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黒髪のグロンダイル  作者: ひさち
第一章
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父が遺した白い剣


 沈黙が落ちた。

 遠いざわめきだけが霞み、輪郭を失う。

 胸がひりつき、神経を灼いた。


 どれくらい経っただろう。俯いたまま、ただテーブルの木目をじっと見つめているうちに、時間は溶けた。そんなとき、不意にヴィルの声が、この静寂を鋭く切り裂いた。


「……ミツル、お前は魔獣が憎いか?」


 喉を射抜く問い。心の奥底に、容赦なく差し込まれる。思わず顔を上げると、ヴィルの真剣な瞳が、逃げ道を塞いでいた。


「……ええ」


 掠れた返事が、自分のものとは思えないほど遠い。


「だからお前は魔獣狩りをしているのか?」


 ヴィルの声が再び突き刺さる。視線を逸らそうとしても、彼の鋭い眼光が私を捉えて離さない。


「……そうよ」


 視線を落とす。声が乾いた。指先がテーブルの縁をかすかに掴む。自分を保つため、そこに寄りかかるしかなかった。

 私の答えを聞いたヴィルは、重い溜息をつく。そして、低く抑えた声でぽつりと言った。


「あいつは、お前が剣を振るうことなんて、きっと望んでいやしない。……たとえ守るためだとしても、だ」


 その言葉が、胸に重くのしかかる。

 父さまが本当に望んでいたのは何だったのか。私の選んだ道は、それと大きく食い違っているのではないか。

 私は俯くしかなかった。視界に映るテーブルの木目が揺らめき、歪んで見える。何が正しくて、何が間違っているのか。確かな答えなど、どこにもない。


「……そんなこと、わかってるわ……」


 私の声は頼りなく震えていた。ほとんど聞こえないほど小さかった。


「でも……」


 燻る思いはまだ輪郭を持たない。もどかしい気持ちが、私を内側から掻き乱す。

 もし父さまがここにいたなら、どう思うのだろう。


「それでも……私は生きていかなきゃならない。たとえ一人でも……。だから、私は戦っている」


 言葉を紡ぎ出すたび、胸が苦しくなる。もっと多くの感情があるはずなのに、うまく言葉にできない。


 そのとき、ヴィルが一歩踏み出し、私の肩にそっと触れた。温度が伝わり、瞬きが止まる。不思議と、その触れ方には安心感があった。


「そうか……」


 ヴィルは低く、穏やかな声で呟いた。その声音には、何かを悟り、受け入れたような重みが滲む。


「それがお前の覚悟だというなら、何も言うまい」


 彼の瞳は、私の心の内側を見透かすようだった。そこには責める色はなく、どこか肯定するような、暖かな光が宿っている。


「じゃあ、見せてもらえないか? お前がユベルの娘であるという証をな。何かしらあるんだろう? あいつが遺したものが……」


 その問いの意味を理解するのに、時間は必要なかった。

 私は静かに立ち上がり、白きマウザーグレイルを慎重に手に取る。そして、神聖なものでも扱うかのように、そっとテーブルの上へと置いた。

 それは剣の形をしていながら、刀身には刃がない。それでも、これこそがすべてを象徴するのだと、胸の奥で確信していた。


 薄暗い酒場の中、魔道ランプの灯が揺らめき、テーブル上の剣を淡く照らす。その光は儚く、それでいて不思議な意志を湛えているようだった。

 ヴィルは剣から目を離さず、ゆっくりと頷く。その瞳に、言葉にならない思いが揺らめいた。

 白い刀身は、ぼんやりとした光の中で清らかに輝いている。


「これよ」


 私は静かに口を開く。声は思ったよりも落ち着いていた。


 ヴィルは剣を凝視し、深く息を吸い込む。瞳は刃なき刀身の細部を追い、何かを確かめるように細められている。


「剣、か……」


 その短い一言に、驚きと戸惑いが入り交じる。私はただ、固く唇を結んで頷くしかない。


「ええ、父さまが最後に握っていた剣。そして、父さまと母さま、そして私を繋ぐ絆の証」


 そう言葉にしたとたん、胸の内がじりじりと熱くなる。涙が滲みかけるが、今は泣くわけにはいかない。私は微動だにせず、彼の表情を見つめ続けた。


「ふむ……」


 ヴィルは低く唸り、白い剣を丁寧に観察し始めた。淡光の下、彼は剣を傾ける。刃なき刀身に刻まれた何かを読むように。

 私は息を詰め、彼の様子を見守る。


 長い時間をかけて剣を見つめたヴィルは、やがて小さく頷いた。


「……なるほどな」


「え……?」


 思わず小さな声が漏れる。馬鹿にされるとばかり思っていた私は、あまりに素直な彼の反応に驚きを隠せなかった。


「俺にはあいつがどうしてこの剣を大切にしていたのか、正直わからん。が──」


 ヴィルは深く眉を寄せ、一瞬言葉を探すように口を閉じる。再び口を開いたとき、その声には慎重さと確信が混ざっていた。


「──これが絆の証だとお前が言うなら、尊重すべきものだ。それがどういう意味を持つのか、お前自身で理解する時がいずれ来るのかもしれん。それがユベル・グロンダイルの遺志だというならな」


 その言葉が、胸に染み込むように響いた。剣の意味、絆の証、そして遺志……それらが私の中でゆっくりと形を成していく。

 ヴィルは重い溜息をつくと、再び私を見つめる。彼の眼差しには、新たな決意が生まれつつあるようだった。


「そこでだが、お前に提案をしたい」


「な、なにを……!?」


 不意を突かれ、思わず声が裏返る。


「俺とひとつ手合わせをしてくれないか」


「ええっ!?」


 思わず椅子から身を乗り出してしまう。ヴィルの真剣な表情に冗談の気配はない。


「お前の人となりと覚悟は十分理解した。あとはこの剣に問うしかない。俺は確かめたいんだ。お前の中に流れるユベル・グロンダイルの血をな」


 その言葉に、私は息を呑む。

 父の血を受け継いだ証を、今ここで試される――。

 そう理解した瞬間、胸が熱くなり、言葉を失った。

 視線を落とす。無言のまま、拳が微かに震えた。恐怖とも昂ぶりとも、まだ識別できぬ震えだった。

◆第一の主題:言葉で触れる、父の影

ヴィルの問い「魔獣が憎いか?」は、表層的な戦う理由を超えて、**ミツルの核にある“喪失”と“覚悟”**そのものを引き出そうとする刃です。


ミツルは「はい」と答える。だが即答ではない。ここに、“ただの憎しみ”ではないことが示されます。


魔獣への憎悪は、喪失と過去の自己否定が層を成している。


戦い続ける理由に「義務」や「贖罪」が混ざり込んでいることが、彼女自身の言葉で初めて語られます。


「でも……私は生きていかなきゃならない。たとえ一人でも……」


この一文が、彼女の孤独を背負う姿と、「選択としての戦い」の本質を強く響かせています。


◆第二の主題:刃なき剣=絆と証明

ここで提示される**〈白きマウザーグレイル〉**は、物語の象徴そのものです。


刃がないという事実が、“殺すための剣”ではなく、“受け継がれる意志”を体現する。


それを「父と母、そして自分をつなぐもの」とミツル自身の口で言わせることで、彼女の自己認識の中核に“絆”があることが示されます。


剣を見つめるヴィルの態度も極めて象徴的です。


彼は剣の威力や性能を問わない。


代わりに、“その剣に込められた意味”を読む。


「それがユベルの遺志だというなら、それは尊重すべきものだ」


ここに、剣とは過去の象徴ではなく、未来を示す道標であるというメッセージが重ねられます。


◆第三の主題:血を問う試練としての手合わせ

ヴィルの提案、「手合わせをしよう」という言葉が、物語の局面を完全に“動”へと転じさせます。


これは決闘ではない。


あくまで「ユベルの血がどう生きているかを確認するため」の心の対話。


「俺は確かめたいんだ。お前の中に流れるユベルの血をな」


このセリフには、「継承」と「証明」、そして「個の確かさ」がすべて込められています。


ミツルは血縁を名乗っているが、それを証明するものはただ一つ、「戦う姿」しかない。


ヴィルにとってもそれは、かつての友の血がどう息づいているかを知る唯一の手段。


「剣に問う」


この一文は、物語世界の文化・価値観・美学の集約であり、剣を通じて語られる魂の言語がここに表れています。


◆象徴と心理描写の融合:マウザーグレイルの淡光

剣に宿る茉凜は沈黙しています。


この“沈黙”が非常に効いている。


ミツルが自ら語り、選び、受け入れる瞬間だからこそ、茉凜の干渉がない。


剣に語らせず、ミツル自身が「剣に意味を持たせる」過程が描かれます。


「私にとっては、これこそがすべてを象徴する存在なのだと、胸の奥で確信していた」


この主観の確信が、ヴィルの目にどう映るか――その間に流れる“静かなる対話”の描写が、作品の抒情的美を際立たせています。


◆次の展開:試練を超えて、何を得るのか

この手合わせが持つ意味は三重です:


ミツル自身の覚悟を内外に示す儀式


ヴィルに“見せる”ことで関係性の基盤を築く試み


剣=茉凜の存在が戦いの中で初めて“答える”予兆


戦いそのものよりも、戦いが始まる前の沈黙・緊張・躊躇・決意。

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