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父が遺した白い剣


 沈黙が落ちた。

 遠いざわめきだけが霞み、輪郭を失う。

 胸がひりつき、神経を灼いた。


 どれくらい経っただろう。俯いたまま、ただテーブルの木目をじっと見つめているうちに、時間は溶けた。そんなとき、不意にヴィルの声が、この静寂を鋭く切り裂いた。


「……ミツル、お前は魔獣が憎いか?」


 喉を射抜く問い。心の奥底に、容赦なく差し込まれる。思わず顔を上げると、ヴィルの真剣な瞳が、逃げ道を塞いでいた。


「……ええ」


 掠れた返事が、自分のものとは思えないほど遠い。


「だからお前は魔獣狩りをしているのか?」


 ヴィルの声が再び突き刺さる。視線を逸らそうとしても、彼の鋭い眼光が私を捉えて離さない。


「……そうよ」


 視線を落とす。声が乾いた。指先がテーブルの縁をかすかに掴む。自分を保つため、そこに寄りかかるしかなかった。

 私の答えを聞いたヴィルは、重い溜息をつく。そして、低く抑えた声でぽつりと言った。


「あいつは、お前が剣を振るうことなんて、きっと望んでいやしない。……たとえ守るためだとしても、だ」


 その言葉が、胸に重くのしかかる。

 父さまが本当に望んでいたのは何だったのか。私の選んだ道は、それと大きく食い違っているのではないか。

 私は俯くしかなかった。視界に映るテーブルの木目が揺らめき、歪んで見える。何が正しくて、何が間違っているのか。確かな答えなど、どこにもない。


「……そんなこと、わかってるわ……」


 私の声は頼りなく震えていた。ほとんど聞こえないほど小さかった。


「でも……」


 燻る思いはまだ輪郭を持たない。もどかしい気持ちが、私を内側から掻き乱す。

 もし父さまがここにいたなら、どう思うのだろう。


「それでも……私は生きていかなきゃならない。たとえ一人でも……。だから、私は戦っている」


 言葉を紡ぎ出すたび、胸が苦しくなる。もっと多くの感情があるはずなのに、うまく言葉にできない。


 そのとき、ヴィルが一歩踏み出し、私の肩にそっと触れた。温度が伝わり、瞬きが止まる。不思議と、その触れ方には安心感があった。


「そうか……」


 ヴィルは低く、穏やかな声で呟いた。その声音には、何かを悟り、受け入れたような重みが滲む。


「それがお前の覚悟だというなら、俺は何も言うまい……」


 彼の瞳は、私の心の内側を見透かすようだった。そこには責める色はなく、どこか肯定するような、暖かな光が宿っている。


「じゃあ、見せてもらえないか? お前がユベルの娘であるという証をな。何かしらあるんだろう? あいつが遺したものが……」


 その問いの意味を理解するのに、時間は必要なかった。

 私は静かに立ち上がり、白きマウザーグレイルを慎重に手に取る。そして、神聖なものでも扱うかのように、そっとテーブルの上へと置いた。

 それは剣の形をしていながら、刀身には刃がない。それでも、これこそがすべてを象徴するのだと、胸の奥で確信していた。


 薄暗い酒場の中、魔道ランプの灯が揺らめき、テーブル上の剣を淡く照らす。その光は儚く、それでいて不思議な意志を湛えているようだった。

 ヴィルは剣から目を離さず、ゆっくりと頷く。その瞳に、言葉にならない思いが揺らめいた。

 白い刀身は、ぼんやりとした光の中で清らかに輝いている。


「これよ」


 私は静かに口を開く。声は思ったよりも落ち着いていた。


 ヴィルは剣を凝視し、深く息を吸い込む。瞳は刃なき刀身の細部を追い、何かを確かめるように細められている。


「剣、か……」


 その短い一言に、驚きと戸惑いが入り交じる。私はただ、固く唇を結んで頷くしかない。


「ええ、父さまが最後に握っていた剣。そして、父さまと母さま、そして私を繋ぐ絆の証」


 そう言葉にしたとたん、胸の内がじりじりと熱くなる。涙が滲みかけるが、今は泣くわけにはいかない。私は微動だにせず、彼の表情を見つめ続けた。


「ふむ……」


 ヴィルは低く唸り、白い剣を丁寧に観察し始めた。淡光の下、彼は剣を傾ける。刃なき刀身に刻まれた何かを読むように。

 私は息を詰め、彼の様子を見守る。


 長い時間をかけて剣を見つめたヴィルは、やがて小さく頷いた。


「……なるほどな」


「え……?」


 思わず小さな声が漏れる。馬鹿にされるとばかり思っていた私は、あまりに素直な彼の反応に驚きを隠せなかった。


「俺にはあいつがどうしてこの剣を大切にしていたのか、正直わからん。が──」


 ヴィルは深く眉を寄せ、一瞬言葉を探すように口を閉じる。再び口を開いたとき、その声には慎重さと確信が混ざっていた。


「──これが絆の証だとお前が言うなら、尊重すべきものだ。それがどういった意味を持つのか、お前自身で理解する時がいずれ来るのかもしれん。それがユベル・グロンダイルの遺志だというならな」


 その言葉が、胸に染み込むように響いた。剣の意味、絆の証、そして遺志……それらが私の中でゆっくりと形を成していく。

 ヴィルは重い溜息をつくと、再び私を見つめる。彼の眼差しには、新たな決意が生まれつつあるようだった。


「そこでだが、お前にひとつ提案をしたい」


「な、なにを……!?」


 不意を突かれ、思わず声が裏返る。


「俺と手合わせをしてくれないか」


「ええっ!?」


 思わず椅子から身を乗り出してしまう。ヴィルの真剣な表情に冗談の気配はない。


「お前の人となりと覚悟は十分理解した。あとはこの剣に問うしかない。俺は確かめたいんだ。お前の中に流れるユベル・グロンダイルの血というものを」


 その言葉に、私は息を呑む。

 父の血を受け継いだ証を、今ここで試される――。

 そう理解した瞬間、胸が熱くなり、言葉を失った。

 視線を落とす。無言のまま、拳が微かに震えた。恐怖とも昂ぶりとも、まだ識別できぬ震えだった。

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