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とある百物語

作者: 楠瑞稀


 ぴちょん……



 わずかに緩んだ蛇口から、一滴の水が流しに落ちた。

 静寂に支配された廊下には、普段なら聞き取れないようなかすかな音さえやけに大きく響いて聞こえる。

 時しも真夜中。

 昼間であれば数百人の生徒たちがにぎやかに授業を受けているのだろう。しかし生徒どころか教師すら帰った深夜ともなれば、学び舎はまさに無人の領域。非常灯の緑の光が不気味に廊下を照らすばかりで、何とも言えない異質な空気に満ちていた。

 だが、本来ならば人の姿はまったくの皆無であるはずの校舎に、この日ばかりはぼそぼそと何かを話す声が聞こえる。二階の最奥に位置する理科室からその声はした。

 暗幕によって外界と遮断されたその室内では灯された蝋燭がゆらゆらと、くすんだ壁にいくつもの影を映している。

「――それ以来、その少女の姿を見た人間はひとりもいなかったんだって……」

 低く、押し殺したような声音で話のひとつが語り終えられる。

 ふうっ、と手元の蝋燭が吹き消された。

 語り手のちょうど対角線の位置から息を呑む音が聞こえる。同時にカサリ、と衣擦れの音が聞こえた。

 けれど、ただ、それだけだ。

 誰ひとり、動こうとはしない。いや、極力息を殺して、じっと耳をそばだてているようであった。

 理科室には少女ばかりがおよそ五、六人、円を描いて座っていた。

 年のころはみんな同じく十代半ば。その円の中には一時に使うにしてはあまりにも大量の蝋燭が立てられている。だが、現在火のついているものはほんのわずかである。 

 今日この日、ここでは『百物語』が行われていた。

 『百物語』とは、真夜中ひとびとが集まって円を描いて座り、怪談を一つ話しては蝋燭を吹き消していくという一種の肝試しである。だが普通の肝試しと違うところは、百の怪談を語り終え、百本目の蝋燭を消したその瞬間に何かしらの怪異が起こるとされているところである。

 少女たちはその話をどこからか耳にし、実際に試しているようだった。

 蝋燭も残すところ数本となり、物語は佳境に入る。少女たちの緊張もピークに達し、顔つきはだいぶ強張り青ざめてきた。

(本当に、何か起こったらどうしよう)

 もういくつ目になるか分からない怪談話を聞きながら、一人の少女が身をすくませた。

 冗談が高じて始めたこの百物語。最初のうちはそれこそ語られた話に野次を飛ばすこともあったが、今はそんな余裕もない。

 百物語の最後に起こる怪異は、本当にお化けが出るというものがたいていだったが、中には百物語の参加者の誰かが異界に連れて行かれるというバージョンだってあった。

 昼間なら、ばからしいと笑い飛ばすこともできただろう。しかし、今この教室を構成する異様な空気の中ではそんなこと絶対に起こらないとは言い切れなかった。

(何で参加なんてしちゃったんだろう)

 後悔が徐々に募っていく。自分は怖い話が好きなわけでも得意なわけでもけしてない。むしろどちらかと言えば怖がりな方だ。

(参加しなきゃ、あんな目には合わなかったのに……)

 不安に高鳴る心臓の音が、身体の中でうわんうわんと反響している。

 また蝋燭が一本吹き消された。終わりがだんだん近づいてくる。

(だれか、もう止めるって言わないかな)

 少女はびくびくとあたりをうかがう。

 だがその瞬間、少女ははっと息を呑んだ。

(……えっ――?)

 その顔はみるみる恐怖に慄き、蒼白よりもなお白く色を失っていった。

 自分の見たものが、まったく理解できなかった。

 順番に周りの少女たちの顔を見ていく。

(彼女たちは、いったい誰なの……?)

 何故、これまで気付かなかったのだろう。

 共に蝋燭を囲む少女たち。

 緊張に表情を強張らせるそのどの顔も、どの顔も、どの顔も、


 ――まったく見知らぬものだった。


 何故自分が参加したのか、分からないのも無理はない。

 自分は知らないうちに、本物の怪異に遭遇してしまっていたのだ。

 少女はがちがちと歯を鳴らし、今にもほとばしりそうになる悲鳴を必死でこらえた。

 かすかにでも叫び声を挙げて自分が異端者であることがばれれば、いったいどんな目に合うだろう。良くある怪談話のように彼女たちの仲間に引き込まれてしまうかもしれない。

 少女は話に熱中している他の少女たちにばれないようにこっそりと身を引くと、がくがくと震える足を叱咤しながら急いで教室の出口に向かい、わずかに扉を開けて一目散にその場から逃げ出した。




  ――ジジ……、パッ


 真っ暗だった教室に明かりがついた。

 白熱灯の白い明かりに照らされた室内は、何十本もの蝋燭が床に転がり溶けた蝋が固まってかなり凄惨なようすである。

「つうか、熱っつ〜ッ」

 少女たちはそろってばさばさと下敷きやノートで顔を扇ぐ。

 ただでさえ蒸し暑い熱帯夜。締め切られた室内で灯された大量の蝋燭は室温をかなりの高さに上げていた。

 ドアも窓も全開にしたいが、ここはぐっとがまんである。

 暑さにあえぎながら少女たちはやれやれとため息を吐いた。

「ってゆうかさぁ、結局何も起こんなかったね」

「ちぇ〜っ、何さ何さ。結構期待してたのにさ」

「そういう割にはだいぶ震えていたみたいですけどぉ?」

「うわっ最悪、普通そういうこと言う!?」

「しーっっ! 声高いって」

  少女たちはそろって口元を覆うと、互いに顔を見合わせ押し殺した笑いを浮かべた。

「でもさ、やってる時より何か人減った気がしない?」

「げっ、マジィ? やめてよ」

「なになに? 誰か連れてかれちゃった? 点呼確認しなきゃ」

「そういうネタ、ディズニーのジャングルクルーズにあったよねぇ」

 ひそひそと冗談を飛ばしあいながらも蝋燭を慎重に拾っていく。痕跡が残って、明日隠れていたことが先生にばれれば間違いなく大目玉を食う羽目になる。

 自分たちがいた証拠をすべて処理したことを確認して、少女たちはこっそりと廊下に出た。

 だが最初に教室から出た少女がふと首をかしげる。

 わずかに戸の隙間が開いていた。見回りの先生が来たときのためにしっかり閉めておいたと思ったのだが……。

 一瞬、心臓がドキリとするがそれはすぐに苦笑にと取って代わった。

(そんな訳ないか)

 大方閉め方が甘かったか、勢いよく閉めすぎて反動で開いたかそんなものだろう。昼間の教室でも良くあることだ。

「なに? 何か面白いことでもあった?」

「な〜んでもない」

 少女たちは密やかに、それでもどこか賑やかに、緑色の非常灯に照らされた真夜中の廊下を進んでいく。

「そう言えばさ、昔この学校で肝試しをした女の子が一人帰り道に事故にあって死んじゃったんだって。だからそれ以来、夜の学校で肝試しをするとその女の子がやって来るらしいよ」

「そういう事は、百物語のときに言えっちゅーのっ!!」

 けらけらと笑い声がこだまする。

 パタパタと上履きが床を叩く音が、かすかに響く水滴の音を掻き消した。


【終】


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