第45話:満腹の代償
嵐のような昼食会が終わり、魔法テントの中には、重く湿った空気が澱んでいた。
そこにあるのは、食事を終えた後の幸福感ではない。
限界を超えて詰め込まれた胃袋が発する、生理的な苦悶と、抗えない睡魔だけだった。
最高級の羊毛絨毯の上に、五つの肉体が無防備に転がっている。
リーダーのセリアは、大の字になって天井を仰いでいた。呼吸をするたびに、薄いシルクのネグリジェの下で、ぽっこりと膨らんだ下腹部が上下している。普段は硬く引き締まっている腹筋が、過剰なカロリーと質量によって内側から押し広げられ、なだらかな曲線を描いてしまっている。
小柄なミオに至っては、体を丸めて海老のように縮こまっていた。彼女の小さなキャパシティに対し、フルコースの量はあまりに暴力的すぎたのだ。幼児のように膨張したお腹を抱え、苦しげに眉を寄せている。
「うぅ……く、くるしい……」
「もう……水一滴も入らない……」
アリサが呻き、ルナが気だるげに豊満な胸を揺らして寝返りを打つ。
テント内の室温は高く、食事による熱産生も相まって、彼女たちの体温は微熱を帯びている。
汗ばんだ肌。張り付くネグリジェ。そして、胃に血流が集中したことによる思考の泥沼化。
彼女たちは、完全に無力化された獲物のように、ただ床にへばりついていた。動きたくても動けない。ネグリジェの裾が捲れて、太腿が露わになっていても、それを直す気力さえ湧かない。
だが、その弛緩しきった光景を「満足」ではなく「危機」と捉える人物が一人だけいた。
レティシア・ラビリンスホルド伯爵令嬢。
彼女だけは、涼しい顔で食後の紅茶を啜っていたが、苦しげな呻き声を聞きつけて、ソーサーにカップを置いた。
「あらあら……皆様、大変苦しそうですわ!」
レティシアが、心配そうにセリアの顔を覗き込む。逆光で陰になった彼女の顔は、慈愛に満ちていると同時に、どこか捕食者のような好奇心を孕んでいる。
「い、いえ……ただの食べ過ぎです……少し横になれば……」
セリアが重たい瞼を開けて、掠れた声で拒絶を試みる。だが、お嬢様の診断はすでに下されていた。
「いけません! 食べてすぐに横になると、消化不良を起こして『牛』になると言いますわ! それに、皆様のお腹……パンパンに張っています。これは腸が固まって、食べたものが詰まっている証拠です!」
腸が固まっている。
その単語の響きに、セリアの背筋に悪寒が走った。嫌な予感がする。このお嬢様の親切は、いつだって斜め上の結果をもたらすからだ。
「このまま放置すれば、肌荒れの原因になりますし、何より内臓に負担がかかります。わたくしが『手当て』をして差し上げますわ!」
レティシアが腕まくりをした。
その白く華奢な手には、何も持っていない。オイルも、道具もない。あるのは、貴族の令嬢にしては不釣り合いなほど強力な魔力を秘めた、その素手だけだ。
「さあ、まずは一番苦しそうなミオ様から。仰向けになって、お腹を出してくださいな」
逃げる気力など残っていない。ミオは抵抗することなく、されるがままに仰向けにされた。
レティシアの手が、ミオのネグリジェの裾に伸びる。ためらいなく捲り上げられるシルク。
露わになる、白くて柔らかいお腹。
胃のあたりから下腹部にかけて、ぽっこりと幼児体型特有の愛らしい曲線が浮き出ている。食べたものの形がそのまま外から分かりそうなほど、皮膚が張り詰めている。
「まあ、カチカチですわ! ガスも溜まっていますね」
レティシアは、あろうことかミオの膨らんだお腹に、直接その掌を乗せた。
ピタッ。
皮膚と皮膚が密着する音がした。レティシアの手は、魔法を使っているのか、カイロのように熱かった。その熱が、ミオの冷えたお腹にダイレクトに伝わる。
「消化を助けるマッサージです。少し痛いかもしれませんが、我慢して出してくださいね」
「だ、だす……? なにを……?」
ミオが問い返す間もなく、施術は始まった。
レティシアの親指が、ミオのおへその周りに深く沈み込む。
ググッ……。
「んぎゅっ!?」
ミオが奇妙な声を上げた。
痛い。いや、痛いというより、苦しい。
満タンの胃袋と、消化活動中の腸を、外側から無理やり動かされる感覚。レティシアは、時計回りに円を描くように、ミオのお腹を揉みしだいていく。
「ここが小腸、そしてここが大腸……。動きが鈍いですわね。外から刺激して、強制的に動かします!」
レティシアの手つきは、パン生地をこねるように容赦がない。
素手ゆえに、指の滑りがない。その分、皮膚を掴み、筋肉の奥深くまで圧が届く。お腹の肉が、レティシアの指の間でむにゅむにゅと形を変える。押されるたびに、胃の中身が逆流しそうになる感覚と、腸の中身が先へ先へと押し出される感覚が同時に襲う。
キュルルル……ゴロゴロ……。
テントの中に、水っぽい音が響き渡った。
ミオのお腹の音だ。刺激された腸が蠕動運動を始め、内容物とガスが移動している音。それは本来、人前で聞かせるような音ではない。生理的で、恥ずべき音だ。
「あ、やだ……聞こえちゃう……」
ミオが顔を真っ赤にして手で顔を覆う。だが、レティシアは嬉しそうに声を弾ませた。
「いい音ですわ! 腸が動き出した証拠です! さあ、もっと奥のガスまで流しましょう!」
レティシアの手が、おへその下――下腹部の深層へと移動する。
そこは、膀胱や、さらにデリケートな器官が詰まっている場所だ。恥骨のすぐ上。スカートで隠すべき境界線ギリギリの場所。
「んっ、そこ、押さないでっ……なんか、変な感じするぅ……!」
ミオが足をバタつかせた。
圧迫感が変わった。ただの苦しさではない。下から突き上げられるような、あるいは中身が押し出されそうな、切迫した感覚。尿意にも似ているが、もっと奥が疼くような奇妙な感覚だ。
「力まないで。リラックスして、お尻の穴を緩めるイメージで」
「そ、そんなこと言われてもぉ……っ!」
ミオは涙目で耐えた。だがレティシアの指は止まらない。固くなった腸の曲がり角を探り当て、そこを重点的にグリグリとほぐしていく。
押されるたびに、お腹の中で熱い塊が動く。ミオの意思とは無関係に、身体が反応してしまう。内腿が震え、足の指が縮こまる。
レティシアの手が離れる頃には、ミオは完全に脱力し、放心状態で天井を見つめていた。お腹からは、まだキュルキュルと恥ずかしい音が鳴り続けている。
「ふぅ、次はアリサ様ですわね」
処刑人の視線が移動した。
アリサはビクリと身を竦めた。彼女は戦士だ。腹筋は割れている。だが、今はその筋肉も緩み、食事で膨らんだお腹が無防備に晒されている。逃げようとして身を起こそうとしたが、満腹の体が鉛のように重くて動かない。
「わ、私は筋肉があるので、マッサージなんて効きませんよ……?」
「筋肉があるからこそ、凝り固まるのです。特にアリサ様は、足の付け根のリンパと、腸の曲がり角が詰まっています」
専門用語のような説得力。
レティシアはアリサの隣に座り、強引にそのネグリジェを胸の下まで捲り上げた。
鍛えられた腹斜筋と、その中央にある柔らかな膨らみが露わになる。汗でお腹が光っている。
「失礼します」
挨拶もそこそこに、レティシアの両手がアリサの脇腹に食い込んだ。
ガシッ。
鷲掴みだ。くびれの部分を両手で挟み込み、絞り上げるように圧をかける。
「ぐっ……! お、お嬢様、握力……強すぎ……!」
「老廃物を粉砕しているのです。さあ、深呼吸をして!」
レティシアは、アリサの呼吸に合わせて圧を変えていく。息を吐く瞬間に、深く、鋭く、指を突き立てる。
指先が探っているのは、骨盤の内側。腸腰筋と呼ばれるインナーマッスルと、その奥にあるS状結腸だ。
「ここですわ。便やガスが一番溜まりやすい場所」
レティシアの親指が、アリサの左下腹部――骨盤のすぐ内側のくぼみ――に、容赦なく侵入する。
そこは性感帯ではない。だが、排泄に関わる神経が集中している、ある意味で最も「人間としての尊厳」に関わる急所だ。
「あがっ!? ちょ、そこ、だめっ……!」
アリサが腰を浮かせた。
強烈な違和感。痛みと同時に、脳の奥で「トイレに行きたい」という警報が鳴り響く。実際にはまだ大丈夫なはずだ。だが、直接刺激されることで、脳が錯覚を起こしている。膀胱が圧迫され、尿道がムズムズする。
「逃げないでくださいな。ここをほぐさないと、下半身太りの原因になりますのよ?」
レティシアは逃がさない。浮いた腰を押さえつけ、さらに体重を乗せて指を沈める。
素手の温もりが、お腹の奥まで浸透してくる。その熱さが、余計に尿意や便意を加速させる。
下腹部の中で、何かが動き出そうとしている。押されるたびに、内臓が位置を変え、出口を探しているような感覚。
「うぅ……漏れる……なんか漏れるぅ……!」
アリサが錯乱気味に叫ぶ。
恥も外聞もない。ただ、この拷問から逃れたい一心だった。
だがレティシアは、それを「老廃物が出たがっている」と解釈したようだ。
「そうです! その感覚です! 我慢せずに、体の声に従ってください!」
従えるわけがない。
アリサは必死に括約筋を締め、内腿を擦り合わせて耐え忍んだ。冷や汗が吹き出し、全身が小刻みに震える。
戦場で傷を負うよりも遥かに過酷な、自らの生理現象との戦い。ネグリジェの下で、太腿がガクガクと痙攣しているのが自分でも分かる。
「あら、意外と頑固ですわね。……では、最後はセリア様で仕上げとしましょう」
アリサを開放し、レティシアは最後のターゲットを見下ろした。
セリアは死んだふりをしていた。目を閉じ、呼吸を浅くし、気配を消していた。だが、そんな小細工が通用する相手ではない。
「セリア様。狸寝入りはいけませんわ。一番食べていらしたのは貴女ですもの」
レティシアの冷たくも楽しげな声が、頭上から降ってくる。
「……お慈悲を」
セリアが目を開け、観念して呟く。もう逃げられないことは分かっていた。
「もちろん、慈悲深いマッサージをいたしますわ。ですが、セリア様は腹筋が厚いので、指の力だけでは奥まで届きません」
レティシアが純白のドレスの裾をからげ、セリアの体の両側に膝をついた。
そして。
「失礼して、体重を使わせていただきますね」
レティシアが、セリアの腰の上に跨った。
柔らかい感触。レティシアのお尻と太腿が、セリアのお腹と腰を挟み込む。
いわゆる騎乗位の体勢だ。
上から見下ろされるお嬢様の顔は、逆光で神々しく輝いているが、その瞳はドSな治療意欲に燃えている。
「お、お嬢様……重いです……いや、そういう意味ではなく……」
セリアが狼狽する。
物理的な重さよりも、この体勢の背徳感が重い。自分の腹の上に、高貴な令嬢が乗っている。しかも、お互いに薄着だ。
ドレス越しとはいえ、レティシアの体温、湿った肌の質感、そして柔らかい肉の弾力が、セリアの腹部を通じてダイレクトに伝わってくる。ネグリジェの薄い布地など、存在しないも同然だ。
「力を抜いてくださいね。……ふっ!」
レティシアが、自分の体重を両手に乗せ、セリアのへその上――みぞおちのあたりをプレスした。
「ぐふっ……!」
セリアの口から空気が漏れる。
重い。指先だけの点ではなく、掌全体を使った面での圧力。それが、満タンの胃袋を上から押し潰す。
逃げ場を失った胃の内容物が、逆流しそうになるのを必死で堪える。食道が熱い。胃酸が上がってくる感覚と、レティシアの体重がのしかかる感覚が混ざり合う。
「硬い……ストレスで胃が下がっていますわ。元の位置に戻してあげないと」
レティシアは、セリアの上で腰を揺らしながら、リズミカルに圧迫を繰り返す。
グッ。
グッ。
グッ。
そのたびに、セリアの身体がベッドのスプリングのように沈み込む。内臓が揉みくちゃにされる。
「んっ、はぁっ……! お嬢様、そこ、苦し……!」
「苦しいのは最初だけです。ほら、だんだん温かくなってきたでしょう?」
確かに温かい。
レティシアの掌から流れる魔力と熱が、セリアの内臓に染み渡っていく。
だが、それ以上に熱いのは、下腹部の感覚だった。
レティシアが跨っている位置。彼女の膝がセリアの脇腹を挟み、彼女の恥骨あたりが、セリアの下腹部を擦っている。マッサージの動きに合わせて、その接触面が擦れ合う。
布と布が擦れる、微かな音が耳につく。
「ん……あっ……」
セリアの声色が変わる。
苦痛の呻きから、甘い喘ぎへと。
胃の圧迫感と、下腹部への摩擦。食欲と性欲、そして排泄欲。人間の根源的な欲求が、ごちゃ混ぜになって脳を揺さぶる。
「あら? セリア様、お顔が真っ赤ですわ。血行が良くなった証拠ですね!」
レティシアは無邪気に笑う。
そして、とどめとばかりに、両手を重ねて下腹部――子宮の上あたり――に置き、ゆっくりと、深く、体重をかけ始めた。
「ここが女性のツボです。気の巡りを良くして、身体の芯から元気にしますわ!」
持続圧。
じわじわと沈んでいく圧力。
セリアの内臓が、背骨に押し付けられるほどに圧縮される。膀胱も、子宮も、腸も、全てがひとまとめに押し潰される。
「あ、あああぁっ……! だめ、そこ、深いっ……!」
セリアが腰を跳ね上げた。
逃げようとする反射的な動き。だが、上に乗っているレティシアの体重に押さえ込まれ、逃げられない。むしろ、腰を浮かせたことで、より深く指がめり込む。
おへその下三寸。身体の正中線にある急所を、容赦なく圧迫される。レティシアの手のひらの熱さが、内臓を焼き尽くすようだ。
身体の奥底、普段は意識もしないような深い場所を、他人の手で蹂躙される感覚。
快感なのか、苦痛なのか、それとも羞恥なのか。
セリアの思考は白く弾けた。
指先が痙攣し、絨毯の毛をむしり取るように握りしめる。口からは、冒険者のリーダーとは思えない、弱々しく、そして卑猥な吐息が漏れ続けた。
目の前がチカチカする。レティシアの顔が歪んで見える。限界だ。もう何も考えられない。
「……ふぅ。これで全員、ほぐれましたわね!」
永遠にも思える時間が過ぎ、レティシアはようやくセリアの上から降りた。
彼女は額の汗を拭い、満足げな笑顔で患者たちを見渡した。
そこには、死屍累々の光景が広がっていた。
ミオは涙目で自分の腹をさすり、アリサは内股で震えながら虚空を見つめ、セリアは魂が抜けたように白目を剥いてぐったりしている。
ルナとエレナは、明日は我が身と震え上がり、テントの隅で気配を消して石になっていた。
誰も動かない。誰も喋らない。
ただ、荒い呼吸音と、お腹が鳴る音だけが響いている。
テントの中には、先ほどまでの料理の匂いに加え、濃厚な汗の匂いと、甘ったるい熱気が充満していた。
それは、ただの食休みとは呼べない、あまりにも濃密で背徳的な空気だった。
「皆様、顔色が良くなりましたわ! これで午後も元気に歩けますね!」
レティシアの明るい声が、残酷に響く。
元気になどなれるはずがない。
身体の毒素は抜けたかもしれないが、代わりに人としての尊厳と、隠しておきたかった様々な音や反応を、白日の下に晒してしまったのだから。
セリアは、ぼんやりとした頭で思った。
このお嬢様にとって、冒険とは、そして治療とは、一体何なのだろうか、と。
そして、まだ旅は続くのだという絶望的な事実に、そっと目を閉じた。
今はただ、この満たされた、しかし破壊された腹部を抱えて、泥のような眠りに落ちることしかできなかった。




