表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/644

一歩前へ

 帰りの旅路は静かそのもので、どこまでも続く安息の時間のようだった。魔獣の気配もなく、魔素の痕跡すら感じることのない平穏な空間の中で、私の意識も少しずつ薄れていく。時折、スレイドの背に揺られながら、知らぬ間に眠りに落ちてしまうこともあった。


 そんな私を気遣ってか、ヴィルはそっと前方に私を乗せ替えた。彼の力強い腕が私を支え、その温もりが優しく包み込んでくれる。心の奥で、こんな風に誰かに身を委ねる感覚が懐かしくもあり、少し戸惑いもしたけれど、それ以上に安堵を感じていた。

 

 誰かをこれほどまでに信頼し、身を預けることができたのはいつぶりだろう――ふと、記憶が遠い過去へと遡る。


◇◇◇

 

 前世、茉凜に膝枕をしてもらっていた、あの時間が思い起こされる。あの頃の私は、解呪に失敗して命を落とし、デルワーズの陰謀により、魂と名のつくすべての記憶や意識を、弟の身体へと移し替えられてしまったあやふやな存在だった。

 

「弓鶴くん、よく眠れた?」

 

 優しい声に、薄く開いたまぶたの先に茉凜の顔が映り、彼女は私を見下ろして微笑んでいた。その微笑みが何よりも心地よく、彼女の髪から漂う甘い香りが鼻腔をくすぐる。彼女の吐息がかすかに肌に触れると、胸が少しだけ高鳴り、恥ずかしさも感じるけれど、なぜかその瞬間が心地よく、ここから動きたくないと思った。


 普通なら、こういうのは「男の子が抱く淡い願望」と言うのだろうけれど、女の子の魂である私の場合は少し違っていた。茉凜の膝の上に身を委ねることで、私の中で抱え続けてきた不安や孤独、気が狂いそうになるほどの宿命が、すっと消えていくように感じた。彼女がそばにいてくれることで、重い心の鎧を解き放ち、ただの「女の子」として甘えさせてもらえる瞬間だったからこそ、こんなにも深い安心感が得られたのだろう。

 

 もっとも、その時の彼女は、弓鶴の中に私がいることを知らなかったのだけれど……。

 

 それでも、互いに心を許し合うからこそ、彼女の優しさや柔らかさが私の心の支えとなり、触れ合いが安心をもたらしてくれていた。そうして、茉凜の膝に身を預けながら得た安堵と温もりは、今も私の中に深く刻まれている。


◇◇◇

 

 今の私も、どこかで同じ感覚を求めているのかもしれない。この世界で父を失い、母は行方知れず。どこへ行けばいいのかもわからず、ただ剣の中の茉凜と共に歩んできた。その旅路の中で、ふとヴィルに支えられると、心に静かな安らぎが広がっていく。


 彼の存在そのものが、まるで私の心の傷を癒し、そっと静かな温かさで満たしてくれているかのようだった。


――これってつまり……お父さんみたいな感覚かな……?


 そんなふうに考えていた。ヴィルの存在はまるで、心に寄り添ってくれる温かく穏やかな灯火のようで、その感覚を家族に甘えるようなものだと思うことにした。


◇◇◇


 分厚い城門をくぐり抜けると、目の前に広がったのはエレダンの街。その殺風景な外観は、魔獣狩りの最前線であることを物語っている。それでも、今日は少しだけ違っていた。


 街の人々が集まり、無事に届いた物資を迎えるために、手を振り、顔をほころばせていた。

 荷物の中には、遠く離れた家族からの温かな贈り物や言葉も含まれている。私たちにとって、この定期便はただの仕事の一環ではなく、街の人々の希望を乗せた大切な橋渡しのようなものだった。


 歓迎の声に包まれながら、私たちはその熱気を抜け、急ぎ足でハンターギルドへと向かう。何よりも、ギルドマスターに無事を報告することが最優先だった。

 

 ギルドの扉を開けると、そこに待っていたのはベルデンさん。彼は私たちを見て、にっこりと微笑んでくれた。その笑顔には、言葉では言い表せない安堵と信頼が込められていた。

 

「任務遂行、ご苦労さまでした。皆さん、無事なようで何よりです」


 彼の声はあくまで丁寧であり、事務的な響きがあったけれど、その奥には温かい思いが感じられた。きっと、心から嬉しく思ってくれているのだろう。

 

「はい、なんとか荷物を守ることができました。これも、みんなのおかげです。私なんて、後ろで見守っていただけですから」


 私は素直に、今回の任務を終えての感想を口にした。すると、すかさずマティウスが口を挟んできた。

 

「おいおい、ミツル。それはちょっと違うだろう?」


 彼の声には、少しばかりの冗談が込められていた。

 

「そうだぞ、お前とヴィルさんがいなかったら、無事に帰ってこれなかったかもしれないんだからな」


 カイルも微笑みながら言った。その言葉が、なんだか照れくさくて、私は顔を赤くした。

 

「あなたがいたからこそ、ヴィルだってぴんぴんしてられるんだし」


「でも……」

 

 彼らの優しい言葉に、私はますます照れてしまう。けれど、そんなやり取りを、温かい気持ちで受け入れられるようになった自分を、少しだけ誇りに思う。

 

 その時、フィルが後ろから前に出て、私たちのやりとりを笑いながら制止した。

 

「みんな、もうやめてやめて。ミツルが困ってるじゃないか。それよりも、これを見てくださいよ」


 フィルが大きな袋包みをカウンターの上にそっと置くと、その音は重く、確かに響いた。袋がカウンターに触れる音は、私たちの成し遂げた仕事の重さを、まるで物理的に表現しているかのようだった。


「ベルデンさん、どうか確かめてください」


「今回得られた成果ですか? かなりの大きさだ。とても楽しみです」

 

 ベルデンさんがその包みを開けると、透明度の高い、しかしその中に赤い鈍い輝きを秘めた、とても美しい魔石が現れた。それは、まるで宝石のように輝きながらも、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。

 

 それは、あの巨大な魔獣――オブシディアン・アラクニドの核から採取された魔石だった。

 

「これは……本当に見事ですね。サイズも純度も申し分ありません。私の経験から言って、なかなかお目にかかれるものではない。

 正式な品質検査の結果次第ですが、もしかすると国宝級に匹敵する値がつくかもしれませんよ」


 ベルデンさんが目を輝かせながら言った言葉には、彼の確かな目が反映されている。私たちも、心の中で静かに誇りに思った。


「やったぜ!!」

 

 カイルが嬉しそうに叫んだ瞬間、私は思わずビクっと身を縮めた。驚いたのももちろんだけれど、私自身もこんな大きな魔石を手にするのは初めてで、心の中で少しだけ興奮していた。


「これですが、私どもで買い上げてもよろしいですか?」

 

 ベルデンさんが真摯に尋ねると、私は思わずうなずいた。


「もちろんです」


「では、代金は評価が決まり次第、お支払いします。とりあえず、今回の契約の残り分をお納めください」


 私たちはそれぞれ、任務の報酬を手にした。その後、ギルドを後にし、静かな酒席を設けることになった。今日は、任務の成功を祝う小さなひととき。そんな穏やかな時間が、私たちの心に深く刻まれた。


◇◇◇


「じゃあな、ミツル。また組もうぜ!」


 

 カイルは酔いが回ったせいで、普段よりも一層陽気に手を振る。少しふらついた足取りに、他の仲間たちが笑いながらその後を追いかける。私はその姿を見送りながら、心の中で小さく息を吐いた。


 

 しばらくすると、エリスが私の隣に立ち、優しく手を握った。彼女の手は温かく、しっとりとした肌の感触が伝わってくる。その温もりに、私は少しだけ肩の力を抜いてみた。

 

「ね、ミツルちゃん、今度休みの時に一緒に遊ぼうよ」

 

 その言葉に、私の心臓がちょっとだけ跳ねた。予期せぬお誘いに、思わず言葉がつまる。


「えっ!?」

 

 私は顔が熱くなるのを感じた。どうしてこんなにも、普通の会話でも緊張してしまうのだろうか。自分でも少しだけ笑ってしまう。


《《ブーッ!》》


 その瞬間、頭の中で茉凜の警告音が鳴ったので、思わず笑ってしまいそうになる自分がいた。


「あ、うん……そうしよう。エリスにはいろいろ教えてもらいたいこともあるし」

 

 少ししどろもどろに答えながらも、エリスの目を見ると、彼女はにっこりと優しく微笑んでくれた。まるでその笑顔に包まれるような気がして、胸の奥がぽかぽかと温かくなるのを感じた。


「楽しみにしているわ。じゃあね」

 

 エリスがその言葉を残すと、カイルたちと共に、忙しなく動き回る街の人々の中へと消えていった。私はしばらくその姿を見送った後、ぽつんと立ち尽くしていた。

 

 心の中で、静かな安堵が広がっていく。今まで私が知らなかった感情が、少しずつ芽生え始めているような気がして、どこか嬉しくて、ちょっとだけ照れくさかった。

 

《《み・つ・る……》》


 茉凜の警戒心が、相変わらず鋭く強いのが分かる。でも、私にとってはエリスとの関係に特別な感情はないし、彼女もきっと私を妹のように思っているだけだろう。そう思うと、少しだけ安心する。


「ははは」

 

 ヴィルが突然、大きな声で笑った。それが、ちょっと酔いが回ってきたせいだと、すぐにわかる。口元が緩んで、目も少し潤んでいる。

 

「なに?」


 私はふと首をかしげる。何か変なことでもあったのだろうか。ヴィルはしばらく私を見つめた後、嬉しそうに微笑んだ。

 

「いや、今回の遠征でお前をみていて、安心した」


「安心って、どういう意味?」


 まったく理解できなくて、私は眉をひそめる。ヴィルは少しの間黙り込み、真剣な表情で私を見つめると、ゆっくりと口を開いた。

 

「最初に会ったときのお前は、なんていうか……鋭すぎて脆い刃みたいで、まだ小さいのに、一人で無理してるんじゃないかって、心配だったんだ」


 ヴィルの言葉は、まるで私の心の中を見透かされたようだった。あの頃の私は、本当にひとりぼっちで、そうでもしなければ、とても自分を保てなかったから。


「だが、カイルやエリスたちと一緒にいるお前を見て、みんなから信頼されて、可愛がられているって、一人じゃないんだって分かってな。だから安心したんだ」


 その一言が、胸の奥でじわりと温かさを広げていく。私はどうしてこんなに心が震えるのだろうと思うけれど、それでも言葉にはできなかった。


「……あらやだ。離れてお酒を飲んでたのは、私のことを観察するためだったの?」


 軽くからかうように言いながら、目を伏せる。意地悪に笑ってしまうのが、私の癖だ。

 

「それもあるが、レルゲンが持ってきた酒が格別に美味かったからだ。はっはっはっ」


 ヴィルは無邪気に笑いながら、手を伸ばして私の頭をぽんと撫でた。その動作は、子供扱いされているようで、少し照れくさいけれど、どこか懐かしく、心が温かくなる。


 無神経なように見えるその仕草が、私にとってはとても大切で、心地よいものだった。ヴィルという人は、こんなふうに何気なく、でも確かに私の存在を大切にしてくれる。そんな温かさを、私はとても大切にしている。

冒頭解説

 美鶴が感じている「安堵」と「癒し」は、彼女が過去の辛い経験から心の中で抱えた孤独や不安を解放していく過程を反映しています。彼女がヴィルに支えられることで、単に身体的な安心感を得るだけでなく、心の奥底にあった重荷も軽くなっていく様子が描かれています。


 美鶴が過去の記憶に遡るシーンでは、彼女が茉凜との繋がりを深く感じ、そこに安らぎを見出していたことが重要です。茉凜が美鶴を支えた存在として描かれることにより、彼女がどれほど過去の痛みや苦しみを背負ってきたのかが分かります。美鶴は、茉凜の膝枕の記憶を通じて、安らかな感覚を再生し、今もその感覚を求め続けているのです。


 美鶴にとって、ヴィルは過去の辛い記憶から逃れ、心の中で孤独を埋めるための「新しい家族」のような存在となっている可能性があります。彼女が「お父さんみたいな感覚」と感じることで、ヴィルの存在が彼女にとってどれほど大きな支えであるかが明確になります。ヴィルが美鶴の傷を癒し、静かな温かさで満たしてくれる存在として描かれている点が、この物語における重要なテーマを形成しています。


 また、茉凜との過去のつながりが現在の美鶴の心理に大きな影響を与えている点も興味深いです。美鶴が茉凜の膝枕を思い出すことで、心の安らぎを再現し、現在の状況でもそれを求めていることが描かれています。茉凜は、美鶴にとって癒しと安心を与える存在であり、物語を通じてその絆がどう変化していくのかが気になるところです。



後半考察

ミツルの成長と変化

 ミツルは警戒心が強く、一人で魔獣狩りをしていたり、自分を守るために孤立していた人物でした。ヴィルの回想からもわかるように、彼女はかつて「キンキンに尖った刃」のようだったという形容をされ、心の中で無理をしていたことが示唆されています。しかし、カイルやエリスとの関わりの中で、ミツルは少しずつ変化し、他者から信頼されるようになり、「もう一人じゃない」と感じるようになったのです。これが彼女にとって安心感や心の解放となり、成長の一環として描かれています。


エリスとの関係

 エリスがミツルを遊びに誘うシーンでは、ミツルの心の内側が緊張と照れでいっぱいになる様子が描写されています。この細かな感情の揺れは、彼女の未熟さと、他人との関わりにおける戸惑いを象徴しています。


ヴィルとの関係

 ヴィルの言葉でミツルは自身の成長と変化を実感します。「もう一人じゃない」と感じることができた瞬間、ミツルは自分の存在価値や、周囲からの愛情を認識することができ、心に温かさが広がります。この言葉がミツルにとって心に残るものであり、ヴィルが見守り、支えてくれる存在であることが伝わってきます。


ヴィルの気配りと温かさ

 ヴィルが無邪気にミツルの頭を撫でるシーンは、ミツルにとって単なるからかいではなく、彼の優しさや気遣いが込められています。ミツルが照れくさそうにしながらも、その行為を心地よく受け入れる様子から、彼女が少しずつ他者とのつながりを大切にするようになったことが伺えます。


ミツルの内面的成長

 ミツルは、以前のような孤独で警戒心の強い存在から、少しずつ他者と心を通わせることができるようになってきています。この変化は、単に外的な出来事や周囲の環境が影響しているだけでなく、彼女自身の内面の成長を示しており、彼女の心が開かれることで物語が深みを増しています。ヴィルやエリスとの関係を通じて、ミツルは自分を受け入れ、他者に頼ることの大切さを学んでいるのでしょう。


エリスの存在感

 エリスの存在は、ミツルにとって安心できる場所の一つであり、彼女との関係はミツルに新しい感情をもたらしています。エリスがミツルを誘うことで、ミツルは「普通の女の子」としての一面を見せることができ、これが彼女の心に安らぎを与えていることがわかります。


ヴィルの視点

 ヴィルの観察眼は鋭く、ミツルの成長を最も早く感じ取った人物の一人です。彼が「安心した」と言ったのは、ミツルが他者と信頼関係を築けるようになったことを喜んでいるからであり、彼の言葉はミツルにとって、ただの慰めではなく、彼女が成長している証拠として深い意味を持っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ