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嘲笑う盾の一撃

 男の瞳がわずかに細まり、その凍てつく視線が私を貫く。張り詰めた緊張が背後から波のように押し寄せ、肌に静かな冷えが走る。

 窓もない閉ざされた部屋で、その視線だけが小さな刃となり、胸元にじんわり冷たさが染み込む。


 長い沈黙のあと、男の低い声が静寂を断ち切る。


「黒髪の……なるほど、確かにお前の髪は闇のように黒い。伝え聞いた噂では、山一つ分の魔獣を、一晩で消し炭に変えたというが、どうにも疑わしい」


 その冷酷な響きに、私の眉がわずかに動く。隣のヴィルは青い瞳で男を見据え、空気の流れまで読み取っている。


「噂に尾ひれはつきものだけど、紛れもない事実よ」


 努めて平静を装うが、声はかすかに張り詰めていた。


 男の口元に不敵な笑みが浮かぶ。椅子にもたれ、部屋の温度がさらに下がった気がした。壁の油染みとほこりの匂いが、息苦しさを際立たせる。


「……面白い」


 男は視線を鋭く私に向けたまま続ける。


「本当に噂通りだというなら、この魔石に見合うだけの取引をしてやろう。だが、まずは……その実力のほどを証明してもらおうか」


 証明――その響きは交渉ではなく、明らかな試練の宣告だった。心臓が一つ強く打つ。


 男が黒マントを翻し、小さな銀のベルを鳴らす。鈍い音が部屋の隅々までしみわたり、床に微かな振動が伝わる。


◇◇◇


 足音が近づく。重い鉄靴が床を踏みしめ、鋭い金属の擦れる音が混じる。

 そのたびに、足元に低い振動が波打つ。扉が開いた。


 現れたのは、小山のような体格の男。肩に巨大な鉄塊を担ぎ、無言でこちらを見下ろす。

 続いて長身の女が入る。槍を構え、まぶたひとつ動かさぬ目がひやりと光る。

 その視線は、油断を許さぬ刃の冷たさを帯びていた。


「この二人は、俺の護衛を務める腕利きの傭兵だ」


 男は容赦なく告げる。


「こいつらを黙らせることができたなら、お前がただの娘っ子じゃないと認めてやろう。失敗すれば……」


 口元がねじれ、残酷な瞳がこちらを射抜く。


「ここで葬られるまでのことだ」


 ランプの火がわずかに揺れ、薄明かりが二人の瞳に反射する。

 背筋にぞくりと寒気が走る。私は息を殺し、指先に微かな震えを感じて芯を固めた。


「ギルドの正式な認識票まで持っているのに、信じてもらえないなんて……」


 呆れたように言いながら、胸の裏には確かな不安があった。


 男の視線は、いっさいの情を排したままだ。


「俺はそんな物は信用しない。目の前の結果だけが真実だ」


 私は静かに息を吐き出し、内心で茉凜の気配を探る。

 意識を澄ませると、彼女の声が脳裏に響いた。


《《おおっ、いよいよ出番かな? この人たち、いかにも強そうだけど、あなたなら絶対負けないよ。なんたって、わたしの予知視があるからね》》


「頼むよ、茉凜」


 私が椅子から立ち上がろうとしたその時、ヴィルが先に立った。

 膝の裏で椅子の脚がきゅっと鳴り、油の匂いがわずかに立つ。


 私を見下ろして、穏やかな微笑みを浮かべる。


「ミツル、ここは俺に任せろ」


「……ヴィル?」


 驚いた私に、彼は嵐でも微動だにしない岩のような落ち着きで応えた。

 呼吸が揃う一拍の「間」。胸骨の内側で鼓動がひとつ、乾いた音を立てる。

 一瞥ののち、ヴィルは視線を敵へ向け直す。空気がきりりと引き締まる。

 灯りの芯が揺れ、壁に映る影が刃の形に細る。


「俺一人で充分だ」


 その声は冷ややかに、静かな空間に落ちた。一瞬、口を噤むべきか迷ったが、私は思わず反論していた。

 喉に金属の味がにじむ。指先がひやりと強張る。


「……だめよ、ヴィル。相手は二人なんだから」


 私は立ちかけたが、彼はすぐに首を振って私を制した。その仕草に迷いはない。背筋には緊張と覚悟が満ちている。

 床下の湿り気が靴裏に吸い付き、足が半歩、戻される。


「お前は魔石を守っていろ。なにせ大事な稼ぎの源なんだからな」


 視線がちらりと私のポーチをかすめる。胸がじんと締めつけられる。

 布越しに硬い縁が脈打つみたいで、呼吸が浅くなる。


「私だって戦える。馬鹿にされて、今さら引くわけにはいかないわ」


 思わず声が強くなる。そこには、隠せない悔しさが滲んでいた。

 言い切った後の静寂が、耳の奥で膨らむ。


 ヴィルは一瞬目を細め、強がりを見透かしたように小さく笑う。その苦笑には温かさと、私の未熟さを容赦なく照らす冷静さがあった。

 その視線に触れたところだけ、皮膚の温度がすっと下がる。


「無理をするな。お前に人は殴れんだろう?」


 その言葉に、私は思わず息を呑む。そんなこと、彼が知っているとは思っていなかった。

 胸の奥で言葉がほどけて崩れ、唇の内側を噛む。

 でも――彼は、ずっと私を見ていた。


「お前は優しいからな。いや、優しすぎるのかもしれん。だが、それでいいんだ」


 真剣な表情で、視線が揺らがない。

 灯芯の匂いがわずかに鼻を刺し、眼差しの温度だけが私を留める。


「それに、ここでお前が魔術を使ったら騒ぎが大きくなるだけだぞ?」


「そんなことない。避けたり防御するくらいなら私だって」


 どうにか抗おうとする私を、彼はすぐに遮る。

 言葉の先をふさぐ、その掌の気配が、空気の流れを変える。


「その必要はない。この程度の相手、俺だけで何とでもなる。俺を誰だと思っている?」


 その声は揺るぎなく、鋼の盾のように心を包む。自信の重みが、私の胸をきつく締めつける。悔しさと無力感が絡まり、目の奥が熱くなる。

 舌の裏に苦い唾が集まり、視界の縁がわずかに霞む。


「わ、わかったわ……」


 しぶしぶ頷くしかなかった。

 頷いた瞬間、肩の力が抜け、冷たさが指の節へ降りてくる。

 けれど、悔しさが指先にまで疼き、じっとり冷えていく。

 ヴィルは一瞬だけ息を吐き、再び敵に目を据えた。その背中は頼れる守護者そのものだった。

 そこに寄りかかれば倒れない――そう思ってしまう自分が、いちばん悔しい。


「さあ、始めようじゃないか」


 ヴィルの声は静かだが、明確な闘志を湛えていた。


 戦槌を握る大男が一歩踏み出す。床がどしんと揺れ、鉄塊が空気を叩く。

 陽焼けした腕には無数の古い傷。岩のような顔、鋭い光を宿した目。


「……ずいぶんと威勢がいいじゃねえか、おっさん」


 大男はヴィルをじっと睨み、戦槌を担ぎ上げる。

 鉄塊が揺れるたび、湿った匂いと錆びの金気が鼻を掠めた。


 一方、槍を構えた女は身を低く沈め、蛇のように間合いを測っている。

 髪が微かに揺れ、瞳は無表情なまま穂先に光を映していた。


「いいんじゃない? 少しは楽しめそうだし」


 呟きが風に溶け、緊張が張り詰めていく。槍の先がわずかに煌めいた。


 二人の殺気がぶつかり合い、場にはひりつくような静寂が満ちる。

 ヴィルはそのすべてを受け止め、まっすぐ前に進み出る。背筋は揺るがない。


 私は静かに一歩退き、浅い呼吸を整えて見守る。胸の奥に焦りが渦巻くが、手を握りしめて堪える。

 心の中で茉凜の声がやわらかく響いた。


《《ミツル。ここはヴィルを信じて待とう。彼がああ言うんだから、きっと大丈夫だよ》》


 その言葉に少しだけ力が抜けて、私は小さく呟く。


「……そうね。仲間を信じなくてどうするのって話よね」


 彼の勝利を信じ、今はただ待つしかない自分がもどかしい。

 それでも――背中がここにあることだけは、痛いほど信じられる気がした。


「おっさん、あんた素手でやり合うつもりかい?」


 戦槌を握る大男がふと声を上げる。その言葉で、私も改めて気づいた。ヴィルは剣を抜いていない。

 なぜ丸腰のまま、ここに立つのか――胸に疑念が浮かぶ。


「おう、そういえばそうだった。いやぁ、悪かったな。さすがに丸腰ではそちらに失礼というものだ。じゃあ――」


 ヴィルは本当に忘れていたのか、とぼけているのか、その真意は読み取れない。


 彼は背中から、鍋のような小さな盾を手に取る。そのまま内側の握りを掴んで、二人に向けて見せつけた。


「――俺の得物はこれだ」


「なんだそれは? 何かと思えば鍋みたいなもん持ち出して、馬鹿にしているのか?」


「そんなもので、あたしたちとやろうっていうの?」


 傭兵二人は、小さな申し訳程度の盾を見て、鼻で笑った。


「おまえら、バックラーも知らんのか?」


「知るわけ無いだろう。そんなもの、こけおどしにもならねぇよ」


 ヴィルは小さく肩をすくめて、わざとらしくため息をつく。

 その表情には余裕が滲み、わずかな嘲りも混じる。


「そうか、知らんか。まったくもって、これだから攻め一辺倒の馬鹿は与し易い」


 ヴィルが盾の表面を軽く指で弾く。金属が乾いた音を立てた。

 大男が眉をひそめ、不快そうに顔をしかめる。


「なんだと……!」


 男は怒りを込めて戦槌を構え直す。腕の筋肉が浮き、今にも振り下ろそうという気迫が全身に溢れる。


 一方、槍の女も微動だにしない。

 瞳の奥の光が鈍くなり、いつでも間合いを詰める気配を纏っている。


 二人の殺気が再び絡み合い、まるで嵐の前の静けさのような緊張感が場を支配する。


 ヴィルは軽く笑い、言い放つ。


「侮り苛立ってくれれば、こちらの狙い通りにやりやすくなるってもんだ」


 その言葉に大男の顔がみるみる赤く染まり、怒りが沸騰したようだった。


「貴様……ッ! そのふざけた面、ぶち砕いてやる!」


 戦槌の大男が咆哮し、全力で武器を振り下ろす。地響きが床に走り、衝撃の風圧が空気を叩く。


 その瞬間、ヴィルは足を一歩滑らせると、盾を巧みに構えた――カン、と乾いた金属音。

 気づけば、盾の突きが大男の顔面を正確に捉えていた。

 ヴィルはほとんど動かず、懐へ吸い込まれるように入り、体の芯に溜めた力を盾に集束させる。


 巨漢の目が白く剥け、体が一瞬だけ硬直し、そのまま音もなく崩れ落ちた。

 戦槌は床に転がり、重い体がどさりと沈む。


 静寂。ヴィルは一度だけ呼吸を整え、盾を下ろす。


「……一丁上がり」


 大男を見下ろし、淡い笑みが浮かぶ。


「馬鹿正直で力任せの相手ほど、これが効くんだよなぁ」


 淡々と呟くと、ヴィルの口元に影のような微笑がかすかに灯る。


 掌に収まる小さな盾――見かけは頼りないが、その円面は刃よりも速く、正確に大男の急所を撃ち抜いた。


 敵の膂力を逆流させ、自らの一点へと折り返す。

 そんな単純な理を、寸分の狂いなく貫く静かな技。

 ヴィルにとって戦いは、荒ぶる力を競う場ではなく、経験と計算で編む沈黙の駆け引きだった。


今回の狙い 詳解

緊張感の描写

視線の表現

 男の瞳が鋭く細まり、冷たく張り詰めた視線が主人公を貫くという描写から、部屋に緊迫感が漂っている様子がわかります。この視線は単なる注視ではなく、「刃」と形容されることで、無言の圧力と威圧感を強調しています。


空気の変化

 張り詰めた緊張が波のように広がり、空気が「ぴりつく」と表現されており、部屋の中での心理的な圧迫感が際立ちます。特に、閉ざされた部屋という密閉空間が強調されていることで、逃げ場のない状況がより明確に伝わります。


男のセリフと挑発

 男がミツルに語りかける言葉は、彼女の実力を試そうとしている様子が表れています。彼が持ち出した「山一つ分の魔獣を一晩で消し炭に変えた」という噂は、ミツルの強大な力を象徴していますが、同時にその実力を疑っているニュアンスも含まれています。


ヴィルの構えと信頼感

 ヴィルの存在は、ミツルにとっての精神的な支えとして描かれています。彼が戦場に立つ際の「穏やかな笑み」と冷静な態度は、頼もしさを感じさせます。ヴィルのセリフや行動は、単なるパートナーではなく、ミツルを守る盾のような役割を果たしていることが明示されています。


盾の不思議な役割

 ヴィルが「中華鍋のような盾」を使う場面は、相手に嘲笑されることで読み手の期待を裏切り、興味を引く構成です。普通の盾であれば鉄壁の防御を連想させますが、小さな盾が持つ意味やヴィルの真意が描写されることで、戦いが単なる力比べではないことが示されています。これが後の展開で、ヴィルの知略や戦術が重要であることを強調しています。


ヴィルの戦術と一撃

 ヴィルが大男に一撃を加えるシーンは、彼の技術が際立っています。戦槌を振り下ろす瞬間の「爆ぜる稲妻のような衝撃」が、盾を使った攻撃の破壊力を視覚的に伝えています。また、ヴィルはその場からほとんど動かずに、最速で相手の懐に入ることで、大男の攻撃を巧みに封じている様子が描かれています。この行動からは、彼の冷静な頭脳と素早い判断力が伺えます。


相手の怒りを利用する策略

 「侮り苛立ってくれれば、こちらの狙い通りにやりやすくなる」というヴィルの言葉は、彼が相手の心理を利用する戦略家であることを示唆しています。戦槌の男が挑発に乗り、感情的に攻撃を仕掛けることで、自らの弱点をさらけ出してしまったことがわかります。これにより、戦いが単なる力比べではなく、心理戦であることが浮かび上がります。


ミツルの心情と葛藤

ミ ツルは自分が戦えないことに対する悔しさや焦りを抱えており、ヴィルに守られる立場であることをもどかしく感じています。その心情が、茉凜の声によって少しずつ安定する様子が描かれており、仲間の支えが彼女にとってどれほど大きな存在であるかを強調しています。

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