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黒髪のグロンダイル  作者: ひさち
第一章
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グロンダイルの娘


「じゃあ何だ。お前、“あいつ”、いやユベルの子供だとでも言いたいのか」


 ヴィルの低い声が静かに空気を震わせる。その問いに、喉の奥が詰まった。私はあえて、短く息を吐きながら答えを返す。


「そうよ……」


 自分でも驚くほど素直な返答。だが、その裏で腹の底が冷えていくのを感じる。そんな内面の揺れなどおくびにも出さず、私はヴィルの瞳が驚愕に見開かれる刹那を見逃さなかった。視線を逸らさず、さらに踏み込む。


「今、『あいつ』って言ったわね。あなた、私の父さまをどこまで知っているの?」


 鋭い視線を向けると、ヴィルの眉がかすかにひきつった。その小さな変化に、心臓が跳ねる。


「まあな。あいつは俺の旧い友人だ」


「友人……ね」


 彼の言葉を反芻し、その裏に潜む意図を探る。

 父さま、ユベル・グロンダイル。その名を知る者がいる。もし本当に友人なら、行方知れずの母さまに関する情報を握っている可能性があった。


「それで? 友人の名をかたる不届き者を懲らしめに来たと?」


 わずかに挑発するような調子で問いかける。ヴィルは薄く笑い、私から視線を外さない。その笑みは曖昧で、敵か味方か、判断がつかない。


「まあ、そんなところかもしれん」


 得体の知れない答え。だが、想定内だった。ユベル・グロンダイルの名を掲げていれば、いつかこういう人物が現れると予期していた。


「聞いてちょうだい。私は正真正銘、『ユベル・グロンダイル』の娘よ。この名で魔獣を狩っていて何が悪いわけ?」


 静寂が落ちる。私の言葉に、ヴィルの瞳がまた鋭さを増した。


「お前がユベルの娘だと……?」


 ヴィルの声が、冷たい刃のように突き刺さった。

 確かに、私の顔立ちは父さまに似ていない。むしろ母さまの生き写しだ。髪も、瞳の色さえも。父さまはいつも偽名を使っていたから、本名を知る者は限られている。

 彼の反応は、確かな因縁があることを示していた。


「教えてもらおうか。あいつは今どうしている? どこにいる?」


 その名を掘り返すな、と喉元で悲鳴が暴れる。封印してきた記憶がこじ開けられ、一瞬、呼吸が止まった。

 答えなければ。父の名を背負う者として、逃げてはならない。

 唇を噛む。指先が微かに震えるのを、テーブルの下で強く握りしめた。


「……もう答えようがないわ。父さまは……もうこの世にはいない」


 声音が震え、喉の奥が焼けるようだ。父の死を口にするたび、胸に冷たい何かが突き刺さる。


「あいつが、死んだ……? ふざけるな、嘘を言うんじゃない」


 ヴィルの声に明らかな動揺が宿っていた。その揺らぎが、痛いほど伝わってくる。

 私は下を向かず、ヴィルの視線を正面から受け止めた。凍えるような記憶が私を蝕もうとするが、堪えて立ち続ける。


「本当のことよ……」


 胸の奥で疼く痛みは、私がまだ父の死を受け入れられていない証だった。

 ヴィルの目が微かに揺れ、仮面のような冷静さが一瞬崩れる。


「何があったっていうんだ……。あいつはどうして死んだ?」


 その問いに、心臓を直接掴まれたような苦しさを感じた。


「父さまは、魔獣との戦いで命を落とした……。私を守ろうとして……」


 言葉を発するたび、父の笑顔が脳裏に浮かぶ。涙が滲むが、必死に堪えた。弱さを見せたくなかった。


「ばかな……。あいつは、“閃光”の二つ名を持つ、大陸一の剣士と謳われた男だ。魔獣ごときに遅れを取るなどありえん。俺は信じないぞ……」


 ヴィルの言葉に、彼自身の苦悩と混乱が滲んでいた。

 その気持ちは私も同じだ。信じたくない。父が負けるなど、受け入れたくない。だが、現実は厳しい。


「そうよ、父さまは強い。どんな魔獣にも負けない。私だってそう信じていた……。

――でも、あの時の魔獣はとても大きくて、見たこともない形で、倒しても倒しても尽きることなく湧き出て、いくら父さまでも、一人で捌き続けるのは無理だった……」


 凄惨な光景を思い出すだけで、息が苦しくなる。

 鉄の匂いが立ち込める赤黒い光景の中、父さまが必死に戦っていた。鋭い爪と牙がその身体を貫き、血飛沫が舞う。私はただ立ち尽くし、泣き叫ぶだけだった。


「それでも……父さまは最後の最後まで諦めなかった。ただ、私のことを守るために、戦い続けた……」


 言葉は、自分を慰めるためだけのものだった。後悔と無力感が、私を支配する。


 なぜ。

 なぜもっと早く、気づかなかったのか。


 死にゆく父を前に、血と絶望の中で、私の内に眠っていた【前世】が覚醒した。

 その力――【深淵の黒鶴】は、怒りのままに無限の魔獣を屠ったが、虚しさだけが残った。

 そして気づけば、手にはこの白い剣が握られ、茉凜の声が響き、異世界への転生を悟った。


「父さま……」


 喪失の痛みが、こらえきれず涙となって頬を伝う。どんなに力を振るっても、父はもう帰ってこない。


 ヴィルは私の言葉をじっと聞きながら、深い息を吐き出した。

 純白の剣の中から、茉凜が息をひそめる気配だけが伝わってくる。


「そうか……。あいつは最後まで戦ったんだな」


 彼の声には、はっきりとした哀しみが滲んでいた。その哀しみは私の痛みと重なり、酒場の深い紫の夜気へと、静かに溶けていった。

◆考察と解説:ミツルとヴィル――揺れる魂の交錯

このシーンは、物語の重要な結節点。ミツルとヴィルが「ユベル・グロンダイル」をめぐって対峙することで、これまで隠れていた過去の影が鮮烈に浮かび上がっています。


ここにはいくつものレイヤーが重なり合っています。


① ミツルの心理的揺らぎと葛藤

ミツルはここで「ユベルの娘」という真実を語るとき、自分自身の深層心理に直面します。


「父さま」と呼ぶたびに彼女は自己の痛みにさらされる。


「嘘ではない」と口にするたび、自己の過去と向き合うことになる。


言葉を交わすほどに感情が波立つ構造になっており、読者はその揺れに深く感情移入できます。


ミツルが抱えているのは、

「父を失った傷」+「その死に対する無力感・罪悪感」

という非常に根深く、鋭い痛みです。


そして、その傷を再びえぐるヴィルの問いが、このシーンの感情的な緊張を高めています。


② ヴィルの秘められた動揺と哀しみ

ヴィルは当初、ミツルに対して懐疑的で冷淡な態度をとっています。


しかし、ユベルの死という事実を告げられることで、明らかな感情の揺らぎを見せ始めます。


最初の「ふざけるな」という拒絶反応


次に訪れる動揺、そしてそれを覆い隠そうとする冷淡さ


最終的にユベルの死を受け入れた瞬間に見せる静かな哀しみ


ヴィルは「ユベルは絶対に負けない」と強く信じています。この思い込みは、ユベルへの深い敬意と友情の証でもあり、彼がミツルの言葉を容易に信じられない理由でもあります。


ヴィルがユベルのことを「あいつ」と呼ぶのは、距離を取ろうとする防衛心理と、懐かしさが複雑に入り混じった感情表現です。


③ 二人をつなぐユベル・グロンダイルという存在

ユベルという人物は、ミツルにとっては「守護者」であり「最愛の父」。ヴィルにとっては「旧い友人」「信頼に値する戦士」でした。


ユベルを巡る二人の視点が交錯することで、読者の中に立体的なユベル像が生まれます。


この場面において、ユベルが既にこの世にいないという事実が明らかになることにより、ミツルとヴィルの関係性に新たな奥行きが生じます。


つまり、二人は「ユベルの喪失」を共有した瞬間に、運命的な連帯感を抱く可能性があるということです。


④ ミツルの回想シーンが持つ重要性と意味

ミツルは父の死を語る際に、「魔獣との戦い」の情景を細かく描き出しています。


「父さまが魔獣に殺された」という事実はミツルにとって受け入れがたい屈辱であり、深い罪悪感の源でもあります。


父を守れなかった後悔と絶望、そしてその中で覚醒した異能【深淵の黒鶴】は、彼女が現在持つ力の根源的なトラウマと密接に結びついています。


この回想は、ミツルがなぜ父の名を名乗り、その名を背負いながら魔獣狩りを続けるのかを明確に示しています。それは「贖罪」であり、「父への愛と尊敬の証」でもあります。


⑤ 茉凜(剣)の沈黙とその意味

このシーンにおいて、茉凜はミツルの意識の中であえて沈黙しています。それは茉凜が状況の重みを感じ、静かに見守っているからです。


茉凜がここで口を挟まないことは重要な描写です。彼女の沈黙は以下を意味しています。


ミツルが自らの過去を独力で乗り越えなくてはならない局面であることを示している。


茉凜自身が、ミツルの記憶と感情を共有しながら、言葉よりも深い共感を示している。


この「沈黙」は次の場面への橋渡しともなります。茉凜が次に口を開く瞬間が、ミツルの再生や決意とリンクするでしょう。

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