、そんなことない。きっとまた会えるよ」
ナディーンが、にっこりと笑った。うん、そうかな・・・そうだよね。
私も、フランシスも、同じ空の下、このセレステの街にいるんだから。
ああ、でもフランシス、私に会えなくなったからって、お部屋のお掃除とかサボらないだろうなぁ。せっかく綺麗にするようになったのに、またごちゃごちゃになったら大変だよ。
あと、『お母様の野菜の日』だ。あれ、この後はどうなっちゃうんだろう?
フランシスは、野菜が嫌いだってお母様に言っちゃったみたいだし。それでも何事もなかったかのように続けるのかな?
しかも一日三食のままで?
いやいやいや、それはないとは思いたい。
仮にそうなんだとしたら、私、フランシスにいっぱい恨まれそう。お前のせいで一日三食野菜食わされるー、とか。困ったな。だからって、野菜料理をやめてあげてください、とも言えないしな。
空を見上げると、きらきらと星が瞬いている。
いつだったか、フランシスが野菜の星がどうとか言ってたような。えーっとじゃあ、野菜の星にいる、野菜の神様。
どうか、フランシスが野菜を好きになってくれますように。
そして、お母様と一緒に、楽しい食卓を囲むことができますように。
みんなに幸せを、特に、フランシスに。
私の大好きな、フランシスに。




