言霊
一
初めて生で見た白石麻衣ちゃん(愛称まいやん)は顔がとっても小さくてそれでいてふわふわととろける綿飴みたいなオーラを持っていた。私はこの日初めて彼女と握手会で握手を交わしたんだけどきっとこの体験を生涯忘れることはないだろう。今は世界的なパンデミックの影響でアイドルの握手会などは中止されるケースが多いけど私がまいやんの握手会に参加したのは十四歳の時でもうかれこれ六年くらい前の話になる。
アイドルの握手会に参加するためには意外とお金がかかり無料ではないというのは恐らく多くの人が知っているかもしれない。アイドルたちの握手会に参加するためには握手券付きのCDを買う必要があってこれがまず最初の関門になるだろう。なぜ関門になるのかというとアイドルが発売するCDというのはかなりの数があるからだ。通常盤や初回限定盤…とにかく色々あり握手券付きのCDを買わないと握手会に行ってもアイドルと握手できない。また握手会にもいくつか種類があって大きく分けると全国握手会と個別握手会がある。まぁ何が言いたいのかというとアイドルと握手するだけでも結構な手間になりさらにお金がかかるということだ。
私が推していたまいやんが乃木坂46を卒業したのは2020年。この時私はものすごく寂しい気持ちになった。これまでずっと推していたのにアイドルを卒業してしまうのだから寂しい気持ちになるのは仕方ない。十年間片思いをしていてようやく告白したけど名前すら覚えてもらっていなかったみたいな敗北感を味わったのだ。けどまいやんがアイドルを卒業したとしても彼女を応援し続けるつもりだったし残された乃木坂46だって引き続き応援しようと思っていた。
…なのに。
私はまいやんという天使みたいな人を見て元気をもらえたような気がする。同時に、自分もアイドルになって人を幸せにしたいと思うようになる。十四歳のある日アイドルになろうと誓っていろんなアイドルグループのオーディションを受けたけど全てダメでアイドルになれなかった。そのままズルズル二十歳を迎えてしまいアイドルになるにはもう年齢的に厳しくなってしまう。もうダメだ。私はアイドルはなれない。
いつからか私はアイドルを応援するのが嫌になってしまった。一体なぜ?その理由は簡単だ。それは私がアイドルになれず限界を感じているからでありアイドルなんてものは本当の意味で人を幸せにはできないような気がして仕方ないからだ。私もまいやんのようなアイドルになりたい。まいやんは私に希望を与えてくれた。私の夢はアイドルになって全ての人に幸せになってもらいたいということだ。だけど夢は願っていれば必ず叶うものではないのは判っている。それはそうだ。誰でも願うだけで夢が叶うならこの世から絶望はなくなるだろうしもっと幸せに満ちた生活を送れるようになるかもしれない。それでも現実は厳しい。乃木坂46の第5期生の競争倍率は7986倍でこれはもう東大に合格するよりも遥かに難しい。つまり選ばれた人間しかなれないのだ。私には煌びやかに光り輝く才能がなかったのだろう。ビジュアル偏差値も足りなかったのかもしれない。アイドルになりたいのになれない。それは三角木馬に乗せられてフルマラソンを走らされるような圧倒的な苦痛だ。
アイドルのオーディションに落ち続けた私は特にすることもなくアルバイトと自宅を往復する日々を送っていた。もう二十歳、立派な大人だっていうのに私は高卒でさらに居酒屋でアルバイトをしているだけのちっぽけな人間なのだ。
居酒屋で働くアルバイトたちはみな私と同じくらいの年齢だけど大体は大学や専門学校に通っていて私のような完全なフリーターは少なかった。同時に男子アルバイトたちの多くはアイドルが好きだったりして仕事の休憩中によくアイドルをはじめとする推しの話をしていたりする。時折私も話を振られることがあったけどアイドルの話を聞くだけでも蕁麻疹が出るような気がしてその場から離れることが多くなった。アダムスファミリーのアダムス一家の中に突如放り込まれるみたいな感じになるのだ。
けど不思議な人もいる。それは私と同じフリーターなんだけど年齢は三十歳に近い久村壮っていう男の人だ。この人はなんというか不思議なオーラがあって少し近寄りがたい。ジョジョでいうと岸辺露伴みたいな存在だし自分のスタンドを持っていたとしも何ら不思議ではない。
なぜ私がこの壮さんの話を持ち出しかというとこの人にだけ自分の秘密を話してしまったからだ。自分の秘密とはアイドルを目指していたということで、実を言うと壮さんを除くアルバイト先の人間たちにはそのことを全く話していない。言えば笑われると思ったし笑われるのは屈辱的だと思ったからなんだけどどういうわけか壮さんにはその秘密を話してしまった。なぜ話したかというと壮さんが自分の夢を語ってくれたからだ。
壮さんの夢。それは漫画家になることだという。彼は幼いことからずっと絵を描いていて中学生になる頃から自作の漫画を描き始めいろんな出版社に投稿しているのだという。けどいくら投稿しても全く反応はなし。それでもめげずに漫画家になる道を突き進んでいるのだ。壮さんがそれを言ったのはお客さんがほとんどいなくなった平日の深夜四時くらい。店内の店員はあたしと壮さんと店長しかいなくて朝五時閉店だからそろそろ店の片付けをしようと思っていた時、壮さんが徐に言ったのだ。
「凛ちゃんって何か夢はあるの?」
あたしは生ゴミをゴミ袋に入れながら答える。
「夢ですか?ないですね」
「したいこととかないの?」
「ないです」
「そう。俺はね、漫画家になりたいんだ。幽遊白書とかワンピースとかドラゴンボールとか、そういう風なバトル漫画が描きたいんだよね」
「漫画描いてるんですか?初めて聞きました」
「うん。もう十年以上」
「諦めようと思ったことはないんですか?」
「それはあるよ。もう何度もね。でもその度にもう一回描いてみようって気持ちになってこんな風にズルズル描いてる感じかな。凛ちゃんはまだ若いのにやりたいことがないのはもったいないよ」
やりたいことはあった。それはアイドルだ。でも私はもう二十歳でアイドルを目指す年齢ではない。もちろん二十歳でアイドルになる人はいるにはいるけど結構少ない。大抵が十代でデビューするし中には小学生でアイドルになる人間だっているのだからアイドルの中で二十歳はベテランなのだ。
「昔はやりたいことがあったんです」
と私。
すると壮さんは興味深そうに瞳を瞬きながら
「やりたいことって何?よかったら教えてくれないかな?」
「笑われるから言いたくないです」
「笑ったりしないよ。俺なんてもう三十だぜ。なのにまだ漫画家という夢に縋りついてる。だから俺は絶対に人のやりたいことを笑ったりしない」
ふと壮さんを見つめる。彼は店のユニフォームである黒い制服をビシッと着ていてその姿はどことなくファーストコンタクトものによくある異星人みたいに見える。
「じゃあ言いますけど」私は顔を真っ赤にさせながら言う。「アイドルになりたかったんです」
「なるほど。だから君はアイドルの話をすると逃げるようにその場から立ち去っていたんだね」
「まぁそうです。今までいくつかアイドルのオーディションとか受けたんですけど全部ダメだったんです。昔はアイドルが大好きで私もなりたいと思ったんですけどアイドルになれなくなったら途端アイドルが憎らしくなってしまって」
昔名探偵コナンでハンガーを投げつけられてそれが原因で人を殺してしまった事件があったけど私もなんとなくその気持ちは判る。アイドルになれないからアイドルが憎いのだ。けど絶対こんな感情はよくない。
しばしの間があった後、壮さんが答える。「凛ちゃんはまだ若いよね。今からまたオーディション受けたらいいじゃない」「無理ですよ。アイドルになるには二十歳じゃ遅いんです」「そうなのかな?三十歳とかだったからなんとなく話は判るけど。確かAKB48の柏木由紀さんは三十歳過ぎてもアイドルをしてるよね?二十歳ならまだこれからだよ」「まぁそうかもしれないんですけど、なんとなくアイドルの体制っていうかそういうものも嫌になってしまったりして」「アイドルの体制?」「まぁ特典をいっぱい付けてCDを買わせるとかそういうことです。アイドルの歌ってどこか一過性であまり記憶に残らないっていうかそんな気がするんです。だからたとえアイドルになったとしてもそれは私の目指したアイドルなんだろうかって疑問を感じるんですよ」「確かに今のアイドルは松田聖子とかそういった時代のアイドルとは違う。身近になったし数も多い。それこそ星の数のほどアイドルはいるからね」「このバイト先でもアイドルを応援する人は多いですけどどうして応援するんだろう?まぁ私も昔は応援していた身だからおかしな話なんですけど」「それはきっと束の間を夢を与えるからだよ」「束の間の夢?」「そう、束の間の夢。嫌な現実を忘れさせてくれるって言うのかな?それに君も言ったけどアイドルってさ、イベントの参加券なんかをCDに付けるでしょ。だからCDを買う人の多くはその歌がいいから買うのではなくイベントの参加券が目的で買ったりするよね。まぁこれが批判の対象になってるみたいだけど今はCDが売れない時代だからいろんな理由をつけて販売戦略を立てるのは生き残るために必要なのかもしれない。でもね、それじゃダメなんだ」「確かにそう思います。松田聖子の歌は今も歌われるけどアイドルの歌は古くなると歌われない。鮮度みたいなものが重要なんだと思います」「君は今のアイドルに足りないものがあるとしたらそれはなんだと思う?」「足りないものですか?う〜んなんだろう。ダンスの上手さとか歌唱力ですか?」「いや違う。ダンスや歌唱力は関係ない。大切なのは人を幸せにする力があるかってことだと思う」「幸せに…」「そう。アイドルという存在は人を幸せにできるか否かなんだと思う」
人を幸せにするのがアイドルの存在意義。
私も同じように考えている。だけどそんなことは松田聖子や山口百恵だってできていたかどうか判らない。私は壮さんのアイドル論を聞いて納得いかない点も多くあったけどなんとなく私がアイドルから離れてしまった本当の理由が垣間見えたような気がした。この日以降私と壮さんはよく話すようになる。
二
私は今でもアイドルになりたいんだろうか?たとえば乃木坂46とか櫻坂46といったメジャーなアイドルグループに入るのは至難の業だろう。それこそ応募者の数が桁違いだしそこに合格するのは本当に一握りだ。私は過去数回大手アイドルグループのオーディションを受けたけど結果は全て書類選考で玉砕で面接などに進んだ経験はない。多分求められるビジュアル偏差値が低いのだと思う。自分で言うのも変な話だけど私はブサイクではないけど超絶的に可愛いかといえば可愛くない。可もなく不可もなくという感じで学生時代は目立たない存在だった。
この世界にアイドルを目指す女の子は星の数ほどいるけどその中で生き残れるのは限りなくゼロに近く難しい。それでもたった一つすぐにアイドルになれる方法がないわけではない。その方法とは地下アイドルになるということだ。極端な話地下アイドルだったら名乗った瞬間アイドルになれる。SNSで「今日からアイドルになりました」と発言すれば、それがきっかけになってライブに呼ばれるケースもなくはないらしい。もちろん地下アイドルだって続けるのは大変だ。地下アイドルの聖地秋葉原では毎年数百人の地下アイドルが生まれるけど次の年も生き残っているのは数十人くらいになってしまうらしい。続けるのは難しいけどそれでもアイドルという道が残されているのならそこに縋りたいと思うのは人の心なんだろう。
私も大手アイドルグループのオーディションに受からなかったから地下アイドルでもしようかな?と思った時期があった。地下アイドルにもいろんな種類があるのだけど大まかに分けると事務所に所属するかフリーで活動するかで変わってくる。事務所に所属すれば活動のスケジュールなど大まかなことは全てやってくれるからその点は楽だ。それでも事務所に所属する以上、ギャラや物販での売上の多くを事務所に持っていかれるから地下アイドルとしての収入は微々たるものになる。逆にフリーになればライブの手配とかスケジュール管理とかそういうことを全て自分でしないとならなくなるけどギャラや売上は100パーセント自分のものになるから当たればデカいという世界だ。
でも根本的に何かが違う。
地下アイドルも大手アイドルも私が思っているのとはなんだか違うような気がするのだ。その理由を壮さんは教えてくれた。つまり今のアイドルには人を幸せにする力がないのだ。みんなどこか自分よがりだ。自分のためにアイドル活動をしていてファンを餌だと考えている。となればそこに幸せという花は咲かない。心地いいメロディとそれとなく今っぽい歌詞、それにポップなダンスを組み合わせれば一時的に人を惑わすことはできるかもしれない。でも本当の意味で人を幸せにはできない。今のアイドルにはそれが圧倒的に足りないのだ。
う〜ん。けど人を幸せにするってどういう意味なんだろう?人はどんな時幸せを感じるんだろう?専門的な言い方をすればドーパミン、セロトニン、オキシトシンが十分に分泌されている状態のことを言うんだろう。この時人は幸せを感じる。もっと噛み砕いて言うと美味しいものを食べている時、深い眠りにつく時、夢が叶った時、色々あるかもしれないけどそういう時に人は幸せを感じる生き物なのだ。
確かにアイドルのライブに行って束の間の夢を見て幸せを感じる人はいるかもしれない。でもそれは本当の幸せなんだろうか?私は偽りの幸せだと思う。アイドルのライブっていうのはいわゆるシンデレラの魔法の時間なのだ。シンデレラは十二時の鐘が鳴ると魔法が解けて元の姿に戻ってしまう。アイドルのライブっていうのもそんな感じだ。アイドルと共有している時間は夢が続くけどそれが醒めると虚しくなる。太陽系外惑星に飛ばされて一人佇むくらいの虚しさを感じるのだ。
だから本当の意味でアイドルは人を幸せにしていない。むしろ不幸にしているのかもしれない。だっていくらアイドルに近づきたいと思ってもそれは限りなく不可能に近い。アイドルはアイドルであって決して手の届かない存在だから愛おしいのだ。確かに今のアイドルグループは会いにいけるというのが一つのコンセプトになってるから松田聖子とか山口百恵の時代のアイドルに比べるとその神々しさは衰えた。それでもアイドルとファンとの間には如何ともし難い大きな大きな大きな壁があるのは事実だろう。
多分、幸せを感じる瞬間っていうのは「感動」したかってことなんだと思う。心が震えるほど感動するから幸せになる。そう感動させなければならないのだ。それが今のアイドルにはないと感じるから私はいつからかアイドルから離れてしまったのだろう。そしてアイドルという存在は人を感動させる強い力が持てるわけではないから私はアイドルになるのを諦めたのかもしれない。
三
ある日アルバイトが終わった後、早朝の溝の口の駅前を私は壮さんと歩いた。壮さんは紺色のパーカに膝が破れたデニムを履いている。足元はコンバースのオールスターだった。朝靄が立ち込める溝の口駅前のポレポレ通りは昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。カラスやハトが道端のゴミを漁り朝早くから出勤するスーツのサラリーマンの姿がちらほら見える。
「アイドルって人を感動させられないんです」
と私は漠然と言う。
すると壮さんは真っ直ぐ前を見据えながら
「そうかな?俺はアイドルは人を感動させてると思うけど。だから多くのファンがライブなんかに行くわけでしょ?仮に感動しないのだとしたら誰もそんなイベントには参加しないよね?」
「確かにそうです。事実、私も一時期アイドルのライブに行って感動したような気持ちになりました。でもそれは偽りなんですよ」
「どうしてそう思うの?」
「よく判らないんですけどアイドルのライブに行くと一時的に酔ったみたいな気分になるんです。とにかく気持ちよくなるっていうかそんな感じです。でもライブが終わってしばらく経つと途端虚しくなる。寂しくなるしさっきまで感動していたっていう気持ちが吹っ飛んでしまうんです」
「そう。でも感動はしたんだよね?」
「しました。でもそれは偽りです」
「君はアイドルになれなかったからアイドルに対して嫌悪感がある。それだからアイドルという存在に100パーセント感動できなくなったんだ。それはきっとアイドルに未練があるからだよ」
「未練はあるかもしれないけど私が考える理想のアイドルっていうのには今のアイドルではなれないような気がするんですよ」
「理想のアイドルか。それって何?」
「壮さんがこの間言った幸せを与えるっていう意味です。今のアイドルは人を幸せにしていない。一時的に陶酔させることはできても本当の意味で幸せを与えていないんです」
「アイドルに全てを求めるのはあまりに酷だよ。アイドルは人間だ、ロボットじゃない。だから感情があるし自分本位になるのは致し方ない。君の言う本当の意味で人を幸せにするアイドルなんていうものは恐らく幻想だよ。やりがいのある仕事に就きたいけどやりがいのある仕事ってなんだか判らないみたいな感じだよ。幻想なんだ」
「幻想…かもしれない。けど私は幸せを与えられるような人になりたい」
「ロックなこと言うねぇ。君を見ていると『スクールオブロック』のデューイを思い出すよ。アイドルの楽曲は一過性なものが多いからそこに幸せや感動を求められないかもしれない。でもこの世界で評価されている曲の多くは人を感動させている。だから永遠に名曲として語り継がれるんだ」
「アイドルの歌には名曲はありません」
「そんなことないよ。松田聖子や山口百恵、中森明菜、そんな人たちは名曲を数多く生み出している。ただ今のアイドルはいろんな特典を付けてCDを売り出すから曲の完成度よりも特典の方に重きが置かれている気がするね。その点では君の言うとおり今の売り方をしている限りは名曲を生み出すアイドルは現れないだろうね」
「私はマイケルジャクソンみたいなアイドルが見てみたい。圧倒的な感動を与えるようなそんなアイドルです」
「なら、君がなればいい。その道がたとえ荊棘だとしても行ってみなければ見えない景色もあるかもしれない」
「もう一度アイドルを目指せって意味ですか?」
「いや、正攻法では無理だろう。なぜなら今のアイドルとして生き残るためには今のやり方を踏襲するしかない。だけどそのやり方では人を幸せにすることはできないだろう。この問題は初めから矛盾を抱えているんだよ。君が目指すアイドル像は判ったけどその方法では生き残れない。必ず沈むタイタニック号みたいな感じだ。アイドルとして売れたいのなら幸せを与えるとかそんな高尚なことは考えてはいけない。それを考え始めたら生き残れなくなる」
「じゃあどうすれば?」
「AKB48に対する邪道的なポジションで始まったももいろクローバーZは邪道から本道になったよね?だからやり方によっては邪道的なポジションから王道に辿り着くケースだってあるだろう。それでもさっきも言ったとおり、君が目指すアイドルというのは今のアイドルの世界では生き残れないかもしれない。だけど道はある。それはアイドルから離れるってことだよ」
私は壮さんと別れ家路に就く。
現代のアイドルというものは初めから矛盾というものを抱えているのだ。星の数ほどいるアイドルたちの中で生き残るためには評価されなければならない。この評価というものは難しいのだけどきっとこの世界で評価されているアイドルっていうのは「売れている」のだろう。売れなければ評価されない。たとえ心が震えるような名曲を生み出したとしてもそれが売れなければ評価されないのだ。それって本当に寂しいと思う。売れなくてもいいアイドルはたくさんいるだろうし、売れるということを意識し過ぎてしまうと今の大手アイドルグループのような感じになってしまう。
乃木坂46や櫻坂46なんかが悪いと言っているわけではない。ただ彼女たちのやり方では本当の意味で人を幸せにすることはできないと言っているのだ。同時に売れるという指標でアイドルをしてしまうとどうしたって人を幸せになんてできないのだろう。
幸せってなんだろう?これはものすごく難しい。人はみな幸せになりたいと望んでいるけど幸せを感じている人がいれば不幸を感じている人もいる。この世界が絶望に満ちて死んでしまいたいと思うくらいぎりぎりの中を生きている人もいる。どうしてこんなふうになってしまうんだろう?どうしてみんなが幸せになれないんだろう?それは多分生まれながらに人が平等ではないからなんだろう。
人生はどこまでも理不尽なことの連続だ。成功する人間がいれば失敗する人間もいる。そして成功する人間の方が少ない。たとえば幼い頃に思い描いた夢を成就させる人間はきっとほんの一握りだろうし夢を追い散っていった人間の方が圧倒的に多いのだ。私だってそう。私はアイドルに憧れアイドルを目指したけどその夢は叶わなかった。ものすごく悔しいけどこの世界にいる全ての人間が望んだだけで夢が叶ったしまったら夢の価値は失われてしまうし、夢は夢だから尊いものになるのだし目指すべき指標になるのかもしれない。
私は人に幸せを与えたい。これって傲慢だろうか?まだ二十年しか人生を生きていないただの女が語るようなことではないかもしれない。けど私がアイドルを目指した根底には私の歌を聴いて幸せになってもらいたいという飽くなき希望があったからだ。でもそれって幻想なんだろう。売れるということを意識しすぎれば当然楽曲というものは売れる路線で作られる。それでは名曲を生み出せないし本当の意味で人を幸せにはできない。
人を幸せにする。私はこれを感動を与えると考えた。幸せというのは突き詰めると感動を覚えたかに尽きるのだと思う。感動を与える手段というものはいくつかあるだろう。たとえば小説を書いて感動を与える。音楽を奏でて感動を与える。映画を撮って感動を与える。感動する生き物は恐らく人間だけだろうし、やっぱり人を感動させるためにはその人がその時抱えた全ての感情を表現し心に込めるという行為が大切になるのだろう。
感動とは心。そして心が満たされると幸せを覚える。そう、だから心を震わせるような何かを作ればいいのだ。同時に、人が生きる意味というのはこの心なんだと思う。なんでもいい。人の心に届く何かを作ることこそ人生の生きる意味なのだ。私も人の心を感動させ心を満たし幸せを与えるような何かを作りたい。それはきっと今の正道アイドルにはできなくて邪道的な何かだからできるのかもしれない。
何をしたらいいんだろう?何をしたら人を幸せにできるんだろう?それがよく判らない。なにしろ私には圧倒的に経験が足りない。私はアイドルを目指したということを除けば今まで平凡な人生を歩んできた。勉強ができたわけではないしスポーツが得意なわけでもない。それに何かに秀でていたわけではないからとにかく平坦な人生を送ってきたのだ。大きな絶望がない分強烈な喜びがあったわけでもない。こんな何の取り柄もない私が人を幸せになんてできるんだろうか?多分だけど今のままでは絶対にできない。今の環境を変える何かが欲しい。
四
私と壮さんは最近同じシフトになり同じ時間に始業開始し同じ時間に終業を迎えるようになった。だから居酒屋のアルバイトが終わった後駅までの道を一緒に歩きよく会話するようになる。
「壮さんはどうして漫画を描くんですか?」
私は早朝の道を歩きながら隣を行く壮さんに声をかける。
「どうしてかな?多分絵を描くのが好きなんだと思う」
「好きなことがあるって素晴らしいですね。私にはないから」
「何かしたいこととかないの?」
「う〜ん、一応人を幸せにしたいっていう夢みたいなものはあるんですけどそれがどうやったらできるかは謎で、結局何をしたいんだか判らないって感じです」
「幸せを与えるか。簡単なようで難しいよね。でも情報を感動とどう結びつけるかが重要になってくると思う」
「情報と感動ですか?」
「そう、たとえば幸せを与える手段っていうのはいくつかあるよね?単純に幸せを伝えたいのならそれを伝えるためのツールは情報量が少ない方がいいと思う。この場合大きいのは言葉かな。反対に感情を震わせるような伝え方をしたいのなら多分そのために使うツールっていうのは情報量が大きい方がいい。だから映画とか音楽とかそんな感じかな。つまりね、君がどんなふうにして幸せを伝えたいかによって使うべきツールっていうのは変わってくると思うんだ」
「でも私にできることっていうのは本当にごく僅かですよ。だって感情に訴える何かを作りたいと思って情報量が多いツールと使おうとしても私には映画は作れないし音楽だって作れない。もちろん演奏だってできませんし」
「それはこれから覚えていけばいいと思う。最初は誰だって初心者だからね。でもね、やりたい何かがあってそれを始めるための第一歩を踏み出す勇気が大切なんだと思う。ほら、人ってさ何か新しいことをする時結構面倒になって意外とすぐにやらないでしょ?それがダメなんだよ。新しい何かを始めるのに適している時期っていうのはそれを思い立った時なんだ。これを逃していけない。だから君もこれをやろうと決めたらすぐに取り掛かればいいんだよ。そして問題はやりながらクリアにしていく。そうしないと人は成長しないからね。そして今君がするべきなのは幸せを伝えるツールとして何を選択し、いかにしてそのツールを使うために努力できるかだよ」
「確かにそうかもしれません。なんとなくですけど幸せを伝えるためにはできるだけシンプルな方がいいと思うんです。複雑にしてしまうと結果的に何が言いたいのか判らなくなりそうだし、極限まで削ぎ落として研ぎ澄ましたナイフみたいなツールの方が幸せの真髄を伝えられると思います」
「ならその方法を考えないとね。君はまだ若い。まだまだまだ時間はあるよ。ゆっくり考えればいいんだ。そして努力する姿勢を忘れてはいけない。夢は裏切ることがあっても努力した時間というものは必ず自分の糧となるからね」
幸せを与えるためのツールを考える。それが私の新しい目標になった。
いろいろな選択肢はあるけどあまりにも難しいものは却下だし同時に一人でできるものの方がいい。私は今一人だし一人の方が好きだ。これまでチームで何かをしてきた経験がないからやはり一人で地道に作り上げる方が性に合っている気がする。となると映画や演劇、音楽なんかは難しいだろう。映画のエンドロールを見れば判るけど一つの映画を作るためには莫大な数の人間の力が必要になる。監督一人だけでは映画は作れない。演劇も難しいだろう。一人でやる演劇がないわけではないけど私一人の力で演劇を考えるのはナイアガラの滝から時計を落としてその時計を再び見つけるくらい難しい。つまり不可能に近い。音楽も難しいだろう。なにしろ私には音楽的な知識が皆無だし、これから勉強して身につけるとしても時間がかかりすぎてしまう。
となると情報量が少なくて私にもできそうなツールになるだろう。私は候補とし文字と絵を考える。文字と絵は紙とペンがあれば誰でもできる。問題は何を描き幸せを伝えるかに尽きるけど文字だったら「小説」とか「詩」があるし、絵だったら「漫画」や「絵画」なんかがあるだろう。どっちもしたことがないけどやるなら文字か絵のどちらかになると思う。
幸せを伝えるために必要な情報量というものはシンプルな方がいい。となるとやはり文字のほうがいいのかもしれない。言葉だけで幸せを伝えるっていうのは簡単なようで難しい。シンプルだからよほど研ぎ澄まされた言葉でないと幸せという感情を震わせる言葉にはならないだろう。
「言葉」
その力は偉大だ。私は言葉を使って幸せを与えたい。それが決まったら後はやるだけだ。壮さんが言ったとおり、やると決めたらすぐにやらないと本当にやるのが億劫になってしまう。それこそ永遠に完成しないサグラダ・ファミリアみたいになってしまう。だからすぐにやる。今の時代誰でもスマホを持っているからそれさえあれば言葉を紡ぐことは誰にだってできる。
けれど言葉の力で幸せを与えるというのはどうやってやればいいんだろう?私はすぐに大きな大きな大きな問題にぶつかる。それは今のアイドルに対する不満と同じでたとえ感動を与えるような鋭利な言葉を生み出したとしてもそれが幸せにつながるかは判らない。今の時代は本が売れないと言われている。昔に比べると格段に娯楽の数が増えたからわざわざ本を読むような人間はあまり多くない。毎年二回芥川賞とか直木賞といった大きな文学賞が発表されその受賞作は多少読まれるみたいだけどそれでも昔に比べると少ないだろう。つまり今のやり方でたとえ感動をさせる言葉を作ったとしても多くの人に届くかは判らないのだ。
その昔、人間と人間の間に媒体として言葉があったけど今はそんな時代ではない。すでに言葉は力を失っていて幸せを与える強い強い強い力を持った言葉っていうは多分ありえないのだ。恐らく今の時代に三島由紀夫とか川端康成とかが美しい日本語で文章を書いたとしてもそれを読む人間は多くない。
私は選択肢を間違えたのだろうか?言葉だけでは人を幸せにはできないのか?アイドルができないことを言葉を使ってやろうとしたのに、その言葉もアイドルと同じで売れる作品でなければ評価されないのだ。売れる作品を追い続けていたら幸せは与えられないかもしれない。どこか似たような感じになってしまうし御涙頂戴の通俗的な既成の型にハマった作品が生まれてしまう。それではダメなのだ。人を幸せにする言葉を作るためには既成の枠にとらわれてはいけない。
つまり革命を起こすのだ。言葉を使ってこの世界に革命を起こす。それがきっと既成の決まりきった俗物的な言葉の塊を壊す巨大な巨大な巨大な力になるのだ。進撃の巨人の巨人相手に何の武器もない平民が挑むような感じだけどやるしかない。革命とは大いなる言葉なのだから。
五
とりあえず言葉を作ってみる。私は今まで言葉を作った経験などない。だから小説や詩なんかをずっと書いてきたわけではないのだ。私の青春はアイドル一色に染まっていてアイドルを追いかけ自分もなりたいと心の底から願った時代なのだ。そんな私に本当に言葉が作り出せるのか?初めてピアノに触り慎重に音を出すみたいな気分だった。折り込み広告の裏紙に大きく「幸せ」と書いてみる。ぞくっとする。もちろんこれだけでは人を幸せにはできない。もっと心の底を揺さぶるような言葉を作りたい。瞬間的なエクスタシーみたいなものが欲しい。それができれば私の書いた言葉を読んだ人に幸せを与えられるだろう。
言葉は本当に力を失ってしまったんだろうか?いや違う。そんなことはない。社会を変えるのはいつだって言葉なんだ。だからきっと今も言葉で世界を変えられるはずだ。それでもこんなにも難しいことはない。恐らく十代でノーベル文学賞を受賞するくらい難しい。それでもやるのだ。私は多くの人に幸せになって欲しい。私の言葉で幸せになって欲しい。
私はその日から「小説」を書いたり「詩」書いたりし始めた。なんというか青春を変な意味で拗らせた人間の遊びみたいな感じだけどそれでも私はやりたい。アイドルを諦めようやく見つけたとっかかりみたいなものだからもっといろいろな言葉を作っていきたい。
綿矢りさは十九歳、金原ひとみは二十歳の時に芥川賞を受賞した。つまり今の私と同じくらいの年齢だ。となれば若年でも社会を変える言葉を作るのは可能なんだろう。もちろんこの二人が社会を変えるほどの言葉を作ったかどうかはまた別問題なのだけどそれでも歴史を変えたのは間違いない。
言葉を作るのと同時に、私はいろんな文学作品を読んでみた。けれど私は知性が高いわけではないから昔の文豪が書いた作品の何がいいのか判らない。たとえば川端康成の「伊豆の踊り子」は今のライトノベルの宗祖みたいなところがあるけどチンプンカンプン。三島由紀夫谷崎潤一郎夏目漱石森鴎外など読んでみたけどなんとなく判ったのは夏目漱石の作品くらいで他は意味不明。
ただ文豪が書く作品は意味不明なんだけど心に残るというか響く何かがある。これはなぜなんだろう?話は全然判らないのに何か引っかかる。きっとそれが名作というものなんだろう。だからこうして百年近い前の作品が今も変わらず読み継がれているんだろう。それでもこの文豪たちの文章を真似して言葉を作ったとしてもきっと幸せを与えるようなものは作れない。なにしろ確かに読まれているといってもそれを読むのはよほどの文学好きの人間だから普通の人は読まない。
あぁ、読まれなきゃダメなのに読んでくれる人間は多くないのだ。私は悶々とした。一体どうしたらいいんだろう?
私が幸せを与えるためにいろいろ試行錯誤しているとある事件が起こる。壮さんが居酒屋のアルバイトを辞めることになったのだ。
壮さんとの最後のシフトの日。私は仕事が終わった後彼に向かって尋ねた。
「どうして辞めちゃうんですか?」
壮さんはスタスタと早朝のポレポレ通りを歩きながら答える。
「実家に戻って働くことになったんだ。俺もう三十歳だしそろそろ身を固めて働かないとダメだって思ってね」
「漫画は諦めちゃうんですか?」
すると壮さんは少し遠い目をした。その姿は晩年のオードリーヘップバーンみたいに見える。
「うん。実はね、最後出版社に作品を送ったんだ。それがダメだったら諦めようと思ってね。そして結果はダメだった。俺の漫画はダメだったんだ。だからすっぱり諦める。これからは実家に帰ってきちんと働くよ」
「そんなに簡単に諦めていいんですか?」
「君だって諦めただろ。アイドルを。人は諦める生物だ。そして諦めるからこそ新しい道が開く。つまりね、諦めるっていうのは必ずしも不幸な選択ではないんだよ。新しい何かとの出会いでもある。俺は新しい出会いを大切にしたい」
「あの、辛くないですか?諦めるのって」
「確かに辛いよ。でも仕方ない。君だって判ってるはずだ。この世界で夢を叶えるのはほんの一握りだってことを」
「はい。それは判ってます。だから私はアイドルを諦めました。それで新しく言葉を使って人を幸せにしたいと思うようになりました」
「ならその夢を追いかけるといい」
「でも私もいつかこの夢を諦める時がくるんでしょうか?」
「それは現段階では誰にも判らない。夢というのは大事なものだけど大事なものがつまらないものに変わる瞬間というのは人によって様々だからね」
「壮さんは漫画がつまらなくなったんですか?」
「それもよく判らない。けど昔に比べると情熱を注げなくなったのは確かだよ。だからね、これが潮時だって思ったんだ。でもさ言葉で人を幸せにするっていうのはいい夢だと思うよ。だけどとても難しいと思う。言葉ってシンプルな分人の心の奥底まで届くけど使い方を間違えると自分の首を絞めてしまうから。君はまだ夢を追える。夢を追っていい時期なんだ。この時期はとにかく夢を追ってみればいい。それは若い頃にしかできない特権だからね」
「私寂しいです。壮さんがいなくなるの」
「あれ?俺のこと好きだった?」
「違います!同じ夢を追う人間がいなくなってしまうのが寂しいだけです」
「まぁ頑張ってよ。言葉を使って幸せを与えるっていうのは素晴らしい夢だと思うから…」
最後壮さんはにっこりと笑う。その顔は十年ぶりに飼い主と再会する犬みたいに爽やかな笑顔だった。
六
壮さんがアルバイト先からいなくなって数日が経ち、私は一人言葉を作っていた。しかし一向に完成する兆しが見えない。川端康成の「雪国」という作品が今の完成形になったのは彼がこの作品を書き始めてから三十年以上経ってからだったらしい。つまり一つの作品を極限まで研ぎ澄ましていくにはそのくらいの長い長い長い時間が必要なのだ。けどそんな長い間待っていられない。仮に三十年経つとすると私は五十歳になっているしその頃まで私の気持ちが続いているかどうか判らないし。もっと短期間で勝負しよう。時間を決めないと私の性格上ズルズルいってしまう。時間を区切る。
う〜ん、どのくらいの時間がいいんだろう?英語を習得するためには三千時間必要だと言われている。だから一年でマスターするためには一日八時間以上勉強する必要がある。けどそれは普通の人には不可能だろう。私だって生活のためのアルバイトがあるし日常はそれだけではない。一日八時間以上言葉を作るのは限りなく不可能に近い。何の知識もないただの学生が数学のミレニアム懸賞問題に手を出すみたいな感じだ。でも時間を決めるのは必要だろう。私は一年にしてみた。今二十歳だから二十一歳まで夢を追う。それがダメだったら素直に別の仕事を探そう。これが短すぎるのかは判らないけど私は二十一までに自分なりの答えを見つけてみせる。そう考えるとモリッと力が湧いてくる。かの有名な岡本太郎だって言ってる。「怖かったら逆に飛び込んでごらん」と。
言葉を作ったらそれを発表する場所が必要になるだろう。どんなに自分が幸せになって欲しい言葉を作ったとしてもそれを読んでくれる人がいなかったら意味がないのだ。赤ちゃんにiPadを持たせるみたいな感じだ。iPadのよさはそれが判る人が使わないと意味がない。まずは自分の作品を読んでもらうための場所を探す必要がある。
今の時代自分の作品を発表する場所はたくさんある。SNSなんかを使えば一瞬で世界中に自分の作品を届けられる。それは判るのだけど納得のいく作品を作り上げるのが難しい。何度言葉を作ってみても納得できるようなレベルにならないのだ。私が夢を追えるタイムリミットはそれほど多くない。だからとりあえず自分の作品を作って発表しないとならないのだ。SNSでもいいし文学賞なんかでもいい。ただ文学賞は実際に自分が作品を投稿してから結果が判るまで半年くらいかかるから夢のタイムリミットを考えるとチャンスは多くて二回くらいだろう。その間に結果を出さないと私の夢は幻で終わってしまう。
私はとりあえず「幸せの言葉」という形でX(旧Twitter)で専用のアカウントを作って呟いてみる。Xは利用者も多いからすぐにいいねがついたりしたけど私の呟きに対しての返信がきたわけではない。これでは本当に伝わっているのか判らない。なんとなくいいから「いいね」したって人もいるだろうから多分私の言葉は本当の意味で伝わっていない。
最初の投稿はいいねが三つついただけで終わってしまう。それからも継続的に幸せの言葉を呟いてみるけど反応はイマイチ。多分だけど私の作品はダメなのだ。これが美輪明宏が言っているのならまた別の意味で注目されるだろうけど全く知名度のない私が幸せの言葉を呟いたとしてもそれは人の心に届かないのだ。一体なぜ?創作は楽しいだけではない。辛いことも多いのだ。産みの苦しみという言葉があるくらいだから必ずしも楽しいだけが創作ではない。もちろん創作が楽しくないと続けられないし作り手が楽しんでやらなければ人の心を感動させるような言葉は作れないだろう。
気合いだけ空回り。気になる人とちょっと話して話があったから好かれてるって勘違いして告白したら玉砕したみたいな気分だ。それでも続けるしかない。継続こそ力なのだと思う。なんでもいいから続けないと道は開かない。一撃だけではなく二撃目三撃目が大切になってくるのだ。
深夜は居酒屋でアルバイトをして早朝に帰宅して眠って昼過ぎに起きて居酒屋のアルバイトが始まる夜まで言葉を生み出す時間を作る。そして出来上がった作品はインターネットを使って投稿する。もちろん文学賞に送るための作品作りも並行して行う。一ヶ月経つと短編小説が一作でき後は詩が三十作くらいできた。それ以外に幸せの言葉を毎日呟き様子を伺う。Xのフォロワーは百名くらいだけど実質相互フォローしてもらっているケースもあるだろうから純粋に私にポストが好きでフォローしてくれた人は十名いるかどうかだろう。ただここで変わった名前の人がフォロワーになってくれて私のポストに返信をくれるようになったのだ。
くそったれ魂というユーザーネームを持つ人間。性別年齢一切不詳。しかし言葉遣いから男性であると推測できるけど性別を偽っている可能性もなくはないから詳しくは不明だ。ただ、このユーザーは私のポストに肯定的なわけではなくかなり否定的だった。
『言葉で人を幸せにできるなんて本気で思ってるのか?』
とくそったれ魂が聞いてくる。
私はそのメッセージを見てすぐに返信する。
『できると思ってます。私は言葉で幸せになってもらいたい』
『そんなの無理だよ。もうすでに現代社会では言葉っていうのは力を失ってるから』
『そんなことないです。どんな時代でも言葉の力は革命を起こせるほど強いものだと思います』
『でもお前の言葉じゃ人を幸せにはできないよ。あのさ、言葉って自分がいいなって思って呟いてもそれが必ずしも相手の心をとらえるわけじゃないんだよ。いいなって思う人もいればこれはダメだって思う人もいる。ほら、その人を気遣って励ましの言葉を言ったのに相手はそれを肯定的には受け取らず否定的に受け取って塞ぎ込むなんてケースは結構ザラにあるんだからね。つまり言葉っていうのは人によってとらえ方が違う。だから全ての人を言葉で幸せにするなんて無理なんだよ。お前のやってることは全て無駄な努力なんだ』
私は息詰まる。
確かにくそったれ魂の言うとおりかもしれないと思ったからだ。私はこれまでいろんな言葉を作ってきたけどそれは全ての人を幸せにはしないのだ。私の言葉を見て励まされる人もいればそうではなくなんだこれ死ねよって思う人もいる。
冷静に考えればそんなことはよく判る。フィッツジェラルドの「グレートギャツビー」は史上稀に見る名作だと私は思うけどそう思わない人だっているのだから。肯定的な意見があればその裏には必ず否定的な意見もある。となればくそったれ魂の言うとおり私がいくら人を幸せにしたいと願い言葉を作ったとしても全ての人を幸せにはできず結局その努力は無駄になってしまう。
ポッキリと芯が折れてしまったみたいな感じ。運動部に入っていて学校生活の全てをかけて練習してきたのに最後の大会が地震が起きて中止になってしまったみたいなやるせなさを感じる。
私のこれまでの努力は全て無駄だったんだろうか?全ての人を幸せにするなんて絶対にできない。それが判ってしまうともうやる気がなくなってしまった。創作の全てが無駄なように思えて仕方ない。これでは何のために創作をしているのか判らない。
心が塞ぎ込んだ時音楽を聴くと立ち直れる時がある。私はアイドルが好きだったから久しぶりに乃木坂46の楽曲「I see」を聴く。今までずっと好きだったのに今聴くとなんか違う。この曲の歌詞に「大事なのは一つだけWOWWOWWOWと」いうところがある。大事なのは一つだけっていうのは判るけどWOWWOWWOWってなんだよって思ってしまう。あんなに好きだったのにこの曲は既に今の私を励ます力を失っている。
そう。聴くタイミングによって感じ方って違うんだ。結婚式の日にホラー映画を見るみたいなチグハグさを感じる。言葉にも同じことが言えるだろう。その言葉を見たタイミングによってとらえ方は違うのだ。
もうダメだ。私の夢はあっさりと挫けてしまった。せっかく夢が見つかったと思ったのにその夢はあっさりと私の手のひらからスルリと抜け落ちてしまう。何をしてもダメ。最初から無理な夢だったんだ。全ての人を幸せにするなんてできない。そう絶対的に…
創作をしなくなってから一ヶ月が経つ。私は自堕落に生きていた。深夜はアルバイトをして早朝に帰ってきて昼過ぎまで眠り目覚めてからご飯を食べてスマホでゲームをして夜になって時間がきたらまたアルバイトにいくみたいな感じだ。
七
そんな時だった。壮さんから連絡が来たのだ。彼がアルバイトを辞める前に連絡先は交換していたのだけどそれは半ば社交辞令みたいなところがあって実際には連絡しようとは思っていなかった。だけど壮さんは連絡をくれた。芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」でお釈迦様が生前一つだけいいことをしたのだけど今は地獄にいるカンダタに向かって糸を垂らすシーンによく似ている。私にはこの連絡が救いの糸のように思えた。
『元気?凛ちゃん』
と壮さんからのメッセージ。
それを受け私は
『あんまり元気じゃないです。ちょっと色々悩んでいて』
私は今の自分の悩みを壮さんに告白する。
すると壮さんは
『そう、俺ちょうど用事があって川崎の方に行くんだけどその時会わない?君の悩みの相談に乗れると思うから』
『いいんですか?』
『もちろん、じゃあ今度の水曜日溝の口駅の改札で会おう。時間は夜七時くらいからでもいい?』
『判りました。私ちょうどバイト休みなんで会えます』
私は壮さんと会う約束をする。
水曜日。
午後七時に溝の口の改札に向かい壮さんを探す。するとダークグレーのスーツ姿の壮さんがこちらに向かって歩いてくる。スーツ姿の彼を見るのは初めてだったからとても新鮮に感じられる。髪の毛が黒いのだけどどことなくホストクラブなんかで働く中堅のホストにも見える。
「久しぶり、どこか飯でも食いに行こっか」
そう言い壮さんは溝の口のマルイの中にあるレストラン街まで私を連れて行く。イタリア料理の店に入るとメニューを見てなんでも好きなものを頼んでいいと言われたから私はピザを頼む。壮さんはパスタを頼んだ。
食事が運ばれてくるまで私たちは適当に世間話をした。壮さんは実家である新潟県新潟市に戻りそこでレンタカーの会社で働いているみたいだ。今は漫画を全く描いていないらしい。仕事が忙しいのだけどそれでもなんとかやっているとのことだった。
やがて食事が運ばれてくる。私は普通のマルゲリータを頼んだのだけど居酒屋で頼むピザとあまり変わらない。強いて言えばチーズの量が少し多いような気がするくらいだ。ハンドトスのもっちりとしたピザを食べ壮さんはトマトソースのパスタを音を立てずに静かに食べている。
食事が済むと壮さんが徐に言う。
「それで悩みがあるみたいだったね。確か全ての人に幸せを与えるのは不可能だっていう問題にぶつかったって言っていたね?」
「そうです。言葉はそれを聴くタイミングやその人のその時の感情によってとらえ方がまるで違います。ある人には感動的に届いてもある人には青臭くいやらしく届く場合だってあります。となると全ての人を幸せにするなんていうのは不可能なんですよね?一瞬で宇宙の端っこまで行くのが不可能なように」
「そうだね。そのとおりだ。全ての人間に評価される作品なんてものは幻想だと俺も思う。たとえばドラゴンボールっていう漫画は多くの人に支持されているけど全てではない。ドラゴンボールが嫌いな人だっているからね。文学だってそう。村上春樹は人気だけど嫌いな人だっているよ。つまり君がいくら素晴らしい言葉を作ったとしても100パーセント全ての人に理解され評価されるなんてことはありえない。でもね、それってクリエーターの宿命なんだよ。全ての人に評価されないのは判っているけどそれでも自分の作品を作り続けるんだ」
「評価されるってなんでしょうか?私はいろんな言葉を作ってきましたけど今のところ全く評価されていないですし」
「それはまぁ仕方ない。なにしろ君はまだ創作を始めたばかりだからね。そんなにすぐに結果なんて出るものじゃないよ。でも評価されるだけが全てじゃないよ。評価されなくてもいいと考えると少しは楽になると思うよ」
「でも評価されないとそれで生活するなんてできないですよね。壮さんは漫画を描いていたけどそれで評価されなかったから諦めてしまったんでしょ?仮に漫画が評価されて多くの人に読まれる作品が作れれば今みたいに別の会社で働かなかったんじゃないですか?」
「その考えは一理ある。確かに売れる作品が描けないとそれで生活するのは難しい。でも君も判ってるはずだよ。売れる作品全てが人の心を打つわけじゃないんだ。売れる売れないで創作を考えると途端つまらなくなる。何かを作るのがしんどくなるよ。売れるとか売れないとかそんなことは何かを作る時に考えちゃダメなんだ。そしてたとえ売れなくてもある人は君の描いた言葉を読んで感動するかもしれない」
「だけど全ての人は感動しない。それは不可能だから」
「うん、そうだけどそれでいいんだよ。一部の人の心に届いて一部の人には届かなかった。そうだとしたらその届いた人たちに向けて言葉を作ればいいんだ。そうすれば全ての人に届けるのは不可能でも一部の人を幸せにはできる。まず君がやるべきなのは身近な人を幸せにするってことだよ。誰かいないの?幸せにしたい人」
「強いて言えば両親くらいですけど、それってなんか違うっていうか。私はもっといろんな人に言葉を届けたいんです。それで幸せになって欲しい」
「少なくとも俺は君を見ていると嬉しくなるよ。若い人が自分の創作で世界を変えようとしている。これって素晴らしいと思うし、俺にはできなかったことだから。まずは身近な人を幸せにするんだ。全てはそこから始まる。それができないと多くの人を幸せにするなんて絶対にできないからね」
私の周りの世界は狭い。二十歳だけど大学に通っているわけじゃないし居酒屋でアルバイトしているだけだ。学生時代に話す友達はいたけど学校を卒業したら疎遠になってしまっていて今ではほとんど連絡を取っていない。この狭い世界の中で誰を幸せにしたいんだろう?
これまでSNSなんかを使って自作の言葉を作り出してきたけどそれってほとんどスルーされているし誰も私の存在に気づかない。いや待て、一人いる。私の言葉に食いついた人が。それはくそったれ魂だ。くそったれ魂という変なユーザーネームを持つ人。この人は私を否定したけど私の作り出した言葉に反応してくれた唯一の人間なのだ。
くそったれ魂はどうして私の言葉に反応したんだろう?私の言葉が嫌いだから嫌がらせにきたのだろうか?嫌がらせとは少し違うような気がする。くそったれ魂は少なからず私の言葉に反応した。私を否定してきたのだ。でもこれは裏を返すと私の言葉に興味を持ったからではなかろうか?そして彼は言った。全ての人間を幸せにするなんてできないと。よく考えれば判ることだけどくそったれ魂は言葉の限界を悟っている。
恐らく彼は言葉には人を救う力がないと思っているのだ。だから私の言葉に食いついたし私の夢が叶わないものだと言ってきたのだ。これは私の推理だけど彼は今不幸なんじゃないだろうか?
「壮さん」私は言う。「私を否定してきた人の考えを変えるってできると思いますか?」
すると壮さんは
「う〜ん、どうだろうね、ケースバイケースだと思う。たとえば君を否定してきた人が今不幸で言葉で幸せを与えるなんていう君の夢を聞いた時それがいやらしく見えたとする。だとするとその人は実は不幸を変えて欲しいと心のどこかでは望んでいるかもしれない。だから可能性がないわけじゃないと思う。それでもアンチをファンにさせるっていうのは難しい」
「私の言葉に反応してきた唯一の人間がいるんです。その人は今不幸なのかもしれない。だから私を否定してきたのかもしれない」
「問題なのはその人の不幸を知った時、凛ちゃんがそれを受け止められるかってことだよ。生半可の覚悟で人の不幸に触れてはいけない。受け止める覚悟がなければ俺はその人はそっとしておいたほうがいいと思うけど」
壮さんはスポーツの試合前に演奏される国歌を聴いている選手が見せるような瞳で言う。
私に覚悟はあるのだろうか?
八
壮さんと別れた後私はくそったれ魂について少し調べてみることにした。彼はXをしているようだけど他のSNSにはそのユーザー名がなかったからX以外はしていないのかもしれない。もちろん別のユーザー名でやってる可能性もあるけど一般人の裏アカを調べるのは限りなく不可能に近い。
くそったれ魂はXを始めて半年くらいで過去のポストを見てみると日常の出来事をつぶやいている。フォロワーも少なく三十人くらい。ポストする頻度は毎日という時もあれば一週間以上何もない時もある。ただ気になったのは『病院の窓から見える風景はいつも変わらないからつまらない』というポストだ。ここから導き出される可能性は彼が病院にいるということだ。そしていつもと書いているからずっと病院にいるのかもしれない。頻繁に病院にいるというのは彼が入院しているからなんじゃないかな?と私はエラリークイーンのように推理する。くそったれ魂は入院していて絶望している。もしかすると長い間入院しているのかもしれない。
私はくそったれ魂にダイレクトメッセージを送ってみる。
『入院しているんですか?』と。
返信はしばらく返ってこなかった。
しかし三日経ったある日の昼過ぎ、くそったれ魂から返信がくる。
『俺が入院してるってよく判ったな』
『昔のポストに病院のことが書いてあったから』
『そうか、それで何か用なのか?』
『私はあなたに幸せになってほしい』
『お前ホント無神経なヤツだな。俺は幸せにはなれないよ。絶対にね』
『なんでそんなこと言うの?』
『もうすぐXもできなくなるから教えてやるよ。俺、白血病なんだ。骨髄移植しないと助からないけどドナーがいないから後少しで死ぬ。笑えるだろ?だから絶対に幸せになれないんだ』
私はそのメッセージを見て愕然とする。くそったれ魂は余命宣告を受けている。もう長くない。そんな人に向かって安易に幸せになってほしいなんて言ってしまった。私は自分の愚かさを呪った。
一体私に何ができるんだろう?私はただのフリーターだけど健康に生きている。同時に言葉で人を幸せにしたいと考えている。なのに私は死の淵にいるくそったれ魂という人間を救えない。たった一人の命さえ救えないのだ。もちろん私は医者じゃないからくそったれ魂を手術して救えない。
『ごめんなさい。安易に幸せなんて言って』
と私は言う。
するとくそったれ魂は
『これで判っただろ。俺は幸せになれなんて言う人間が一番嫌いなんだ。お前は何もしなくても生きられる。だけど俺はもうすぐ死ぬ。もう二度と幸せになれなんて言うなよ』
『ホントごめんなさい。悪気があったわけじゃないの。あなたのことよく知らなかったから。でも私の言葉に反応してくれた唯一の人だから幸せになってもらいたくて』
『全ての人間が幸せになるなんて不可能なんだよ。お前に現実を見せてやる、二度と幸せなんて言えないように。お前今暇か?』
『暇じゃないけどどうして?』
『俺に会いに来い。俺を幸せにするんだよな?だったら来れるよな。でも見てろ現実を教えてやるから。俺が生きた証としてお前のそのヌルい考えを徹底的に叩きのめしてやる』
くそったれ魂はそう言うと、病院の住所と病室の番号をダイレクトメッセージに送ってきた。
メッセージの最後に『明後日までに来い』と書かれている。
私はこの人に会いに行くべきなんだろうか?くそったれ魂が嘘をついている可能性もある。彼が本当に死の淵にいるのだとしたらこんなふうにXのダイレクトメッセージに返信するだろうか?私だったら多分できないしもしかすると自殺してしまうかもしれない。けど彼は今生きている。もしもくそったれ魂の言っていることが嘘で単に私を傷つけようとしているだけなら会いに行くのは危険だろう。アイドルのオフ会とかそういった次元の話ではない。なにしろ得体のしれない相手に会いに行くのだから。
なのに何か引っかかる。くそったれ魂は私に会いたいと言ってきた。私はどうなんだろう?もしもくそったれ魂が本当に死の淵にいて後数ヶ月で死んでしまうのだとすれば私は彼に会ったところでどんな言葉をかけてやればいいのだろう?死の淵にいる人間に言える言葉なんて私には持っていない。というよりもそんな存在が身近にいることが奇跡的なのだ。ここは戦前ではない。太平洋戦争末期日本軍は神風という自分の命と引き換えに戦艦に体当たりする捨て身の特攻作戦を考えて実践するけどあの時の特攻隊員に周りの人はどんな声をかけたんだろう。何も言えない。それが答えような気がする。
くそったれ魂は私に何が言いたいんだろう?きっと私が安易に言葉で幸せになれなんて言ってるから逆鱗に触れたのかもしれない。人は本来幸せになるべきなんだと思う。けどくそったれ魂が言ったとおり全ての人間が幸せになるのは不可能だ。私はそれを心のどこかで知っていながらそれでも全ての人を救いたいと考えた。私はくそったれ魂を救えない。それはもう間違いないだろう。このまま無視するという選択肢も取れた。なにしろ得体がしれないし会えば危害を加えられるかもしれないのだ。ネット上にはいろんな人がいるから接触には気をつけたほうがいいだろう。
それでも私は死の淵にいるかもしれないくそったれ魂を放っておけなかった。こんな時アイドルならどうするだろう?死の淵にいる人間に会いに行って励ますだろうか?いやそんなことすれば心無い人から売名行為だと罵られるかもしれない。私はアイドルから力をもらった時期があった。そしてアイドルに恋焦がれて憧れた。結局アイドルにはなれなかったけど言葉で人を幸せにしたいと思ったのだ。ならくそったれ魂に会いにいこう。それが言葉で人を幸せにすると言った私の責任だと思うから。
九
くそったれ魂のメッセージに書かれていた病院は新潟県新潟市だった。これは奇しくも壮さんがいるところと同じで私は少しだけ運命みたいなものを感じる。翌日私は溝の口を出て南武線で武蔵小杉駅まで行きそこから横須賀線で東京駅まで進みさらに東京駅から上越新幹線に乗って新潟まで向かう。私が住んでいる溝の口から新潟まで行く手段はたくさんあるけどこれが一番シンプルで早いと思う。なにしろくそったれ魂にはあまり時間がないのだ。
上越新幹線はシーズンオフということもありとても空いていた。自由席に座ったけど人で二席独占できるような感じだったし二時間強の移動時間はあっという間に感じられた。
新潟駅に着き私はくそったれ魂の病院の行き方をスマホで調べる。彼が入院しているのは新潟駅からバスで三十分ほどの大きな病院だった。病院の前まで着いたのでくそったれ魂にメッセージを送ってみる。
『約束どおり会いに来た』
と私。
するとすぐに返信がくる。
『ホントに来たんだな。どこにいる?』
『病院の受付。病室まで行ったほうがいいの?』
『いや俺がそっちまで行こう。まだ歩けるんだ』
そのメッセージが送られてから数十分後薄グリーンの入院着を来た小柄な男性がやってくる。その姿はどことなく異能の力を持つ宇宙人のようにも見える。正確な年齢は判らないけど私よりも年下のようにも感じられる。白血病だと言っていたから恐らく抗がん剤の治療のため頭髪が抜け落ちているのだろう。彼は黒のニット帽を深く被っていた。
くそったれ魂らしき男性は受付の前をキョロキョロ見渡し私の存在に気づく。そして驚いた表情を浮かべる。
「お前か?凛っていうユーザーネームのバカは」
高圧的な態度。これだけ見ると死の淵にいる人間には見えない。
「あなたがくそったれ魂?」
「そうだよ。ホントに来たのは褒めてやる。言葉で人を幸せにするなんていう脳天的なこと言いやがって」
「私、間違ってるのかな?」
「場所変えるか?中庭があるんだ。そこに行こう」
私たちは病院の中にある中庭に向かう。それほど大きくないけど大きな桜の木があって点々とベンチが置かれている。入院中らしき入院着を着た人間もちらほらいるようだ。くそったれ魂は空いていたベンチに座りその隣に私も座る。
「前も言ったけど俺、あと少しで死ぬんだ。骨髄移植のドナーが見つかれば生きられたけどそんな上手くはいかない。自分と適合するドナーは数万人に一人とも言われているからな。だから見つからなかった。第一ドナー登録するのって面倒だし骨髄移植はドナーにも大きな負担をかけるんだ。お前だってドナー登録とかしてないだろ?」「うんしてない。ごめん、あんまり詳しく知らないから。でも私がドナーになればあなたと適合する可能性もないわけじゃないんでしょ?」「それは好きにすればいい。ただドナー登録っていうのはいろんな条件みたいなものがあって誰でもできるわけじゃない。それにすぐ登録できるってわけじゃないんだよ。必要書類を送ってそれからだ。俺はもういいんだ。お前今何歳?」「二十歳」「俺は十七。高校に入ってすぐ白血病だって判ったんだ。だから高校には数日しか行っていない。これでも言葉で人を幸せにできるなんて言えるか?」「ごめん、正直なんて言っていいか判らない。会おうって決めてもなんて言えばいいのかずっと判らなかった。それでも言葉の力を信じたくて」「お前、ホントにバカなんだな。俺さ白血病になるまではサッカーしてたんだ。中学時代は新潟県の県の選抜メンバーにもなったんだよ。だからサッカーがしたかった。もう無理だけどな。それに夢なんて叶わないのが普通だ」「私も一時期アイドルになりたかった。オーディション受けたけど全部ダメで。確かに夢は叶わないよね。でも私はアイドルに力をもらった気がするの。だから私も人を幸せにしたくて」「それが無理なんだよ。本当に言葉で幸せになれるのなら俺を救ってみろよ。できないだろ。言葉になんて力はないんだよ。全て幻想だ。俺は何もできず死ぬ。なんて儚いんだ」「仮に私がアイドルだったらファンの人にドナー提供を頼めるのに」「お前アホか?アイドルがファンに向かって個人的にドナー登録しろなんて言ったら引かれて終わりだよ」くそったれ魂は遠い目をした。天変地異が起きてこの世界にたった一人残された人がみせるみたいな目だ。やはり何も言えない。死の淵にいる人間を励ますなんてできない。何を言ったところで綺麗事になってしまうから。「お前、まだ言葉で人を幸せにするなてぬるいことを言うつもりか?「判らない。だけど私はどんな極限の状況でも言葉っていうのは救いになると思う」「バカ!それが綺麗事だとなぜ判らない。俺はお前にみたいなやつを見ていると心底腹が立つ。殺してやりたいくらいだ」「どう思われてもいい。でも私は言葉の力を信じたい。それが私に残された最後の砦だと思うから」「本気なんだな?俺、お前を殺すぞ」「殺されるかもしれないって思ったよ。私も覚悟を持ってここに来ている。一方は死の淵にいてもう一方は安全地帯にいるなんてフェアじゃない。だから私は死んでいいという気持ちでここに来た」「お前やっぱりバカだよ。でも忘れるな!言葉では全ての人間を幸せにはできない。だけどお前は言葉の力を信じるんだな?」「うん。信じる。私が私を信じなきゃ誰も信じてくれないと思うから。私は言葉を使って人を幸せにしたい」「ずっとやるつもりなのか?」「最初は一年って決めてたけどそれじゃ足りない」「一年?バカお前、一生やれよ。命尽きるまでやり続けろ。お前は言葉の力を信じて最後の最後まで生きるんだ。途中で諦めるなんて俺が許さねぇ。一生を捧げる覚悟を持て。でないとここでお前を殺す!」「そうだね。あなたの言うとおりだ。私は自分の命の全てをかけて言葉の力を信じる。そしてせめて私の身近な人たちは言葉で幸せにしたい。私の言葉を読んだ人が幸せになれるように」「その気持ちを忘れるな。途中で諦めたらあの世から呪ってやるからな。行けよ。もうここには用はないはずだ」くそったれ魂は立ち上がるとスタスタと病棟の方へ消えていく。その瞳は微かながら涙に濡れている。彼だって死にたくはないのだ。夢があったのだろう。もっと生きたいのだろう。だけど彼はそれができない。ならばまだ生きられる私が夢を追うのだ。死んでもこの夢を離しちゃいけない。私は言葉の力を信じたいから一生をかけてこの道を行く。その覚悟ができた。私は病院を出て一人歩く。
言葉の力は本当に失われてしまったのだろうか?いやそんなはずはない。言葉には強い強い強い力が内包されている。私はその力を信じているし自分が信じなければ言葉の力は伝えられない。アイドルになれなかった。ただのアルバイトで普通には生きられない。何もかもまともじゃない二十歳の私はこの日言葉と共に自分の命を燃やすことを心に決めた。
〈了〉