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作者: シラ・ナイ

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 彼は本を読むとペンで線を引かないわけにはいかなかった。何色でもよいのだが、蛍光ペンで、気に入ったフレーズに、どんどん引いていった。彼の読んだ本の中身は、線が引かれていない部分の方が少ないくらいだった。彼は、記憶するために、情報を整理するために線を引いていたのではなかった。彼は線を引くと満足した。安心することができた。

 ある朝、彼はシャワーを浴びていた。仕事に行く前は、必ずシャワーを浴びることにしていた。その時、ふと、シャワーヘッドが気になった。そうすると、気になって仕方がなくなった。上から降り注がれる微細な水の粒子に顔を向けて、目を大きく見開き、シャワーヘッドを下から見続けた。彼の二つの眼球に大量の水の弾が当たっていた。急に、彼は浴室から出た。フローリングが水浸しになった。そして、緑色の蛍光ペンを持って戻った。シャワーヘッドの、銀色の散水板と、クリーム色のプラスチックの境目に、蛍光ペンで線を引いた。彼はその境目を気に入ったのだ。彼は本とは異なる満足を味わった。

 彼はすぐさま浴室から出て、体もろくに拭かないで、部屋の壁やフローリングや、天井や家具といった、部屋の中にある全てのものに蛍光ペンで線を引きまくった。数日間、彼は仕事を休んで、線を引き続けた。外には二回だけ出た。一回目はコンビニに蛍光ペンを買い足しに行った。店内にあるだけの蛍光ペンを買った。二回目は同じコンビニで、黒と赤と青の油性のマジックペンをあるだけ買った。彼は、蛍光ペンでは満足できなくなっていた。本とは異なり、部屋の中のものに蛍光ペンを引いても、蛍光ペンでは色が薄く、また、色が乗らないときがあり、きちんと線を引いている気になれなくなった。彼は寝食を忘れて、部屋中に線を引きまくった。一つ線を引くと、必ず、次に引きたいところが見つかった。それは必ずあった。

 彼が仕事を休んでから一週間が経った。彼の恋人が彼のアパートに来た。彼に連絡をしても、返事が返ってこなかったので、心配して来たのだった。彼女は、合い鍵を持っていた。彼女は彼の部屋に入った。真っ昼間だったが、部屋は遮光カーテンが締め切られていて、真っ暗だった。部屋の中で何かが動く音と、キュキュキュという奇妙な音が聞こえた。彼女は彼の名前を呼んだ。返事はなかった。キュキュキュという音がずっと聞こえていた。彼女は恐怖を覚えた。逃げようかと思ったが、玄関の電気のスイッチを入れてみた。台所は、真っ黒だった。台所の壁も床も鍋も食器も全てのものが真っ黒だった。彼女は、悲鳴をあげられないほど驚いた。驚いて、膝から床に崩れ落ちてしまった。彼女は床に手をついた。手に黒色が付いた。色の付着した手の平をよく見ると、黒、赤、青、薄い黄色、薄い緑、薄い青など、様々な色が混ざっていた。全てが混ざることによって、黒にしか見えなくなっていた。台所の奥にあるリビングは暗闇だったが、そのリビングから、ずっと、キュキュキュという音が聞こえていた。暗闇の中で、何かがかすかに動いている気配を感じた。リビングと台所の境目、つまり、暗闇と光明のちょうど境目から、光明側に、足が飛び出た。その足は、彼女にとって見慣れた靴下を履いていた。彼にプレゼントしたラルフローレンの紺色の靴下だった。人と馬のマークがあった。その足は動いていた。彼女は少しだけホッとした。何かが彼だと分かったからだ。

「何しているのよ!」

 彼女はリビングの入り口までいって、電気のスイッチを付けた。部屋の中が明るくなった。部屋の中は真っ黒だった。台所と同じく、様々な色が混じり合って、黒になっていた。彼は、彼女を見た。彼は、靴下以外は裸だった。そして、全身が真っ黒だった。髪にもマジックペンや蛍光ペンで線を引いていたようで、髪はテカっていた。彼女は、ヒッと小さく悲鳴をあげた。

「目に塗れないんだよ。」

「え?」

「だから、目に塗れないんだよ。何度やっても、目だけは色がつかないんだ。」

 彼女は唖然とした。体から力が抜けた。思考が止まった。

「塗らしてくれよ。」

「え?」

「だから塗らしてくれよ。試したいんだよ。」

 彼は、彼女に飛びかかった。彼女は彼の力に屈服するしかなかった。何より、恐怖で体が動かなかった。

 彼は、青色のマジックペンを取り出し、彼女の片方の眼球に近づけた。

「俺は自分の目が好きなんだよ。」

 彼は、彼女の目の中に、マジックペンの先を突っ込んで、ぐちゃぐちゃ書きなぐった。彼女は痛みで全身をバタつかせたが、彼の力に抑え込まれた。

「やっぱり塗れない! どうしてなんだ!」

 彼は逆上し、彼女の上半身の服を乱暴に破いた。そして、裸になった彼女の上半身に、様々な色のペンで線を引いていった。

「俺はお前のここがいいんだ。」

 彼は線を引いた。

「よし。そして、ここも好きなんだ。」

 彼はペンの種類を変えて線を引いた。

「ここもなんだ。」

 こうやって、徐々に彼女の上半身は黒になっていった。ここもだ、そうだここもあった、ここもいいんだ、ここも好きだったんだ、あっここも忘れてはいけない。彼はぶつぶつ言いながらペンを使い分けて線を引いていった。彼は、彼女の下半身のパンツと下着を乱暴に脱がした。そして、ぶつぶつ言いながら、線を引き続けた。ここだ、ここがいいんだ、ここは俺のものだ、ここもだ、あそこもだ、ここもあそこも俺のものだ、全部俺のものだ。彼女は線を引かれていく度に、満たされていった。彼女は体を動かすことができた。でも、彼女は彼に身を委ねた。彼の彼女への行為は、次の日の朝まで続いた。遮光カーテンの下側の隙間から、日光が差してきた。彼は線を引くのを止めた。

「もういいの?」

「うん。もういい。今日は仕事にいかなくちゃ。」

「偉い。」


(了)



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