番外編1 3ポイントにかける気持ち〜桜side〜
空は青い。
窓の外から見える景色はこんなにも晴れ晴れしているのにあたしの気持ちは未だに曇り続けている。
この前まではあいつの隣にいるのはいつもあたしの特権だったのに。
「…ちゃん、さっちゃん?」
「…へっ」
突然の呼びかけに驚き声のする方を向くとそこには日比谷 柚花ことゆかりんがいた。
「『…へっ』じゃないよっ。点差が開きそうだから第3クォーターの頭からさっちゃんが私と代わって出てって監督が」
「う、うん」
「小清水。最近調子があんま良くないのは知っとるがな、お前の力が必要なんやほんま頼むで」
監督は頭を掻きミーティングに戻る。
「相手の突破力はこの地区でも最高峰や。せやけどタッパはこっちの方があるんや。後半からはゾーンで対抗するで。小清水には外からガンガン狙って貰うからな」
「は、はいっ」
「ほんじゃお前ら行ってこい!」
点数は24-29。
ここで点数を取らなきゃ。
味方からのパスを貰った私はスリーポイントシュートを打つ。
が、リングに当たったボールは相手にリバウンドされ速攻を掛けられる。
カウンターに対処できず相手のレイアップはゴールに吸い込まれる。
味方からのパスを貰うとあたしにはダブルチームがついた。
あたしは構わず突破しようとした。
「アカン!小清水、それはワナや」
突破した先にはもう1人のマークが待ち構えていた。
「ト、トリプルチームっ」
慌ててバランスを崩し、そのまま頭から落ちる。
朦朧とする意識の中であたしの視界に飛び込んだのは応援席から心配そうに駆け寄ってくるタカの姿だった…。
〜〜〜〜〜
『おい、いじめなんてカッコ悪いことしてんじゃねーよ!』
小学5年生の頃あたしはいじめられていた…。
当時小5の時点で小学生離れの身体をしていたあたしは自分の意思とは別に大きくなる胸にコンプレックスを感じていた。
そのことで男子からはいじめられ女子からは疎まれあたしには居場所がどこにもなかった。
しかし、転校して来たばかりの小鳥遊 孝也という少年はあたしのことを好奇の目で見ることなく助けれてくれた。
しかし、あたしを助けたことにより次は小鳥遊くんがイジメの対象となってしまった。
昼休み小鳥遊くんはいじめグループのボスだった皆藤くんに屋上で呼び出された。
心配になって見に行ったあたしの目に飛び込んで来たのは反撃も何もせず複数人から無抵抗に暴力をうける少年の姿だった。
『おい、小鳥遊!俺のかーちゃんはな、この学校のぴーてぃーえーって言ってめっちゃエラくて、とーちゃんはお前のとーちゃんが勤めてる会社のしゃちょーだぞ!あんまちょーし乗ってるとチクってやるからな!』
その後いじめはずっと続き1週間が過ぎようとしていた。
そんなある日の放課後、いつものように小鳥遊くんをいじめようと皆藤君たちが小鳥遊くんの席へ集まったかと思うと皆藤くんは何もせずにただこう告げた。
『おい、小鳥遊。お前も一緒に小清水をいじめろ。なんかお前の反応つまんないし、今心を入れ替えるって言うんならもういじめないでやるよ』
あたしはそれで良かったと思った。
これ以上、小鳥遊くんがいじめられるのを見るのも見ていて何も出来ないのも嫌だった。
ならいっそ1人でいじめられていた時の方がマシだった。
しかし、少年の口から出てきたのは強く鋼のように硬い意志のこもった言葉だった。
『ふざけたことを言うな!僕は君たちに何度だって言い続けるよ。いじめなんてカッコ悪いことはもうやめろ!』
『…ああ、そうか。ならもういいや。俺のとーちゃんに行ってお前のとーちゃんなんかクビにして貰うからなっ!!覚えとけよ!』
そのまま皆藤くんたちは走って帰ってしまった。
『あ、あのっ…』
そして振り向いた彼の表情は言ってしまって後悔している顔でも言い切ってやったと言わんばかりの清々しい顔でもなく、いつも通りの当たり前だと言わんばかりの顔だった。
『ほ、本当にごめんなさい。あたしのせいで…』
『なんで君が謝るんだい?君はなんか悪いことをしたのか?』
『そ、それは…』
『だったら謝るな。僕だって自分のしたことが間違っていたとは思わない。だから絶対謝らない』
そう言って小鳥遊くんはランドセルを背負い教室を後にした。
あたしにはそんな彼の姿がまるで正義のヒーローのように見えた。
結局、翌日には何故か皆藤くんの方が両親とともに小鳥遊くんの家に謝りに行ったらしくそれ以降私も小鳥遊くんもイジメられることは無くなった。
たしか、九条グループというところが皆藤くんの会社と吸収合併し、これ以上小鳥遊の人間にちょっかいをかけるなら皆藤の父親はリストラになるとかそういうウワサがたっていた。
その頃からあたしと心を入れ替えた皆藤くんは小鳥遊くんといつも一緒にいるようになった。
でも、確信を持って言えるのはあたしはその頃まだ小鳥遊くんのことを恋愛対象としては見ていなかった。
あたしの中の小鳥遊くんは完璧で完全で全てが彼1人で成立している存在だった。
だから、恋愛対象にするのもおこがましいとすら思っていた。
しかし、そんな彼の理想像が崩れ去る事件があった。
あれは小学6年生の夏。
突然小鳥遊くんの父親が息を引き取った。
昨日まで病気のびの字すら無かった父親が突然亡くなったのだ。
死因は交通事故。
飲酒運転をしていた車と衝突したらしい。
小鳥遊くんを正義たらしめていた彼の中の正義の具現者であった父親の早すぎる死に、彼がどれだけの影響を及ぼされたのかは言うまでもないことであった。
当時の彼には生きる希望が無かった。
とりあえず、生きてるから生きてみる。
とりあえず、学校には行かなくてはならないから行ってみる。
そんな感じだった。
あれだけみんなの輪の中心にいた人間が、あたしの中の正義のヒーローはこんなに変わってしまうのかという戸惑いがあたしの心の中に渦巻いた。
そしてその時初めて気が付いた。
小鳥遊 孝也という少年は正義のヒーローなんかではなくただの1人の人間だってことを。
小鳥遊 孝也は完璧でもなければ完全でもなく全てが彼1人で成立もしていない。
しかし、そのことに気付いて初めて彼のことが愛おしくてたまらなくなった。
『小鳥遊くん、小鳥遊くん。……タ、タカァー!!』
あたしが突然大声をあげると小鳥遊くんはびっくりした表情で見てきた。
『あ、あんたには優羽ちゃんがいるでしょ!おとうさんがいない今誰が優羽ちゃんのおとうさんになってやるのよ!!』
あたしは彼が自分1人では成立できない、誰かに依存しなきゃ生きていけない人間だと知っている。
だから、だったら他に依存する相手を作ってしまえばいい。
『おとうさんがいない今、優羽ちゃんのおとうさん代わりになって悪から優羽ちゃんを守ってあげられるのはタカだけなんだよ!!…そ、そしたらあたしが優羽ちゃんのお、おかあさんに…なってあげても…いいよ』
そして少しでもいいからあたしに依存してくれるようになれば…。
『…そうだな。そうだよな!』
そう言って微笑む彼の顔をあたしは独り占めしたくなった。
〜〜〜〜〜〜
意識の戻ったあたしの視界に最初に入ったのは近くにいたチームメイトの心配そうな顔ではなく少し遠くから安心したように微笑む彼の顔だった。
ああ、良かった。
貴方はまだあたしにその顔を見せてくれるんですね。
貴方はまだあたしに依存してくれてるんですね。
「おい、桜大丈夫か?監督は脳震盪だろうって」
駆け寄ってきたタカの視界には今あたししかいない。
「ねぇ、タカ」
「な、なんだ?」
「私、絶対負けないから」
「お、おう。頑張れ」
タカと入れ違いにゆかりんが駆け寄ってくる。
「今、頑張ってえっちゃん達が食らいついてるけど段々点差が開いてきた!」
スコアを見ると第4クォーターの始め、31-40。
「選手交代や!12番と4番」
あたしがコートに立つ時にはもう迷いは無かった。
聞き慣れたバッシュとボールの跳ねる音だけがあたしを包み込む。
相手のシュートが外れえっちゃんがリバウンドをとる。
「桜ぁ!走れぇ!!」
えっちゃんの声にあたしの足が動き出す。
まだ足元はふらつく。
頭だってガンガンする。
だけど、不思議と嫌悪感は無かった。
ただ、本能の赴くままにあたしの元へ送られてきたボールをゴールへ放つ。
「いやー、まあ惜しかったんじゃないの。相手も強かったし仕方ないよ」
試合が終わった後タカと陽はあたしの元へ駆けつけてくれた。
結局試合は42-44であたしたちが負けた。
「最後の追い上げだって凄かったし!10点差くらいあったんだぜ!」
負けたくなかった。
この試合だけにはどうしても。
今は陽の慰めすら聞きたくはなかった。
「…桜、負けたな」
「お、おいっ。タカ!」
タカの声があたしの頭に響く。
今彼はどんな表情をしているのだろう。
怖くて見ることができない。
「で、今日の桜の敗因は?」
「えっ?」
「だ、か、ら今日の試合についての反省点だよ。僕からすれば1人で点を取りに行こうとし過ぎてた気がするな。相手は桜に多くマークを付けてたんだからもっと味方を頼れば良かったんじゃないか?」
「…怒ってないの?」
「なんで怒るのさ。負けたなら次は勝つためにどうすればいいか考えれば良いだけじゃないか。成功してきた人間はいつだって諦めの悪い奴たちばっかなんだよ」
ああ、またこの笑顔。
この笑顔があたしの恋心を諦めさせてくれない。
ひどい人。
あたしのことなんか好きでないのにこんなに優しくして。
でも、そっか。
負けたのなら勝つまでやればいいのか。
諦めなければまだあたしにもチャンスがあるってことなんだよね。
これからのスリーポイントは貴方への挑戦。
何度外したって最後には絶対決めてみせる。
そして最後には貴方の笑顔を独り占めしてみせる!