走れ!
一角獣の間の客室清掃は、なかなかに手間取った。サンドラと二人で、ぐちゃぐちゃと文句を言いながら、最後に綺麗にベッドメークをする。ふわり、きゅっ、しゃーっ、ぴしっ。よし、完璧。
さて、これでようやく肉団子の残りを食べることができる。誰か間違えて片付けたり、横取りとかしてないだろうな。シフォーとか、あいつ意地汚いところがあるからな。
休憩室の前までやってくると、なにやら酒場の方が騒がしい。まだ陽が高いのに、酔っ払いでもくだをまいているのか。そういやシフォーがワインを取りに来ていたな。いい加減にしてくれ。一角獣の間の迷惑客がいなくなって、こっちはようやく一息ついたところなんだ。
そうじゃなくても、一角獣の間では気味の悪いものを見てしまった。あれは何だったんだ。帝国系の人間だって言ってたな。僕の家の間取り図なんかで、一体何を企んでいるんだ。
酒場を覗いてみると、やっぱりシフォーだった。メラニーさんと、親方さんを相手に何か熱心に話している。金がないのか、何かを壊して弁償とでも言っているのか。どうせロクなことじゃない。素通りしてしまおうと思ったら、目ざとく見つけられてしまった。あーあ。
「フランシス、大変だ!」
おいこら。ここではハンナだろうが。他の従業員もいる前で、僕のことをフランシスと呼ぶな。お前の大好きなハンナちゃんだろうが。
「シフォー、私はハンナなんだけど?」
「それどころじゃない!」
息がワイン臭くない。シフォーは酔っぱらっていないみたいだった。メラニーさんも、すごく真剣な顔をしている。
え?
ちょっと、何が起きているんだ?
なんだよ?
「何? どうしたの?」
「いいか、フランシス、落ち着いて聞くんだ」
落ち着いているよ。僕が見る限り、冷静じゃないのはシフォーの方だ。なんでそんなに目が泳いでいるんだ。なんですぐに話し出さないんだ。どうしてそんなに言葉を選んでいるんだ。
話せよ。
早く話せよ。
話してくれよ!
「フランシス、たった今聞いた話だ。フェブレ公爵邸に賊が侵入して・・・」
賊?
賊ってなんだよ?
悪い奴か? 怖い奴か?
それが、僕の家に、なんだって?
「一人息子のフランシスを人質にして、立てこもっているのだそうだ」
・・・フランシスを、人質に?
それはおかしいじゃないか。
だって、フランシスっていえば僕のことだ。
フェブレ公爵家の御曹司。身代金でも欲しいなら、僕が人質にならないとおかしい。
でも、フランシスが人質になっているって?
僕じゃない一体誰が、フランシスだっていうんだ。
捕まって、人質になっているって。
フェブレ公爵家の、僕の部屋にいたのは。
「待て、フランシス!」
うるさい、黙れ。
なんだそれ。なんだよそれ。
どうして今日なんだ。どうして今なんだ。
胸の奥が熱い。痛い。
とにかく急がなきゃ。走らなきゃ。早く、早く帰るんだ。
だって、今日は楽しい日なんだ。『お母様の野菜の日』なんだ。
部屋の掃除は今まででも最高の出来栄えで、口出しされるところなんて一つもない。一日ゆっくりとくつろいで、後は美味しい野菜料理を食べて。
また来週って、笑顔で言ってくれる。そういう日なんだ。
「ハンナ!」
僕は思わず叫んでいた。だって、今日、僕の部屋にはハンナがいたんだ。
僕の代わりに、僕の部屋にいて。僕の代わりに、賊に捕らえられて。
僕の代わりに、怖い目に遭うだなんて。
僕は、そんなこと少しも望んじゃいない。
嫌だ。嫌だ!
速く! もっと速く!
人でごった返すセレステの大通りを、僕はなりふり構わずに走り続けた。
一刻でも早く、ハンナの下に駆けつけたかった。
暗い。ここは何処だろう。よく判らない。気を失っていたのか。段々意識がはっきりとしてくる。
床が見える。私、横になってるんだ。起き上がろうとして、手足が動かせないことが判った。そうか、縛られてる。口にも何か噛まされている。息が苦しい。うーうー、って、そんな声しか出せない。
オリビエさん、大丈夫だったかな。ひどい怪我だったし、血も沢山出ていた。それなのに、蹴り飛ばすなんて許せない。メラニーさんがいてくれれば、あんな奴一発で倒してくれたはずだ。
とりあえず、私は人質。向こうが私をフランシスだと思っていてくれている限りは大丈夫。
・・・なんだけどね。それって、いつまでもつかな。
フランシスも大変だな。お金持ちって、こういう災難にも遭うんだ。楽じゃない。フランシスじゃなくて良かったと思う。フランシスだったら、いっぱい文句を言って、無駄な抵抗して、もっと殴られて痛い思いをしてたんじゃないかな。威勢だけは良いからな。
そうだ。私が身代わりになったから、フランシスは助かる。領主さまの息子だもの、何かあったら一大事だよね。宿屋の下女が一人犠牲になることで、フランシスが無事で済むのなら、安いものだ。
これって、罰なのかな。野菜泥棒して、身分不相応にフェブレ公爵邸に入り込んで。フランシスに、好きとまで言われてしまった、私への罰。
ううん、これでいいんだ。最後に、私はフランシスの身代わりになれたんだから。ありがとう、フランシス。ちゃんとお礼を伝えたかったけど、これももう難しいかな。
正直に言うとね、ちょっと怖い。
大きくて強そうな男の人たちに囲まれて、「お前がフランシスか」って聞かれた時ね。
思わず「違います」って応えそうになっちゃった。
フランシスなら、そんなことは言わないよね。フランシスなら、きっと胸を張って、こう言うんだ。
「無礼者! 貴様たちは何者か!」
笑われた。すっごい大きな声で、バカにしたように笑われた。
でも、それで私はほっとした。大丈夫、この人たちは、私のことをフランシスだと信じて疑わないって、そう感じたから。
今、私はフランシスなんだ。私がこうして捕まっていれば、本物のフランシスは無事で済む。後はこの犯人たちが捕まってさえしまえば、万事解決だ。
・・・まあ、その時私がどうなっているかは、見当もつかないけどね。
それにしても、退屈だな。結局何もできないで転がっているという状況には変わりはないんだもの。やっぱり私は『至高の蹄鉄』亭の方が好きだな。
あっちなら、みんながきっと助けてくれるって信じられるから。ここでは、誰が助けてくれるんだろう。
縛られて、悲鳴も上げられなくて。
私、これからどうなるのかな。
フランシス。
怖いよ、フランシス。
お願い、何か考えていないと、怖くて泣いてしまいそうなの。
フランシス。
お願い、助けて。
屋敷の前は、黒山の人だかりだった。野次馬どもめ。一体今はどんな状況なんだ。ハンナはどうなったんだ。僕は人垣を乱暴に押しのけて、ぐいぐいと前に進んだ。
門の近くまで来ると、見慣れた馬車が停まっているのが見えた。その横で、街の護衛兵と何やら言い合っているやり取りが聞こえてくる。ああ、間違いない。
「お母様!」
僕の声を聞いて、お母様がこちらを向いた。今日は何処かの貴族の奥様方と、お茶会だかなんだかの予定だったはずだ。屋敷に賊が入ったという知らせを受けて、急きょ戻ってきたのだろう。
「フランシス! あなたどうやって!」
紫のびらびらとしたドレスをはためかせながら、お母様は僕の方に駆け寄ってきた。それから、急停止してじろじろと僕の姿を眺めまわす。
「フランシス、よね?」
ああそうか、今、僕はハンナなんだっけ。
「そうだよ。ちょっと事情があってこんな格好だけどね」
「まああ、フランシス! 無事で良かった!」
そして、今度こそむぎゅう、と抱き締められた。勘弁してくれ。お母様に会えたのは嬉しいけど、今はそれどころじゃないんだ。
かいつまんで、僕は事情を説明した。僕とハンナは、理由があって週に一度入れ替わっている。今日はたまたまハンナが屋敷にいた。今捕まっているのは、僕の格好をしたハンナなんだ。
お母様は一通り話を聞き終えると。
愉快そうに笑い声をあげた。
「なんと愚かな賊でしょう。フランシスと間違えて下賤な娘を捕らえるとは。ではそんな者などには構わずに、屋敷に踏み込んでしまえばよろしい」
な。
なんだって?
「ちょっと待って、お母様。そんなことをしたらハンナが」
「そんな下女のことなど、知ったことではありません」
ぴしゃりとそう言い切ると、お母様は僕のことを厳しく睨みつけた。
「本来なら、このセレステの街の領主であるフェブレ公爵家の屋敷に入り込むなど重罪です。それが、フランシスの身代わりになれるというのですから、むしろ名誉に思うべきでしょう。命をもってその罪を償ったと、そう解釈すればよいのです」
罪?
確かに、ハンナはお母様の温室に入り込んで、野菜を盗み食いした。
でも、だからって。
「すぐに兵を突入させましょう。護衛兵、ここへ!」
だからって、ハンナが僕の代わりに死んで良いだって?
「彼らの捕らえているフランシスは偽物です。遠慮はいりません。抵抗するなら全員その場で殺してしまいなさい」
そんなわけ。
「人質の子供は下女です。構う必要はありません。フェブレ公爵家にたてつく愚かさを思い知らせてやりなさい」
そんなわけ、あるか!
「やめろ!」
お母様が、護衛兵たちが。
一斉に動きを止めて、僕の方を見る。
僕は怒りに肩を震わせながら。
じっと、お母様の姿を凝視していた。
「フランシス、今何と言いました?」
「やめろと言ったんです。お母様」
お母様の顔が歪む。そうですね、僕がお母様の言うことを、こんな風に否定するのは、初めてですものね。
「ハンナは僕の大切な人です。絶対に助けます。無理な突入なんてやめてください」
お母様、こればかりはどうしても譲れないのです。僕の代わりにハンナが人質にされている。これだけでも十分に苦しいのに。
「フランシス、高々下女一人の命です。大したことではありません」
「今捕らえられているのは、ハンナなんです!」
ハンナが、僕の代わりになって死ぬなんて、絶対にあってはならないんだ!
「下女一人とおっしゃいましたね、お母様」
薄汚い格好で、温室に忍び込んで、野菜を齧っていたハンナ。
「お母様、今日が何の日かご存知ですか?」
美味しいって言って、眩しい笑顔を浮かべて。
「『お母様の野菜の日』ですよ? ハンナが何故、この日に僕と入れ替わっているか、判りますか?」
野菜料理を食べて、嬉しそうにしていたハンナ。
「お母様、僕は野菜が大嫌いなんです。野菜料理なんて、見たくもない」
お母様が、息を飲んだ。
温室で、一つ一つ手塩にかけて育てられた野菜たち。僕は、そんな野菜に興味なんかこれっぽっちも持っていない。
「ここしばらく、お母様の野菜を美味しい美味しいって言って食べていたのは」
野菜が大好きで。
野菜を食べている時の笑顔が、何よりも素敵な。
「あそこで捕らわれてるハンナなんです」
僕は、屋敷の方を指さした。
今、ハンナはどうしているだろうか。怖い思いをしているだろうか。泣いてはいないだろうか。
僕は、ハンナを助けたい。いや。
絶対に、助けなきゃいけないんだ。
「お母様は、そんなハンナを、ただの下女だとおっしゃって見殺しにするのですか?」
「なんと・・・」
お母様はそれだけ口にすると、よろよろと後ずさった。何人かの召使いがその身体を支える。青白い顔で、ぶるぶると震えながら。お母様は、何も言わずにうなだれた。
「しかし、ではどうされるのです?」
護衛兵が、痺れを切らしたように話しかけてきた。
「賊は何人いるのかも、どのようにして屋敷に侵入したのかも判っておりません。突入するにしても、もう少し情報が必要です」
そうか、正面から押し入ろうとすれば、屈強な門番がいたはずだ。賊たちはどうやって屋敷に入り込んだんだろう。
・・・って、そういうことか。奴ら、僕たちと同じ方法を使ったんだ。
「見当はついている。僕が案内するから、お前たち、半分を残して後は静かについてこい」
裏山だ。ハンナが屋敷に潜り込む時に使っている抜け道。どうやってかは知らないが、賊たちはその情報を得て、侵入路として利用したに違いない。
軽はずみに突入なんてしなくてよかった。下手をしたら、そっちからまんまと逃げられてしまうところだった。そうなったら、ハンナを助けることは更に難しくなっていただろう。
「フランシス」
お母様が、僕の名前を呼んだ。まだ一人では立っていられないのか、召使いが肩を支えている。
「お母様」
僕は子供です。お母様の言うことには、本当なら従わなければならない。しかし、それでも。
「ハンナを助けに行ってきます」
僕は、男なんだ。




