藪蛇
アルファポリスにて2025年1月1日公開していた作品。
我が家には大きな蛇がいる。
いつからいるのかはわからないがずっと昔から、それこそこの土地に先祖が疎開してきた時代からいる。
「ぷーちゃんは変な蛇だよね」
そう言われると黒蛇は首をもたげる。
まるで失敬だと言わんばかりにその視線はチクチクと質量を持っているようで痛い。
「だって冬に冬眠しないじゃん」
家が暖かく冬眠しないペットの爬虫類や両生類がいることは知っている。
しかしぷーちゃんは雪が積もっていても気にするわけではなく雪に積もった庭をよく横断している。
そんな爬虫類がいてたまるか。
「プー」
名前となった鳴き声をあげるとそんなことかと言わんばかりに先ほどのように寝転がるぷーちゃんのしっぽを掴んで引き寄せる。
「蛇は変温動物なのにぷーちゃんはあったかいし訳わかんない」
両親にこの蛇は不思議だから研究機関に出そうと言ったことがあるが「我が家の神様だからだめよ」と非科学的なことを言って断られた。
子供とは言えこの家は両親のものだ。
ぷーちゃん含め決定権は両親にある。
暖を取るつもりで腹の上に置けば体をくねらせて逃げようとするぷーに足を絡める。
「行かないで!寒いんだから!」
抱き枕にしては細すぎる胴体に抱きつけばビチビチと左右に体を揺らすが離す気がないと察すると力なく伸びた。
「それでいいのよ」
頭を胴体に乗せ眠る姿勢を取る。
昨日今週分の宿題を全部やったから疲れているんだ。
視界がぼやける。
自分より体温の高い蛇をその筋の専門家は驚く奇跡を枕にしているなんて、そんな驕りを抱き微笑む。
「人は愚かだ」
よく通る男性の声がした。
声のした方を向くとどこか神主を思わせる和服の男が私を見てそんなことを言った。
──ちがう、私の後ろを見て言っている。
「そうね」
振り返ると古い着物を着た自分と同じ年ぐらいの少女が似つかわしくない大ぶりな刀を引きずり男の言葉に同意する。
「人間風情が神を殺せるとでも思っているのか」
「"成せばなる"って言葉が未来ではあるそうよ」
「道化に唆されよって」
聞き覚えのある単語にびくりと体がはねた。
夢にしてはこの場の緊張感が苦しい。
完全に自分の世界とは違う別世界の夢であればこんなことは思わなかっただろう。
見覚えのある山並みに唾を呑む。
男は顔を顰め舌打ちを打つと少女に手を差し出す。
「お前にソレは荷が重すぎる
己に渡せ、なかったことにしてやる」
「そうやってまたみんな押し流すの!?」
少女はそう叫んだ。
その声は奪われた者の慟哭のように聞こえ、まるで自分もその痛みを知っているかのように涙が出て視界が霞む。
── 止めなきゃ
少女は刀を大きく振りかぶり今にも振り下ろそうとしている。
本能的にその刀を止めなければならないと少女に向かって手を振りかざすが両手が触れる距離なのに手は宙を掻く。
── なんで!!
「龍を蛇に 神を怪生へ堕としたところでお前の望みは叶わない」
「何も叶わなくていい、ただ私がやらないと誰かが障りを受ける
だったら私でいいじゃない」
「……愚か者が!」
風が頬を撫でる。
そのあとすぐにビシャと音を立てて背中に何か温かいものがかかりゆっくり振り返る。
「悪趣味だな」
腕が血溜まりに落ちるのを見た。
「……ぷーちゃん?」
蛇と人を結びつけるなんて、普段ならそうおもうのに自然と口から名前が出た。
名前を呼ぶと目が合った気がした。
「お前は自分の夢に帰れ、これは俺の夢だ」
残った腕で少女との間から押し出される。
するとバランスを取ろうと反射的に出た足の先は沼のようにぬかるんでおり、呑み込まれるように引っ張られ沈んでいく。
「待って、ぷーちゃんどういうことなの!なんで」
「知らなくていい」
問おうとした言葉は制止された。
「お前は知らなくていいんだ、巳咲」
優しげな表情からはどうしても少女に斬られるようなことをしたようには見えない。
ただ静かに沈んでいく体をばたつかせなんとかしようともがくも
ぷーちゃん、ぷーちゃん!
視界の半分が黒に染まった頃また血飛沫が上がった。
もう片方の腕も切り落とされたのだと、わかった。
完全に地面に自分の口から溢れる気泡を無力にも眺めていると声が響いてきた。
『貴方が神である限り貴方の幸せは訪れないじゃない』
先ほどの少女の声だ。
『神から人へ、それができなくても竜から巳へ
せめて私たちと同じ理に帰ってきてよ──』
なぜあの少女があんな凶行に至ったのかわかった。
「でもそれじゃみんな不幸だよ…」
わかってる。
あの少女が取れる方法がこれだけだったんだって。
" プー "
鳴き声が聞こえた。
まぶたを開けると寝る前に見た縁側のままだ。
目の涙を拭いながら起き上がるとビタンとプーちゃんが尻尾を地面に叩きつけていた。
「ごめんごめん!もうしないから!」
手を離すとシュルシュルととぐろを巻きこちらを正視する蛇に先ほどの夢は過去に起きた現実だったのではないかと一瞬思った。
「そんなわけないよね」
あんなすれ違い、悲劇でしかない。
「プーちゃんはただのヘビだもんねー」
ピット器官の周りを指で撫でればシャー!と猫のような威嚇音を出し、器用に尻尾で襖を開けるとこたつのある居間にしゅるりと逃げていった。
「怒らせちゃった」
この土地は蛇と縁が深い。
私の苗字で地名でもある巳咲はその昔、この土地にいた荒神を退治した若者の名前から来ている。
「巴ー、みかん持ってきてー」
こたつにいる母の声が聞こえた。
何も知らない。
何も見てない。
何も気づかなかった。
プーちゃんの胴体に対になるような位置に傷があることも、蛇なのに温かい理由なんて知らない。
知ろうとは、──もう思わない。