第14話:訓練
カーテンの隙間から白い光が差し込む。
アリサは重い瞼を開けた。
鼻先をくすぐる甘い匂い。石鹸と、汗と、雌の匂い。
腕の中に温かい重みがある。
ミオだ。
小柄な体を丸め、アリサの胸に顔を埋めて眠っている。昨夜の涙の跡が頬に残っている。首筋には赤いキスマーク。自分がつけた印。
記憶が蘇る。
ミオの怯えた顔。震える肌。受け入れた時の熱さ。
やってしまった。
セリアという恋人がいながら、ミオを抱いた。
罪悪感が胃の腑に冷たく広がる。でも、腕の中のミオがあまりに安らかに眠っているのを見て、後悔はできなかった。
ミオが身じろぎする。
「……ん……ありさちゃん……」
薄く目が開く。とろんとした瞳。
「……おはよう、ミオちゃん」
「おはよ……」
ミオがすり寄ってくる。猫のように頬を擦り付ける。
「あったかい……怖くない……」
昨日の恐怖は薄れているようだ。アリサの体温が塗り替えた。
だが、その代償にミオの瞳には過度な依存の色が宿っている。
「起きなきゃ。みんなが待ってる」
「やだ。もっとくっついてたい」
ミオが腕に力を込める。柔らかい胸が押し付けられる。
ドアの向こうから足音が聞こえた。セリアの足音だ。
アリサの心臓が跳ねる。
「ミオちゃん、着替えて。早く」
急かしてベッドから出る。シーツに散った愛液の跡を隠すように布団を整える。
リビングに降りると、セリアとルナがすでに起きていた。
セリアが窓辺で剣を磨いている。朝日に照らされた横顔が美しい。そして怖い。
「……おはよう」
セリアがこちらを見る。青い瞳。
「おはようございます……セリアさん」
アリサの声がわずかに上擦る。
セリアの視線がアリサの首筋、そして遅れて降りてきたミオの様子を観察する。
ミオはアリサの背中に隠れるようにして立っている。
「ミオ。具合はどうだ」
セリアが静かに聞く。
「……だいじょうぶ。アリサちゃんが……一緒にいてくれたから」
ミオがアリサの袖をギュッと握る。
セリアの眉がピクリと動いた。だが、何も言わない。
「飯にしよう。今日は訓練だ」
セリアが剣を鞘に納める。カチン、という硬質な音が部屋の空気を切った。
*
朝食のテーブルは重苦しかった。
ルナが作ったスープとパン。味はいいはずなのに、喉を通らない。
ミオだけが食欲を取り戻している。アリサの隣に座り、膝をくっつけて食べている。時折、テーブルの下で太腿を撫でてくる。
アリサは冷や汗をかきながらスープを流し込む。
向かいのセリアは無言で肉を切っている。ナイフが皿に当たる音が鋭い。
「食べ終わったら庭に出るぞ」
セリアが口を拭う。
「昨日の失態。二度と繰り返さないために、装備を体に叩き込む」
庭に出る。
芝生が広がる緑の空間。だが今は処刑場のように感じる。
四人が装備を身につける。
アリサは『破壊の戦斧』を握った。ずしりとした重み。この重さが落ち着く。単純な暴力の象徴。
「まずは基礎訓練。ミオ、魔法を撃て。的はあの岩だ」
セリアが庭の端に置かれた巨岩を指差す。
ミオが『賢者の杖』を構える。
「……うん」
杖を握る手が震えている。昨日の記憶。首にナイフを当てられた感触。
「できないのか?」
セリアの声が低い。
「ちがう……やる」
ミオが深呼吸をする。チラリとアリサを見る。アリサが頷くと、ミオの目に力が宿った。
「ファイアボルト!」
ドゴォォォォン!
爆音。
巨岩が炎に包まれ、爆散した。破片がバラバラと降り注ぐ。
ただの初級魔法が、榴弾砲のような威力になっている。
「ひっ……!」
ミオ自身が威力に怯えて尻餅をつく。
「甘えるな! 立て!」
セリアが怒鳴る。
「その力が昨日あれば、人質になんてならなかった! 泣くな! 力を制御しろ!」
鬼のような形相。
ミオが涙目で立ち上がる。
「次! ストーンバレット! 十連射!」
セリアの指導は苛烈だった。
昨日の無力感。仲間を危険に晒した自分への怒りを、訓練にぶつけているようだった。
「アリサ。私と組手だ」
セリアが剣を抜く。刀身が赤熱し、陽炎が立つ。
「本気で来い。殺す気で来ないと怪我をするぞ」
その目は本気だ。
アリサは斧を構えた。
罪悪感を消すには、体を動かすしかない。痛みで誤魔化すしかない。
「行きます!」
地面を蹴る。
芝生がめくれ上がる。
斧を振り下ろす。単純で、最強の一撃。
セリアが剣で受け流す。
ギャリィィン!
凄まじい金属音。火花が散る。
重い。
セリアの剣が重い。体重以上の圧力がかかってくる。
「隙だらけだ!」
セリアの蹴りがアリサの脇腹に入る。
ドグッ。
息が止まる。衝撃で吹き飛ばされ、芝生の上を転がる。
痛い。でも、その痛みが心地いい。罰を受けているようだ。
「立って! 昨日の男たちは待ってくれない!」
アリサは跳ね起きた。
斧を横に薙ぐ。風を切る音。
セリアがバックステップでかわし、踏み込んでくる。
剣がアリサの首元寸前で止まる。熱気で皮膚がチリチリする。
「遅い。迷いがある」
セリアがアリサを睨みつける。
「何に怯えている? 私か? それとも昨日の記憶か?」
「……ッ!」
図星を突かれ、アリサは歯を食いしばる。
違う。私が怯えているのは、あなたへの裏切りだ。
アリサは吠えた。
迷いを断ち切るように斧を振るう。
ガン! ガン! ガキン!
剣と斧が激突するたびに衝撃波が広がる。
汗が飛び散る。筋肉が悲鳴を上げる。
思考が消えていく。
ただ目の前のセリアにぶつかることだけ。それだけが許された贖罪のように。
一時間後。
四人は芝生に大の字になって倒れていた。
全員、泥と汗まみれだ。
呼吸が荒い。心臓がうるさい。
空が青い。雲が流れていく。
「……はぁ、はぁ……死ぬかと……」
ミオが呻く。
「でも……魔力の使い方が分かってきました」
ルナが汗を拭う。
セリアが起き上がり、水筒の水を頭からかぶった。
濡れた髪が張り付く。水滴が顎から胸元へ流れ落ちる。
色っぽい。
アリサはドキリとする。
セリアがアリサを見下ろした。
「……いい動きだった。少しは吹っ切れた顔をしてる」
「はい……ありがとうございます」
セリアの手が伸びてきて、アリサの頬の泥を親指で拭った。
ザラついた指の感触。
アリサの体が強張る。
セリアはふっと優しく笑った。
「午後は魔法防御の訓練だ。昼飯にしよう」
*
昼食は簡単に済ませ、午後の訓練へ。
日が傾くまで体をいじめ抜いた。
夕暮れ。
全員が限界だった。指一本動かせないほどの疲労。
でも、昨日のドロドロとした恐怖は、心地よい疲労感に上書きされていた。
「風呂……入ろう」
誰かが言った。
家のバスルーム。
大理石の広い浴槽に、並々と湯が張られている。
四人で入る。
お湯が溢れる音。湯気。
裸の付き合い。
ミオの体には、まだ昨日の痣が薄く残っている。
アリサの体にも、セリアとの組手でできた打撲痕がある。
「はぁ……生き返る……」
ミオがセリアの隣ではなく、アリサの隣に座った。
お湯の中で、ミオの手がアリサの太腿に触れる。
ビクリとする。
ミオが上目遣いで見てくる。秘密を共有する共犯者の目。
(アリサちゃん……)
口パクで呼ばれる。
指先が内腿を這う。昨夜の記憶を呼び覚ますように。
アリサは息を止めた。セリアがいる。すぐ隣に。
セリアは目を閉じて湯に浸かっている。気づいていないのか。
いや、セリアの手が湯の中で動いた。
アリサの反対側の手を掴む。
強い力。
爪が食い込むほど強く、所有権を主張するように。
「アリサ」
セリアが目を開けずに呼ぶ。
「は、はい!」
「背中、流してくれ」
「あ……はい」
アリサは立ち上がり、セリアの背後に回る。
ミオが不満そうに唇を尖らせるが、何も言えない。
スポンジに泡を立てる。
セリアの広い背中。筋肉質な肩。
洗っていく。
白く滑らかな肌。昨日はここに抱きついて泣いた。
罪悪感と愛しさが胸の中で渦巻く。
「……今日はよく頑張ったな」
セリアがポツリと言う。
「セリアさんこそ……」
「私は焦っていた。ミオを守れなかった自分が許せなくて」
セリアが振り返る。
濡れた瞳。
アリサの首を引き寄せ、耳元で囁く。
「今夜は……私の部屋に来い」
命令だった。
拒否権のない、絶対的な命令。
アリサの背筋に電流が走る。
バレているのか。それとも、ただ恋しいだけなのか。
どちらにせよ、逃げられない。
「……はい」
*
夜。
ミオはルナの部屋で寝ることになった。
「アリサちゃん……」
寝る前、ミオが廊下ですれ違いざまに袖を引いてきた。
「今日は……来てくれないの?」
潤んだ瞳。昨夜の快楽を覚えている体。
「ごめんね、ミオちゃん。今日は……セリアさんに呼ばれてるの」
アリサは心を鬼にして手を離した。
ミオが傷ついた顔をする。
「……そっか。リーダーだもんね。……また、明日」
泣きそうな顔をしてミオは去っていく。
アリサはセリアの部屋のドアをノックする。
「入れ」
中に入ると、セリアがベッドに座っていた。
ワインを飲んでいる。サイドテーブルには空になったボトルが一本。
薄いガウン一枚。胸元が大きく開いている。
「こっちへ」
セリアがグラスを置く。
アリサが近づくと、腕を掴まれ、ベッドに引き倒された。
覆いかぶさるセリア。
酒と香油の匂い。
瞳が据わっている。
「昨夜……ミオと寝たな」
心臓が止まるかと思った。
「え……あ……」
「お前らを見てればわかる。ミオの、あの甘えっぷりを見ればな」
鋭い目つきをしたセリアの顔が近づく。
「セリアさん、それは……ミオが怖がってて……」
「慰めたのか?」
「……はい」
「体で?」
アリサは言葉を失う。
セリアが冷ややかに笑う。
「優しいな、アリサは。……残酷なくらい優しい」
セリアの手が、アリサの胸を乱暴に掴む。
「んぐっ……!」
痛い。爪が食い込む。
「私だけじゃ足りないか? あんな子供の方がいいか?」
「ちがっ……違います! 私はセリアさんが……!」
「なら証明しろ」
セリアがアリサの唇を塞ぐ。
噛みつくようなキス。血の味がする。
舌が強引に入り込み、口内を蹂躙する。
息ができない。
セリアの手が服を引き裂くように脱がしていく。
露わになる肌。
昨夜、ミオが愛した体。それをセリアが上書きしていく。
首筋に噛み跡をつける。胸に爪痕を残す。
所有印を刻み込むように。
「お前は私のものだ。誰にも渡さない。ミオにも、誰にも」
独占欲。嫉妬。
それが快感のスパイスになる。
アリサの体が熱く疼く。
怒っているセリアが怖い。でも、そんなに執着されていることが嬉しい。
「セリアさん……もっと……私を……」
アリサがセリアの背中に爪を立てる。
「ああ。分からせてやる。お前が誰の女か」
セリアの指が乱暴にこじ開ける。
濡れた音。
痛みと快感が同時に走る。
昨夜の優しい慰めとは違う。これは所有の儀式だ。
「あぁっ! セリアさんっ! すきっ! 大好きっ!」
アリサは泣きながら叫んだ。
セリアの顔が歪む。愛しさと悔しさが混ざった顔。
「私もだ……くそっ、愛してる……!」
二人は獣のように絡み合った。
夜が更けるまで。
互いの匂いで、記憶も罪悪感もすべて塗りつぶしてしまうまで。
セリアがアリサの上で腰を揺らす。
汗が滴り落ち、アリサの胸を濡らす。
快楽の波が止まらない。
ミオの影が頭の隅に残っている。それが背徳感を煽り、さらに体を熱くする。
裏切りの罪と、愛される悦び。
アリサはセリアの腰にしがみつき、自らも腰を突き上げる。
「セリアさん……中……熱い……」
「感じろ……私の指を……私の熱を……」
セリアが指を深く沈める。子宮口をノックする。
脳が痺れる。
理性が焼き切れる。
「ああっ! いくっ……! 一緒に……!」
絶頂。
視界が白く染まる。
二人は固く抱き合い、果てた。
荒い息だけが部屋に響く。
セリアがアリサの胸に顔を埋める。
「……絶対に、離さないからな」
掠れた声。
それは脅迫のようでもあり、懇願のようでもあった。
アリサはセリアの髪を優しく撫でた。
この歪で甘美な関係から、もう逃げられないことを悟りながら。




