事情分かるよ
「ごめん! 紗希ちゃんが……」
素早く廊下に飛び出て、どこぞの誰かに謝ろうとした私は、その『誰か』の顔を見て一瞬言葉を失った。
なんて間の悪い。
「……あら、湯北くん」
「久美先輩」
戸惑った顔の湯北くん。えーと、これはどういう状況だ……?
湯北くんが、紗希ちゃんに怒鳴られてるの? 湯北くんラブの紗希ちゃんが、まさか湯北くんに声を荒げる日がこようとは。
状況がつかめなくて紗希ちゃんをチラッと見たら、紗希ちゃんの目からまたボロッと大粒の涙がこぼれ落ちた。さっとうつむいてバチバチッと何度も瞬きをして涙を飛ばすと、紗希ちゃんはキッと顔を上げて湯北くんを睨む。
「ちゃんと気持ち言いなさいよ! じゃないと、許さないんだから!」
泣きながら、それでも気丈にそう言い捨てて、紗希ちゃんはトイレの方へと走り去っていった。あとにはめちゃくちゃ気まずそうな湯北くんと、多分同じくらいには気まずく思っている私が残される。
うわぁ、どうするの、コレ……。
「あ、あの……俺」
「あー、大丈夫、大丈夫! なんとなく事情分かるから」
そそくさとそれだけ言って、私は扉を閉めようと後ずさった。もう部署の皆も帰ってくるだろうし、こんなところで微妙な空気とか醸し出したくないもんね。
引き戸を閉めようとしたのに、途中で何かに引っかかったのか、いきなり動かなくなる。
立て付けでも悪くなったか? と下を見て、扉に力を入れながら上を見たら、能面のような無表情で、湯北くんが私を見下ろしていた。
「待ってください、事情分かるってどういう意味ですか?」
ぐぐぐぐぐ……とむしろ開いていく扉に、湯北くんが阻んでいたんだと理解する。そりゃあ私の貧弱な腕力で勝てるはずないわ。
ていうか、『事情分かる』の説明、私の口からしないといけないの?
紗希ちゃんが湯北くんに振られたって聞いてね。
湯北くん、好きな人がいるって聞いたんだけど。
その好きな人が私だって言ったんでしょ。
確かに私なら、同期とかって言うより角が立たないもんね。
……どれも言うのが嫌すぎるでしょ。もうここは、逃げの一手しかないと思う。
「あー、ごめん。なんでもない、気にしないで」
「気にします! なんか勝手に納得してるっぽいですけど」
湯北くんが何かを言いつのろうとした時、階段下から誰かの話し声が聞こえてきた。そりゃあそうだ、そろそろ昼の休憩も終わる時間だもの。そういえばご飯、食べ損ねちゃったな。
「久美先輩、今日、残業ですよね。月末近いし」
「うん? まあ、そうね。皆ギリギリじゃないと申請してくれないから、どうしてもね」
「分かりました。失礼します」
急ににっこりと笑って、湯北くんは颯爽と去って行った。なんなんだ、いったい。まあでも、部署の皆が戻ってくる前に立ち去ってくれたんだから、とりあえずは良しとしよう。