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作者: 黛 文彦
掲載日:2026/05/09

 四月の第二週になると、公園に人が増える。


 カメラを持った人間が増える。そちらのほうが正確だ。スマートフォン、一眼レフ、自撮り棒。みんな同じ桜を、同じ角度から撮っている。俺は三十年この公園の管理をしているが、ここ数年の花見客は以前と何かが違う。それでも、桜そのものを見分けられるようになったことはない。花より先に構図を決めて、撮り終わったら帰る。


 桜前線が北上するニュースが流れると、翌日には人がやってくる。


 今年も来た。インフルエンサーらしき若い女が、白いワンピースで園内を歩き回っていた。係員に「ここで一番“映える”場所ってどこですか」と聞いてきたので、正面のソメイヨシノを案内した。彼女の目線は桜ではなく、画面の中の構図を探していた。彼女は三十分ほど撮影して、満足そうに去った。翌日、その動画が五万回再生されたと、同僚が教えてくれた。


 コメント欄には「綺麗」「行きたい」「もう散ってそう」と並んでいた。


 公園の奥に、急な斜面がある。


 遊歩道から外れた場所で、観光案内にも載っていない。そこに一本だけ、山桜がある。まるで最初から誰にも見つけられない場所を選んでいたように。樹齢は百年を超えると聞いているが、確かめた者はいない。ソメイヨシノより色が薄く、花と葉が同時に出るため、映えない。俺が着任した三十年前から、あの桜に足を止める人間を見たことがなかった。


 今年の三月、俺は上に掛け合って、斜面への入り口に柵を設けさせた。初めてあの山桜を見たとき、誰かに見つけられる前に終わってほしいと思った。 理由を説明するのは難しい。ただ、あれは見られるために咲いている木ではない気がした。


 理由を聞かれたので「整備中につき立入禁止」と答えた。嘘ではない。いずれ整備するかもしれない。ただ、今年については、整備の予定はなかった。


 四月が終わり、ソメイヨシノが散った。


 桜前線のニュースも止んだ。インフルエンサーたちはゴールデンウィークの別の話題へ移っていた。公園から人が減り、俺の仕事が少し楽になった。


 五月の連休明け、斜面の柵を外した。


 山桜は満開だった。


 薄いピンクと若葉の緑が混ざった、地味な満開だった。誰かに見せたいとは思わなかった。スマートフォンをポケットから出しかけて、やめた。


 しばらくのあいだ、ただ見ていた。


 風が来て、花びらが数枚落ちた。誰も撮っていないから、その瞬間はどこにも残らない。五万回再生もされない。「綺麗」とコメントされることもない。


 見た、ということで十分だと思った。


 翌日、斜面の入り口にもとの柵を戻した。看板を一枚追加した。


「整備中につき立入禁止」


 来年も、再来年も、ここは整備中であり続ける。

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