第23話:羽音の包囲網
ブゥン……ブゥン……。
重低音が響いている。
それは遠雷のようでもあり、巨大な機械が唸りを上げているようでもあった。
だが、アリサたちは知っていた。
それが生き物の羽音であることを。
空気の震えが、蜜で固められた肌をビリビリと揺さぶる。鼓膜が圧迫されるような不快な振動。
「……来る」
セリアが剣を構える。
その腕は震えていた。
全身を覆う黄金色の蜜が、乾燥して半固形状になり、皮膚を突っ張らせている。関節を曲げるたびに、バリバリと薄い飴の膜が割れるような感覚がある。
動きにくい。
まるで全身に強力なゴムを巻かれているようだ。汗腺が塞がれ、体内に熱がこもる。皮膚呼吸ができない閉塞感。
体温と外気で温められた蜜が、再びドロリと溶け出し、太腿を伝って垂れ落ちる。
「怖い……いっぱい来る……」
ミオがアリサの背中に隠れる。
彼女にはもう、戦う力は残っていない。植物に魔力を吸い尽くされ、立っているのがやっとだ。
蜜まみれの白い肌が、恐怖で粟立っているのが、透明化した衣服越しにはっきりと見えた。胸元の膨らみが小刻みに揺れ、恐怖で強張っている。
木々の隙間から、黒い影が現れた。
一つではない。十、二十……いや、無数。
太陽の光を遮るほどの黒雲。
それは、巨大な蜂だった。
キラービー。
体長は一メートルほど。黒と黄色の縞模様が毒々しく、腹の先端には鋭利な毒針が見える。羽ばたくたびに、腐った甘い風が巻き起こる。
だが、彼らの狙いは攻撃ではなかった。
無機質な複眼がギョロリと動き、蜜まみれのアリサたちを捉える。数千の個眼が同時に四人の裸体を映し出す。
彼らにとって、今の四人は冒険者ではない。敵ですらない。
森の中で最も甘く、芳醇な香りを放つ、巨大なスイーツだ。
「散開! 捕まるな!」
セリアが叫ぶ。
だが、遅かった。
蜂たちは直線的な動きで突っ込んできた。
速い。
アリサが斧を振るうが、体が重くて軌道が逸れる。蜜の粘度が筋肉の動きを阻害する。
空振った隙に、一匹の蜂がアリサの肩にドスンと着地した。
「うわぁっ!」
重い。
鉤爪のついた六本の足が、蜜ごしに肌に食い込む。チクチクとした痛み。
硬い剛毛が生えた足が、二の腕を、鎖骨を、首筋を鷲掴みにする。
そして、蜂は毒針を刺す代わりに、口吻を伸ばしてきた。
ストローのような長い管。
先端には、ブラシのような細かい毛が生えた、濡れた舌がある。
ジョリッ。
肩を舐められた。
ザラザラとした舌の感触。
猫の舌よりも粗く、ヤスリのように硬い。
蜜をこそぎ取るように、強く、執拗に。
「ひゃっ……! やめっ……!」
アリサが悲鳴を上げる。
くすぐったさと、痛みと、生理的な嫌悪感が同時に襲ってくる。
蜂は夢中で舐め続ける。
肩から首筋へ。甘い蜜を求めて舌が這う。
ザリ、ザリ、という音が骨に響く。
唾液と蜜が混ざり合い、ぬるぬるとした粘液が広がる。
虫の体温は意外にも高く、生温かい腹部がアリサの顔に押し付けられる。
「離せっ!」
アリサは蜂の胴体を掴んで引き剥がそうとするが、足が肌に食い込んで離れない。
さらに、別の二匹が太腿に取り付いた。
左右から挟み込まれる。
硬い頭部が内腿に押し付けられる。
ジョリッ、ジョリッ。
敏感な内側の皮膚が、荒い舌で蹂躙される。股間に向かって這い上がってくる。
内腿の柔らかい肉が、舌の圧力で凹む。
舐められるたびに、花粉で火照った体がビクンと反応してしまう。
「いやぁぁぁ! 来ないでぇ!」
ミオの絶叫が響く。
見ると、ミオは三匹の蜂に押し倒されていた。
地面に這いつくばったミオの背中に、蜂が覆いかぶさっている。
蜜まみれのお尻に、蜂が顔を突っ込んでいる。
「んっ! んぁっ! そこ、だめぇ!」
ミオが涙を流して藻掻く。
蜂の舌が、臀部の膨らみを舐め上げているのだ。
そこに一番、濃厚な蜜が溜まっているから。
ザラリとした舌が、溶けた下着の布地ごと、柔らかな肌を擦る。
際どい場所を執拗に舐め回される感触。
粘着質な唾液が、太ももの裏に塗りたくられる。
魔力を失ったミオには、抵抗する術がない。されるがままだ。
蜂の足が、ミオのわき腹や胸をまさぐる。人間にはない、多足生物特有の不規則なリズムでの愛撫。
硬い毛が胸元を擦り、ミオが意図せず甘い声を漏らす。
「やだ……虫なんかに……感じたくないぃ……!」
「ミオ!」
ルナが助けに行こうとするが、彼女もまた包囲されていた。
豊満な胸に蜂が二匹も止まり、乳房についた蜜を貪っている。
重量感。
胸が押し潰され、形が変わる。
蜂の頭が、ルナの胸の谷間に埋まっている。
チュウ、チュウと音を立てて、汗と蜜の混合液を吸い上げている。
ルナが杖で叩こうとするが、蜜で滑って力が入らない。
白い太腿にも蜂がしがみついている。鉤爪が食い込み、赤い血が滲むが、蜂はその血さえも甘いソースのように舐め取る。
血と蜜が混ざる味が蜂をさらに興奮させる。羽音が激しくなり、振動がルナの胸を揺らす。
セリアが剣を振るう。
「炎よ!」
剣から炎が噴き出す。
蜂たちが熱を嫌がって離れる。
だが、その熱で体の蜜が溶け出し、さらに甘い香りを撒き散らしてしまう。
熱で溶けた蜜はサラサラになり、より広範囲に匂いを拡散させる。
「くそっ……悪循環か!」
セリアが歯ぎしりをする。
追い払えば追い払うほど、匂いが強くなり、森の奥から新たな群れを呼び寄せる。
一匹の蜂が、セリアの背後に回り込んだ。
無防備なうなじ。
そこを、ジョリリと舐め上げられる。
「っ! 貴様ら……!」
セリアが身をよじるが、剣が振れない。
戦士としての誇りが、虫ごときに汚される屈辱。
舐められた場所が熱く火照る。花粉の催淫効果が、舌の刺激を快楽へと変換しようとする。
背筋がゾクゾクする。足の力が抜けそうになる。
剣を持つ手の力が抜け、カランと音を立てて剣が落ちそうになるのを必死で耐える。
ブゥン……ブゥン……。
羽音が増していく。
空が見えないほどの大群。
四人は完全に包囲された。
全裸で、蜜まみれで、虫たちの宴のメインディッシュとして。
アリサの耳元で、不快な咀嚼音がする。
耳たぶを舐められている。
濡れた管が、耳の入り口を探るように動く。鼓膜に直接、虫の息遣いが届く。
「んぐっ……! 気持ぢ悪いいぃ……!」
鳥肌が立つ。全身の毛穴が開く。
虫の足がお腹を這う。硬い毛が肌を擦る。
胸元にも這い上がってきた。
花のつぼみと勘違いしているのか。
口吻が胸の膨らみを突っつく。吸い付く。
ザラザラとした舌が、敏感な場所を転がす。
強く吸われる。
チュポッ。
音が出る。
「ひグッ……!」
声にならない悲鳴。
人間としての尊厳が、虫の唾液と共に溶かされていく。
もう一匹が、おへそのくぼみに溜まった蜜を吸っている。
くすぐったい。でも、逃げられない。
このままでは、全身の蜜を舐め取られるまで終わらない。
いや、蜜がなくなったら、今度は柔らかい肉を齧り取られるかもしれない。
そんな妄想が頭をよぎり、発狂しそうになる。
「逃げる場所なんて……」
アリサが視線を彷徨わせる。
その時、地面の異変に気づいた。
黒い。
足元の土が、黒く波打っている。
影ではない。
蟻だ。
体長三十センチほどの、巨大な兵隊蟻の群れが、甘い匂いに誘われて地面から湧き出していた。
上からは蜂。下からは蟻。
「下もだ! 足元に気をつけろ!」
セリアが叫ぶ。
蟻たちは蜂よりも凶暴だった。
彼らは舐めるのではない。噛みちぎって持ち帰ろうとする。
ガリッ。
アリサの足首に、鋭い顎が食い込む。
「痛っ!」
蜜ごと肉を削り取ろうとする痛み。
そして、這い上がってくる。
一匹、二匹ではない。数百匹の軍隊。
カサカサという足音が、皮膚の上を直接伝わってくる。
足の指の間。膝の裏。太腿の内側。
ありとあらゆる隙間に侵入してくる。
ミオが悲鳴を上げた。
「入ってくる! 中に入ってくるぅ!」
蟻の行列が、ミオの股間に向かって伸びている。
一番甘い蜜の匂いがする場所へ。
溶けたパンツの中へ、黒い塊が潜り込んでいく。
小さな足が、太ももの内側を這い回る感触。
異物感。
カリカリと肌を引っ掻く感触。
蟻たちは蜜を求めて、さらに奥へ、群がろうとする。
「やだ、やだぁ……!」
ミオが半狂乱で股間を叩くが、蟻は噛み付いて離れない。
叩き潰しても、体液が出てさらに匂いを呼ぶ。
ルナのスカートの中も、黒く染まっていた。
真っ白な太腿が、蟻の絨毯で覆われていく。
ルナが杖を捨てて、スカートの中を払う。
だが、払っても払っても、次から次へと登ってくる。
お尻の割れ目に頭を突っ込もうとする蟻。
柔らかい肉に顎を突き立てる。
空からは蜂の濡れた舌。
地からは蟻の硬い顎と足。
逃げ場のない、360度の捕食空間。
視界が虫で埋め尽くされる。
複眼、触角、節のある足。
それらが密着し、蠢く。
自分の肌の色が見えなくなるほど、虫に覆われる。
「もういやぁ……! 帰りたいよぉ……!」
ミオが泣き叫ぶ。
全身を虫に這い回られる恐怖。
プライドも羞恥心も、虫たちの羽音にかき消されていく。
花粉の熱で思考が麻痺し、恐怖と同時に奇妙な昂揚感が生まれる。
全身を蹂躙されているような錯覚。
無数の舌と足による、強制的な支配の予感に、体が勝手に震える。
セリアが叫んだ。
彼女も顔半分を蜂に舐められながら、必死に活路を探していた。
まつ毛に蜂の足が絡まっている。視界が遮られる。
「匂いだ! 匂いを消すんだ!」
「どうやって!?」
「泥だ! 泥を被れ!」
セリアは躊躇なく、足元のぬかるみに身を投げた。
黒い腐葉土と泥の中に、蜜まみれの体を擦り付ける。
美しい黒髪も、白い肌も、泥に塗れる。
腐った葉の臭いと、冷たい泥の感触。
口の中に泥が入る。砂利の味。
ゴロゴロと転がり、全身に汚泥を塗りたくる。
泥の重みで蜂が驚いて飛び去る。
「えっ……」
アリサは一瞬躊躇した。
ただでさえ汚れているのに、さらに泥まみれになるなんて。
汚い。臭い。
でも、迷っている暇はない。
蟻が太腿を登ってきている。おへその穴に頭を突っ込もうとしている。
「ううっ……!」
アリサも泥の中にダイブした。
ビチャッ。
冷たい泥の感触。
ベタベタした蜜の上に、ザラザラした土が張り付く。
最悪の感触。
温かい蜜と冷たい泥が混ざり合い、セメントのように重くなる。
泥団子のようだ。
髪の毛に泥が絡みつく。耳の中に泥水が入る。
「ミオちゃん、ルナさん! 早く!」
ルナがミオを抱きかかえ、泥の中に倒れ込む。
二人は泥の中を転がり回った。
綺麗な肌が見えなくなるまで。
甘い匂いが、土の臭いで塗りつぶされるまで。
蟻を押し潰し、蜂を振り払い、ただひたすらに汚物の中を転げ回る。
体についていた蟻が、泥の中で潰れる音。
グチャ。
潰れた虫の体液と泥が混ざり、さらに異様な粘体となる。
効果はてきめんだった。
甘い香りが消えた途端、蜂たちは興味を失ったように空へ舞い上がった。
ただの泥の塊には用がない。
蟻たちも、餌の匂いが消えたことに混乱し、散り散りに去っていく。
静寂が戻った。
残されたのは、泥人形と化した四人の少女。
腐敗臭と土の匂いだけが漂う。
「はぁ……はぁ……」
アリサは泥の中で仰向けになった。
目を開けるのも辛い。睫毛に泥がついている。
口の中がじゃりじゃりする。吐き出しても、泥の味が消えない。
涙が出てくる。泥と混ざって、汚い筋を作る。
セリアが起き上がる。
誰だか分からないほど汚れている。
泥の隙間から、まだ黄金色の蜜がのぞいている。
蜜と泥が混ざり合い、髪の毛が硬く固まっている。
胸元も、下半身も、泥で塗り固められている。
だが、その泥の下にある体は、熱く火照ったままだ。
「……助かった、のか?」
セリアの声が震えている。
屈辱。
Cランク冒険者が、全裸で、蜜と泥にまみれて、虫から逃げ回るなんて。
剣で戦うことさえ許されず、ただ「餌」として扱われた敗北感。
「うぅ……ぐすっ……」
ミオが起き上がり、自分の体を見て泣きじゃくる。
真っ黒だ。
白い肌も、可愛らしい顔も、すべて泥の下。
股間には泥が詰まっている。蟻の死骸が混ざっているかもしれない。
手で拭おうとするが、泥が伸びるだけだ。
「最悪……人生で一番、最悪……」
ルナが力なく呟く。
聖女の威厳は欠片もない。ただの薄汚れた女がそこにいる。
アリサは自分の手を見た。
泥と蜜でコーティングされた手。
もう、元の肌の色が思い出せない。
不快指数は限界突破していた。
皮膚呼吸ができないような閉塞感。
全身が痒い。重い。臭い。
そして、まだ肌の奥には花粉の熱が残っている。
汚れているのに、興奮が冷めない。
泥の冷たさと、体の熱さが混ざり合い、奇妙な感覚を生む。
「……水」
セリアがポツリと言った。
「今度こそ、本物の水を探すぞ。……このままじゃ、人間に戻れない」
四人は泥人形のまま、よろよろと歩き出した。
伝説の装備を背負った、世界一汚い冒険者たち。
足を踏み出すたびに、ボタボタと泥が落ちる。
内股が擦れるたびに、ネチャネチャと音がする。
彼女たちの尊厳を取り戻す旅は、まだ終わらない。




