第19話:湿熱の森
平和な朝だった。
窓を開けると、庭のオークの木が風に揺れる音がする。
小鳥のさえずり。遠くから聞こえる教会の鐘の音。
アリサは新しい家のキッチンで、ルナと一緒に朝食の準備をしていた。
フライパンの上でベーコンが踊る。脂が爆ぜる音。香ばしい匂い。
ルナが隣でスープをかき混ぜている。野菜の甘い湯気が立ち上り、彼女の銀髪を少し湿らせている。
横顔が美しい。
この家に来てから、ルナの表情は以前よりも柔らかくなった気がする。
「おはよう、二人とも」
階段からセリアが降りてきた。
寝癖のついた黒髪。少し着崩れた部屋着。
昨夜、アリサのベッドに潜り込んできた時の熱っぽい姿とは違う、無防備な朝の顔。
目が合うと、セリアは少し顔を赤くして視線を逸らした。
昨夜の情事の記憶が、二人の間だけで共有される秘密の熱となって蘇る。
「おはようございます、セリアさん」
「……ああ。いい匂いだ」
遅れてミオが欠伸をしながら起きてくる。
彼女はアリサの腰に抱きついた。
「おはよぉ……アリサちゃん……いい匂い……」
ミオがアリサの背中に顔を擦り付ける。甘えるような仕草。
これもまた、日常になりつつあった。
四人でテーブルを囲む。
焼きたてのパン。熱いスープ。
食事をしながら、今日の予定を話し合う。
「さて、今日はどうする? 装備の調整も済んだし、少し深い階層へ行ってみるか」
セリアがコーヒーを飲みながら地図を広げた。
ガルスの一件以来、近場の浅い階層での訓練を繰り返していたが、それもマンネリ化しつつあった。
伝説級の装備を持て余しているのだ。
「ギルドの情報だと、十階層から十四階層にかけて環境が変化しているらしいわ」
ルナが補足する。
「環境変化?」
アリサが尋ねる。
「ええ。『大森林階層』と呼ばれているわ。地下なのに植物が鬱蒼と茂るジャングルのような場所だって」
「ジャングル……」
ミオがパンを咥えたまま目を輝かせる。
「冒険っぽい! 行こうよ!」
セリアが腕を組んで考え込む。
「植物系の魔物が多いエリアか。炎魔法や私の剣とは相性がいいな。……よし、行ってみるか。ただし、未知のエリアだ。慎重に進むぞ」
方針が決まった。
四人は朝食を終え、身支度を整える。
アリサは自室で着替えた。
下着をつける。肌に布が密着する感触。
その上から、冒険者用のシャツとズボン。動きやすさを重視した丈夫な麻布の服だ。
そして、革の胸当てや籠手をつける。
最後に、背中に『破壊の戦斧』を背負う。
ズシリとした重量感。
これが背中にあるだけで、どんな敵が来ても怖くないと思える。
一階に集合する。
全員、準備万端だ。
セリアの『炎帝の剣』が腰で微かな熱を放っている。
ミオの『賢者の杖』が青白く脈打っている。
ルナの『聖女の首飾り』が清浄な空気を纏っている。
最強の布陣。
この時の四人はまだ知らなかった。
これから向かう場所が、物理的な危険さとは別のベクトルで、彼女たちを脅かす場所であることを。
*
ダンジョンへ入る。
顔見知りの冒険者たちが道を譲る。
「英雄のお通りだ」と囁く声が聞こえる。
誇らしいような、こそばゆいような感覚。
一階層から九階層までは、もはや散歩道だった。
襲ってくるオークやリザードマンを、足を止めることなく蹴散らしていく。
アリサが斧を一振りすれば、敵は紙屑のように吹き飛ぶ。
セリアが剣を抜けば、その熱だけで道が開く。
そして、十階層への階段を降りた時だった。
ムッとした熱気が、下から吹き上げてきた。
今までの冷たく乾燥したダンジョンの空気とは違う。
湿気。
水分をたっぷりと含んだ、生温かい空気。
腐葉土の匂い。濃密な草いきれ。
「うわ……なにこれ」
ミオが顔をしかめる。
「湿気がすごい……」
階段を降りきると、そこは別世界だった。
天井が高い。五十メートル以上はあるだろうか。天井には発光する苔がびっしりと張り付き、薄緑色のぼんやりとした光を落としている。
そして目の前に広がるのは、巨大な木々とシダ植物が覆い尽くす密林だった。
地面はぬかるんでいる。
一歩踏み出すたびに、ブーツが泥に沈む。ジュポ、という湿った音。
視界が悪い。巨大な葉が生い茂り、先の見通しが利かない。
「……暑い」
セリアが襟元を緩めた。
まだ歩き始めたばかりなのに、首筋に汗が滲んでいる。
湿度が高いせいで、汗が蒸発しないのだ。肌にまとわりつくような不快感。
「進もう。道はある」
セリアが先頭に立ち、剣で邪魔な蔦を払いながら進む。
ジュッ。
炎の剣が蔦に触れると、水分を含んだ植物が蒸発し、白い蒸気が上がる。
その蒸気がさらに周囲の湿度を上げる。
悪循環だ。
十分も歩くと、全員が汗だくになっていた。
アリサのシャツは背中に張り付いている。下着の中まで蒸れているのが分かる。太腿と下着のゴムが擦れる部分が痒い。
髪が首筋にまとわりつく。
不快だ。
「ねえ、なんかベタベタしない?」
ミオが自分の腕をさする。
「空気に、何か混じってるみたい……」
ルナも眉をひそめる。
確かに、ただの湿気ではない。
肌に触れる空気に、微かな粘り気がある。
呼吸をするたびに、肺の中が甘ったるい重さで満たされていくような感覚。
ガサリ。
頭上の木々が揺れた。
風ではない。何かがいる。
「上だ!」
セリアが叫ぶ。
落ちてきたのは、巨大な木の実……ではなかった。
半透明の、緑色の塊。
スライムだ。
バレーボールほどの大きさのスライムが、ボタボタと雨のように降ってきた。
「きゃっ!」
ミオが悲鳴を上げる。
頭上から落ちてきたスライムが、ミオのローブの肩に着地する。
ベチャッ。
嫌な音。
「ファイアボルト!」
ミオが杖を突き出し、至近距離で焼こうとする。
「待ってミオ! そんな距離で撃ったら自分が燃えるわよ!」
ルナが止める。
アリサが駆け寄り、手でスライムを払い落とそうとした。
グニョリとした感触。
掴めない。指の間をすり抜ける。
「なんだこいつら……斬っても手応えがない!」
セリアが剣を振るう。
スライムは両断されるが、すぐにドロリと融合して元に戻る。
核がないのか、それとも液体そのものなのか。
数十匹のスライムが、四人の周りを囲むように落ちてくる。
攻撃してくる様子はない。ただ、まとわりついてくる。
アリサの腕に、足に、背中に。
冷たくて、ヌルヌルとした感触。
「うざったい……! 吹き飛ばす!」
アリサは『破壊の戦斧』を構え、地面を叩いた。
ドォン!
衝撃波。
周囲のスライムが弾け飛び、霧散する。
物理的な破壊力で、無理やり飛散させたのだ。
「ふぅ……なんとか追い払ったか?」
セリアが剣を下ろす。
だが。
異変はすぐに起きた。
「……あれ? なんか、熱い」
ミオが自分の肩を押さえる。
さっきスライムが落ちてきた場所だ。
ローブの生地が、濡れたように変色している。
いや、違う。
溶けている。
ジュワジュワ……という微かな音が聞こえる。
分厚い魔道士のローブが、スライムの体液が付着した部分から、見る見るうちに浸食されていく。
繊維が解け、ドロドロの液体になって滴り落ちる。
「え、ええっ!?」
ミオが慌てる。
肩口の布が完全に消失し、下の白いシャツが露わになる。そしてそのシャツさえも、黄色く変色し始めている。
酸だ。
それも、布や革といった有機物だけを選んで溶かす、特殊な溶解液。
「服が……溶けてる……!」
ルナも自分のスカートの裾を見て青ざめる。
跳ねたスライムの欠片が付いた場所から、虫食いのように穴が空き始めている。
白い太腿がチラリと覗く。
「まさか……」
アリサは自分の胸元を見た。
胸当ての革ベルト。そこにスライムが付着していた。
革が飴細工のように溶け、千切れる。
胸当てがガクリとずれた。
その下のシャツにも染み込んでいる。冷たい液体が肌に触れる。
ピリピリとした刺激。
「装備を確認しろ!」
セリアが叫ぶ。
彼女自身も、ブーツの一部が溶けて素肌が見えている。
幸いなことに、伝説級の武器や防具そのものは無事だった。
『炎帝の剣』も、『賢者の杖』も、ミスリルやオリハルコンといった魔法金属で作られた部分は、スライムの酸を弾いている。
だが、それらを身につけるための革紐や、その下に着ている普通の布服は、防御力を持たない。
「嘘でしょ……このローブ、高かったのに……」
ミオが泣きそうな顔をする。
肩が大きく露出し、下着のストラップが見え隠れしている。
さらに悪いことに、溶けた布とスライムの粘液が混ざり合い、糸を引くようなネバネバした物質に変化して肌に張り付いている。
「気持ち悪い……取れない……」
ミオが手で拭おうとするが、余計に広がるだけだ。
ヌルヌルと光る肌。
「このスライム……装備を破壊するタイプか」
セリアが苦渋の表情を浮かべる。
攻撃力自体は大したことがない。毒でもない。
ただ、服を溶かす。
冒険者にとって、これほど厄介で、恥ずかしい敵はいない。
「どうしますか? 撤退しますか?」
アリサが尋ねる。
胸元のシャツが溶け、谷間が露わになりかけている。手で隠すが、指の間からネバついた液体が溢れる。
セリアは迷った。
伝説の装備のテストにはなった。武器は無事だ。
だが、服が持たない。
このまま進めば、全裸になる危険性すらある。
しかし、ここで帰るのはプライドが許さない。Bランク冒険者が、たかがスライムに服を溶かされて逃げ帰ったなど、末代までの恥だ。
「……進むぞ」
セリアが決断する。
「敵の攻撃パターンは分かった。近寄らせなければいい。遠距離から焼き払う」
「ええー……」
ミオが不満げな声を上げるが、ルナが嗜める。
「服の予備は持ってるわ。最悪、着替えればいいのよ」
「着替える場所なんてないよぉ……」
四人は警戒を強め、奥へと進むことにした。
だが、この階層の湿度は、さらに増していく。
蒸し風呂のような熱気。
全身から噴き出す汗。
溶けかけた服が肌にまとわりつく。
通気性が失われ、体温が籠もる。
「はぁ……はぁ……暑い……」
ミオの呼吸が荒くなる。
顔が赤い。
汗で濡れた前髪が額に張り付いている。
溶けたローブの隙間から見える肌も、汗で光っている。
首筋を伝う汗の雫。鎖骨のくぼみに溜まる。
アリサも限界近かった。
背中を汗が流れる感触が気持ち悪い。
胸の下、太腿の付け根、膝の裏。
あらゆる関節が蒸れている。
服を脱ぎ捨てたい衝動に駆られる。
いっそ、溶けてなくなってしまった方が涼しいのではないか。
そんな危険な思考が頭をよぎる。
前を歩くセリアの背中を見る。
彼女のシャツも汗で透けていた。
引き締まった背中の筋肉。背骨のライン。
そして、黒い下着のラインがうっすらと浮かび上がっている。
アリサは喉が渇くのを感じた。
暑さのせいだけではない。
この蒸せ返るような湿気と、衣服が溶けていくという背徳的な状況が、理性を少しずつ麻痺させていく。
ジュポ。ジュポ。
泥を踏む音が、どこか卑猥に響く。
「……休憩しよう」
セリアが足を止めた。
少し開けた場所。大きな岩の上なら、泥を避けられる。
四人は岩の上に登り、へたり込んだ。
「水……」
ミオが水筒に手を伸ばす。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
口の端から水が溢れ、顎を伝って首筋へ、そして溶けた服の隙間から胸の谷間へと流れ落ちていく。
それを拭おうともしない。
「服……どうなってる?」
セリアが自分の腰を見る。
ベルトの一部が溶け、ズボンがずり落ちそうになっている。
太腿の外側が大きく破れ、白い肌が露出している。
「ひどいありさまだな」
苦笑するセリア。だが、その乱れた姿は、戦う女の色気を濃厚に放っていた。
アリサは自分の胸元を確認した。
シャツのボタン周りが溶けて、生地が薄くなっている。
透けている。
ピンク色の乳輪が、汗で濡れた布越しにぼんやりと見えている。
恥ずかしい。
腕で隠そうとするが、粘液が糸を引いて余計に目立つ。
「ルナちゃん、後ろ向いてて。ちょっと直すから」
ミオがローブの裾を結び直そうとする。
スカートの中が見えそうだ。
白いパンツ。そこにもスライムの飛沫が飛んだのか、小さな穴が空いている。
誰も口には出さないが、全員が互いの露出した肌を意識していた。
視線のやり場に困る。
でも、見てしまう。
汗ばんだ肌。上気した顔。乱れた服。
この異常な環境が、四人の羞恥心のタガを緩めていく。
「……ねえ」
ミオがポツリと言った。
「なんか、体……変じゃない?」
「え?」
「暑いんだけど……なんか、体の奥がムズムズする……」
ミオが太腿を擦り合わせる。
アリサも感じていた。
ただの暑さではない。
下腹の奥に、小さな火種が生まれたような感覚。
この森に充満する甘い香りのせいだろうか。
それとも、溶けかけた服が肌を刺激するせいだろうか。
セリアと目が合う。
セリアの瞳が潤んでいるように見えた。
汗なのか、それとも。
「……気のせいだ。疲れてるだけだ」
セリアが断ち切るように言った。
だが、その声は微かに震えていた。
まだ十階層の入り口。
この先には、さらなる湿気と、粘液と、甘い罠が待ち受けている。
彼女たちの服が、そして理性が、どこまで持つのか。
それはまだ、誰にも分からなかった。
10万文字を超えました。
ここまで読んでくださった方に、心より感謝申し上げます。
高評価、リアクション、感想ありがとうございます。
まだまだ続きます。
どこまで書き続けられるか分かりませんが、よろしくお願いいたします。




