第47話:氷砕の果実
腐った果実のような甘い悪臭を含んだ生温かい風が、ネグリジェの薄い生地を揺らし、無防備な太腿の間を吹き抜けていく。
アリサは戦斧『デストロイヤー』を構えたまま、奥歯を強く噛み締めた。
目の前には、ドームの天井まで届きそうな巨大なピンク色の肉塊。
ボスモンスター『ゼラチナスマター』。
無数の触手が蠢き、その表面は粘液でヌラヌラと光っている。
だが、今の彼女たちにとって最大の敵は、目の前の怪物ではなかった。
自分自身の身体だ。
「……う、重い……」
アリサが一歩踏み込むだけで、下腹部にずしりとした衝撃が走る。
胃袋に詰め込まれた大量の高級食材と、マッサージによって強制的に活性化された内臓。それらが、激しい運動をするたびに上下に揺さぶられ、内側から身体を攻め立てる。
お腹が苦しい。
なのに、下着をつけていない股間はスースーと心許なく、そのアンバランスさが精神を削っていく。
『……オオォォォ……!』
怪物が咆哮を上げ、巨大な触手を振り下ろした。
質量を持ったピンク色の鞭が、空気を裂いて迫る。
「総員、構えッ! お嬢様をお守りしろ!」
騎士団長の裂帛の気合が響いた。
数十名の重装歩兵が、一斉に大盾を掲げて前に出る。
金属音が重なり、鉄壁の防御陣形が組まれた。
頼もしい。
はずだった。
「ぐわぁっ!?」
先頭の騎士が悲鳴を上げた。
触手の一撃を防いだ瞬間、衝撃ではなく「粘着」によって盾ごと身体を持っていかれたのだ。
強力な粘着力を持つ触手が、騎士を軽々と空中に吊り上げる。
「た、助けてくれぇ!」
「陣形を崩すな! ……うわぁっ!」
次々と騎士たちが宙を舞う。
さらに悪いことに、ボスの身体から無数の小型スライムが分裂し、床を這って騎士たちの足元に殺到した。
鎧の隙間、関節部分に入り込む粘液。
「ぬるぬるする! 剣が握れない!」
「鎧の中に……入ってくるぞ!」
精鋭であるはずの騎士団が、物理攻撃の通じない軟体生物に翻弄されている。
戦線は一瞬で崩壊した。
「くっ、私たちがやるしかない!」
アリサが飛び出す。
ネグリジェの裾が翻り、白い太腿が露わになる。
彼女に続いて、セリアも剣を抜いて走った。
「はぁぁっ!」
セリアの斬撃が触手を捉える。
だが、刃はブヨブヨとした弾力に阻まれ、滑った。
逆に、切断面から噴き出した体液のシャワーを浴びる。
「きゃうっ!?」
セリアが悲鳴を上げ、顔を覆う。
生温かい粘液が、彼女の顔から胸元、そしてお腹へと流れ落ちる。
極薄のシルクは瞬時に水分を吸い、透明な膜となって肌に張り付いた。
胸の形、肋骨のライン。
すべてが透けて見える。
「み、見るなぁ! おい、そこの騎士見るなと言ってるだろうが!」
セリアが叫ぶが、床に転がった騎士たちの視線は、彼女の透けた肢体に釘付けだ。
戦場の混乱と、扇情的な光景。
騎士たちは鼻の下を伸ばしながらも、必死に立ち上がろうともがく。
その時、頭上から楽しげな声が降ってきた。
「あはは、壮観だねぇ。泥んこのお姫様たち」
セリアが見上げると、ドームの天井梁の上に、カリスが座っていた。
黒いゴシックドレスのスカートを揺らし、まるで劇場の特等席で喜劇を見物するかのように、優雅に頬杖をついている。
彼女は安全圏だ。
スライムも触手も届かない場所で、ニヤニヤと笑っている。
「カリス! お前も見てないで手伝え!」
セリアが叫ぶが、カリスはひらりと手を振った。
「やだよ。君たちがドロドロにされて、惨めに喘いでる姿。……最高にそそるもの」
助ける気はないらしい。
この悪趣味な女め。
セリアは舌打ちをし、前を向いた。
「まあ! なんて生きの良い食材でしょう!」
地上では、レティシアが別の意味で楽しんでいた。
彼女は入り口付近の安全地帯に立ち、うっとりとした表情で戦場を見渡していた。
彼女の目には、必死に抵抗するアリサたちが「食材の下処理をしている料理人」にでも見えているのだろうか。
「でも、少し筋が硬そうですわね。……そうですわ! まずは火を通して柔らかくしましょう!」
レティシアが杖を振るう。
アリサの背筋に悪寒が走った。
「お嬢様、駄目です! 私たちは今……!」
「『ヒート・ウェイブ』!」
制止の声は、熱風にかき消された。
ゴオオオオッ!!
ドーム全体が赤く染まる。
直撃魔法ではない。空間全体の温度を上げる、いわば「オーブン」のような魔法だ。
その効果は劇的すぎた。
怪物の表面の粘液が、熱によって沸騰し始めたのだ。
ジュワワワワ……!
粘液の粘度が下がり、サラサラとした高温のローションへと変化する。
「あつッ!? 熱い!」
アリサが悲鳴を上げる。
頭から被っていた粘液が、いきなり熱湯のような温度になったのだ。
肌が焼けるように熱い。
しかも、温度が上がったことでネグリジェへの浸透力が増し、布地が完全に透明化した。
もはや服を着ている意味がない。
全身の肌色が、湯気の中に透けて見える。
「あぁっ……服が、溶けちゃう……!」
ミオが泣き叫ぶ。
彼女のネグリジェの裾が、熱を持ったスライムに触れ、飴細工のように溶け始めたのだ。
腰回りまで溶け上がり、下着のない下半身が完全に無防備な状態になる。
ぽっこりと膨らんだお腹と、その下が、熱気の中で晒される。
「素晴らしいですわ! よく火が通ってきました!」
レティシアの声だけが、楽しげに響く。
ボスの動きも活性化し、触手が鞭のようにしなる。
熱いローションまみれの触手が、騎士たちをなぎ倒し、アリサたちに襲いかかる。
「くっ、離して……!」
アリサは床に踏ん張り、自分に巻き付こうとする触手を素手で引き剥がしていた。
だが、ヌルヌルと滑って力が入らない。
触手の先端が、アリサの胸元に潜り込む。
「んぅっ……! そこ、熱い……!」
「煮込みすぎると型崩れしてしまいますものね。……仕上げは、キュッと締めないと!」
レティシアは鞄から、青白く輝く魔石を取り出した。
氷の魔石だ。
それを杖の先端にセットする。
「お嬢様、まさか……!?」
セリアが絶望的な顔で叫ぶ。
熱湯攻めの次は、これか。
「氷の精霊よ、世界を閉ざせ! 『ダイヤモンド・ブリザード』!」
パキィィィィン!!
世界が一変した。
灼熱の蒸し風呂が、瞬時にして極寒の冷凍庫へと変わる。
猛烈な冷気が吹き荒れ、沸騰していた粘液を一瞬で凍結させる。
バキバキバキッ!
怪物の動きが止まる。
ドロドロだった肉体が、カチコチの氷像へと変貌していく。
「ひゃうっ!?」
ミオが変な声を上げた。
彼女の太腿に絡みついていた触手もまた、瞬時に凍りついたのだ。
冷たい氷の鎖が、生肌に食い込む。
熱さで開いていた毛穴が、急激な冷却でキュッと引き締まる。
その寒暖差の刺激は、鞭で打たれるよりも強烈だった。
「さむっ……冷たい……!」
アリサは身を震わせた。
全身を覆っていた熱いローションが、シャーベット状に凍りつき、肌に張り付いている。
動くたびに、ジャリ、ジャリ、と氷の粒が肌を擦る。
だが、好機だった。
怪物は完全に凍結し、動きを止めている。
「……今だ。今しかない!」
アリサは震える膝に力を込めた。
戦斧を握り直す。
手がかじかんで感覚がないが、気合でねじ伏せる。
「騎士の皆さん! 離れてください!」
アリサの身体から、緑色の魔力が噴き出した。
固有スキル『魔力崩壊』。
彼女の拳に乗った魔力は、物理干渉を無視して対象を内側から破壊する。
それを、戦斧の一撃に乗せる。
「砕けろぉぉぉぉぉッ!!」
アリサが跳躍した。
ネグリジェがはだけ、下腹部が完全に見えているが、構うものか。
渾身の一撃を、怪物の核めがけて叩き込む。
ドゴォォォォォォン!!
重低音が響き渡る。
一瞬の静寂。
そして。
パリーンッ!!
巨大なガラス細工が砕けるような音がして、氷山と化した怪物が崩壊した。
無数の氷の欠片が、爆発するように四散する。
バラバラバラバラッ!
氷の雨が降り注ぐ。
騎士たちが盾を構えて身を守る。
だが、アリサたちには盾がない。
頭上から降り注ぐ氷の雨を、その身一つで受け止めるしかない。
氷片が肌に当たる。痛い。
そして、体温に触れた瞬間、氷は溶けて元の「ピンク色の粘液」に戻る。
「うぅ……冷たい……ベトベトする……」
戦闘は終わった。
ボス部屋の中央には、砕け散った氷と、大量の粘液、そしてピンク色に輝くゼリー状の肉片が山のように積もっていた。
「……はぁ、はぁ……」
アリサは戦斧を杖代わりにして、荒い息を吐いていた。
全身ずぶ濡れだ。
髪から滴る粘液が、口元に垂れてくる。舐めると、甘ったるくて生臭い味がした。
ネグリジェは無惨な姿になっていた。
熱で溶け、冷気で凍り、そして砕けた氷で切り裂かれ、布面積は半分以下になっている。
右の乳房は完全にはみ出し、スカートの前側は裂けて、下腹部が丸見えだ。
だが、隠す気力も残っていなかった。
「ブ、ブラボー! 素晴らしいですわ!」
静まり返った空間に、場違いな拍手が響き渡る。
レティシアだ。
彼女は騎士たちに守られながら、優雅に歩み寄ってくる。
防御結界のおかげか、彼女の純白のドレスには、汚れ一つついていない。
その清廉潔白な姿と、汚れきったアリサたちの対比は、あまりにも残酷だった。
「見事なクラッシュ・アイスですわ! これでフルーツポンチのベースが完成しました!」
レティシアは嬉々として、足元に落ちていたピンク色のゼリー塊を拾い上げた。
プルプルと震えるその物体からは、芳醇な桃の香りと、魔物特有の魔力の気配が漂っている。
「騎士の皆様! 収穫ですわ! このゼリーを樽に集めてくださいな!」
「は、はっ! 直ちに!」
騎士たちが慌てて作業にかかる。
彼らはチラチラとアリサたちの方を見ながら、腰を落としてゼリーをかき集める。
その視線を感じるたびに、セリアは破れたネグリジェの裾を必死に引っ張り、太腿を隠そうとするが、濡れた布は張り付いて動かない。
「……もう、嫌……帰りたい……」
エレナが膝を抱えてシクシクと泣いている。
その願いに応えるように、ボスの消滅地点に魔法陣が浮かび上がった。
ダンジョン踏破の報酬として現れる、帰還のポータルだ。
「あら、出口ですわね! ちょうど良いですわ、外で祝勝会をしましょう!」
レティシアが先頭を切ってポータルへ向かう。
拒否権はない。
アリサたちは、重たい身体を引きずりながら、その後を追った。
カリスも、天井からひらりと舞い降り、涼しい顔で彼女たちに混ざった。
***
光のトンネルを抜けた先。
そこは、ダンジョンの入り口にある広場だった。
時刻は夕暮れ。
オレンジ色の西日が、薄暗い洞窟から出てきたアリサたちの目を焼く。
広場には、出入りする冒険者や、ギルドの職員、露店商たちが大勢いた。
突然現れた転移魔法の光に、人々が注目する。
「おっ、誰か帰ってきたぞ」
「あれは……領主のお嬢様のパーティか?」
ざわめきが広がる中、ポータルから吐き出されたのは、異様な集団だった。
先頭に立つのは、優雅なドレス姿のレティシア。
そしてその後ろに続くのは――。
「……ッ!?」
広場にいた全員が息を呑んだ。
現れたのは、ボロボロのネグリジェを纏った五人の美女たちだった。
全身はずぶ濡れで、ピンク色の粘液にまみれている。
極薄のシルクは完全に透け、肌の色も、身体の起伏も、すべてが丸見えだ。
ルナの豊かな胸が揺れる。
セリアの引き締まったお尻が露わになる。
ミオの満腹で膨らんだお腹が強調される。
「隠せ! 冒険者の方々をお守りしろ!」
騎士団長が叫んだ。
騎士たちが慌てて自分のマントを脱ぎ、アリサたちの周りに壁を作る。
だが、騎士たち自身も粘液まみれで、そのマントもベトベトだ。
それでも、好奇の目に晒されるよりはマシだった。
「み、見ないで……お願いだから……」
アリサは騎士の背中に顔を埋め、震えていた。
マントの隙間から、白い太腿がちらちらと見え隠れする。
その「隠されているけれど見えてしまう」状況が、逆に広場の人々の想像力を掻き立てた。
その横で、カリスだけが余裕の笑みを浮かべていた。
彼女はマントの壁の内側に滑り込むと、ボロボロのアリサの耳元で囁いた。
「ねえ、アリサちゃん。……いい匂い。戦場で搾り取られた、雌の匂いがする」
カリスの指先が、アリサの濡れた首筋をなぞる。
ゾクリ、とした悪寒と、奇妙な熱が走る。
「カリスさん……! からかわないでください!」
アリサが睨むが、カリスは楽しそうに目を細めるだけだ。
だが、レティシアは止まらない。
彼女は広場の中央に進み出ると、騎士たちに命じて、先ほど回収したゼリーの入った樽を下ろさせた。
「さあ、皆様! ダンジョン攻略の戦利品を振る舞いますわ! わたくし特製、『深層の恵み・ぷるぷるフルーツポンチ』です!」
騎士たちが樽の蓋を開ける。
中には、ボスの残骸であるゼリーと、レティシアが道中で採取した果物が混ぜ合わされ、キラキラと輝くピンク色の液体が満たされていた。
見た目は綺麗だ。
「さあ、まずは功労者の皆様からどうぞ!」
レティシアがグラスにポンチを注ぎ、マントの壁の中にいるアリサたちに差し出す。
断れば、もっと目立つことになる。
アリサは騎士の影に隠れながら、震える手でグラスを受け取った。
喉が渇いていたのは事実だ。
一気に煽る。
ゴクリ。
喉越しは冷たく、味は濃厚な桃のようで、驚くほど美味しかった。
だが。
「んっ……!?」
胃袋に落ちた瞬間、カッと熱い塊が爆発した。
アリサの頬が一瞬で紅潮する。
ボスの核に含まれていた、純度の高い魔力が、疲労した身体に直撃したのだ。
ポーションを一気に十本飲んだ時のような、過剰なエネルギーの奔流。
血行が良くなりすぎたせいで、全身がカッカと火照る。
「あぁっ……熱い……汗が、止まらない……」
隣で飲んだセリアが、とろんとした目でその場にへたり込む。
体温が急上昇し、濡れたネグリジェから湯気が立ち上る。
汗が噴き出し、肌の透明感が増していく。
顔を赤らめ、荒い息を吐くその姿は、まるで情事の直後のようだった。
「おいしい……もっと、欲しいかも……」
ミオが空になったグラスを差し出す。
魔力酔いだ。
アルコールよりもタチが悪い。理性が飛びかけている。
(……まずい)
アリサの野生の勘が警鐘を鳴らした。
この魔力による火照りは、誤解を招く。
マントの隙間から見える、顔を赤らめて息を弾ませる自分たちの姿。
どう見ても「変な薬」を飲まされたようにしか見えない。
これ以上ここにいたら、一生外を歩けなくなる。
「……に、逃げましょう……!」
アリサはセリアの腕を掴んだ。
マントの隙間から、貴族街の方角を確認する。
「お嬢様! ごちそうさまでした! お先に失礼します!」
アリサは叫ぶと、最後の力を振り絞って走り出した。
ネグリジェの裾を押さえ、顔を真っ赤にして、自宅へと駆け込む。
「ちょっ、待ってよぉ!」
「不潔です! お風呂ぉぉぉ!」
ミオとエレナも続く。
ドロドロでスケスケの美女たちが、顔を真っ赤にして疾走する姿。
広場の人々は、呆然とその光景を見送った。
「あら? もうお帰りですの? ……まあ、いいですわ。皆様、おかわりはいかが?」
レティシアだけが、事態を理解せずに微笑んでいた。
その騒ぎの中、カリスだけが静かにアリサたちの後を追った。
「あはは、待ってよ。僕もお風呂、混ぜてよね」
こうして、『レティシアお嬢様の護衛依頼』は、なんとか最悪の事態(公開羞恥プレイ)だけは免れて、幕を閉じたのである。
自宅の風呂場で粘液を洗い流す五人の安堵の溜息が響いたのは、それから間もなくのことだった。




