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心の隙間を埋める瞬間

 夜が深まり、焚き火の炎が揺れるたび、赤い光が幕のようにひろがり、静けさを淡く染めていた。仲間の寝息がほのかに重なり合う中、私はひとり見張りを務め、茉凜と静かな時を分け合っている。


《《うーむ……》》


「さっきから“うんうん”言って、何考えてるの?」


《《あのエリスって人、やっぱり美鶴のこと狙ってるんじゃないかな?》》


 焚き火の温みに溶ける声に、かすかな嫉妬がにじむ。胸の底で小さな灯が揺れた。


「まさか、彼女は私になんて興味ないと思うよ」


《《どうしてそういい切れるの?》》


「あなたは気づかなかったの? 五感を共有してるくせに」


《《カイルのことね。いくらわたしがガサツでも、それくらいわかるわよ。

でも、油断はできない。だいたい、美鶴ったら何? 髪を梳かしてあげたりとかしてさ、なんだかいい感じだったし》》


 からかうように聞こえながら、声の奥には小さな棘のような独占欲が混じっている。焚き火の赤い光が揺れるたび、その嫉妬が甘い影となって胸に触れた。


「ばかなこと言わないの。エリスはね、私を妹みたいな目で見ているのよ。そんな優しさを感じたの。

 それに、私は恋愛なんて、本当のところよくわからないし。まして、女の人を好きになるなんて……ありえないよ」


 声がしぼみ、言葉の行き先を探す。


《《あ、そういうこと言うんだ。じゃあ、わたしはどうなるの? 女のわたしは?》》


 挑むような茶目っ気が火花のように胸をくすぐる。


「茉凜はね、そういう次元とは違うの。なにより一番。“とくべつの中のとくべつ”なんだよ」


 口にした瞬間、響きが自分の奥で跳ね返る。


「特別って……好きとは違うってこと?」


「そうじゃないって。そもそもレベルが違うってこと。唯一無二。言葉なんかで収まらない……だって、あなたは私にとっての奇跡なんだから」


 焚き火がぱちりと弾け、赤い光が胸の奥を照らす。


《《ふふっ、美鶴って、ほんとにずるいな》》


 甘えるような声音に、自然と頬がゆるんだ。


「どうしてずるいの?」


《《だって、わたしが言いたかったことを先に言われちゃうから……。わたしもね、あなたの“とくべつ”になりたかったの。弓鶴くんの中にいたときから、ほんとうのあなたを感じていたから……。わたしにとっても、あなたは奇跡だったんだ》》


 言葉は焚き火の光の粒になって胸を満たしていく。


「……ありがとう。あなたと出会えたから、その気持ちがあったから前を向けたし、今だってがんばれてる。……私は幸せだよ」


 炎が揺れ、刀身が唇に触れるひやりとした冷たさに、私の呼吸もわずかに震えた。その感覚が茉凜へと伝わり、同じ温度を共有しているのを感じた。


《《ひゃっ!?》》


 拗ねたような声がくぐもり、甘やかな余韻が胸の奥でほどける。


《《まただ。またそうやって不意打ちする! ほんとずるい……》》


 拗ねたような声に、思わず口元が緩む。声色には苛立ちよりも、甘やかな響きが濃く混じっていた。


「ふふ、あなたは“欲望に忠実”ですぐに出るけど、私はそれよりもっと“欲深い”のよ」


 言葉を吐いた途端、頬が熱を帯びた。自分からこんな言葉を口にしてしまうなんて――彼女の前だからこそ、隠しきれない。


 言うたびに頬が火照る。それでも彼女の前では、何ひとつ隠したくなかった。

 焚き火の揺らめきに照らされながら、胸の奥にぼんやりと願いが浮かんでいく。茉凜に触れたい。ただ一方的に愛を注ぐだけではなく、いつか彼女の手からも温もりを返してほしい。指先が触れ合い、その温度がこの手に届く日が来れば――。


 現実では叶わぬ願いと知りながらも、心のどこかでその奇跡を信じている自分がいる。焚き火の熱が、幼い希望をやさしく包み込むようだった。


 茉凜の声が、夜気の中にそっと落ちてくる。


《《わたし、いつかあなたに触れたいな……》》


 その響きが胸に深く刻まれ、私の願いをさらに強くする。もっと近くで、もっと確かに。彼女の存在を温もりとして感じられる日を、心から待ち望んでいた。


 ふたりだけの夜に抱かれながら、茉凜がこの言葉をどんな想いで口にしたのか――その答えを思い描きつつ、私は静かな空気に身を委ねた。


◇◇◇


「ミツル、そろそろ交代しよう」


 少し眠気に引き込まれそうになったところで、低く優しい声が耳に届いた。顔を上げると、ヴィルの大きな影が私を見下ろしている。


 彼の姿は焚き火の橙色の光に照らされ、その表情が穏やかで柔らかく浮かび上がっていた。疲れや醉いの気配は一切感じられず、ただ静かで確かなものがあった。


「あら、もうそんな時間かしら?」


 私は少し驚いたふりで微笑む。


「適当でいいさ。お前は今日よく働いたからな、あとは俺に任せてゆっくり休んでくれ」


 言葉は彼らしい淡々とした響きだったけれど、そこに含まれた優しさが胸に染み入る。けれど、少し心配になり、私は視線を細めて彼の顔を見つめた。


「でも、レルゲンとずいぶん盛り上がっていたじゃない? まだ酔ってるんじゃないの?」


 からかうように言った私の言葉に、ヴィルは少し口角を上げて笑みを浮かべた。いつもよりほんの少し楽しげで、でもどこか年上の余裕が漂っている。


「馬鹿を言うな。酒は好きだが溺れるほど飲んだことはない。そんな体たらくでは、今頃ここにはいないだろうさ」


 彼の口調は淡々としているのに、何か微笑ましさが滲み出していて、つい私もくすりと笑ってしまう。彼の言葉には、"いざという時にしっかり対応できないでどうする"、という意味も込められているのだろう。


「それってつまり、あなたを恨んでいる人……たとえば、どこかにそういう女の人がいるとか?」


 からかうように少し意地悪なことを言ってしまったのは、なぜだろう。自分でも理由がよくわからなかった。ただ、彼のいつもの冷静な顔が少しでも動揺するのを見たかったのかもしれない。


 ヴィルは一瞬眉を動かし、ゆるやかに苦笑した。


「子供のくせに、そういう妙なことは考えなくていい。俺はそっち方面は真面目なんだ。禍根を残すような真似はしない」


 声は淡々としていたが、その響きにはどこか温かみがあった。私は小さく笑って「まぁ、ヴィルだしね」と返す。もちろん、彼がそんな不誠実な人ではないことは、初めからわかっている。


 「からかいやがって……」とヴィルは苦笑し、焚き火を見つめた。その横顔には、私に対する小さな信頼が見え隠れしていたような気がした。


「しかし、お前はどこか不思議なところがあるな」


「不思議? どこが?」


 彼の問い返しが私の心にそっと刺さる。その言葉に何か引っかかるような、照れくさいような感覚が込み上げてくる。


「酒を嗜み、理屈めいた物言いで、大人びているかと思えば、急に感情を露わにしたり、無邪気な喜びを見せたり、なんというか掴み所がない」


 ヴィルの目が微かに細まり、焚き火の灯りがその視線に柔らかな陰影を与えていた。彼の観察眼は鋭く、まるで私の奥底まで見透かしているかのようだ。その的を射るような言葉に、私の胸がほんの少しだけ乱れる。


「そ、そうかしら……」


 思わず視線を逸らし、気恥ずかしさから唇を噛んだ。どんなに理性的であろうとしても、この生に宿った鮮烈な感情が時折あふれてしまう。何度も後から「あんなこと言わなければよかった」と後悔することもあるのだけれど、今この瞬間は何も言い返せない。


 とりあえず、言葉を探しながら、なんとか答えた。


「……私は父さまと旅に出る前は、どこだかわからない森の奥で暮らしていたし、他人と付き合うこともなかったからね。ここに来てからも周りは大人ばかりで、どうしたらいいか不安で……いろいろ無理をしていたのかもしれない……」


 私が話す間、ヴィルはその大きな手でそっと頬をかきながら、まるで何かを噛みしめるように頷いていた。彼はその場の空気を壊さずに、ただ静かに私の言葉を待ってくれる。少しの間の後、彼は微笑みを浮かべ、静かにうなずいた。


「誰も頼れる者がいない状況で、お前はよくやってきた。その強い意志と覚悟は誇っていい」


「そうかな……」


 その言葉に戸惑いつつも、どこか温かなものが心に広がっていくのを感じた。


「だがな、もうその必要はない。俺はユベルの代わりにお前を支えると誓った。それに、こうして仲間もできたじゃないか」


 ヴィルのその一言があまりに優しく、心の奥に響いた。「仲間」という言葉を受け止めると、少しだけ心が揺れる。


「仲間だなんて……そんな……」


 私がしどろもどろに答えると、ヴィルは軽く鼻で笑ったように息をつき、私を見つめた。


「遠くから眺めていたが、お前はみんなに好かれているし、精一杯みんなのために働いていたじゃないか。冗談を言い合って笑い合えるなら、それを仲間と言わずに何と言う?」


 反論しようとしても、彼の言葉の一つ一つが柔らかく、私の心をほぐしていくようだった。どこか、心地よささえ感じるほどに。


「本当のところ、ずっと心配だったんだぞ? 街でも他の連中と打ち解けようとしないし、いつも思い悩んでいる様子だったし。まるで警戒心の強い猫みたいだったから」


「猫って……わ、悪かったわね……」


 少し不機嫌を装ってみたものの、ヴィルもわかっていたのか、彼は肩をすくめて静かに笑っていた。


「心配することはないさ。お前はもう一人じゃない」


「う、うん……」


 胸の奥に、ふわりと温かな灯火が灯るような気がした。その灯火は小さくも確かな安心感となり、私の心を包み込んでくれる。


「戦場では感情を制御することが大切だが、普段は自分に素直でいろ。この俺みたいにな。ははは」


 彼が笑い飛ばす姿に、思わず私もくすっと笑ってしまった。

 前半のシーンは、焚き火の暖かな炎を背景に、キャラクターたちの心の繋がりと複雑な感情を描写しています。夜が深まり、焚き火の柔らかな光が周囲を包み込み、その温もりが静寂をかき消す中で、ミツルは茉凜との静かな時間を共有しています。この静かなひとときは、彼女たちの関係が持つ特別な意味を浮き彫りにしていきます。


 茉凜がエリスとの会話について尋ねることで、冗談めかした口調の中に潜む真剣な感情が感じられ、嫉妬や不安がミツルの心に小さな波紋を広げます。彼女が「エリスは美鶴のことを狙っているのではないか」と疑問を呈することで、ミツルは自分の感情に直面し、恋愛というものについての理解が浅いことを認めます。この葛藤は、彼女たちの心の距離感を強調し、互いの存在がどれほど特別であるかを再認識させる重要な要素となっています。


 特に「特別」という言葉が持つ意味は、彼女たちの関係を深める鍵となり、ミツルの「茉凜は唯一無二の存在だ」という思いは、彼女との絆の強さを象徴しています。茉凜が「そういうことじゃなくて」と応じることで、彼女自身も同じ感情を抱いていることが示唆され、二人の心が通い合っていることを感じさせます。


 さらに、ミツルが「茉凜に触れたい」と願う瞬間は、実は単なる肉体的な接触を超えた深い愛情の表現です。この願望は、彼女との関係がどのように進展していくのか、そしてそれがもたらす変化に対する期待を強調しています。


 物語の中で、肉体の無い茉凜が「いつかあなたに触れたい」と願うことは、ミツルの心に深く刻まれ、彼女たちの関係がさらなる親密さを求めていることを示しています。この静かな夜の中で、彼女たちはお互いの思いを探り合いながら、愛の温もりを求める瞬間を待ち望んでいるのです。焚き火の揺らめきは、彼女たちの心の中の希望を優しく包み込み、未来への期待を高めていきます。


 美鶴は前世で「超世間知らず」に育ったため、恋愛に対する理解や経験が欠けており、その結果、性指向についても確かな自信を持てない状況にあります。


 第二章で彼女が茉凜に惹かれてしまった感情は、彼女にとって大きな衝撃であり、内面的な葛藤の始まりを象徴しています。「女の子を好きになるなんて」と動揺し、憑依した弓鶴という身体とのギャップに苦しむ彼女の心情は、恋愛に対する純粋な好奇心と戸惑いを同時に表現していました。


 この時、美鶴は茉凜を特別な存在として意識することで、彼女の心の奥に秘められた感情の深さに気付いていきます。茉凜はただの恋愛対象を超え、美鶴にとっての希望や支えとなる存在であり、彼女が持つ「特別さ」は物語全体における美鶴の成長の鍵となるのです。


 また、弓鶴の身体を持つ美鶴は、性別やアイデンティティに対する葛藤を一層複雑にし、自分自身の身体と心のギャップに苦しむことになりました。その上、呪いを解くための離れがたい関係と、結末での定められた別れが、彼女を苦しめていったのです。



 後半のシーンは、ミツルとヴィルの間にある深い信頼関係と、彼らの心の安らぎを描いています。二人のやり取りには、ヴィルがミツルをどれだけ大切に思っているか、そしてミツルが徐々に彼に心を許していく様子がよく表れています。


 まず、ヴィルの「そろそろ交代しよう」という一言は、単なる見回り交代の提案に留まらず、ミツルの疲労や安心を気遣う配慮が含まれています。彼の低く優しい声と焚き火の温かな光によって、安心感が伝わり、ミツルも少しずつ警戒心を解いていく様子が感じられます。ヴィルの穏やかな表情や言葉の端々にある優しさが、ミツルの心に染み入り、自然と彼女の緊張を解いていくのです。


 また、ミツルがヴィルをからかう場面も興味深いです。「酔ってるんじゃないの?」と尋ねたり、「怒ってる女の人がいるんじゃない?」と茶化したりすることで、彼女はヴィルの冷静さを揺さぶり、少しでも反応を引き出そうとします。この無邪気なからかいは、ミツルの少女性と、ヴィルに対する信頼の表れでもあり、二人の関係に温かみを与えています。ヴィルも苦笑しながらそのからかいを受け流し、むしろ楽しんでいる様子が描かれており、二人の間に築かれた親しみや信頼が感じられます。


 さらに、「仲間」というヴィルの言葉がミツルにとって特別な響きを持つ点も重要です。彼女は過去の孤独や不安を抱え、誰かと「仲間」として関わることに対して抵抗を感じているのかもしれません。しかし、ヴィルは彼女がどれほど仲間として受け入れられているかを指摘し、ミツルが新たな仲間との関係性を見つめ直すきっかけを与えています。ヴィルの言葉により、ミツルは自身が一人ではないことを実感し、その胸の奥に温かな感情が広がっていきます。


 最後に、「感情を制御することは大切だが、普段は自分に素直でいろ。この俺みたいにな」というヴィルの言葉が締めくくりとなり、ミツルに対する励ましとして響きます。ヴィルはただの保護者としてではなく、ミツルが自分らしくあることを大切にしているように感じられます。この温かい言葉が、ミツルの心に安心感と安定感を与え、彼女が自然体でいることを助けるのです。


 このことから見て、いずれ人格は落ち着いて統合されていくでしょう。

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