第34話:熱砂の洗礼
翌朝。
『フローレシア』の拠点は、まだ夜明けの薄暗さを残しながらも、特有の甘ったるい倦怠と、これから始まる遠征への緊張感が入り混じっていた。
今回は日帰りではない。
目指すは地下十五階層『焦熱の洞窟』。
そこに至るまでの広大なダンジョン踏破を含め、二泊三日のキャンプ泊を伴う強行軍だ。
「……よく眠れなかったのか」
ダイニングテーブルで、セリアが厚切りのパンにバターを塗りたくりながら尋ねた。
その向かい。
新入りのエレナは、目の下にどす黒い隈を作って座っていた。
自慢の青い髪はポニーテールに結い上げられているが、毛先がパサついて艶がない。スプーンを持つ手が、微かに震えている。
「……いえ。環境が変わったせいか、少し寝付けなかっただけです」
エレナは視線をスープの油膜に落としたまま答えた。
嘘だ。
寝付けなかったのではない。眠らせてもらえなかったのだ。
スカウトの聴覚は鋭敏すぎる。
昨夜、彼女の耳は下の階のリビングから響いてくる音をすべて拾ってしまっていた。
粘つくような水音。
肌と肌が擦れ合う微かな摩擦音。
そして、脳髄を直接撫で回されるような、甘く溶けた吐息。
『ああっ、セリアさん、熱い……っ』
『ミオちゃん、だめ、そこ……』
『んぐ、ふ……っ、アリサ、もっと……』
壁を越え、床を抜け、その声はエレナの鼓膜を震わせ続けた。
彼女は枕を頭に巻き付け、シーツを噛んで耐えた。
だが、音は止まない。
想像したくなくても、脳裏に浮かんでしまう。昼間見た、あの露出度の高い肢体が絡み合い、汗と熱気に塗れている光景が。
不潔だ。破廉恥だ。
そう念じれば念じるほど、エレナの体温は上がり、体の奥が疼いた。
結局、彼女は一睡もできず、シーツを握りしめて朝を迎えたのだ。
「無理はするなよ。長丁場になる」
セリアが、エレナの服装を上から下まで値踏みするように見た。
今日も濃紺のレザースーツ。
首元のジッパーは喉仏の下まで隙間なく上げられ、手袋、ブーツと完全防備。肌の露出は顔だけだ。
「その格好で大丈夫か? 道中は湿気の多い『大森林階層』も抜ける。目的地は火山地帯だぞ」
「問題ありません。これが私の正装ですので」
エレナは頑なに答えた。
チラリと横目で、アリサたちを見る。
セリアはマイクロビキニ。
アリサは布面積の足りない戦斧装備。
ミオは中が透けて見える薄布のローブ。
ルナはボンテージ風の聖職衣。
あんな、娼婦のような格好で野営をするなど、エレナの矜持が許さない。
自分だけは理性を保たなければ。このパーティの良心であり続けなければ。
「……ならいいが。後悔するなよ」
セリアは肩をすくめ、赤いキスマークの残る首筋をボリボリと掻いた。
*
地下迷宮への潜入。
上層の石造りの回廊を抜け、一行は順調に深層へと進んでいく。
だが、エレナの試練は戦闘よりも移動にあった。
中層にあたる十階層から十四階層。『大森林階層』。
地下空間とは思えないほど巨大な樹木が密生し、天井からは水気を吸った苔がカーテンのように垂れ下がっている。
地面はぬかるみ、空気は水分で飽和していた。
湿度が、異常に高い。
呼吸をするたびに、肺の中にカビ臭い水蒸気が溜まっていくようだ。
「うぅ……ジメジメするぅ……」
ミオがローブの裾をパタパタと煽る。
白い太腿が露わになり、パンツのラインが見え隠れする。
彼女たちはまだマシだ。肌が空気に触れている分、気化熱で多少は涼しい。
エレナは地獄だった。
湿気を吸った革のスーツが、鉛のように重くのしかかる。
汗が噴き出す。だが、逃げ場がない。
厚手の革に遮断され、汗は蒸発することなくスーツの中にこもる。
背中を、お腹を、太腿を。
ぬるりとした液体が伝い落ちる感触。
全身が自分の汗の膜で覆われ、動くたびに革が肌に張り付く。
ベタリ。
グチュ。
関節を曲げるたびに、汗で濡れた革と皮膚が擦れ合い、嫌な音を立てる。
気持ち悪い。
下着の中までぐっしょりと濡れている。
ブラジャーのワイヤーが汗で不快に肌を圧迫する。ショーツは濡れ雑巾のように張り付き、歩くたびに食い込む。
「……エレナ、顔色が悪いぞ」
セリアが振り返る。
彼女の肌には玉のような汗が浮いているが、それは健康的な輝きに見える。
「だ、大丈夫です……索敵に集中して、います……」
エレナは強がった。
ここで弱音を吐けば、あの恥ずかしい格好を肯定することになってしまう。
意地だけで足を動かす。
ブーツの中にも汗が溜まり始めていた。一歩踏み出すたびに、チャプ、という水音が靴の中で響く。
*
その夜。
樹海層の安全地帯で、一泊目のキャンプとなった。
テントを設営する。
アリサたちは四人用の大きなテント。エレナは一人用の小型テントを持参していた。
「エレナちゃん、一緒に寝ようよー。広いよ?」
ミオが手招きするが、エレナは首を横に振った。
「私は一人で結構です。見張りも交代で行いますので」
しかし、これが致命的な選択ミスだった。
樹海の夜は、昼間以上に蒸し暑い。
狭いテントの中は風が通らず、湿気が充満したサウナ状態だ。
汗でベタつく体を拭くこともままならない。
エレナは寝袋の上で転がり、革スーツのジッパーを少しだけ下げて、団扇で胸元を仰いだ。
生暖かい風が、汗臭い匂いを巻き上げるだけだった。
そして、隣のテントからは。
『んっ……セリアさん、汗ですごい……』
『ルナちゃんも……ぬるぬる……』
『水魔法、気持ちいい……』
楽しそうな声と、水が弾ける音。
ペチ、ペチという、濡れた肌同士が叩き合う音。
彼女たちは魔法で水を出し合い、体を洗いっこしているのだ。
おそらく、全裸で。
想像してしまう。
水に濡れて光る四人の肢体。
互いの体を石鹸のように擦り合わせ、洗い合う光景。
楽しそうに。涼しそうに。そして、あられもなく。
「うぅ……不潔です……」
エレナは耳を塞いだ。
自分の汗の不快な感触と、隣から漂ってくる石鹸の甘い香りの狭間で、彼女はまたしても一睡もできぬ夜を過ごした。
*
二日目。
樹海を抜け、さらに深く潜る。
そして到達した十五階層『焦熱の洞窟』。
空気が変わった。
ねっとりとした湿気が消え、代わりに喉が焼けるような乾燥と熱波が襲ってきた。
視界が赤い。
壁も床も、溶岩が冷え固まった玄武岩。亀裂からは本物のマグマが脈打ち、熱気を吐き出している。
「暑いー!」
ミオが叫ぶ。
だが、ここでも彼女たちの装備は理にかなっていた。
『シルク・ド・ロゼ』製の布地は、耐熱魔法がかかっている上に、極限まで露出が多い。
汗をかいても即座に乾く。熱が体に残らない。
対してエレナは、限界を超えていた。
昨日の湿気で濡れたインナーが生乾きのまま、今度は灼熱地獄に晒されたのだ。
スーツの中は蒸し風呂を超えて、圧力鍋のような状態になっていた。
体温が逃げない。
血が沸騰しそうだ。
思考が霞む。視界が明滅する。
「前方……マグマ・スライム……」
声を出すだけで喉が張り付き、痛みが走る。
「よし、行くぞ!」
セリアたちが飛び出す。
アリサの斧が唸る。汗に濡れた小麦色の肌が、マグマの照り返しで美しく輝いている。
ルナの胸元から汗が滴り落ち、谷間へ吸い込まれていく。
彼女たちは暑さを楽しんでいるようにさえ見えた。
強い。
そして、美しい。
エレナはフラフラと後退した。
足が重い。鉄の塊を引きずっているようだ。
ブーツの中が汗で水溜まりになり、グチュ、グチュと音を立てる。気持ち悪い。
頭がガンガンする。
「……っ」
足元の亀裂に気づかなかった。
バランスを崩す。
世界が回る。
「危ない!」
誰かの手が、エレナの腕を掴んだ。
強い力。
引き寄せられる。
ドサッ。
エレナは誰かの胸の中に倒れ込んだ。
汗と、甘い匂い。
柔らかい弾力。
アリサだ。
「エレナさん、大丈夫ですか!?」
アリサの顔が近い。
素肌の熱さ。
その体温が、エレナのスーツ越しに伝わってくる。
それが、エレナの理性を焼き切る最後の引き金になった。
「あ……ぅ……」
目の前が真っ白になり、エレナの意識はプツリと途絶えた。
*
「……い、熱い……」
意識が戻りかけた時、最初に感じたのは、体の芯にこもった不快な熱だった。
内臓まで茹で上がっているような感覚。
そして次に、冷たい何かが肌に触れようとしている気配。
「脱がせるぞ。このままだと死ぬ」
セリアの声だ。
冷静で、有無を言わせない響き。
「え……?」
薄目を開けると、ぼやけた視界の中で、セリアとルナが自分の体を覗き込んでいた。
岩陰の安全地帯だ。
自分の体が動かない。
いや、拘束されているわけではない。
汗で皮膚に吸着した重い革のスーツを、二人がかりで脱がそうとしているのだ。
「いや……だめ……」
抵抗しようとするが、指先ひとつ動かせない。
「命に関わる。じっとしてろ」
ジジッ……。
無慈悲な音が響く。
喉元まで上げられていたジッパーが、ゆっくりと引き下ろされる。
閉じ込められていた熱気が、プシュッと音を立てて解放される。
外気が胸元に触れる。
それだけで、ゾクッとするような快感が背筋を走った。
「うわ、煮えてる……真っ赤だよ」
ミオが覗き込む。
ジッパーが胸の谷間を過ぎ、へその下まで下ろされた。
汗で透け、肌色と同化したキャミソール。
肌に張り付いた革を、セリアが両側へ開く。
ベリッ、ベリッ。
皮膚が剥がれるような音。
白磁の肌が、茹でダコのように真っ赤に充血している。
汗が滝のように流れ出し、岩肌を濡らす。
「全部脱がすぞ。アリサ、ブーツを」
「はい!」
恥ずかしい。
四人の前で、下着姿に剥かれていく。
ズボン部分が力任せに引き下ろされる。
真っ白なショーツが露わになる。汗でぐっしょりと濡れ、半透明になり、太腿の内側に張り付いている。
ブーツを脱がされ、靴下を脱がされる。
ふやけた足指が空気に触れ、ピクリと動く。
数秒後。
エレナは下着姿で、岩の上に大の字に寝かされていた。
全身から湯気が立ち上っている。
隠すものがない。
恥辱でさらに体温が上がる。
「ミオ、水だ。冷やせ」
「うん! ウォーター・クール!」
ミオが魔法で冷水を生成し、容赦なくエレナの体にぶちまけた。
バシャッ!
「ひゃうッ!」
エレナが背中を反らす。
冷たい。
火照りきった肌に、氷水のような衝撃が直撃する。
温度差がありすぎて、痛みに近い。
だが、その直後に訪れる、脳が痺れるような解放感。
「冷たい……! ひぃっ……!」
「脇の下と、足の付け根を冷やすわ」
ルナが濡らしたタオルを持ってくる。
エレナの脇の下に、強引に挟み込む。
そして、太腿の付け根――鼠蹊部にも。
「あっ……そこは……!」
敏感な場所だ。
ルナの手が、ショーツのラインに触れる。布越しに、一番熱い場所に冷たいタオルが押し付けられる。
「熱が溜まってるの。我慢して」
ルナは慈母のような顔で、しかし容赦なく冷やし続ける。
体の芯がキュンと縮み、熱い溜息が漏れる。
「アリサ、マッサージして血流を戻して」
セリアが指示する。
「はい!」
アリサの手が、エレナの太腿を掴む。
濡れた手。
戦士の力強い指圧。
足首から膝へ、膝から太腿へ。
滞ったリンパを流すように、下から上へと強く撫で上げる。
アリサの指が、太腿の内側の柔らかい肉に食い込む。
無防備な内腿。普段なら誰にも見せない、触らせない聖域。
「あ……んっ……」
変な声が出た。
恥ずかしいのに、気持ちいい。
四人の視線が、自分の無防備な体に集まっている。
汗まみれで、下着姿で、濡れ鼠で。
剥かれ、濡らされ、介抱されている。
これが、彼女たちの「日常」なのか。
抵抗できない自分が、どこか惨めで、でもどこか甘美だった。
「はぁ……はぁ……」
体温が下がっていくにつれて、思考がクリアになる。
そして、自分の置かれた状況の「異常さ」と「心地よさ」を理解し始める。
「……落ち着いたか?」
セリアが上から覗き込む。
逆光で表情が見えないが、声は呆れているようで、優しかった。
「……はい。……申し訳、ありません……」
エレナは涙目で謝った。
自分のくだらない意地が、パーティに迷惑をかけた。
「気にするな。だが、そのスーツはもう着れないぞ。汗で重くなってるし、また熱がこもる」
セリアが言った。
そして、自分のバッグから何かを取り出した。
「これを使え。……予備の装備だ」
投げ渡されたのは、布切れのような物体だった。
白と青の、エレナの髪色に合わせたようなデザインの、ビキニアーマー。
カリスが「青い子にはこれが似合うと思うんだよね」と言って、強引に持たせてきたものだ。
布面積は……今穿いているショーツよりも少ない。紐と、申し訳程度の装甲板だけだ。
「え……これを、着るのですか……?」
「それしかない。あるいは、このまま全裸で進むか?」
セリアが意地悪く笑う。
エレナは震える手でそれを受け取った。
もう、選択肢はない。
プライドを捨てるか、命を捨てるか。
いや、心のどこかで、この「涼しそうな布切れ」に救いを求めている自分がいた。
エレナはおずおずと、濡れた下着を脱いだ。
四人の視線が突き刺さる。
白い肌が露わになる。
肌が外気に触れて粟立つ。太ももの付け根がスースーする。
急いでビキニをつける。
冷たい金属の留め具。肌に食い込む紐。
お尻が半分以上出ている。胸も谷間が強調され、動くとこぼれそうだ。
「……着ました」
エレナが顔を伏せて言う。
「わぁ……!」
ミオが声を上げる。
「似合う! エレナちゃん、すっごく可愛い!」
「ええ。肌の白さが際立ちます。……とても綺麗」
ルナが頬を染めて微笑む。
「青い髪に白が映えるな。……悪くない」
セリアが満足げに頷く。
「かっこいいです……!」
アリサが目を輝かせる。
褒められている。
あんなに破廉恥だと思っていた格好を。
エレナの胸の奥で、何かが疼いた。
恥ずかしい。
でも、風が通って涼しい。
肌が空気に触れている感覚が、こんなに開放的で、気持ちいいなんて。
乳房の下を風が抜ける。内腿が擦れず、空気に撫でられる。
「さあ、行くぞ。狩場までもう少しだ」
セリアが歩き出す。
エレナも歩き出す。
足が軽い。
熱気が肌を滑っていく。
歩くたびに、無防備なお尻の肉が揺れるのが分かる。胸が揺れ、金属パーツが微かに音を立てる。
視線を感じる。
アリサがチラチラとこちらを見ている。いやらしい目ではない。純粋な憧憬と、少しの興奮を含んだ目。
エレナは無意識に胸を張った。
見て。もっと見て。
熱砂の洗礼を受けて、潔癖だった少女の皮が、一枚剥がれ落ちた瞬間だった。
そして今夜は、この格好で――薄い布一枚で、彼女たちと同じテントで眠ることになるのだ。
肌と肌が触れ合う距離で。
エレナの口元が、微かに緩んだ。




