喧嘩魚
一刻で、魚籠は鮎で溢れそうになった。
それも新しい釣法のお陰だと、桐山大炊介は、内心でほくそ笑んだ。
先日、近郷の百姓に〔鮎の友釣り〕というものを教えてもらったのである。
この釣法は、鮎の縄張りに囮とする鮎を侵入させ、追い払おうと体当たりしてきた所を鈎で引っ掛けるというもの。喧嘩魚と呼ばれる鮎の習性を逆手に取ったのだ。
(これを思い付いた奴は、大した策士よの)
釣りを始めたのは、十歳の時。それから四十七年、ずっと毛鉤を用いる〔ドブ釣り〕でやって来た。釣りは好きだが、巧いとは我ながら言い難い。坊主の日も珍しくないほどだ。勿論、家の者もその腕前を知っていて、釣果に期待しない。むしろ、釣って帰ると驚くどころか、どこかで購ったのかと疑う始末である。
その自分が、この釣果。人生も黄昏を迎えようかとする時に、このような釣法に出会うのも、人の世の皮肉というものであろう。
山内藩の南を流れる、渓流である。秋の暖かい陽気だが、大炊介以外に太公望の姿は無い。
(さて、もうひと働きするかの)
大炊介は竿を仕舞うと、冷えると痛くなる腰を二回拳骨で叩いた。
道具箱には、釣り具の他に塩や長串を忍ばせている。鮎はその場で食うのが一番旨いのだ。
まず、鮎を粗塩で揉み洗う。これで、川魚特有のぬめりを取るのだ。この作業を不要だと言う者もいるが、釣りを教えてくれた義父は、このぬめり取りを丁寧にしていた。
(思えば、義父と最後に釣りをしたのはいつだったかのう……)
確か十五の秋だったか。義父は十六になった正月に、一揆の責任を負って切腹したので、十五で間違いない。
義父が切腹した事については、納得をしていた。郡奉行だった義父は、首席家老・三瀬図書の命令で民百姓から種籾すら搾り取る苛政に加担し、山内を揺るがした大一揆を引き起こしてしまったのだ。為政者の一人として、その責任を負う事は当然であり、それが武士の在り方だと思える事が出来た。しかし、当の図書には何のお咎めも無かった。それが、大炊介には許せなかった。
幾ら三瀬家が、藩主・神代家に連なる名門とは言え、これでは蜥蜴の尻尾切り。武士の風上にも置けない図書に復讐を誓ったあの冬が、武士としての始まりだったと、今になって思える。
(おっと、手を動かさねばな)
思い出したくもない、遠い記憶。それを頭から振り払い、今度は鮎の腹をしごいて糞を絞り出した。これをしないと、鮎と一緒に砂を喰う羽目になる。
串は、踊り串に打った。串を口から入れ、鰓から一度串先を出し、それから縫うようにして、尻尾の後ろから先が抜けるように刺す。他にも串の打ち方はあるが、大炊介はこれしかしらない。
四半刻で全ての鮎に串を打ち終えると、大炊介は瓢の酒に口を付けた。
喉が鳴る。秋を迎えたとは言え、陽が中天に差し掛かると汗ばむほどの陽気なのだ。
「酒は残しておかねば、奴に叱られるな」
そう呟き、道具箱から塩を取り出した。塩はぬめり取り用の他に、一度焼いた塩も持参していた。身に振りかける塩は、焼いて水分を飛ばした方が具合はいい。
大炊介は串を持ち、一尺ほどの高さから塩を振りかけた。量は、塩辛く感じない程度。この量を誤ると、鮎の風味や香りが失われてしまうから難しい。満遍なく振り終えると、鰭と尻尾に化粧塩を施した。これで焦げを防ぐのだ。
後は、焼くだけである。強火だが遠火。一刻ほど掛けて、じっくりと焼く。勿論、その間も鮎から目を離してはいけない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「大炊介、待たせたな」
声がして振り向くと、懐かしい顔が立っていた。
千葉多聞である。首席家老の地位にあり、城中では裃で偉そうに振る舞っているが、今日の格好は編笠に軽衫と、隠居の好々爺とも見える気軽な格好だった。
「遅いぞ、多聞。お陰で、一人で用意してしもうたわい」
「すまぬ、すまぬ。一藩の宰ともなれば、色々忙しいのだ」
苦笑いをする多聞に、大炊介は鼻を鳴らした。この男は、今や山内藩五万石を支える大人物となっているらしいが、遅刻癖は昔から変わらない。
「鮎か」
「そうじゃ。まずは、これで腹拵えと思ってのう」
焚火の傍に腰を下ろした多聞に、大炊介は瓢を差し出した。
「おお。喉が乾いて堪らん。ここまで来るのは骨だったぞ」
「城勤めで身体が鈍っておるんじゃ、お前は」
「歳だ」
「儂はこの通り、身体は衰えておらぬわ」
そうは言ったものの、大炊介も辿り着くまでが大変だった。城下からこの渓流に行くまで、小さい山を二つ越えなければならないのだ。昔は気にもしていなかったが、やはり歳は取りたくない。
鮎から、芳ばしい香りがしてきた。そして、鰓や口から脂が染み出してくる。それが下に零れ落ち、焼ける音もまた堪らない。
「この香りがいいのう、多聞」
「昔は、二人でよく食ったものだ」
鮎の香りが、元服前の剣と恋に燃えていた、遠い昔日を思い出させた。
多聞とは、十歳で桐山家に養子入りしてからの付き合いだった。屋敷が隣同士だったのだ。共に学び、剣を競い、釣りにも出掛けた。傾城街で女を覚えたのも、一緒だった。
親友なのだ。図書への復讐も、共に誓ってくれた。
「そうだの……」
あれから二十年後。共に若年寄に昇進すると、その復讐を遂げた。謀略に次ぐ謀略で図書を失脚させると、かつての一揆に対する罪を問い腹を切らせたのだ。
二人で、図書の切腹を検分した。あの時、図書が最後に言った言葉が、今でも耳に残っている。
「若造共。いずれ、お前達のいずれかが、この場に座る事になろう。それも、もう片方の手によってだ」
思えば、多聞との関係が変わったのも、あの瞬間からだった。共に中老になると、今度は出世競争が始まった。首席家老の座は一つ。どちらかが、屈するしかない。自分も多聞も、お互いの意地と若さ故の野心から、引く事が出来なかった。
二人の出世競争が家督相続と絡み、御家騒動の寸前まで発展した。結果として、敗れたの大炊介はだった。次期藩主にと多聞が担いだ神代親利が、幕府の命で家督を相続したのである。
親利の命で多聞が首席家老になると、大炊介は職を辞し隠居した。何の咎めが無かったのは、多聞が親利に懇願したからだというが、その事について礼を言う気は毛頭なれなかった。勝者の恩情ほど、屈辱的なものはない。
あの時、切腹を命じていればと、つくづく思う。もし腹を切っていれば、今日という日を迎えなかったはずだ。
「食え」
大炊介は、多聞に鮎を差し出した。程よい焦げ目と香りに、多聞が笑顔を見せる。
半刻、二人は鮎を無心で貪った。咀嚼する毎に、口に広がる脂と香り。そして、少し苦みがある腸も、酒を進める旨味がある。
「鮎の茶漬けが食いたいものだ」
多聞が、串を焚火に投げ捨てながら言った。
「そうだの。ほぐした鮎の身を冷や飯に乗せて、出汁をかけてのう」
「薬味は山椒かな」
「いや、儂は山葵じゃ」
「ふむ。どちらも喉が鳴るのう」
「幸い、まだ鮎は残っておる。生き残った方が、鮎の茶漬けを食えるという事にせんかの?」
その提案に、多聞は頷いた。
「やはりやるのか? 大炊介」
「もはや、後に引けんじゃろうて。何人も死んでおる」
「そうだな」
大炊介は、口に残った骨を吐き出すと、刀を手に取って腰を上げた。それを見て、多聞も立ち上がる。
今から、竹馬の友と斬り合いをする。その為に、こんな山奥まで呼び出したのだ。
事の発端は、昨年。大炊介の嫡男、秀一郎が多聞の嫡男・十之介に誹謗された。負け犬の子。腹を切る度胸も無い、と。それに激昂した秀一郎が、十之介に刃傷に及んだ。しかし、十之介は自ら応戦する事無く、五人の取り巻きに命じて、秀一郎をなぶり殺しにした。
その報に大炊介は腹を立て、死を覚悟して多聞に訴えようとした。しかし、それより前に動いたのは、次男である吉次郎だった。兄想いで剣術達者だった吉次郎は、料亭帰りの十之介を襲い、取り巻き共々これを殺害。そして、その場で腹を切ってしまった。
お互い子どもを全員失った今、残された道は、これしかなかった。
「正直、お前が果たし合いを受けてくれると知った時は驚いたぞ」
「見くびるなよ、大炊介。俺は武士だ。ケジメぐらいは知っておる」
「首席家老になって、腹が腐ったと思っていたがの。見直したわ」
「ふん、減らず口め。今日という今日は、お前の息の根を止めてやる」
すると、大炊介は莞爾として笑った。
「つくづく、儂とお前は喧嘩魚よ」
お互いの目が合うと、ほぼ同時に鯉口を切った。
まだ周囲には、まだ鮎の香りが漂っている。何とも不釣り合いな。そう多聞に言いたがったが、大炊介は言葉に出さなかった。
<了>
最後まで読んで頂きありがとうございます。
和モノ布教企画「和食」の為に書き上げた第二弾です。
この短編は、原稿用紙12枚以内にどれだけドラマを料理に絡めて描けるか、試すつもりで書いたチャレンジ作。
鮎は僕の作品によく登場する食材なので簡単だったのですが、ドラマの方が難しゅうございました。
また、このようなチャレンジを修行の為にしたいと思います。
追伸、鯰のすっぽん煮に続き、鮎の塩焼き。川魚ばかりですね(笑)